8.死の噂
私が17歳になった頃だった。
何か考える日が続いているようだったトルユスが、決心したように私に告げた。
「・・・お前の、生みの父が死んだかもしれない。一度フランテナンドの町に戻ってみよう、アーリ」
私は不思議に思い、じっとトルユスを見つめた。向こうも私の反応を見つめている。
私は答えた。
「戻ってどうする? もう私は関係ない」
「そう言うとは思ってたんだが、だが、どうしたってお前の生みの親だ。本当かどうか確認したいし」
「確認してどうする」
「・・・まぁ、な。だがお前に残されるものがあるかもしれない」
「いらない」
「だが、」
「トルユスは、あの家の財産なんて目当てにしてた?」
「そうじゃない」
トルユスは慎重に言葉を選んだ。最近の考え事はこれだったのだと私は思った。
そして、もう判断を下したのだろう、きっと私を案じて。
「間違った話かもしれない。食堂で、どうやら魔術師っぽい男たちが会話したのを聞いただけだ。下手に探られたくないから接触もしていない。会話だって、すぐに『次の国一番の魔術師は誰』とかいう話に変わったからな。だが、もしかして本当の話かもしれない」
トルユスは考えるように目を少し伏せて話してから、私を見た。
「財産なんてとお前は言うが、・・・お前はもらえる資格がある。お前が『いらない』と言うのは分かってる。だが、よく考えろ。もともとはお前が継ぐはずのものだ。お前にはまだ先がある。これから生きていくのに必要なものがあるかもしれない」
トルユスの言葉に私は口を尖らせて反論しようとした。よく分かっているトルユスは先に言葉を続けた。
「とにかく、ここにいても、本当かガセネタか分からん。フランテナンドに行って、お前の生みの親の事を確認しよう。他の話も分かるだろう。それから判断すればいい。関わらない方が良いと思ったらそのまま立ち去れば良いんだ。だから一先ずは行ってみよう。どうだ」
私は不満を表すためにムッと口を結びつつ、トルユスの真剣な表情に、しぶしぶといったように頷いた。
様子を見るだけなら、悪くない。
私が頷いたので、トルユスは少しほっとしたように息を吐いた。
私も真剣な話が終わったので肩から少し力が抜けた。立ち上がった。
「水飲むけど、トルユスいる?」
「あぁ」
宿に備え付けのコップに水を注ぎ、両手に1つずつ持つ。トルユスのいるテーブルに戻る。
コップをテーブルに置いた時、不思議な曖昧な気分になった。
「・・・あの人が死ぬ日なんて、考えた事もなかった」
と私は正直に零した。
「・・・そうか。人はいつだっていつか死ぬもんだ」
「そうだけど」
「偉大な魔術師でも、人だってことだ」
「うん・・・」
不安な気持ちになり、椅子に座ったままのトルユスを見る。
トルユスは私の様子を観察している。私がどんな反応をしても受け止められるように。
心細くなった。
傍に移動して、椅子に座るトルユスの肩に少しもたれて甘えてみる。
トルユスが死んでしまう日がいつか必ず来る。未来は、いつも私を不安にさせる。
屋敷の父などどうでもいい。生きていても死んでいても。
大切なのはトルユスだ。
いなくならないでほしい。
一人で残さないで欲しい。
無理な願いだと分かっていても。
追って自分も死ぬ、なんてつもりはないけれど。
たった一人で生き残らないといけない未来は、酷く暗い。私を陰鬱な気分に落とし込む。
黙り込む私に、トルユスは少し体の位置をずらし、ぽんぽん、と大きな手で私の背中を叩いた。
私の不安を分かっている。そして、こんな風に宥めることしかできないことも。
私を宥め、トルユスはもう片方の手でテーブルの上のコップを掴み、飲んだ。
それでも、私が俯いたまま無言なのでトルユスは言った。
「仕方ないさ。仕方ない」
優しい、まるでゆりかごのよう。
「なぁ、貰えるものは、貰っておけ。お前はまだ若いんだから。まだまだこれからだ。不要なものでもこれから先役に立つ事だってあるかもしれない」
トルユスはいつも私の事を案じて先を決めてくれる。
だから、私は少しだけ微笑んでみせた。
***
私が生まれた家のある町に向かって移動する。
なお道中で、積極的に屋敷の父についての噂を聞いて回るような事はしない。
