13.異常
本日2話目
夜。
大きな窓から月明かりが入ってくるので、窓の傍で父の椅子に座って、適当に本を眺めていた。
マリアのための3冊と、黒い1冊は机の上に置いたまま、他のものを物色している。
とはいえ、内容が分からないので、挿絵の文様の美しさなどを楽しむ状態だ。
なお、こんな深夜に起きているのは、母の部屋に入った時にうたた寝をしてしまったせいだろう。
風呂を使い、母エレナの部屋のクローゼットからまだ動きの軽そうなドレスをなんとか着込み、寝ようと思ったところでまったく眠気を感じなかったのだから仕方ない。眠気が訪れるまで宝探しを続けようと思っただけだ。
ちなみに、宝探しの結果として、小物を何点も掘り出した。
ただ、魔術とは関係がない品のようだ。銀細工の花だったり、動物だったりするので、ひょっとして父が母のために置いていたものかもしれない、などと思う。
父は、母を本当に愛していたのだな、などとこの部屋にいると分かってしまう。
母も、父が好きだった。同じに愛していたのだろう、幸せだと言ったぐらいなのだから。
例え他の全てが壊れていたとしても、一番に望むものだけは、しっかり手に入れていたのだろう。そんな風に思える。
私はため息をついて、月を見上げた。
私の一番に望むものは。
トルユスがいて欲しい。
もし。死者を呼び戻すことができるなら。
・・・そんな方法があるのなら。
そう考えて、私はふと笑んでしまう。
父は、母エレナの死後、何か魔術を行って母を呼び出そうとした様子だ。成功しなかったようだが。
だけど、とても気持ちは理解できる。
他の人たちがどうかは知らないが、私から見ても異常だと思う父と、その娘である私は似ているのかもしれない。
そのような禁書があったとしたら、私も求めてしまうだろう。そして実現を志すだろう。
滅多に人に興味を持たない。だからこそ、特別に思った人の代わりなど現れない事も知っている。
その人でしか埋められない。
「・・・お父様は、マリア様を幸せにしたんだろうか」
ポツリと私は呟いた。
再婚したのは、貴族の務めで、家を継ぐ子を作る必要があったから。
だけど、あの父がマリアに愛情を持てたのか疑わしい。きっと父は母エレナだけしか求めない。
とはいえ、マリアのために本を3冊私に寄こしたところをみると、きちんと気にはかけているのだろうか。
「あ。魔術が使えなくても魔法が使える道具」
読んでいたページが読み下せて、私は呟きながら眺めている。
魔術師が作る事の出来る道具。
レベルによってはとても簡単な魔術だけらしいが・・・。
私は昔の日、トービィと過ごした数日を思い出していた。
私が眠る時に、作業の音をさせていた。とても怖かった。何かを作っていた。仕事のようだった。
あれも、魔術が使える道具だったのかな。
魔術師によっては手先の器用さを持ち合わせていないので、魔道具が作れないものもいる、とかなんとか。
一般的な事が書いてあるこの本は、他の本より文字が大きい。そして単語も読みやすい。
魔術の初心者が読むような本なのかもしれない。
ちなみに父は作れる方だったのだろうか。
私は、チラと、開かない父の部屋への扉を見た。
まぁ、どちらでもいい事だ。
・・・と思った後で、ふと気が変わる。
私は立ち上がり、父のもう一つの部屋に繋がるという方のドアに手をかけた。
ウゥウウウウ
と、唸り声が聞こえた。
「・・・」
はぁ、と私はため息をつく。
もし、父が本当に死んだ後なのだとしたら、なんという未練がこの部屋に残っているのだろう。
一方で。
これほど会話の成立する、死後も残る魔術など、あるのだろうか。
私は魔術には全く詳しくない。
だが、トルユスと生きた中で、大体は、魔術を使っている魔術師さえ倒せば、その魔術は消えたものだ。
だから違和感がある。
まぁ、父は一番の魔術師だったから、普通でない人間離れした事さえ、できたのかもしれないが・・・。
ガシャン!!!
突然、大きな音がした。
私はハッとして、窓ガラスを見た。何かが外からぶつかったようだ。
窓の外に。
奇妙な大きさの黒い羽が。そして、何かの背中が見えた。
ズリ、とずり落ちる。
それは慌てたように、窓ガラスから離れた。
そして、その影はこちらを振り返った。
月明かりの差し込む夜空。
大きな窓を挟んで。
人、か?
