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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

河童物

Drカーパーの荒療治

作者: 須方三城


 日ノ本の国に置いて、人の世は乱世……だった。

 何故過去形かと言えば、まさしく過去事だからである。


 人の世は、ほんの数ヶ月前に終焉を迎えたのだ。


 今、この世に跋扈しているのは、夥しい数の【化生者ばけもの】。


「……散々だ……」


 独りの小さな武士が、重々しい溜息と共にその背中を巨木に預けた。

 堅い木肌に触れた甲冑が、がしゃん、と音を立てる。


 彼の姓は水源みなもと、名は丑若丸うにゃまる

 つい昨年一五歳になり、武士として腰に刀を差して歩く様になったばかりの若輩者。

 ……だのに、その甲冑は傷や欠けに塗れ、手元に放り出された刀の刃は根元からべっきりとへし折れてしまっている。

 とてもじゃあないが、新参武士の出で立ちではない。


 ――彼が勤めていたのは、長門領ながとのくに団野有楽だんのうら城。

 城下には花雪はなすすぎと言う名の町があった。


 花雪は四季のあるこの島国においてもその変化が顕著な土地であり、中でも春は百花繚乱、冬は一面の銀雪が美しい。

 その性質から一大観光地として盛大に栄え、遠く離れた奔州ほんしゅう恵土えどの貴族すらも旅客として訪れる程だった。


 まぁ、それも今となっては過去の話。

 今頃、そこらの村町と同様に、化生者どもの群勢に蹂躙されている事だろう。


 丑若丸もそりゃあもちろん城や町を守るべく奮戦したが、結果はご覧の有様。

 仲間も君主も守るべき民衆も失いながら、最早意地だけで戦い続けたが、それも三度ほど夜を超えた辺りで限界を越えた。

 そこから先の記憶はほとんど無く、こうして、はうはうのていで独り、落ち延びた。 


 最後に食事を摂ったのは何時の事だったか。

 最後に横になったのは何時の事だったか。

 おもんばかろうにも、記憶を手繰る余力すら残ってはいない。


「……誠に……きっつい……」


 思い描いていた、理想の武士像がある。

 かつて運命に見放され、武士には向かない身体で生を受けてしまって。それでも父や兄の様に立派になりたいと、死に物狂いで努力して、なんとか仕官させてもらって……


 その結末がこれだ。


 身体的にも精神的にも辛さ至極。


「いや、って言うか本当に何これ……聞いてないんだけど……斬っても斬ってもキリがない敵と戦わされるとか聞いてないんだけど……」


 仕官の際、採用担当の者に「まぁたまにではあるが、人里に降りてきた化生者的なアレと戦ってもらったりとかするから。その時はお願いね。たまに手当も出るから」とか言われてはいたけども。