私は屋敷の父の実子だ。こちらから話題を集める事で、魔術師などが私の正体に気付いてしまう可能性もある。そうなったら厄介だ。
だから、私の生まれた町にしばらく滞在して、自然に耳にできる話から状況を確認していくつもりだった。
一方、私はとても情緒不安定になった。
実の父が死んだかもしれない、という話からではないはずだ。
ひとえに、トルユスが私の傍からいなくなったらと。移動中の夜に眠れなくなるぐらいだった。親子で同じ部屋に泊まるため、トルユスのベッドからは稀に大きないびきが聞こえるほどなのに。
元気を失っていく私について、トルユスは勘違いしていた。
生みの父が死んだかもしれないという話にショックを受けているのだろう、などと。
そして、『決して、俺は死なない』、などと冗談でもトルユスが私に言うことはない。
実の父よりも上の年齢だ。
そのうち、死ぬ。
今までも、私を託す相手がいないか気にかけていた。恋人ができないかという事を。
ただし、流れ者の生活であること、私が頑固な性格であるということ、そして私は実は貴族の家の子どもであるということ、これらのために、トルユスは積極的に誰かと私の縁を取り持つという事まではしてこなかった。少し困ったように案じながら、私を見ていた。
そして私には、トルユスだけが特別でありつづけた。
***
私の生まれた屋敷のある、町に辿りついた。
町の様子が変わったかどうかなど、私には全く分からない。
私はずっと屋敷で生きて、町を歩いたのは、あの時ほんの数歩。その直後には、悪党の手を取って、私はこの町から消えたのだから。
懐かしさを感じるわけもない。
そして、ただただ、私の不安は強くなった。
まるで恋人のようにトルユスに擦り寄り、手を握った。
トルユスは少し首を捻るようにしたが、私がさらに不安を強めたことを察したらしく、繋いだ手をそのままにしてくれた。
「とりあえず宿だな」
トルユスは私にも聞こえるように呟き、すこしウロウロと歩いた挙句、宿を決めた。
いつもより入念に建物や周囲を観察して、警戒していた。
間違いなく、万が一にも私の正体がばれて、危険が迫るような事まで案じての事だろう。
***
10日ほどを大人しく過ごした。
自分たちで積極的に人に聞く事を避けているために、情報は少しずつしか集まらなかったからだ。
たまに食堂で見知らぬ誰かが、気になる事を話しているのを耳にしても、それが屋敷の事なのか、それとも他の誰かの事か判別できないことも多かった。
不確かな噂は身を亡ぼすので、私たちはできるだけハッキリとした情報を手に入れようと考えていた。
一方で、曖昧な中で掴んだことは、屋敷の父はすでに再婚しており、男児が2人生まれているということだ。
つまり私の弟になるのだろう。
とはいえ、私にとっては全くの他人事で、はぁそうですか、というのが正直なところだ。
ただ、これでフランテナンドの家は安泰だ、などと庶民たちが話しているのにはもやもやとした気分にもなった。どうしてだと言われてもうまく説明できないが。
そんな中で。
私たちは、屋台の並ぶ道を歩く中で、その話を耳に入れた。
「可哀想といったら、坊ちゃんたちもだよねぇ。まだ小さいのに」
「本当だよ。いくら奥様に優秀な執事がついてきたっていってもさ」
「でも攫われたアリシエお嬢様はもう死んでるしかないだろう。お坊ちゃんたちがいて良かったじゃないか」
「そうだねぇ。再婚もさ、先代は死期が分かってたんだろうねぇ」
「国一番の魔術師だったもんなぁ」
ドキリとしたのは、私の名前が会話の中に入っていたからで。
無意識にブルリと震えたのをトルユスが気づいた。
私は今日もトルユスの服を掴んでしまっていたが、その手をトルユスが上から包むようにして力づけてくれた。
トルユスも確信したはずだ。
本当に、屋敷の父は死んでしまったらしい、と。
***
その夜、宿の一室で、私たちは小さな声で相談をしあった。
「・・・お前の生みの親は亡くなったのに違いない。だがこの日数で、やっとこの情報だ。アーリ、お前の事をどう決めてあるのかは、こっちから踏み込まないと分からないだろう。・・・名乗り出るか?」
トルユスは真剣で、私はただ驚いた。名乗り出るなんて。