私は少しだけ近寄り、窓の外の人影を見つめた。
何。
これは
人では、ない。
あっけに取られた私の口はぽかんと開いていたことだろう。
一方で、ガラス窓の向こう、妙に周囲を揺らめかせるようにぼんやりと光らせたその者も、酷く驚いているらしい。
目を丸くして、口を開き。
手を伸ばす。
ガラス窓に触れた。まるで私を確認するように。
そして口が動いた。
“アーリ”
確かに読み取れた瞬間。私の時間は急に激しく動き出した。
まさか
私も窓に歩み寄る。近づいてガラス越しの手に手を合わせる。
まさか。
「トルユス?」
月で明るいが、こちらは逆光だ。
だけど、姿は違う。トルユスではない。
ずっと細身だ。それに私よりも若い。まだ子どもといっても差し支えない。顔立ちも違う。角ばっていたのに、目の前の人物は痩せていて弱々しささえある。瞳も全てが、違う。
だけど。
私をその名前で呼ぶのは、一人しかいない。
姿は違う。
だけどこれは。
勝手に涙が溢れてきた。
手を伸ばす。
ガラスが邪魔だ。触れられない。
トルユスだ。トルユスが、いる。
向こうが、少し動こうとした。
光が揺らぐ。
慌てたような顔になる。
光が急速に消えていく。消える予感がする。
「嫌だ! 嫌だ! 行かないで、連れていって!」
私は叫んだ。
窓に手を叩きつけようとして、やっと気づいて、窓を開けようと取っ手に手をかける。
向こうも周囲をチラと見回し、焦ったように私をじっと見つめた。信じられない眼差しのままで。
「トルユス! 待って!」
なのに。
消えてしまった。
***
やっと窓が開いた。
風が入ってきた。
部屋の中の本と紙が音を出す。
キィ、と静かに、勝手に窓が閉じられる。
誰かがそっと、私に気を使いながら閉じたようだ。
何かが困ったように私の周りに、集まっている。
キュゥ、と犬のような鳴き声がする。チラチラと、赤や橙や紫が視界で瞬く。
だけど。
何が周りにいるのかなど、どうでもいい。
私は顔を覆って泣き続けた。
「会いたい、会いたい、トルユス、会いたいよぅ」
***
夜が明けた。
徹夜だ。
きっと目は腫れている。だが良い、誰にも会うことはない。
私には。時間があるのか、もう残されていないのか。
とにかく顔を洗って食事をとってから考えよう。
そして。
使えるものは全て使おう。
父だか父の魔術だかも、使えるだけ。
***
眠気を感じる時まで動き続けよう。
気分を改めるために、私は母エレナの部屋に向かいドレスを変えた。
自分で着込むしかないので、色々中途半端だが、見る人はいないので構わない。
着替えた後は、母の部屋に残されているものをざっと見て確認した。
母の部屋には、小物が多い。刺繍もだ。
手紙に使う紙の束があったので、それを持ち出し、父の部屋に移動する。
父の部屋に戻ってぐるりと見回す。
それから父の机に戻り、椅子に座る。
母の部屋から持ち込んだ紙を広げる。
転がっている羽ペンを取り上げた。
だが、ペン先が乾ききっている。インクも乾いている。なんという使えなさ。
まぁいい、考えよう。
私はフゥと息を吐き、腕を組んだ。
白紙を睨むようにして考える。
昨日のあれはなんだったのか。
まさかうたた寝をしていた夢だった、などと言うことはないはずだ、きっと。
姿は違ったが、あれはトルユスだと確信している。トルユスでしかない。
ただ、あれの姿は、人間ではなかった。背中にコウモリのような羽が見えたのだから。
だったら。
たどり着く答えは。
魔族だ。
人間とよく似た姿をしているという。
凶暴性が高く、人間は魔族と何度も争った。その結果、今現在は互いに住む場所を分け、平和が保たれているという。
一方、魔術師の父が高い給料をもらっていたのは、万が一の時の魔族への戦力として父が優秀だと判断されていたから。
つまり、完全に永久に平和な関係ではないかもしれない、という事だ。
ただ、あまりに平和な時代が長いので、魔族について詳しくを知る者も少ない。
私は目を伏せるように考えに集中する。
実は、トルユスは魔族だったのだろうか。人間のふりをしていた?
でもそうだとしたら、この屋敷の父も妙だから、父も、魔族だったということ?
だとすれば私も魔族?
うーん。分からない。
ただ、トルユスは死んだ。私は見ていないが、屋敷の者が死体を確認しに行ったと聞いた。埋葬もされたようだ。罪人として。
人間でも魔族でも。死んだらそこで終わりのはずでは?
分からない。
でも・・・どう考えても、昨晩の影が忘れられない。
トルユスだ。
どうすれば一緒にいられるのだろう。
私も魔族になれば良いのか。どうやって。人間が魔族になる方法がある?
