11.父の部屋
翌日、マリアたちに促され、私は父の部屋まで行った。
私が成長した分、記憶よりほんの少し扉は小さく思える。
さて何のことはない。ドアノブを握り、開けてみれば良いだけだ。
私を見守るようにマリアと執事長と魔術師とメイド2人が立っている。
そんな中で、私は手を伸ばし、瞬いた。
ドアノブに、赤い炎がチラついているように見えた。
これが父の魔術なのだろうか?
少し考えたが、何人もが試して開かなかった、という事は、何人もがこれに触れたという事だ。
何より、後ろでマリアたちがじっと私の動きを見つめている。いちいち『炎が見える』などと言う必要もない、と思った私は、少し躊躇ったものの勇気を出して、そのままノブに手をかけた。
ん。
スル、と、何かがすり抜けていった。
まるで小動物のシッポのような感覚だ。
まぁ、良い。とにかく開くかを試せば良いだけだ。
そう判断して、グィとノブを回す。
グ、と抵抗がかかった。
ん。
と思ったら、直後に滑らかに動いた。
カチャ、
と扉が音をたてた。
開くようだ。
「おぉ」
と魔術師が感嘆の声を上げる。
私はそのまま、扉を引き開ける。
ドアが動いて、中が見える。
私は見つめる。
マリアや執事長、魔術師たちが後ろでそれぞれ息を飲んでいるようだ。
乱雑なようで、実は父の分類で積み重なっている、らしい書籍の山。
この部屋は、いつもカーテンが開いていた。いつも大きな窓から空が見えた。
今日は青空。
その前には、大きめの机が置いてあって。
私は、ドアノブを握ったまま、ギョッとした。
机に向かい、青空を背に。つまりこちらに向いて。小さな子が、机で羽ペンを使って何かを書いている。
だれ
と口が動きかけて、けれど言葉にならない。
誰だ。弟?
いや、それよりは大きい。それにここにいるはずがない。
誰かを確認しようと、私は中に踏み込んだ。
踏み込んだ瞬間。
その子どもは弾けるように顔を上げた。
そして、私を見てパッと笑顔になり。机に両手をつくようにして身を乗り出し。
エレナ
と誰かが言った気分がした。
私は相手をよく見ようとして両眼に力を込め、驚きながらも進んでいた。
相手は次に驚いて。あっという間に輝く笑顔を取り消し、気まずそうに口をへの字に曲げた。
パタン
私の後ろで、ドアが閉じた。
しまった
間違えた
実際、机にいる子が何か言ったわけではない。
なのにそう思われた気分がした。
相手は少し困ったように首を傾げて私を見つめ、視線を横に流して何かを考えたようで、仕方なさそうに息を吐いた。
そして。
ふっと、姿が消えた。まるで窓から差し込んでいる日光に溶け込んだように。
・・・。
・・・・・・。
数秒経ってから、私はゴクリ、と唾を飲み込んだ。
まさか夢でも見たのだろうか。
そろそろと慎重に、私は足を進めた。
この部屋は書物の山ばかりで歩きにくい。
しかも、今の私は、貴族の娘が着るドレスを着ている。
つまり非常に嵩張っている。
案の定、私の移動によって、脇の本が崩れ出した。だが、もう仕方ない。
山を壊しながら、私は机まで辿り着いた。
父が使っていた椅子がある。
当然のように空っぽだ。
机の上に、何枚も黄ばんだ紙がおいてある。書きかけの文字。だけどもう乾ききっている。
私は首を傾げた。
何かを見たようだが、幻覚のような魔術だったのだろうか。
ふ、と机の下、椅子の足元に注意が向いて視線を向けて、私はまたギョッとした。
何か、奥で犬のような生き物が、うずくまっているように見えたのだ。
だがよくよく見れば、何も無い。
私は眉をしかめた。
父が魔術で誰も入れないようにしたらしい部屋だ。なにか色々、変なのに違いない。
はぁ、と驚いたけれど何も無かったことに安堵の息を吐き、また机の上に目を遣って私は目を疑った。
机の上の紙に、文字が書いてある。
青紫色に、光っている。つまり、今書かれたばかり。
“お前は戻ってくるべきではなかった”
「・・・」
意味が分からない。そして。この『お前』というのは私なのか? いや? そんなはずはないだろう。
そう思った瞬間。
文字が、水が蒸発するように消えた。
そして、カリカリ、という音だけが聞こえて、次に新しい文字が現れた。
“お前の事だ。アリシエ”
「お父様? 生きている?」
まさか、と思いながらも呟いた。
まさか。
私は部屋を見回した。
カリカリ、とまた音がする。
“お前は、この部屋から出るな”
「・・・どうして」
“屋敷のものを口にするな”
「・・・」
食べるものに困る、と私は思った。
しばらく眉間にしわを寄せてから、私は言ってみた。
「どうして。食べなくては回復できない」
じっと次の文字を待ってみたが、何も起こらない。
私は息を吐いた。
何なのだ。
とにかく、一度向こうに戻るべきか。
私は、閉じてしまった扉を見た。
そしてまた瞬いた。
部屋の中、壁に、ヘビか蔦か、何かが動いている。うごめいている?