 化生者なんてせいぜい、ちょっと強めの猪程度のものだと聞いていた。

 そんなもんなら素首を脇に挟んで引っこ抜いてやりますとも! くらいの感じだった。


 だのに、実際に戦ってみればなんたる事か。

 蓑体武朗子みのたうろすとか言う牛頭の化生者は、まともに組み合ったら力で勝目はなく、肉どころかその身を蓑の如く覆う剛毛の一本すら常刃では穿てず。

 吸裸衣無すらいむだとか言う水の化生者は、首すらないわ殴ってもぷるんと跳ね返されるわ、斬っても斬ってもすぐにくっつくわ。


 そんなもんが有象無象、大挙して押し寄せてきた……やっていられるか。

 それでも限界が来るまで戦い抜いたのだから、力尽きてくたばる前にあと一回くらい誰かしらに褒めてもらいたいものである……と言うのが丑若丸の所感。


 しかしまぁ、こんな時勢に化生者の本拠とも言える深い森の中。

 誰が通りかかってくれる訳も……


「あら、御武士おぶし様?」


 なんと。

 丑若丸がぐったりと背を預ける巨木の陰からひょっこりと、少女が顔を出した。

 頭から深々と緑色の頭巾を被っているせいで顔はほとんど見えないが、体格と声色からして少女で間違い無い。

 衣の隙間隙間から覗く肌は浅黒く、日焼けがそのまま染み付いてしまった様な自然な褐色であった。


「あらあらあらまぁまぁまぁ。とってもボロボロだわ、この御武士様」


 続いて、反対側からももう一人。

 分身でもしたのか、と言いたくなる程に背格好が瓜二つ。違いと言えば、被った頭巾が片や緑、片や黄緑と言う事くらい。

 双子、なのだろうか。


「……ぇ、あ……?」


 何故、こんな森の中に、こんな少女が二人も?

 避難者……にしては、衣類がやたら小奇麗過ぎる気もする。


「ねぇねぇ、でもこの御武士様、なんだか線が細いわ。女の子みたい」

「ダメダメ。御武士様は見た目で判断すると痛い目をみるわ。この前この御武士様よりも小さな御武士様がこーんな大きなヒグマの頭を小脇にかかえて首を捩じ切っていたもの」

「やだ恐い。御武士様って超恐い。首を守らなきゃ」

「そうよ、御武士様はすぐに首を取りにくるの。夜寝る時は首を守らなきゃ」


 ……「いや、武士だからと言ってそんな首に執着など……」と言いかけて、「……あれ? 言われてみると確かにみんな平時からみしるし取りてぇみしるし取りてぇと言っていたな」と丑若丸は否定できない物を覚える。


「ところで御武士様。こんな所で何をしているの?」

「さっきも言ったけどすごくボロボロだわ。良い鎧の様だのに勿体無い。これ勿体無いと思うの。一体何がどうしてしまったのでしょう?」

「あぁ……せ、拙者……長門領……団野有楽城に奉公させていただいておる……名を水源の丑若丸と申す……」

「あらあら、瀕死だのに名乗ったわ。丁寧。御武士様って噂通り本当に丁寧なのね」

「御名前も可愛いわ。うにゃまるですって。まるで猫の名前みたい」

「ええ、ええ。それに声もまるで女の子みたい。第二次性徴前かしら?」


 人様の名前になんて事を言う少女だろう。声色についても放っておけ。


 ……まぁ、随分と不躾な少女らだが、それでも、この奇跡的な出会いには感謝しよう。


 と言う訳で、丑若丸は死ぬ前にこの二人に褒めてもらう事にする。


「と、ところで、少女らよ……少し、聞いて欲しい話が……あるの、だが……」

「ええ、ええ。後でたっぷり聞いてあげるわ、うにゃちゃん」


 誰がうにゃちゃんか。


「後で……と言われても……拙者に残されている……時間は……そんなに……」

「死にそうなの? 大丈夫。助けてあげるわ。私達が助けてあげる」

「……!」


 何と言う僥倖だろう。

 この化生者に乱された世では、誰かにすがり生き延びる事など叶うまいと助けは期待していなかったのに。

 まさか向こうの方から提案してくれるとは。


「ついつい先日、愛玩していた人間の最後の一匹が死んでしまったの。最後だから慎重に、とっても可愛がっていたんだけれど、幼体はダメね。あんなに大事にしてあげたのにすぐに壊れてしまったの」

