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19.不調と元気

本日2話目

私たちは、トルユスの体調が悪化しないように気を配りながら、宿屋の10号室に住み続けた。

少しずつ行動範囲を広げるが、広げるとすぐに具合が悪くなるのでまた宿に戻る、の繰り返しだ。


あっという間に50日も経っていた。


それでも生活資金を稼ぐ手段は見つけられない。

トルユスを宿に残して私が稼ぎにいくしか道はないけれど、トルユスは頑固に反対し、私も、一人残してでかけたいとは思わない。もし私のいない間に何かあれば、と思うと怖くて無理だ。


そうなると、やはり母の宝石を売るしかない気がする。


とにかく、ドレスと帽子を売ったお金がどれほど余っているのか。

宿屋の主人に二人で確認に行ったところ、やはりもう数日分だと告げられた。

そして、宿屋の主人は私たちに提案してきた。

「娘の服を着てるきみをみると、娘みたいに思えてねぇ。具合は悪いのは分かってるし、お金がないってのも分かるつもりだ。これは提案だけど、他の部屋を用意してあげるから、そこでここで働かないかい」


有難い提案だとは、思った。

だけど、トルユスは10号室でないと、また適応するまで苦しむだろう。


とっさに返事ができない私たちに、宿の主人は首を傾げた。

「こちらも商売だからね」

どうしてこの提案を受けないのか、不思議そうだった。


「少し、考えます。ご厚意をありがとう」

私がそう告げると、宿屋の主人は頷いた。

「よく考えると良いよ。坊ちゃんがそんなに具合が悪いんだから、誰かに頼らないと暮らしていけないと思うよ」


***


無言で二人で10号室に戻ると、トルユスは息を吐いた。

「あいつの言う通りだ」

「ねぇ、トルユス、力を使ってないよね」

と私は確認した。

トルユスが力を使うと体調が悪くなる。だから余程の場面でない限り使わないと話し合ったのだ。


「あぁ」

「良かった。じゃあ、完全に善意からの申し出だね」

「いい親父なんだよな」

とトルユスはしみじみと言った。


「だけど、俺のせいでこうなってるけど、ここで留まって生きていきたいと思わない。色んな町に連れていきたい・・・」

「うん。それに、別の部屋に移ったらあまり意味がないんでしょう、この部屋でないと。だったら他の町に移るのと同じなのかな・・・」

「ただ、アーリ以外に、動いてくれる人間がいるのは貴重だ・・・」


どうしよう。今日に至るまでに、何度もしてきて答えが見つからないことだ。私は困り顔になる。

トルユスは私をじっと見上げている。

そのトルユスは、初めに会った頃よりも細く弱く子どものようになっていると思う。決して気のせいでは無いはずだ。

魔族は力をつけると生まれた年月に関わらず成長するという。だから弱ると幼く後退するのかもしれない。

だけど、確認したらトルユスがきっと傷ついてしまうだろう。だから確認できずにいる。


「・・・俺が、戻らなかったら、良かった」

とトルユスは言った。

「きれいな服で、きれいな顔で、きっとアーリは笑っていた・・・」


私は失笑した。

「笑うなんてない。そんな生き方、望んでいない」

「俺は、そういう世界に、戻したかった」

「私は戻りたくないし、もともとの居場所じゃない。そんなのより今の方が好き」


小さな子どものように落ち込むトルユスの傍にいき、ギュウと抱きしめてみる。

まるで母親のようだ、と思ってから、自分は正しい母の姿を知らない気がする、と思うと不思議な気分だ。


やはり私とトルユスは、アーリとトルユス、という言葉でしか言い表せられないのではないか。


トルユスが躊躇ためらうようになってから、ギュッと私を抱きしめ返した。


「・・・武器屋に行けば、知り合いもいるし、少しは人より詳しいから目利きもできるし・・・俺は魔族だから、少し魔力をつけてやれば、高値で買い取ってもらえるかと、思ったんだ」

