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18.宿

トルユスと一緒にフラフラしながら階段を降り、宿屋の主人に食事を部屋に届けて欲しいと頼みに行った。ちなみに、左足はやっと痛みも少なくなった。


やはり主人は不自然なほどに物わかりが良い。


必要最低限の用事を済ませたら、二人でまた部屋に戻る。

階段を上っている時に、「あの子たちはなんだ?」と他の客が宿の主人に尋ねる声を聞いた。


***


部屋に戻って再びトルユスをベッドに寝かせる。

動いたのはやっぱり負担だったらしく、また身体を丸めて眉をしかめてしまった。

私の片手を離さない。頬をすりよせるようにしてくる。


「大丈夫?」

と尋ねるが、返事も頷く事もできないぐらいで、耐えるようにじっとしている。


コンコン、とノックがあった。

扉に向かうにはトルユスから手を離さなければならない。

「誰か来たから、見てくる」

一言声をかけて急いで離れて向かう。


ドアを開けると、誰の姿も無かった。

驚いて見回し、足元にカゴとボトルが置いてあるのに気が付いた。

食事と飲み物。『気を付けるんだよ』とカードまでついていた。

宿の主人だろうか。


私はまた周囲を見回し、さっと部屋の中に食料をいれて扉を閉めた。

他の客が私たちの事を怪んだら困る。見られたくない。


一方で、主人について不思議に思った。

確認しようにも、具合が悪いトルユスに何かしたのかと聞く事はできない。


まぁ後で。急いで私はトルユスの傍に戻った。


***


さらに8日間、私たちは宿屋の主人からの食料を頼りに、部屋に引きこもり続けた。

やっとトルユスは上体を起こして普通に笑うことができるようになった。


「ごはん、トルユスも食べる?」

「うん、少し」

トルユスが、はにかむように笑った。


「どれがいい?」

私が食料を入れたかごを見せると、トルユスは少しボゥっとしたようにそれを見てから、

「アーリが、俺のために、作ったものが、良い」

と少し私の反応を気にするようにしながら、耳を赤くして言った。


「うん」

私も簡単な料理を習って作れるようになっている。人間のトルユスに習ったからだ。

「何が良い?」

「あ。簡単な、質素なやつ・・・多く食べられない」

「うん。パンのスープ煮で良いかな」

病気の時に食べやすい。

「うん・・・ありがとう」

トルユスが目を細めて嬉しそうだ。


***


作ったものを、トルユスに見せる。熱くて食べられるか気にかかるので、息を吹きかけて冷ます。

持つのも辛そうだから、私が器を持ってスプーンで食べさせることにした。

トルユスは状況にうろたえたが、この方法が一番だと私は思う。

だけどあまりに恥ずかしそうに嬉しそうにするので、こっちも照れてしまう。


互いに顔を赤くして無言でいる。

量を気にしながら料理をスプーンで口元に運ぶ。


美味しいだろうか、とか気になるけど、そういう質問するのも気恥ずかしい。


ゆっくり時間をかけてトルユスが一皿食べ終わった。

トルユスが名残惜しそうに皿を見て、改めて、

「ありがとう」

と礼を言った。

「うん」

と私も真っ赤な顔で頷いた。

やはり美味しかったかなど聞く余裕がない。


「元気に、なった?」

「うん。随分楽になった。・・・ありがとう」

トルユスがまた礼を言ってくる。

その様子をじっと見てから、さらに照れた私は少し俯いて、

「元気になって良かった」

と言った。


「・・・本当はさ。秘密なんだけど、魔族って、人間の場所では住めないようになってるんだ」

トルユスが静かに私に打ち明けた。


「人間の方は、魔族のところには住めない。・・・今は平和だから住み分けてるんじゃくて。昔、互いの場所にしか住めないようにされてしまって、両方とも、それぞれの場所に留まってるってのが、本当のところ」

