16.幸せの求め方
“大丈夫、問題ないと返事しろ”
と冷ややかな目線を私に向けて父が言った。私は即座に反抗した。
「何を。私は何も知らない!」
「ありがとう、ございます・・・」
「アリシエ様。本当に・・・有難うございます」
扉の向こうから、明らかに涙声での言葉が届いた。
エッと驚き、私は扉の隙間に目を向けた。
マリアと執事長が、互いを支えるようにしながら、泣いている。マリアは元々泣いていたが、執事長までが顔を歪ませるように顔を赤くして、涙を落とす。
そして、感極まったように何度も「有難うございます」と口にした。
「え、待って、違う、私はあなたたちに言ったわけじゃ・・・!」
と声を上げたが、初めの『え』の時点でパタン、と父がドアを閉めた。
そして冷たい表情を改めて、真顔になって頷いた。
『お前にしては上出来の返事だった』
「おかしい! 今のは・・・!」
『安心しろ、声を遮断した。もうどれほど怒鳴っても向こうには届かない」
「くっそ・・・!」
私が思わず悪態をついたのは、子どもの父がニヤニヤ嬉しそうに私を眺めたからだ。
私が睨む中を、スィ、と本の山に触れながら机の方に向かっていく。
触れた山、崩れていた本がまたカタカタと自ら山に登って上がっていく。
父はとても上機嫌になっている。
『お前には関係ないだろう、アリシエ。お前はこの屋敷を出る者だ。それに私が屋敷の主人であり、お前はただの娘。この屋敷を継ぐ人間でもない』
うっと言葉に詰まる。
確かに、私には関係ない。
だけど、私が父に言った言葉を勝手に返事だと取られるのは不本意だ。
私は悔しさに唸るように父に聞いた。
「私はきちんと知らなくて良いと思ってる?」
『当然だ。お前は私の協力者でも何でもない』
「協力者? 誰」
ハハハ、と朗らかに笑い声がした。
ニマリと笑い、開かない父の部屋への扉の前に立った。
『お前は、召喚の術を成功させるほかない』
そして、スィと扉に溶け込むようにその姿を消した。
残された私はムッとしつつ、父の消えた扉を睨み、それから息を吐き、改めてマリアたちがいるはずの廊下に続く扉を振り返った。
声はこちらに聞こえない。もしかしてもう立ち去ったのかもしれないし、向こうの声もこちらに届かないように父がしてしまったのかもしれない。
私の父への返事を、都合よくとらえて、感謝の言葉を繰り返したマリアと執事長。
私はそこに至る前の会話を思い返した。
私は、何も知らない。二人の関係を知ったけれど、それだけだ。父が関わっているらしいことも。
だから、父への返事は、マリアたちの返事でも正しかったのかもしれない、と私は思った。
きっと、私などに関係なく、予定通りに生きていくのだろう。
「・・・」
ひょっとして、やはり弟2人は、父の子では無いのだろうか、と私は自然に思った。
その方が、しっくりくる。あんなに性格の良い子ども2人。
私は笑った。
その方が良い。父の血など入っていない方が、きっと健やかな性格に育つだろう。優しい子になるはずだ。
ひょっとして、だからこの屋敷で生きていける。
さぁ。私は。
脱出のために、本を読まなければ。
***
真夜中になる。
トルユスをきちんと召喚しなくてはならないと思ったら必死になり、今日は昼寝などしなかった。
気が付いた時には空が暗くて、不安を覚えながら本を読んだ。
分厚い本は、五分の一も読めていない。泣きそうだ。
きっと他の本よりはマシなのだろうが、私は魔術の基礎も知らないので、当たり前に出て来る単語に引っかかってしまう。読み飛ばそうと思うのに、そういう単語の方が重要らしくて何度も出てきて私をとても悩ませた。
でも、もうこんな時間だ。
試した方が良い。
だけど父の書いてくれた魔方陣は少しずつ模様が違っている。
どれを使えば良いのだろう。
昨日の本が燃えなければ、昨日のものに似たのを選ぶことができたのに。自分の行いが悔やまれる。
切羽詰まってきている私は、もうとにかく、一番よさげに思う紙を選んで、昨日のように願いを込めようと思っていた。しかし迷う。
そして、延々と迷いながら、ようやくとった1枚を手に取り、いざ呼び出そうとしてブルリと震えた。
昨日、トルユスは怪我を負った。
怪我は治るから1日待ってくれとトルユスは言った。
もし、怪我が治りきっていなかったら・・・? 動けないでいたら?
