6.殺意
本日2話目
※ご注意
トーヴィが帰ってくるのを待つ間、私は鞄の中身を確認した。
着替え。衣装のポケットには品物がきちんと入っている。手鏡などの道具。奥からは、私にリーダーたち護衛をつけてくれた奇妙な夫人のくれた小瓶も出てきた。
全て揃っている。
家政婦長が、首から下げるようにといって贈ってくれた小さな袋にも、ちょっとした額のお金が入ったまま。
私はほっと安心した。
お金もある。これで、トーヴィも少しは私を邪険にはしないだろう。
それから私は着替えることにした。
ただ、手伝いはいない。背中のリボンは私に結べそうにない。それぐらいは帰宅したらトーヴィが結んでくれないだろうか。
とにかく、清潔な服にしよう。
脱ぐには要所要所で止めてあるボタンを外さなければならない。手が届く所ならまだいいが、届かない背面をどうしたら良いのか。
それでもどうしても着替えたいので悪戦苦闘したら破いてしまった。仕方ない。
四苦八苦して、ようやく脱ぎ終わり、鞄からの服を着込む。できるだけ簡単なものを選んだので、背中のリボン以外は大丈夫だ。
はぁ、と息を吐いて、私はつい先ほどまで着ていた私の衣装を見た。
洗わなければならない。いや、それとも破れを直すべきか。ただ、どちらにしても私の手に余る。
グゥ、とお腹が減った。
私は鞄をかき回したが、さすがにもう食料は入っていない。
朝食を食べていない。水も欲しい。水はどうしたら出てくるのだろう。
私も魔術が使えたら便利だったのに。
お腹が減り、元気もすっかり失せた私は、部屋を見回した。
トイレも行きたいけれど、今はトーヴィがいない。
全てを我慢するには眠った方が良いのでは、と私は思った。
せっかく着替えたのにまたベッドに戻り、身体を丸めた。
***
カチャ
と扉が開いたので、私はパッと起き上った。
見ると、トーヴィが目を丸くして私を見ていた。
部屋の中を見回しており、それから私に再び目を留め、それから床においてある私の鞄と、脱ぎ捨てた服を見ている。困惑しているようだ。
「あの、朝、ノックがして、開けたら、私の鞄があったの」
私は急いで説明した。リーダーに指示されたままだ。
トーヴィは疑わしそうに私を見た。ただ、顔をしかめたまま、何も言わない。
「あの、トイレ。ずっと我慢していたの」
やはり恥ずかしいものがある。それでも必要な宣言だ。
「・・・分かった。こい」
私は立ち上がった。かなり限界。
「服、どうした」
と、トーヴィが尋ねた。
「着替えたの。でも、リボンが背中で結べないの」
と私は様子を探るようにトーヴィを見た。
トーヴィは無言のまま、けれど数秒の沈黙の後、乱暴に私の背中のひもを縛った。
「結んだ。それでいいだろ」
「・・・」
背中がどうなっているのか分からないが、間違いなく蝶々結びではない。だが今はトイレだ。
トーヴィも察したようで、足早に連れていってくれた。
***
用が済みほっと安心し、扉の外で待っていたトーヴィに、
「お腹が空いた」
と訴えた。
トーヴィはげんなりしたようだ。すぐに私の顔から視線を外した。
「戻るぞ」
と言うので、3階の部屋まで大人しくついていく。
「で? 鞄が届けられたって?」
部屋に戻るなり、トーヴィは不信感を表した。私は頷く。
「何が入っている」
「お金。お金があるの。これで、大丈夫?」
鞄をテーブルの上に置いて中を開いて見せながら、私は慌てたようにお金の存在をアピールした。
トーヴィは私の渡したお金を受け取り、少し眉をしかめ、それから困惑した。
「これを俺に渡してどうするつもりだ」
「・・・分からないけど・・・」
私の答えに、トーヴィはため息をついた。
それからトーヴィは床の上の服を見た。
「あれも、ここに片付けておけ。鞄が戻ったのは良かったな。出発は変わらない」
「え」
私は動揺した。
リーダーは、ここが私の場所だといった。
つまり。ここにいれば、リーダーたちは私の居場所を知っていてくれるのに。
途方に暮れる。
「また、色々詰め込んできたものだな」
トーヴィは、私の鞄の中を呆れたように確認していた。
使えるものがあるかもしれないと私が見せているのだから、自由に探っている。
それから、黄金色の液体が入っている小瓶を見つけて取り上げた。
トーヴィは不思議そうにそれを眺めた。