「・・・ふぅん?」

聞きながら私はとても心配になった。トルユスは魔族で人間の場所にいる。だから体調が悪くなったようだ。


「強かったら良いんだろうけど、俺、駄目だった。アーリと契約したけど、こっちで息するのが無理なほど弱かった・・・早く強くなりたい。ごめん。でも俺でも良い?」


私はふと笑った。トルユスは答えを知っていて聞いてきているように思ったからだ。

「トルユスが良い。良かった元気になって。良かった」

トルユスが安心したように柔らかく笑う。


「あのさ、アーリ。あの、俺、アーリが俺のためにしてくれたら、その分こっちで生きる力が強くなるみたいでさ。あの、それで、それも必要だけど、その、利用とかじゃなくて、好きだから、その」

トルユスが言葉を選ぼうとしてモゴモゴと何か不明瞭な事を言いだした。

私は聞いた。

「私の事、好き?」

トルユスは驚き、そしてあっけに取られたように私を見つめた。


私は待った。


「好きだ。どうして。好きだって言ってるのに」

訴えるように真剣な顔に、私はくしゃっと笑ってしまった。

言わせたかっただけだ。言ってもらった言葉に喜んでしまう。

私のそんな様子に、トルユスはまた驚き、それから肩の力を抜くように少し困ったように笑った。

「びっくりした。伝わって無いのかと思った」


「私も、トルユスが好き。大好き。良かった元気になって」

「うん。そうだ、これからの事を、改めて相談しよう」

「うん?」


「俺、まだこんなだから、新し場所だとまたすぐ適応できない。この部屋にやっと馴染んだのに」

「・・・?」


「えっと。だから、転々とするのが今の俺にはキツくて・・・。強くなれるまで、どこかに落ち着かないか?」


「どこかの町に落ち着いて暮らすって事?」

「そう・・・良いか?」


「うん。良いよ。トルユスが元気になるのが一番だから」

「・・・ありがとう」

トルユスが少し落ち込んだように礼を言うので、私は慰めた。

「私は、トルユスがいてくれたらどこでも大丈夫。どこの町でも」


「・・・ここだと、駄目か?」

「え?」


「・・・無理言うけど、この宿の、この部屋とか・・・」

トルユスの縋るような言葉に私は瞬いて、それから尋ねた。

「ひょっとして、この部屋じゃないと、また戻ってしまう?」


トルユスが、申し訳なさそうにコクリ、と頷いた。


どうしよう。ここは、屋敷のある町に近すぎる。気分的にもう少し、離れておきたいところだ。


だけど、強くなったら移動はできる?


「もし、強くなったら別の町に行けるなら、それまでここで良いよ。そういえばトルユス、この宿の主人に、何か命令とか、何か魔法かけた?」


私の質問にトルユスは頷いた。

「無理やり命令に従わせるような、力を使った。だけどそのせいで、俺の方にもかなりダメージが来た」

「そう。ねぇ、別にここでも良いけど、ここは宿だから、どんな人が出入りするか分からなくて怖い。それに割高のはずだから、結局、住むところはここじゃないところが良いと思うの」