トルユスは、心の内に秘めていたらしい計画を私に話した。

そうか、と思いながら聞くが、私は無言でいた。

最近、ようやく普通に武器屋にいけるようになってはいる。だけど、武器に魔力をつけるなんてこと、きっとできない。

私が以前買ってきた短剣に魔力を加えようとして、無理だったのだから。


「どうやって、生きて行こう」

と私は呟いた。

母エレナから勝手に貰って来たものには限りがある。

だからといってトルユスを魔族の世界に戻すのは不安だし、トルユスもそんなつもりはないと言う。


じっと黙っていたら、トルユスが私をじっと見つめているのに気が付いた。

考えを読もうとしていたのだろか。


「どうして、こんなに好きになっちまったんだろう」

とトルユスは呟いた。

私は不思議にトルユスを見つめた。どうして、トルユスはそんな事を思ったのだろう。


顔が少し近づいてくるのを見つめる。

そのまま近づいてくる。直前で気づいたらしくてピクリと止まる。

このまま動いたら、キスになる。トルユスが固まっている。


「お嫁さんにしてくれるって、言った」

と私は言った。少し唇が触れてしまった。

トルユスが動揺して、瞳が潤んでいくのを間近で見た。その表情に不安が募った。

「してくれないの?」

こちらも泣きそうになる。


トルユスが震えて、離れようとしたので、抱きしめる腕に力を込めて動きを阻止した。

責めるように見つめる。


「・・・何も、してやれない。稼ぐなんて、ろくに、動けないし、足枷になってる」

ボロリ、とトルユスが涙を落としたので驚いた。

「嫌だ。次ぎは、死ぬ瞬間まで、傍にいたい」

と私は言った。言ってから急に涙が込み上げた。


トルユスがヒッ、としゃくりあげるように声を出した。泣いている。

「俺の、死んだの、気にしないで、良い、やっぱり、会うんじゃ、無かっ、た、」

「いやだ」

と私はまたギュウと抱きしめ続ける。

「なんでそんな事言うの。嫌だ。会えて嬉しかったのに、動けないぐらい良いよ、ちゃんと今生きてるから、ずっと傍にいて、もう嫌だ、一人になるのは嫌」

怖くて言い募った。

「置いてかないで。嫌。トルユスしか、特別じゃない、他の人はいや、笑えないよ」


ヒック、としゃくりあげながら、トルユスがなんとか話そうとした。

「だ、っ、俺、よわく、て、ぜんぜ、」

私に抱き付き直して、ギュウギュウ力を強めてきた。

お互いにウゥと唸りながら抱き付き合っている。絶対放したくないと私は思った。


「アーリ、ほんとうに、俺の事、すき?」

と抱き付いて顔は見えないトルユスが涙声で聞いてきた。

「うん」


「ほんとう、に?」

「ぜったい」


「・・・なら、おれに、キス、して」

「・・・」

私は少し身体をトルユスを見た。見つめ合った顔は、多分お互い涙にぬれているけど、トルユスは本当に情けない顔をしていた。


言われるままに、私はトルユスにキスをした。してから、ちょっと緊張した。人生で初めてだからだ。


顔を離して、見つめると、トルユスが涙をそのままに、嬉しそうに笑った。

私はほっと安心した。

それに、こんなに嬉しそうにしてくれるなら。

「もう一回、する?」

尋ねると、トルユスは照れたように視線を下げ、まるで少女のように無言でコクリと頷いた。


チュ

と今度は音が出た。やはり、キスした後の方がカッと恥ずかしくなる。

ドキドキと動く自分の心臓を持て余して、私も照れて下を向いた。


頬にトルユスの指が触れた。

「俺からも、しても、大丈夫?」


今度は私が、無言でコクリと頷いた。

トルユスは緊張したように、少し身を固くして、そろそろと顔を近づけた。

あまりにもゆるゆると近づいてくる顔に、恥ずかしさで耐えきれなくて笑って少し逃げた。するとトルユスがビクリと震えたので、しまったと思った。顔を見れば、やはり不安な表情になっている。