そして私の見つめる前で、ドアノブをがっちりと固めていく。そんな風に見えた。
まさか、出れないなど。
私は急ぎドアに向かおうとした。
そして、グラ、と転びかけた。
左足のせいでは、ある。だがそれだけではない。何かにドレスが引っかかったのだ。
グィ、とドレスを引っ張ると、キィ、と椅子が鳴った。
どうしてだか、ドレスの端の上に椅子が乗っている。
私は苛立った。
理不尽な事は全て父の魔術のせいだ、間違いなくきっと。
ドレスを引っ張る。椅子が取れない。
「何! もう! いい加減にしろ!」
私は苛立って声を上げた。
カタカタ、と音がした。
また父の魔術だ!
苛立ちながら音のした方を、見る。
私が崩した山が、本自らが本の山に登って積み重なっていくところだった。
さすがに、あっけに取られた。
“アリシエ。お前は、この屋敷のものを口にするな”
耳元で、何かが囁いた。
鳥肌がゾッと立った。
慌てて、聞こえてきた左耳を覆う。
“お前は、生き延びた方が良い”
左耳を覆ったのに、声は私に届く。
「何。何がどうなってる。何」
怖さを払うために呟きだした私の傍で、今度はカサリ、と紙の音がする。
音の出た方を見る。
机の、左下の引き出しが開いていた。
“仕方ない。お前にやろう。全く、不本意だが。仕方ない・・・”
本当に心底渋った声が、どこからかする。
私はようやく、真面目に疑った。
「・・・お父様。生きているの?」
急に静かになる。
何なのだ。答えたくないのか。
なんて面倒な。
だが、これはどうやら父のようだ。いや、父の魔術?