「カマかけても良い。町の魔術師、誰でも良い。お前の血筋を見てもらうだけで、きっとあっという間に噂になる。お前の家はお前を放っておかないはずだ」
「放っておかないって、どういうこと」
「・・・お前はもう年頃の娘だ。男が生まれて家を継ぐって話になってんなら、お前は嫁に出されるはずだ。きっときちんとしてくれる」
「そんなはずない! そんなの考えたこと無い!」
「再婚相手は、良妻賢母だっていう話だ。お前は攫われたって話せばきっと同情して世話やいてくれる」
「同情なんて、されたくない」
「アーリ」
トルユスは、残酷にもこう告げた。
「俺は、いつまでもお前の親でいてやれない。どの親だってそうだ。いつか子を残して死ぬもんだ。・・・ただ・・・お前は、本当はもっといい暮らしができるんだ。お前の事が気がかりだ。俺がまだ動けるうちに、きちんと、元の場所に、元の暮らしに、戻してやりたい・・・お前を嫌っての事じゃない、そんな顔すんなよ」
嫌だと思ったが、反論もできなかった。
この頃、トルユスから、トルユスが死んだ後どうするつもりだ、などという話を時折されていた。
そして、私はそのことについてまともに考えられなかった。
真剣に想像などしたくなかった。
ギュッと目さえつぶってしまう私だったが、トルユスはゆっくりと息を吐き、話を続けた。
「それとも、屋敷に行ってしまってもいい。俺が証言しよう。俺は、依頼されてお前を誘拐した一人だ。だけど情が湧いちまって、いや、違うな、俺は小心者で、国一番の魔術師の娘をどうこうするなんて怖くてならなかった。だけど戻っても殺されちまう。だからお前を連れて逃げ続けたんだ。お前は脅されてたから言う事を聞くしかなかった」
不思議な作り話を話し出すトルユスを不安に思い、私は目を開けてトルユスの様子を見た。
トルユスの方は、時折話を作り出すために眉をしかめながら、話し続けた。
「だけどもう俺は歳だ。それにお前ももうこんなキレイな娘になった。小心者の俺はお前をどうしたら良いか、俺が無事で済むか困り果て、お前を元の家に戻そうと決めた。・・・だから今、お前はこの町に現れた」
「無理だ」
私は即座に言った。
それに。私の胸の不安が濃くなった。
「そんな事言ったら、トルユスが。何されるか分からない」
「だけど真実も入っている。俺は、もともとお前を誘拐した人間だ」
「だけどトルユスは私に親切で、私をここまで育ててくれた!」
私の訴えに、トルユスは困ったように私を見つめた。
トルユスは息を吐いた。
「俺も、もうお前を娘だと思ってる。だから無事で安全に暮らして行って欲しいんだ」
「一人で、生きていくよ」
トルユスが、死んでしまったら。
「屋敷なんて、もう必要ないよ。いらない。トルユスが色々、生きるために教えてくれた。だから、それで生きていく。大丈夫」
トルユスが、迷ったようになった。それから、少し躊躇ってから、目を伏せた。
「アーリ。お前は、俺と一緒にいるから無事にやっていけてる。こんな暮らしをしている人間は基本的にろくでもない。そんな中にお前みたいな若い娘、残していけない。・・・お前、騙されて売り払われるのがオチだ。そうでなくとも、血筋に誰かが気づいて利用されるだろう。下手したら悪党の親玉に売り払われて、お前はきっと苦しめられて、殺されちまう。もうお前も良い大人だ、きちんと考えてみろ。まだ10そこいらの娘を、因縁のある男のところに連れていって、殺させようとしたヤツがいたんだ。そういう醜悪なヤツは執念深い。お前はきっと危険にさらされちまう。・・・だったら、屋敷できちんとしてもらったほうが、安全に生きていける」
正論かもしれない。
だけど、嫌だ。
「そんな顔するな。アーリは、俺の娘だ。間違いない。ただ、俺はもう年だ。だからお前の事を優先しよう。もう少し家の噂を確認して、良い人だと判断できたら、名乗り出ることも考えといてくれ」
「嫌だ。トルユスが生きてるのに、そんなの嫌だ」
「そうだな。俺だって寂しいよ。だから、俺が会いにいけるような話をちゃんと考えないといけないな。・・・生みの親父さんが生きてたら、簡単だったかもしれん。決断が遅すぎたか・・・悪かったな、アーリ」
「トルユスは、悪くない~」
子どものように泣きそうになって俯く私を、トルユスが、そうだな、と優しく宥めた。