「…………は?」

「御武士様ならきっと大丈夫よね? だって御武士様ですもの。この国の中では【忍者】と並んで最も逞しい部類の人種。きっときっと長生きしてくれるわ」

「本当、私達って運が良いわ。これから生き残りを探しに森を出ようとしていたのに、その必要が無くなったのだもの」

「ええ、ええ。きっと最後の子をたんと可愛がってあげたから、神様が私達の心の清さに感嘆して恩寵をくださったに違いないわ」


 クスクスと、愉し気に嗤いながら。少女達が、頭巾を下ろした。


 その顔の全容を見て、丑若丸は息を飲んだ。


 ――少女達は、人間ではなかった。


 確かに、見てくれは大体、常人のそれに酷似している。

 しかし、決定的な相違点がいくつかある。

 まず、髪の毛だ。二人揃って銀色で長く伸びたそれは、毛先がまるで炎の様に揺らめいている。

 次に、耳。まるでやじりの如く、ぴんと鋭く尖り立つそれは、常人のそれとは全く違う。

 そして、眼球。紅い瞳に、本来白くあるべき部分は墨を入れた様に真っ黒け。


「揺らめく明るい毛並みに……尖った耳……【恵麗巫えるふ】……か……!?」


 恵麗巫えるふ

 人間に近い【亜人あじん】と呼ばれる類の化生者。

 森の奥深くに住まい、人語や武器、怪しい術を操ると言われている。

 何よりの特徴として、伴天連ばてれんの連中が【父神でーうす】なるものを信仰する様に、種族総出で【森神ばるとーでぃお】なる神を信仰する【かんなぎ】文化を持つと言う知的な化生者だ。


 他の化生者ほど邪悪な話は聞かないが、それでも人間に友好的と言う話も無い。

 だが、美人麗人が多いと言う特徴から、武士衆の間では「嫁を取るなら恵麗巫者に負けん様な相手を見つけたいものだ」などと話題に出る事がある。


「あらあら、私達がそんなに上品に見えるのかしら」

「まぁ、恵麗巫と言えば恵麗巫だけど。良い事を教えてあげる、御武士様。私達は【堕悪恵麗巫だーくえるふ】。ちょっと性悪な方の恵麗巫なのよ」

「しょ、性悪……だと……!?」


 不味い。

 ただの化生者と言うだけでも遭遇して良い事はまずないだろうに、自己申告で性悪と来た。


 そんな連中が、下衆な笑みを浮かべてこちらを見ている。

 悪寒を感じずにはいられない。


「ええ、ええ。少し少し、ちょっぴりだけ、されどとってもすごく悪戯好きなの」


 すさまじい速度で発言に矛盾が生じている。


「だから丈夫な人間が欲しいの。だって、そうでしょう? たっぷり悪戯したいじゃあない」

「なっ……悪戯するために……人を……!? 愛玩していた……のではない、のか……!?」

「死ぬまでいびるのが私達の愛よ」

「ええ、ええ」


 愛が歪んどる。


 不味い。不味いぞ。と丑若丸は焦る。

 このままでは、助けられてしまう。そして死なせてもらえない。


 ……ああ、まさか救いの手を差し伸べられて「一生のお願いなのでそっとしといてくれませんか」なんて思う日が来るとは思わなんだ。

 致し方ない、ここは武士として、最後の華を……


「うふふ。さて、御武士様は追い詰められるとすぐに自分の御腹を斬ってしまうらしいから、まずは呪術でそれをできない様にしてしまいましょう」

「ええ、ええ。それが良いわ。とっても良いわ。まずは自死の手段を立つのが常道よね」


 初手から無慈悲。


「あらあら、なんだかすごく悔しそうな顔をしているわ。大丈夫、そんなに臓物を曝け出したいのなら、後でちゃんと死なない様に準備を整えてからじっくりと御腹の中身を観察してあげましょう」

「ええ、ええ。そうね。今まで見てきた人の中には御武士様はいなかったもの。御武士様の臓物の色艶、とっても気になるわ。きっときっと凡夫のそれよりも綺麗に違いないと思うの」

「感触だってきっと一等上質なはず。いっぱいいっぱい愛を込めて、臓物をいいこいいこしてあげましょう」

「ええ、ええ! 日が落ちるまでたっぷりと!」


 誰か今すぐに拙者を殺せ、と丑若丸は叫びたくて仕方無いが、流石にそこまでの元気は無い。


「さぁさ、早速御家へ持って帰りましょう。まずはゆっくり休ませてあげるの。御飯も食べさせてあげましょう。さぁささぁさ、御家へ帰りましょう。美味しい御米にホカホカの白米、あったかい銀シャリが待っているわ」