「これはなんだ」
「えっと。ご褒美だと言って、私に護衛をつけてくれた、仮面をつけたご婦人が、くれたもの」
「確認して良いか」
トーヴィは少し険しい顔をして、杖を取り出している。
「はい」
と私は頷いた。
私はあれを毒だろうと思っている。
だけど実際はどうなのだろう。
そして、やはり毒だと分かったら、トーヴィはどうするのだろう。
トーヴィは何度も杖を振った。どうやら私を警戒しているのかとても小さな呟きで、何を確認するのかは聞き取れない。
それから私の方にも杖を振って、私を見つめた。
そして、何かを知ったらしい。けれど、私には教えてくれそうにない。
ただ、じっと真顔で私を見つめている。
そして、何かを決めたように見えた。少し目を閉じて考えるようにしたのだから。
そして、トーヴィは黙ったまま、私の荷物を鞄に詰め込み直した。
「昼飯だが。昨日と同じものしかない」
床から拾い上げ、ボロボロになった私の服の状態に眉をしかめたトーヴィは、私に突然言った。
トーヴィは私を向き、視線を合わせて何かを私に尋ねようとした。
だが、途中で止めたらしい。口を閉じた。
そして、口の端を曲げた。
「スプーンかフォークかだけは、選ばせてやるよ」
「スプーンが良いです」
「それが正解だな」
トーヴィは笑ったが、どこか暗く歪んだ様子だった。
***
昼食を食べた。
私は、いつ出発を告げられるのかと内心怯えていた。
ここが良いわけではなく、他に行くのが不安だからだ。
だけど何も言わず、トーヴィはまた昼から出かけていった。
拍子抜けしたけれど、ホッとした。
やはり、お金を渡したことが効いたのだろうか。
***
夕方に、トーヴィは帰宅した。
私はまた緊張した。
だけど、トーヴィは出発を命じたりしなかった。
「少しだけ、買ってきた」
と、パンとハムを私に見せた。小さい瓶だけれど、お酒も買っていた。
私はひとまず安心した。
トーヴィの機嫌は、明らかにお金を渡す前より良くなっているし、態度も良くなっている。
トーヴィは手でテーブルの汚れを払い、そこに私のパン、パンの上にハムを乗せた。
「丁度、瓶詰のストックが切れたから、新しいのも買った。同じだが、きっと違う味だろう」
と言った。良く分からないが、何かが違うらしい。
私はまだ子どもで酒は飲めないが、少しなら良いだろう、と私にも酒が勧められた。
試しに、ペロリと舐めた。
良く分からないと答えたら、そうか、とどこかおかしそうに笑われた。
私はほっとしていた。
仲良くなれそうな気が少しした。
トーヴィの雰囲気は随分と柔らかくて、たまに穏やかに笑んでくれる。
とにかく安心した。居場所をここにしていいのかもしれないと思う。
真実はトーヴィが父親でなく、本当の本当は屋敷の父の方が父親だったのだとしても。
トーヴィを本当の父として生きていけば良いのでは。
それなら生きていける気がする。
***
歯磨きと身体を拭いて清めることは、やはり私にはよくわからなかった。
だけどトーヴィは、できる範囲で良いだろ、と私に言った。少し冷たい命令のように聞こえて奇妙に思えた。
そして、着替えを入手した私は、寝間着に着替えようとした。
だが、トーヴィは窘めるようにそれを止めた。
「もうそのままで良いんじゃないか。きみは一人で着替えもろくにできないんだ」
私は少し理不尽を感じたが、指摘の通りだ。
それにトーヴィはこれから父として過ごす人だ。従った方がきっと機嫌が良いはず。
「はい」
と答えて、私は鞄に寝間着を戻し、昨日と同じ様にトーヴィのベッドに横になった。
トーヴィは、今日も作業をするのだろうか。
私はなぜか首元を触っていた。
明日の朝、また赤くなっていたらどうしよう。トーヴィにきちんと相談しないといけない。
そうだ、ここで生きるなら、ずっとベッドを私が使いっぱなしは良くないはずだ。トーヴィを床で眠らせる事になってしまう。
そもそも部屋が狭すぎる・・・。
ブツブツ、と声が聞こえた。トーヴィが作業を開始したのだろう。
ウトウトと眠気を感じて、私は眠りに入った。
***
苦しい。
息が、呼吸ができない。
喉が痛い。
***
あまりの苦しさに、目が覚めた。
そして見えたものにギョッとした。トーヴィの目がじっと私の覗き込んでいた。
だけどそんな事よりも! 苦しい!