どうしよう。
「お父様、助けて」
自分を情けなく思いながら声を上げるのに、今日は妙な事になんの返事も気配もない。
どうして。もうあとはお前でやれという事なのか。
どうしよう。
あまりに不安で迷いがありすぎて、実行できない。
***
真夜中からさんざん悩み、3刻は経っていた頃に、今度は夜明けに怯えて私はやっと召喚に踏み切った。
なお夜明けに怯えたのは、夜でないと駄目なのではと思ったから。魔族というのは、夜が好きそうな勝手なイメージがある。
そして。紙は青色に燃え上がり、その青色に包まれるように、見事に宙にトルユスが現れた。
昨日みたいに他の腕が出てきたり、叫び声が聞こえたりなんてこともない。
華麗に宙からストン、と着地して見せたトルユスは、私の顔を見るなり怒りを露わにした。
「アーリ! 遅い!」
私は第一声の剣幕に驚いた。
「呼ぶ呼ぶって昨日あれだけ言っといて、どうして今日はこんなに遅い! 俺は心配した! 心底! ひょっとして失敗して、全然違う場所に展開して他の魔族呼び出したんじゃ、とか・・・!」
ブルブル震えるぐらいに怒っているので、私は勢いに飲まれてゴクン、と一度つばを飲み込んだ。
「ご、ごめんなさい。あの、怪我とか色々心配して・・・」
「本当に、俺がどれだけ・・・!」
「ごめんなさい」
怒涛の勢いでトルユスに怒られ、私は腐りかけの野菜のようにしおれた。
ハッとトルユスが、私に迫っていたのを身体を逸らせて距離を取った。
「ごめん。つい」
「ううん・・・」
トルユスに怒られた。それだけで私の落ち込みは凄まじい。
「ごめんなさい・・・」
と心からの詫びを口にする。
ドサ、と音がしたので見上げると、トルユスが一歩後退して、父の本の山の一つを崩したところだった。
トルユスはハッと後ろを振り返り、
「うわ」
と嫌そうに身を震わせた。
私が様子を見ていると、がっくりと肩を落としたトルユスが、諦めるようになってから私の方を向き直した。なんだか妙。
「その本の山は、勝手に元に戻るから、大丈夫」
と教えておく。
なのにトルユスは首を横に振った。
「俺はアーリじゃない」
それからまたブルリ、と身体を震わせた。
「・・・トルユス、私のお父様を知っているの? 私のお父様、魔族になっていると思う。だからこの部屋も、お父様が死んだというのにお父様の魔術が生きている、そう思う」
「あーそれな」
トルユスが困ったように私を見る。
それから無言になってしまった。
私も見つめ返す。
トルユスはふと笑った。
「アーリ、俺に会いたかった? 本当に心配した。アーリが殺されていたらどうしようかと。俺じゃない誰かを招いたんじゃないかと。・・・もう会えないのかと、怖かった」
話を逸らされたのが分かった。だけど言われた内容に私は目を丸くした。
「本当に、ごめんなさい。そんなに心配させたなんて思ってなかった」
「あぁ」
「昨日使った本、燃えて使えなくなってしまって、お父様が魔方陣を描いてくれたけど、模様がどれも少しずつ違って。私は魔術なんて使えないから、初歩も分からないし、どれを使っていいのか分からないし」
「どれだ?」
トルユスが穏やかに聞いてきた。
私は机に向かい、そこから残りの紙を全て手にした。トルユスもゆっくりついてきて、私の持つ紙を見つめた。
「・・・全部正しいかもしれない」
「そう? でも模様が違う」
「そうだな。だけど結局、どれも俺を呼ぶ気がする」
「そう、なの? どれでも良いの?」
「ごめん。細かい事は分からない。俺も魔術師じゃないからな」
トルユスが冗談めかして笑ったので、ふとつられて笑いかけたが、笑い事では無いとすぐ気づいた。