「だけど。この宿の主人、すぐに俺の命令に従った。正直、扱いやすいんだ」

そんな事を言うので、私は戸惑った。

この部屋をトルユスは望んでいる。たぶん、よっぽどここが良いんだろう。


ただ、トルユスが悪い魔術師のようだ。魔族になるとこうなるんだろうか。

一方で、都合よすぎるほどにこの部屋で落ち着いていられるのはトルユスの力のお陰だ。

ドレスも帽子もあっさり買いとってもらって、食料も届けてもらって、部屋に泊めてもらえている。


「・・・じゃあ、とりあえず、トルユスが大丈夫になるまで、この部屋を拠点にするので良い。ただ、生活費、どうする?」

と私は聞いた。

「ドレスと帽子代で今はなんとかできてるけど、仕事して稼がないと」

一応、お母様の宝石がまだ持ち出した箱にはあるけれど、いきなり全て使うのは危険だ。


「仕事もだけど、アーリ1人を外に出すのは嫌だ。一緒に行動しよう」

と言うので、私は同意に頷いた。トルユスを1人にしてしまうと、トルユスが弱りそう。


「あ。それもあるけど・・・いや・・・」

トルユスは何かを否定しかけてから黙り、私を見てまた顔を赤くした。


何だろう、と見つめつつ、態度で何となく察してくる。

トルユスがどこか宣戦布告のような顔をして私を見ている。

「1人町で歩かせると絶対声かけられて危ないから嫌だ」


私はニヤッとした。たぶん嫉妬だと思ったからだ。

「過保護」

「過保護で良い」

トルユスが拗ねた。

私は嬉しくなった。

「歩いている間、ずっと手を繋いでいよう。良いよね」


トルユスが頷いた。


私はさらに言った。

「手、繋ぎたくてもさ、恥ずかしくてよっぽどじゃないと駄目で」

トルユスが父の時は。


「だから、手を繋いで良いって、すごく、嬉しい」

照れてしまった。

トルユスは驚いたようにした。


しばらくしてから、

「アーリは、俺の事を、その、父じゃなくて、好きだったのか?」

と聞いてきた。

あまりに驚いた様子に思えて、そっと俯いてしまっていた顔を上げる。


答えようとして、困る。

でも、正直に口にした。

「分からない。トルユスだけが、特別だったから」


トルユスは私をじっと見つめ、それからまた赤くなって視線を逸らした。


「嬉しい?」

と確認してみる。

「誰のために魔族になったと思ってんだ」


お互い顔を赤くしてまた黙る。


無言が気まずくなったので、私は話題転換を試みた。

「仕事の話しないと」

するとトルユスが少し笑った。

「分かった。金の話だ。とりあえず、この町にも武器屋があるから、のぞいてみたい。知り合いがいる」


「ここから近い?」

「少し離れてる」


「大丈夫?」

と私は心配した。やっと話がまともにできるようになったぐらいなのに、外をちゃんと歩けるのだろうか。


「リハビリがてら向かう」

「お願いだから、絶対無理しないでね」


***


二人、手をつないで、部屋を出た。

ゆっくりトルユスの状態を気にかけながら階段を降りて、宿屋の主人のいる受付に行く。


「兄弟かい」

と今日はそんな事を聞いてきた主人の言葉に、

「違う」

と返事しつつ、お金の一部を渡して欲しいと頼むと、すぐにコインを渡してくれた。


***


宿を出て、トルユスがポツリと、

「今、何も使ってない」

と言った。

「力を?」

「ん」

「ふぅん・・・」

それにしては、物わかりの良い、便利な主人だと思う。


「真っ直ぐ・・・大通りを右に」

トルユスが、私にもたれるようになりながら、道について指示を出した。


***


目的の武器屋は、もうそこだ。だけどトルユスに限界が来ていた。


「帰る? 休む?」

と聞いたが返事がない。呼吸が荒くなっている。

帰るにしても、休んでから出ないと無理?


「いく・・・」

とトルユスが言葉を零すように言った。

「本当に?」

と尋ねると、コクリ、と頷く。


私に持たれかかっているトルユスを抱える気分で、一緒に歩く。


武器屋の扉に手をかけた。重い。トルユスを支えながら片手で開けられないレベルだ。


困っていたら、通りすがりの親切な人が引き開けてくれた。礼に会釈をする。良い笑顔で去っていった。有難い。


武器屋に入った途端、トルユスが、ズルリと私から滑り落ちた。私は慌てた。

落とさないように支えようとして、私も一緒に床に座り込む。

「大丈夫!?」


トルユスは完全に意識を失っている。

武器屋の主人が驚いて出てきた。


***


結局。トルユスが目を覚ますまで、2刻ほどかかった。


武器をじっくり見る余裕はなくて、それでも私のためにあわただしく短剣を1振りだけ、購入した。何も買わないなどあまりにも店に迷惑だからだ。


そして、私たちはまた宿に引き返したのだった。


***


宿に戻ると、トルユスは元気を少し取り戻した。

私が作った料理を食べて、息を吐いている。


そして、憂鬱そうに、窓の外を眺めていた。


「アーリ。俺。・・・俺と、他のもの全部となら、それでも、俺が良い?」

と、なぜだか、そんな事を、空を見ながらトルユスはポツリと尋ねてきた。


私は答えた。

「意味がよく分からないけど、トルユスだけは特別っていう事だけは、変わらない」


「・・・うん」

迷ったように、トルユスは頷いた。


何を考えているのか、私にはよく掴めなかった。

そして、この時、トルユスは詳しい事を話そうとはしなかった。

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