腕を動かし喉を触ろうとすると、他人の手が、私の首を絞めている。
トーヴィだ。
息ができない。
暴れようとするが、上に乗られていて身動きできない。
クラクラしてくる。目の奥が赤く染まったように見える。
どうして
どうして
嫌だ、殺される
殺されている
涙が勝手に溢れる。
呻こうにももう喉が押さえられている。
苦しさの中で意識が遠のく。
理不尽だと強く思った。『理不尽』だなんて言葉思い浮かばなかったけれど。
さらにグィと喉に力が込められた。
バキリ、と大きな音がした。
***
私の頭上で光が輝いた。そんな風に見えた。
額が少し暖かくて、混乱が少しおさまる。
息ができる。
そう気づいて、私はハッと目を開けた。
首に手を遣る。手が首に触れる。痛い。だけど。
ハッハッ、と今更自分の呼吸が荒くなる。
バチィ!
火花が光った。
私の上、正確には私をまたいで、誰かが立っていた。私に背を向けている。
その腕が向こうに伸びて、人を・・・捕えている。
「おとう、さま・・・?」
私は喉を押さえながら、呟いた。
馬鹿な。
自分の呟きにハッとして、慌てて身体を動かして、様子をよく見ようと移動する。
屋敷の父。
そして、トーヴィ。
父がトーヴィの喉を片手で締め上げている。
トーヴィの方が背が高いのに、父が軽く片手で持ち上げている。トーヴィが苦しそうに腕を喉にやり、外そうともがいている。
メリ、と音がした。
「お前は見る必要などない」
屋敷の父の声がした。
誰に言っているのだろう。
「お前だ。アリシエ。目を塞いでいろ。もう知らんぞ」
そう言われても。何が起こったのか分からなくて、つい凝視してしまう。
メリメリ、と、トーヴィの首から音がする。父が片手で締め上げている。
「死ね。お前に、殺す価値は無い」
ピシャッと、黒色がはねた。
トーヴィの身体全体が、潰れるように。
ビクン、とトーヴィの身体が跳ねるようになり、直後にダラン、と力が抜けて垂れさがる。それを父の片手だけが支えている。
「楽に、死ぬ価値はお前にない」
これは、私に言っているのだろうか。父は私をそんなに嫌悪しているのか。
「お前だ。ヴィート=オブグラント。苦しんで、死に至れ」
父は。会話が下手だ。
私はそんな事に驚いた。
目の前に起こっている事からの、一種の逃避本能が働いたのかもしれないが。
ボコボコッと、トーヴィの身体が沸騰しだした。
息絶えたと思ったのに、トーヴィが苦しんだように体を震わせる。
「アリシエ。見なくて良い。顔を伏せろ」
父の言葉に、私は身体を跳ねさせるようになり、やっと顔を下に向けた。
状況が、分からない。
だけど。
私の体が震えだす。
涙が勝手に流れてきた。
何を怖がって泣いているのか、もう自分にも分からない。
トーヴィは、私を殺そうとした。
昨日の夜も、私の首を絞めたのだ、きっと。朝に首が赤く痛かったのはその跡だ。
だけど、私を追い出そうともしていた。
だけど、私を殺そうと、本当に殺そうと思ったから。追い出さずに、置いたのだ。
どうして。
私が何をしたのだろう。着替えもろくにできないのは確かだけど。何が、トーヴィの判断を変えたのだろう。本当に殺そうと思わせた。
そして。
本当の父だと思い、そう思おうとしたトーヴィが、今目の前で、屋敷の父に殺されている。
どうして。
どうして。
ベショッと、大きな水のようなものが床にまとまって落ちる音がした。
私の顔、左側に何かが跳ねてついた。