とにかく、何よりも。
「もう一度会いたい。どうしたら良い」
昨日私は、何をしていた。どうして、昨日、窓の外に現れた。
向こうも驚いていたようだ。どういう条件がそろって、昨日のようになったのだろう、
思い出して、全て再現しなければ。
「あ」
気づいて、私は声を上げた。
私への品を父に求めた時に、宙から降ってきた、魔族、呼び出す、という単語が読み取れた、例の本。
「ひょっとして、これで呼び出せる?」
私は急いで机の上のその本を引き寄せた。
難しい事には変わらない。けれど今の私は真剣さが違う。一生懸命読める部分を拾い集めようとした。
***
「アリシエ様。ご様子はいかがですか。お食事など大丈夫でしょうか?」
ドアの外から声が聞こえて、私はふと顔をあげた。
マリアだ。
「アリシエお姉さま」
ガチャガチャ、とドアノブを動かそうとする音がする。
どうやら弟、長男の方もいるようだ。
「いれてー」
と舌足らずな声もした。次男の方もきている様子。
「ほら。開かないでしょう。あなたたちはお部屋にお戻りなさい」
「いやですー!」
「いやー!」
「あなたたちがいても仕方ありませんよ。扉はアリシエお姉さまにしか開けられないのです」
「どうして? 僕もいれてください」
「いれてー」
「ウーリッド様。ロランド様。お母様にも開けられないのですから、お二人には無理です。どうか諦めてください」
執事長もいるようだ。
「どうしてアリシエお姉さまは開けられるのですか?」
「あけてー」
「どうしてでしょうか。このウェステにも分からない事です」
と困ったように執事長が答えつつも、宥めている。
「さぁ。お部屋に戻りましょう。アリシエ様のお邪魔になってしまいますよ」
子どもたちと執事は去っていくようだ。
私はじっと耳を澄ませた。
少ししてから、
「何か見つかりましたか」
とマリアの声がした。まだ残っていたようだ。
答えるべきだろうか。少しだけ考えて、廊下へのドアに少し歩み寄った。
「良さそうな本を数冊」
と私は答えた。
「ありがとう、ございます」
とマリアが答えた。
無言になる。
少ししてから、マリアが他に向かって告げた。
「あなたたち、私はアリシエ様とお話をしたいので、少し離れていて」
「はい」
誰か分からないが男の返事が聞こえる。
またしばらくしてから、マリアが声をかけてきた。
「お尋ねしても、宜しいでしょうか」
なんだろう。
「アリシエ様は、このお部屋を出られたら、どのように希望されますか? その、手配を先にした方が良い事もあるかと、思いましたの」
どこか言い訳のようにたどたどしい。
何を考えているのだろう、と私は思った。
だけど、私は答えてみる。
「私は、屋敷や、貴族の地位もいりません。好きな人と一緒に生きていきたい」
「まぁ。どなたか、良い方がおられるのですね」
マリアが驚いて声を上げる。
死んでしまいましたが。あなた方が私の言葉を信じてくれなかったせいで。
と私は内心で暗くつぶやく。
「その、その方は、庶民の方ですの? まさか、身分違いで悩んでおられますの・・・?」
マリアが聞いてくる。
庶民。
そういえばトルユスは庶民だろう。トルユスはトルユスでしかなかったからその視点で判別したのは初めてだ。
身分。
むしろ。
もし、あれがトルユスで。トルユスなら。
「身分違いなど気にしない。私は好きな人と一緒でないと、生きるのが難しいと、思います」
魔族と人間なら、種族違いか。
と考えてから、そういえば両親も身分違いの恋だったわけだ、などと思ってみる。
「まぁ・・・」
マリアは動揺したように呟き。
少し互いに沈黙したあと、マリアはそっと、告げてきた。
「私、お役に立ちたいと願います。どうか・・・思いつめる前に、お話しくださいな。私の実家は田舎の方です。手配できることも、あると思いますの・・・」
「ありがとうございます」
とだけ、返事をした。
マリアは、心から私に力を貸そうと思っているように、思えた。
***
さて。
お昼前に、急に眠気に襲われた。きっと体力的に限界が来たのだろう。
私はズルズルと体とドレスを引きずるようにして母の部屋に戻り、ボスン、とベッドに倒れ込んだ。
そしてあっという間に眠りについた。
***
目を覚まして、父の部屋に戻り窓の外を見た時。もう空は暗かった。
今日も徹夜になりそうだ。
でもそれでいい。昨日現れたのも、深夜だった。
私は黒い本に触れながら部屋に告げた。
「お父様。私は、何としてでも、昨日の夜に現れたトルユスにまた会いたい。この部屋のものを私に壊されたくなければ、私にありったけの力を貸してください」
脅迫する心持で。
***
父のもう一つの部屋のドアノブに手をかける。
唸り声は聞こえない。だけど開かない。
だけど今は開けることを目的としていない。
どうして唸り声がしない。
苛立って窓を見る。何も無い。
「ねぇ、どうしたら良いの」
私は机に戻って、黒い本を持つ。
真剣に読んだ結果、この図を他の紙に書き写し、しかるべき呪文と力を籠めれば発動する、と言ったことが書かれているように思う。
でも書き写すなんて無理だ。きっと正確に書けない。
だけど一方で、どうしてこの本の図をそのまま使ってはいけないのか。
魔道具には、動くようにと願いを込めるようにすると、動くものがあると、初心者向けの本で読んだ。
だったら。
この本の図に、願いを込めたら。
どうなる。
私は黒い本のそのページに、祈りを捧げるようにして願った。
「トルユスを、ここに呼び出して!」