 熱い米推し。いや、温かい米推しか。

 まぁ今はどうでも良い事だ。


「ッ……やめ、ろ……! せ、拙者に、近寄る、なァァァ……!!」

「あらあら、何を恥ずかしがっているのかしら。御腹の中までまさぐってあげると約束した仲じゃあないの」


 丑若丸は意識朦朧気味ではあるが、ハッキリと断言できる。

 そんな約定に覚えはない、と。


 誰か助けて。もしくは死なせて。


 迫り来る四本の魔の手に、丑若丸の涙腺が緩みかけた、その時。


「おやおや……少しうたた寝をしていたら、足元で随分とまぁ」

「……!?」


 渋みだ。渋みを感じる、男性の声。重低音だのに、篭った様な印象は受けない……気分良く耳を貫き、腹の底を震わせる――耳元で静かに囁かれれば、最早性別や種族の壁すら越えて惚れさせられる、心すら縛られる。そんな恐ろしい声だ。


 声の発生源は、頭上。おそらく、巨木の枝に乗る何者か。


「……!!」


 声の出元を一瞥して、堕悪恵麗巫の双姉妹は顔色を変えた。

 やべぇ奴を見付けてしまった――そう言わんばかりに小さな顔いっぱいに焦燥を浮かべて、足元の野草や土が弾け飛ぶほど勢いで後方へ飛び退る。


「え……」


 丑若丸は突然の事に驚愕と言うより呆然。

 一体何がいると言うのか、頭上を確認したいが、頭が重い。首をもたげる余力が無い。


「……何で、森の中(こんなところ)に【あんな奴】がいるのかしら」

「ねぇ。本当、気持ち悪いわ。ええ、ええ。とてもとてつもなくキモい」


 え、本当に何がいんの? ねぇ? 何がいるの? と、丑若丸が恐怖すら混ざった疑問を抱き始めたその時、それは、大地に降り立った。


 まるで鉛の塊が落とされた様なドシンッ、と言う重い着地音。

 丑若丸の眼前に大地を穿ってそびえ立ったそれは、おそろしく巨大。

 熊の様、と言う表現すら生ぬるい。丑若丸の知る中で最も大きな熊よりも一周り大きい。


「ふッ――随分嫌ってくれてるじゃあないの、お嬢ちゃんら。まぁ、女の子に受けの良いナリじゃあないのは、承知してるがね」


 間違い無い。件の声の主は、この巨体だ。


「な……何、者……」


 その背中は、白かった。


「おう、俺に聞いてんのかい? 人間のお嬢ちゃん」


 振り返ったその顔面は、まるで皮を削いだ胡瓜きゅうりの実が如き明るい緑色。顔だけではない、裾の長い白い衣の隙間から覗く地肌は、全てその色をしていた。

 緑色の肌をした男が、地肌に――確か、あれは南蛮の医者らが纏う【白衣えんぜるろうぶ】なる衣装――それを、纏っている。


「おじさんはね……まぁ、大きなくくりで言えば【河童】さ。姓は平羅野たいらの、名は花流波かるぱだ。よろしくぅ」

「……!? か、河童……だと……!?」


 河童、河童と言えば、川辺に住む化生者の名だ。

 かわずと人と獣が混ざった様な見てくれをしており、胡瓜や西瓜すいかなどの淡色野菜を好み、それらの野菜をくれる人間には決して危害を加えない話のわかる化生者だと聞いている。


 しかし……


「む、むきむき……なのだな……」

「おじさん、鍛えているからね」


 何と言うか、まぁ、尽く、聞いていた話の印象と違う。


 体格は人並みだと聞いていた。

 ――嘘を吐け、一晩あれば独りでも城の石垣を築いてしまいそうな肉付きではないか。

 ああ……ああ……着衣の上からでもくっきりと浮かぶ腹筋の割れ目……す、すごい……思わず唾を飲んでしまう……!