どうして、そんなに不安なのだろう、と私は不思議に思った。


「トルユスなら、何をしても良いよ。私を殺しても、良いぐらい」

と私は心の底から素直に言った。じっと目を見て。

お互い、視線で引き合うのか、顔が近づく。


「俺が、殺させない。絶対に。でも、アーリ」

呟いたトルユスの声は、急に落ちついて、ドキリと大人っぽさを感じるもので。

先ほどまでの不安と動揺が嘘みたいに、滑らかに近づいてくるのでカァアと照れた。


チュ

と頬にキスをされた。

頬だったことに驚いて少し離れたトルユスの顔を見る。じっと互いに真剣な顔をしている。

急に大人びた顔に見える。

トルユスの瞳が迷うように少し揺れ、それからまた私をじっと捕らえた。


今度は、静かに唇にキスを受けた。


顔を離した時、トルユスは、不思議に穏やかに笑ったのだ。

「かわいい」

というので、あっけに取られた。


さきほどまでの、捨てられそうな子どもみたいなトルユスが、消えてしまったみたいに。


トルユスは抱きしめあっていた身体を少し離し、私を上から下までじろじろ眺めて、また笑った。


おかしい、とまた私は思った。

「トルユス。変」

何が変なのだ。印象が急に、

「大人っぽく、え、成長したの?」

自分で気づいて告げた言葉に、私はまじまじとトルユスを上から下まで眺めた。


雰囲気が違う。絶対、成長した。小さな子どもだったみたいなのに、急に年齢を取り戻した。

私と同じぐらい、またはちょっとだけ年下ぐらいに。


「・・・」

トルユスは視線を天井に流すようにして、それからキョロキョロと彷徨わせ、私をまた見つめて、ポリ、と頬をかいた。


「成長したよね!?」

と私は聞いた。

それだけじゃない。

「ねぇ、元気になってる?」


弱々しかったくせに、普通の人ぐらいまでは状態が良くなってる、気がするのは気のせいじゃないはずだ。


「言いたく、なかったんだ」

とトルユスはそんな事を、視線を私から外しながら言った。


「何を。意味が分からない」

私は驚きのあまり責めるように言った。


少しだけ、モゴ、と言いづらそうにしたトルユスは、私の追及の眼差しに急に白旗を上げたらしく、両手さえ上げた。

「その、こっちで生きる力が強くなるっていうか。力貰えるっていうか」


「料理とか手をつなぐとかの比じゃないよね!? キスでここまで回復するなんて、言ってくれたら毎日したよ!?」

弱って先行きに不安しかなかったこの50日以上を何と考えているのか。


「だっ、言えるわけないだろ!」

トルユスが情けない顔をしながら小さな声で叫んだ。

「好きなんだぞ! 単に身体目当てみたいじゃないか! そんな誤解真っ平だ! そんな利害が絡んだこと頼めるかよ」


「そんな事いってる場合じゃなかった! ご飯で嬉しそうにして回復してたレベル超えて、一瞬でこんな元気になるって、ちょっともうちょっと早く言えば良かったのに! どうして!?」

「俺からいったら身体目当てみたいになるのが嫌だったんだってだから!」


「じゃ、え、私から!? こっちから自然にするの待ってたの!? 嘘!」

「俺がどんだけ大事にしてるかって話だろうが!」


「どんだけ心配したと思ってる!? 純情! もっと強く生きなよ!」

「純情って言うな! 男心!」


「もう小さく子どもに戻ってるから死んじゃわないか心配してたのに! この鈍感!」

「鈍感じゃない! 俺が人間の時どれだけ大切に育てたと思ってんだ! こんな変な男にひっかかりやがって!」

「トルユスは変じゃない!」

「うっ」


トルユスが言葉に詰まって身体を逸らすようにした。


私はどうしてだか腹が立つのが収まらなくて、何か仕返しに仕掛けてやれないかと考え、またキスしてやろうかと思ったが、動こうとしてハッと正気を取り戻し、異常に恥ずかしくなって赤面した。

まともにトルユスの顔が見れない。


互いにダメージを受けているらしく、無言になる。


「アーリ。ごめん、怒らないで、聞いて。弁解だけど」

「うん」

弁解なんだな、と思いつつ、私はそっぽを向いて赤い顔を少し隠そうとした。

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