「呼び出せなかったら困る」
「アーリ、それだけど。この後の事を、きちんと考えたか?」
トルユスが、私の手から紙を机の上に戻し、手をそっと取ってきた。じっと指を見つめる様子だ。
私はトルユスを見つめた。
「トルユスと一緒に、この屋敷を出たい」
「本当に希望するなら、叶えてやれる」
やった。良かった。
私は笑んだ。
「それからは?」
「一緒に生きていきたい。町で、どこでも良い、トルユスと一緒なら。一緒に、暮らしていきたい」
「俺は、もう父親じゃない」
「うん。でも父親じゃなくてもトルユスが良い」
「俺はもう人間のトルユスとは違う」
「生まれ変わったけど、トルユスだよ」
「後で、やっぱり違うと言われたら、俺はとても傷つく」
トルユスが視線を上げて私の目を見つめた。じっと見つめて来るけれど、不安そうな表情だ。子どもみたい。
私はじっとその表情に見惚れた。トルユスだからだ。
「アーリは変だな。性格も種族さえ違ってるのに、俺なら良いって適当過ぎる」
「トルユスだけは特別なの」
トルユスは黙った。そして少し視線を外し下を向いて、嬉しそうに笑んだ。照れているのだと私は思った。
私は嬉しくなった。そして実感もした。確かに、私の父であったトルユスとは違う。だけどトルユスであることも間違いない。
「抱き付いて良い?」
と私は聞いた。
「良いけど、その前に。希望を聞いておきたい」
「さっきからどうして?」
「魔族と人間が一緒にいる方法に、契約ってのがあるから」
「私の希望を叶えること?」
「そう」
「じゃあトルユスの希望は?」
と尋ねると、トルユスが真顔で大きく目を開いて私を見た。
そして照れた。
「アーリといることだ」
笑うので、私も笑う。
「同じだ」
「あぁ。あと・・・手順をガン無視で、絶対あとで嫌がらせされるんだけどさ」
「誰に」
「うん」
「え、誰」
「いやそれは少し置いておいて、あのさアーリ、俺の、人間の嫁さんにならない?」
「なる」
私は即答した。それで良い。それが良い。質問一つをはぐらかされたが、そんな事はどうでも良くなった。
一方、途中から盛大に照れながら話していたトルユスは、急に真顔になった。
「もうちょっと考えろよ。アーリの人間としての人生に関わる大きな話だぞ」
「私の人生そんなに大きく考えたことはない。今一番重要なのは、どうやってトルユスと一緒にこの屋敷を出て他で暮らすか」
私の返事に、トルユスは一つ頷いた。
「そうか」
その言葉に、私も一つ頷いた。
「じゃあ、もう、今日、アーリを攫い出して良いか? この屋敷から?」
「できるの!?」
「できる。もう嫌だ。アーリが召喚をミスったらなんて考えて過ごすなんてもう無理だ。もうずっと一緒にいよう」
私は瞬いた。
なんという後ろ向きな思考からの提案か。しかし一緒にいられるのならそれで構わない。昨日のトルユスは随分渋っていたのだから、今この時を逃してはならない、という気分になる。
「うん。ねぇ、私がするべきこととか、してほしいこととか、ある? 例えばこの部屋から本を持ち出すとか」
「止めて。アーリ、絶対それは禁止だ」
「どうして」
「俺はこれ以上目を付けられたくない」
「お父様に?」
「実は、魔族として初めてアーリに会ったの、その、その人が、俺を急に拉致して勝手に魔方陣に放り込んだからだったんだ」
「・・・」
父には感謝しなくては。もっと心の底から。と私は真顔になってそう思った。
「いや、そうだよ、会えたのは嬉しい。だけどな、やたら色々しごかれるんだ。魔族の暮らしはそんなもんだと思ってたら、アーリのその人が絡んでたんだ! って絶対あとで嫌味を言われる」