 顔には嘴、頭には皿が乗っていると聞いていた。

 ――顔に嘴など付いてはいない。南蛮の黒眼鏡さんぐらすは付いているが、肌が緑色である事以外は至って普通――否、むしろ凡夫では及ばぬ美形が理想的な加齢をたどった様な実に素晴らしい御尊顔ッ。「おじ様」と呼びたくなる事この上ない……黒眼鏡がよく似合っておられる。肌の色さえ正常であれば、小一時間眺めるだけで惚れてしまいそうだ。

 頭の皿とやらも見受けられない。頭の上に乗っているのはボサボサの黒い無造作ザンバラの髪――あ、待て。何やら頭頂より顎に紐が回されて――! 皿だ、皿ではないか。ザンバラな毛に埋もれて見え辛いが、よく見ると醤油皿が紐を使って笠の様な形式で……何故に?


 肌は蛙の如くヌメヌメと照っていると聞いていた。

 ――確かに照ってはいるが、蛙のそれとは違う印象を覚える。まるで油でも塗ったかの様な、艶のある照りだ。

 白衣が薄らと濡れて、緑色の肌が薄らと透けている。少々、助平だ。


「さて、そんで、丑若丸ちゃんよ」

「! な、何故、拙者の名前を……」

「そんなの、顔を見ればわかるさ。おじさんは河童だけど、【医者】でもあるからね」

「……医者……!?」

「ああ、そうさ。つい先日まで南蛮にて本場の医療に触れていた。向こうじゃあ【Dr(ドクター)カーパー】と呼ばれて名が通っていたよ」


 馬鹿な。貴様の様に巨大な医者がいてたまるか……いや、しかし、間違いなく身に纏っているのは南蛮の医者が纏う白衣。

 それに、どくたーと言えば、南蛮に置いては優れた医者を呼ぶ時に付ける敬称であったはず。


 証拠が二つも……これは説得力が強い。


「元々薬学に長けた種である河童が、医学をも身に付けた……今の所この世でただ独りの新種河童。それが俺、【医薬師河童いやしがっぱ】のDrカーパー。発音が面倒であれば【先生】と呼んでくれ」

「い、いやしがっぱ……」

「で、話を戻すが丑若丸ちゃん……長いな。うにゃちゃんよ、もうすぐ死にそうな君に【治療】を施したくて仕方無いんだが……構わないね?」

「!」

「目の前の患者に最適な治療を施したくて辛抱できない。それが医者と言う生命体の性でね。まぁ君が何と言おうが治療はするんだが、一応お伺いを立てるのが医者以前に紳士おじさんの性だ」

「不要よ。その子は私達が面倒を見てあげるのだもの。あとキモいわ。」

「ええ、ええ。キモいのよ。迅速に河へと帰りなさい、この歩く淡色野菜。キモいのよ」


 ここで口を挟んで来たのは、堕悪恵麗巫の双姉妹。


「えぇと……そっちの姉さんはお保威ぽいちゃん、そっちの妹さんはお数武ずんちゃんか。そりゃあ聞けないな。おじさんは医者なんだ。治せる患者を放っておくとか有り得ない訳だよ」

「知らないわよ。あと名前で呼ばないでよ、キモいわ」

「視界から消えてよ、キモいわ」

「………………………………」


 微妙に心に傷を負っているのか、カーパーはなんとも言えない感じの口形で黙ってしまった。


 ……河童はそのてかてかとした緑色の肌故に、何時の世も女子人気が低い。せめて犬猫の様に可愛気のある小身ならば可能性はあっただろうが、カーパーのご立派な巨体ではそれも無い。