拭って、見る。黒い泥のようなもの。
顔を、あげて確認するべきだろうか。それとも、確認しないほうが賢明なのか。
ゴゥン、という、妙に響くような音がした。
「ヒィッ」
と、聞き慣れた声が後ろからした。
思わず振り返れば、真っ暗になっているこの部屋に、なぜだか、リーダーと、小柄な男、魔術師が転がり込んでいた。声は小柄な男が上げたものだ。
リーダーは茫然としながら前をみており、小柄な男は明らかに怯えて後ずさろうとしている。魔術師は口をあけたような間抜けな表情で動きを止めている。
「ヒ・・・」
と小柄な男がまた声を上げかけ、次に口から泡を吹いて気を失ったので私は焦りを覚えた。
リーダーを挟んで片方の魔術師も、急に意識を失ったように後ろに倒れ、ドッ、という音を床から響かせた。
屋敷の父が動いたのが分かった。私は父を見た。
もうトーヴィの姿はない。だけど父がいた足元、床に、ドロドロとした何かが水たまりを作っていた。
予感がして私はそれから目を背けた。自分の顔の左側についた泥を、一生懸命拭い取ろうと腕でこすった。
「死ね」
父の声がした。
リーダーが、ストン、と身体の力を抜いたのが見えた。
「嫌、お父様!」
私の口から、勝手に叫び声が出た。
自分の声に驚き、それをきっかけに這いずるようにリーダーの前に行こうとする。
「駄目、駄目、お父様、嫌です」
父は歩みを止め、不思議そうに私をじっと見た。相変わらず何を考えているのか分からない。
その間に私はリーダーの傍に這って至り、力が抜けて座り込んだままのリーダーの身体に手をかけた。
リーダーには意識が残っている。私の動きを目でずっと追っていた。
「お前をここにやった犯人だ」
と父が言った。
「でも、リーダーたちは親切でした!」
「・・・そうなのか?」
と父は不機嫌そうに首を捻った。
「アリシエ。お前のその忌まわしい髪、いつそんなに短くした?」
急に楽し気な声に、驚いて父を見る。少し機嫌が良くなっているようだ。だけど元から理解できない人だ。
「屋敷を出て、リーダーたちが切ってくれました」
「・・・身元を、隠すために。貴族だとバレては襲撃される」
リーダーがボソリと答えたのは、きっと私の言葉のフォローだろう。
私はリーダーを見た。
リーダーは私の視線に気づき、気まずそうに視線を外した。
「アリシエを。勝手に殺すなど許さない。殺そうとするなら、このようになると思え」
父が、まるで邪悪なもののように歪んで笑い、リーダーに告げた。
「守れるか? 誓うか? ならば、生かしてやろう」
「無理だ。契約している主に気付かれる」
「は」
父は一層顔を歪ませて笑った。
それから、部屋の中に、トーヴィのテーブルが浮かび上がった。小さな小瓶が一つ乗っていた。鞄に入れたはずのもの。
「これは良い。辿れば至る」
嬉しそうに呟き、それからふと真顔になり、悔しそうに小瓶を睨んだ。
「褒美だ」
と父は、上から、まるで魔王のように告げた。
「アリシエとお前は死ね。そして生きろ。脇の二人は、お前たちが本当に死んだと思わせてやる。それで全て解決だ。遡る手段も消してやる」
「は」
意表を突かれたように間抜けな声を、リーダーが出した。
私も、父を幼少時から知っている身ではあるが、何を言われたのかよく掴めなかった。
「殺されるなど、許さない」
もう一度耳にした途端、どっと後頭部から圧力を受けた。
意識が暗い闇に落ちていった。