またトルユスがブルリ、と震えたので私は眉を潜めた。
「お父様に嫌がらせをされているの? 抗議しなくては」
「無理だ。それにあの人のお陰でこうして会えてる」
「そう・・・」
私は首を傾げた。トルユスはあまり詳しく教える気が無さそうだ。
私が人間で、トルユスが魔族だからなのだろうか。
「魔族のお嫁さんに人間がなっても、大丈夫?」
「大丈夫。むしろ魔族のステータスアップ」
「そうなの」
「相思相愛だったら、余計にさ」
「私は好きだけど、トルユスは?」
「・・・好きに決まってる」
照れて目を少し揺らす表情が新鮮だ。そして、言い終わった後に、決意を伝えるようにじっと目を見てくるところも。
「・・・なぁ。俺が言う事じゃないけど、魔族の言葉を素直に信じない方が良い。俺は別だけど」
そんな事を言うので、おかしくなった。
優しく頬に触れて来るのでくすぐったい。
「本当に嫁さんになってくれるか? あのさ、アーリには幸せになって欲しい。俺がそうできたらどんなに良いだろうかと、思う。ただ、アーリはきっと、人間たちに色々、言われる」
「どういうこと?」
「魔族に浚われた娘。そそのかされた娘。魂を売った女。裏切り者。きっとそんな風に」
「ふぅん」
「アーリは気にしない?」
「気にしない」
私はトルユスに笑顔を見せて、先ほど『抱き付いて良い』と言われていたから、手を伸ばして抱き付いた。
「他の人なんて関心ない。トルユスと一緒にいられたら、それで私は幸せ。ずっと長く、一緒に生きていたい」
「じゃあ。良かった」
安心したように、トルユスが私の耳元に囁いた。
父の声とは違って、鳥肌なんて立たない、と後から気づいた。
***
私はマリアに手紙を残すことにした。
ドアは開くようになっていて、廊下に紙を置くことができた。
今日までの感謝と、好きな人と生きていくので、この屋敷を去る、と書いた。
それから少し迷ったが、この屋敷の事をどうぞよろしくお願いします、と社交辞令のような内容も付け足した。マリアが気にするかもしれないと思ったから、文書で残しておこうと考えたのだ。
ちなみに、この屋敷などどうなろうが構わない、というのが本音だが。
それから、トルユスの指示に従って、トルユスと私で一つ目の契約を交わした。ちなみに、とりあえず同意し合って握手したらそれで良いらしい。とても簡単。
なお今のトルユスは、召喚によって一時的に招かれているだけなので、本来は人間の場所であまり活動できないそうだ。
何か、どうやら魔族として人間に簡単に教えてはいけない機密事項がある様子。だけど、嫁になったら教えてやる、と笑顔で約束してくれた。
とにかく、一時的な召喚を別の契約状態に変える事で、その契約を終えるまでの期間、私の望みに沿い、一緒にいてくれるらしい。
そして、ひとまず私の希望通りにこの屋敷を抜け出し、思うような町に行って、思うような暮らしをしてみよう、という事だった。
トルユスはそれで良いのだろうか。
そう気づいて尋ねてみたが、肩をすくめて『機密事項』などと言う。仕方ない。
「教えられなくてごめん。でもきちんと教えるから。その時には、アーリの希望通りになってないかもしれない。それは、ごめん」
「それ、トルユスと一緒にいられないってこと?」
「それはない。だって嫁になってるだろ」
「そう。なら、構わない」
「そう言ってくれると思った」
トルユスは笑みながら私を見て、それから抱きしめてほおずりした。
「大好きだ。アーリ」
嬉しくて笑う。私からもトルユスに気持ちを伝えた。