 丑若丸的にはとても良い外観だと思うのだが、男の世界に踏み込んで生きて来た女子と一般女子の感性は異なって当然と言うもの。


「ぁ、あの……先生……できればあの二人には構わず、助けて欲しいのだが……」

「……ああ、それはそのつもりだよ。だが、そのためにはまず、彼女らの【治療】が先になりそうだ」


 そう言うとカーパーは白衣の胸に縫い付けられた袋から、あるモノを取り出した。

 それは、薄い白手袋だ。布製ではなく、何やらぱつぱつとした奇妙な材質のものを用いている。


「あの性格の悪さは致命的だ。至急、治療しなくてはだよ」


 カーパーは不思議な手袋を両手に装着し、指の骨をパキパキと鳴らす。

 ……治療の準備運動、にしては何やら物騒なものを感じなくもないが……


「治療? 私達の性格を矯正しようとでも言うの? キモい」

「キモい」

「……ぉ、おじさんは挫けないぞ」

「先生、せっかくの良い声が震えているが……」

「大体、どうやって治療しようってのよ、キモ……」


 堕悪恵麗巫の姉の方は、それ以上言葉を続ける事ができなかった。

 理由は簡単、一瞬で眼前に迫ったカーパーの拳を、鼻柱……と言うか、顔面全体に容赦無く打ち付けられたからである。


 カーパーが拳を振り抜くと、残像の尾を引く程の速度で姉の小さな身体が吹き飛び、地面に触れぬまま遥か後方の巨木に突き刺さった。


「昔から言うじゃあないか。『性格の悪さは死なないと治らない』」


 余りの出来事に、丑若丸も妹の方も呆然。

 構わず、カーパーは手袋の口をきゅっきゅと引っ張って直しつつ、


「君達への最適な治療は、殺す事だ」


 堂々と、言い切った。


 キモいを連呼された事への報復……と言った様子ではない。

 断言した声に、強い感情は含まれていなかった。あくまでも冷静な判断に基づいた発言と言う事だ。


「え……えぇぇ……えぇぇ……あ、あの……それは少々、医療と呼ぶには野蛮では……!?」

「いやいやいや、立派な医療だよ。ちなみに今のは【蛮威折武凄バイオレンス剥魔死癒スマッシュ】と言うきっちり名前のある【医療術式】……即ち【医術】だ」

「……武術の奥義名ではなく?」

「医術の名だよ」


 その表情は素。

 まるで「海にはなんで魚がいるの?」と言う童の質問に「そう言う所だからだよ」と返答する様に、素っ気のない――即ち、それくらい当然の事と認識していると言う素振りでの回答。


「まぁ南蛮式の医術は、この国では少々特異に見えるだろうね」


 南蛮、恐い。


「ッ……いきなり、やってくれるじゃあないのォッ!!」


 ボゴァッ!! と言う怪音。

 それは、姉の方が巨木から勢いよく頭を引き抜いた音だった。


「む……? 妙だな。今、確かに顔骨を粉々にした感触があったのだが……完治には至っていなかったか」


 カーパーを睨む姉の方の顔には、その荒れ狂う憤怒を表す夥しい程の青筋が浮かんでいるが、傷は一つもなく、血の一滴すら跡が無い。少々木の脂に塗れている程度だ。


「おズン! その河童、生け捕りにするわよ!! 死なせてなんてやるものですか!! 毎日毎日少しずつ、そこの御武士様の御飯にしてやる!!」

「ええ、ええ!! お姉様を殴り飛ばすなんて、こんなにもキモい奴には死に方を選ぶ権利すら勿体ないもの!!」

「発想が最悪だな。君達の魂に憑いた腫瘍は、やはり末期だ。その魂、可及的速やかに摘出しよう」

「黙れキモい!!」


 獣の雄叫びの如く、唾を散らしながら姉の方が叫ぶ。

 それを合図に、双姉妹揃ってそれぞれの武器を取り出した。


 姉の方は、木製の弓。弦は弾力のある細い蔓を用いているらしく緑色。矢は持っていない。

 妹の方は、木を研いでこさえたらしい木色の小刀を両手に一本ずつ、逆手に構える。


「腐っても恵麗巫、弓術は侮り難く、俊敏性を活かした小得物での接近性は尚警戒すべし。しかも、恵麗巫は毒の扱いにも長けている――この匂いは、両名とも、【鴆虎ちんこの呪毒】を所持しているね」