ハァ、と私はため息をついた。
そして、改めて引き出しの中を覗き込む。
手を伸ばして、一つの包みを取り上げた。
丁寧に薄い油紙で包んである。
カードがついている。
どうも父の字のようだ。
『687年10月12日 エレナより 手作りのサンドイッチ』
「・・・」
よく分からない気分で、包み紙を開ける。
カチリ、と何かが動いた音がした。
そして、包みからサンドイッチが現れた。
私はじっと見つめた。
メモの日付は、数十年前。
どういう事だろう。
メモの通りだというのなら、母エレナが、父にあげたサンドイッチか。
見つめて考えて、一つの判断に至る。
恐る恐る、手を触れないように気を付けながら、引き出しの中を覗き込み、メモを読む。
『687年9月29日 エレナより 手作りのクッキー』
『686年5月13日 エレナより 私にと、エレナが作った鳥のソテー』
まさか。
私は苦虫を噛みつぶしたような気分を味わった。
「まさか、これ、魔術で時間を止めて、全部記念にとってある・・・?」
気味が悪い。父が。
私は、サンドイッチを手に持ちながらそう思った。
部屋は相変わらず無言のままだ。
私はますます顔をしかめた。
これは、一種の父の遺品だろう。きっと父にとっては宝物級の。
父の拗らせ方は尋常ではない。
どうしたものかと思ったが、手の中のサンドイッチを元に戻す方法が分からない。
数十年間、時間を止めるような魔術など私が使えるはずないからだ。
だとすれば、これはただ腐っていくだけ。
私はため息をつくように見つめてから、興味が出て、少し端にかじりついた。
普通に、美味しい。
そう思った。
そう分かったので、全て食べた。
父が遺したもので。これが母の作ったものなのか、と急にしんみりした気分になった。
「水分は保存してないの」
呟いて、引き出しの中をまた覗き込む。
スープや、紅茶も保存されているのを確認した。
本当に、どうしようもない父だったな、と思いながら、私は水分に手をのばした。
***
「アリシエ様。大丈夫ですか?」
ドアの外から、声が聞こえた。
私は両手を、父の机の上にあった紙で拭き、また本の山を崩しながらドアに向かった。
開けるためだ。
が。
ドアノブに手を伸ばそうとした途端、ドアノブに絡みついている何かがグルグルと動いた。
虫がたかっているようで気持ち悪い。触りたくない。
むしろこれは、私に触らせないようにしているのでは。
だが、触れない事には開けられない。
ゴンゴン、と向こうからノックが聞こえた。
「アリシエ様!」
執事長だ。
どうやらドアの向こうで私を心配しているようだ。
ドアに触りたくないので、私は声を出した。
「私は大丈夫です。ただ、」
何をどこまで言うべきか。分からない。机の方を振り返った。
誰もいない。当たり前だ。当然だ。
だが、あの机の引き出しにしまわれていた食べ物を食べたのだ。
それは普通、起こりえない事だ。
・・・屋敷のものを口にするなと、この部屋は言った。だから私に、父のとっておきの品物を開けてみせた。
父を信用するわけではない。
ただ、マリアたちも、信用しない方が良いのだろうか。
「どうしました、大丈夫でしょうか?」
マリアの心配した声が聞こえた。
私は改めて返事をした。
「私は、大丈夫です、ただ、ちょっと開けにくくなっています」
「中はどのような状態でしょうか」
執事長が聞いてきた。
「本が山積みです。以前と同じです」
「出てこれないのですか?」
「ドアのところに、何か張り付いていて、ちょっと・・・」
私は言葉を濁した。
カッ、と私の目の前が光った。
またか。
私は驚いて一歩後ずさりつつ、今度は何だと様子をみた。
扉に、いや、扉をまたいで壁に、文字が現れた。
“真実を告げるな。8日間ほどこの部屋で過ごすように”
そんな一方的な。
私は無言で反抗心を持った。
“エレナの部屋で休めばいい。8日間で変わらなければ、窓から逃げろ”
どういう事だろう。
ドン、ドンドンドン、と扉が叩かれる。
「アリシエ様。本当に大丈夫ですか?」
マリアが心配している。
どうしましょう、などと困惑するのが目に見えるようだ。
きっと執事長がなぐさめの言葉をかけているのに違いない。
と、私は自分の思考に首を傾げた。
「ドアを、壊しますか? アリシエ様、どうしても無理でしょうか。以前から試しても頑丈で、壊すことができるか分かりませんが、開けられないのでしたら壁かドアをなんとしても壊して・・・」
執事長が申し出てきた。
「大丈夫」
と私はとりあえず答えてみた。
「どちらにしても物が多いので、確認を先にしてみます」
「そう、ですか・・・?」
マリアがやはり心配している。
この人はきっとまともなのだろう、と私は思った。
きっと、執事長も。
きっと、その他の、あの魔術師さえも。メイドたちも。
きっと私ではない方の人たちの方が、本来の人間らしいのだろう、とそう思った。
なのに私は、父かその魔術かのメッセージの方を、一つの指針にしてしまっている。
どうしてだろう。
私は自分が人より淡白だと自覚しているから。何かおかしい父の方に、真実味を感じるのかも、しれない。