「……あらあらまぁ、随分詳しいじゃあない、キモい」

「あらゆる患者を救うため、知識はいくらあっても足りない。医者は博識でなくてはね。あとそろそろ否定するよ。多少はキモいかも知れないが、そんなに連呼されるほどキモくはないはずだ」

「あの……ち、【鴆虎の呪毒】……?」

「ああ、【鴆虎】と言う種の化生者の持つ毒でね……【毒喰鵺やばみぬえ】と言う名の方が有名かな。怪力や雷雲を統べる特性が有名な種だけど、実は連中の尾から分泌される毒も相当便利なものでね。基本的には麻痺毒で致死性は無い。一度服毒すれば獲物の魂を元手に体内で毒素が一定数を維持する形で増え続け、死ぬか解毒をするまで全身麻痺が持続する。しかも獲物が死ねば獲物の身体に付着している菌などの魂を消費し始め、殺菌作用まで果たすときた。そして元手となる魂が全て消費されると、この毒は跡形残さず綺麗さっぱり消え失せる。おかげで獲物の肉を毒でダメにする事は無いし、むしろ完璧な消毒滅菌をしてくれる。なのでこの毒で獲った肉は刺身でも食せると言う寸法さ。塩を振るだけでも美味美味と、酒が進む。高温に弱い性質があるから、生食に拘らないなら火を通して早めの解毒もできるよ、本当に便利なものさ」


 恵麗巫に限らず、森に住む知性の高い化生者は鴆虎の呪毒を利用する者が多い。

 その有用性はモチロン、鴆虎と言うのが少々餌を与えれば喜んで毒を絞らせてくれるチョロい輩なのも要因だ。


「ええ、ええ。お前は死なない様に管理してあげる。永遠に鴆虎の毒で動けないまま、少しずつ身体を削られていく恐怖を味わいなさい」

「鴆虎の毒は、狩猟や自衛に使うべきものだ。用法用量を守らないのは感心しない。ますます治療が必要だね」


 ……いや、自衛と言う意味では、巨大な河童に殴りかかられている現状、彼女らの対応は正しいのでは……? と丑若丸は思うのだが、せっかく助けてくれようとしているカーパーの意気を削ぐ様な発言は控える事にする。


「ふん……私達にちょっかいを出した事、後悔させてやるんだから!!」


 姉の方が、勢い良く地面を踏みつける。

 すると、地面が勢い良く隆起。土で形成された無数の矢がにょきにょきと生え出した。

 化生者の【呪術】と言う奴だ。周囲の物に影響を与え、意図した形状や性質を付加する類の。


 姉は腰の巻布からぶら下げた小瓶の蓋を開けると、地面から生えた土弓を一本引き抜いた。そして、抜いた矢の鏃を瓶の中に突っ込む。

 あの瓶に収まっている液体こそが、鴆虎の呪毒なのだろう。


「弓術、【射弄矛牙シャールンガ】!!」


 放たれた矢は、一瞬にして消失した。

 丑若丸の目には、そう見えた。


 だが、実際は違う。

 ただただ、常人の肉眼では捉えられない速度で飛んだだけ。


「恵麗巫種の弓術は脅威……だが、医者ならば見切れる!!」


 その宣言通り。

 なんと、カーパーは亜音速の領域すら超えかねない速度で飛来した毒矢を、見事、その二本の指で挟み止めてみせた。


 少し距離を置いて背後にいる丑若丸にまで強風が打ち付ける程の衝撃を伴った、高速の矢。

 その速さを見切る眼力の高さ、見てから動いても充分間に合う挙動の速さ、そしてたった指に二本で完全にその威力を受け止める膂力の強さ。三拍子揃って始めて可能になる技だ。


 だが、まぁ、一流の医者ならばその三拍子を備えていて当然だろう。


 素粒子単位の世界で暗躍する病因子すら見逃さない眼力。

 刹那の対応遅れが致命的になる外科手術に対応できる高速かつ正確な挙動。

 そしてどんな堅牢な肉質を持つ患者だろうと開腹治療や外圧治療を施すための膂力。


 全て、優れた医者には必要不可欠なモノだ。


「……せ、先生、本当に凄い医者(どくたー)だったんだ……」

「おいおい、微妙に疑っていたのかい……?」


 その通りだが、今の技を見せつけられて、彼の医者としての腕前を疑う者はいまい。


「お姉様の矢を受け止めるなんて、生意気キモいのよ!!」


 続いて、妹の方が木の小刀を構えてカーパーに飛びかかる。


「斬術、【邪悪刺離通刃ジャック・ザ・リッパー】!!」


 瞬きする様な間に、無数の軌道で振るわれる斬撃。さながら、横殴りに降り注ぐ鋭い鉄の雨と言った所か。彼女が振るっている刃は木製だが。


 まぁ、カーパーならば全て躱し切る事も容易だろうが……


「正面から受けて立つ道理も無い。俺は戦闘ではなく、治療をしているのだからね」


 戦闘ならば相手の繰り出す攻撃に付き合ってやるのも一興だが、これは一方的な治療だ。華を持たせる必要も無し。


 カーパーは堅く拳を握り締め、


「医術、【蛮威折武凄バイオレンス剥魔死癒スマッシュ】」


 実に医療的正拳一閃。

 拳の軌道上にあった木製の小刀を破壊しながら、その一撃は妹の顔面に直撃。


 先程よりも力を込めて放ったのだろう。

 まるで木刀で殴りつけられた海辺の西瓜の如く、妹の鼻から上が粉々に爆ぜ飛んでしまった。


「ぅ、ぴゃ」

「施術、完了」


 殺消完遂。

 カーパーがそう確信するのも当然だろう。

 堕悪恵麗巫は確かに強かで丈夫でしぶとい、回復力にも優れた種族だが、頭部が粉々になっても生存できるほどでは――


「キモ痛いじゃない」

「――ッ!」


 カーパーは己の目を疑った。


 ――笑ったのだ。

 鼻から上を吹き飛ばされたはずの、その口が、口角を裂き上げて。


 次の瞬間、カーパーの身体を、衝撃が突き抜ける。


「がッ――」


 カーパーの分厚い胸板を穿ったのは、木製の小刀。

 妹の履物の裾から、発条ばねを用いた絡繰からくりによって射出された一発。


「暗器術、【苦麗隠刃罠クレオパトラ】」

「なッ――先生……!!」


 何故、あんな状態で生存しているのか。

 今はそれよりも、カーパーが一撃をもらってしまったと言う事の方が重大だ。


 当然、あの刃にも塗りつけられているはずである――鴆虎の呪毒が。

 刃は、完全にカーパーの胸筋に突き刺さっている。皮が裂け、肉が穿たれ、刃を伝って赤黒い血が柄の方にとくとくと流れて……


「ふふッ、ふふ!! 医者がどうだと言っても、所詮は河童!! キモいおバカさんに変わりはないわ!!」


 平然と着地し、踊る様な軽快な歩調でカーパーから距離を取る顔無しの妹。


「本当ただのバカ。私達はどう見ても【双子】だのに、片方を殺した程度で殺せたと思うだなんて」

「な、ん、だと……?」

「……あらあら、知らないの? 博識が聞いて呆れるわ。いいわ、哀れなお前に教えてあげる。恵麗巫種の双子はね、魂が繋がっているの。片方が生きていれば、もう片方も生存していられる」

「ええ、ええ。そして恵麗巫種の再生力があれば、肉体の損傷なんて、ねぇ?」


 瞬く間に、妹の顔面が再生していく。

 まずは白い何かが湧き出して髑髏を形成、それを覆う様に紅い肉が這い回って顔筋を復元、最後に皮膚や頭髪、眼球が再生して、完全に元通り、銀髪褐色肌の美少女に。


 そう、先程、カーパーが姉の方を吹き飛ばした時も、姉は頭蓋を砕かれ脳を潰され、通常ならば絶命必至、カーパーの言葉を借りるならば完治不可避の損傷を負っていた。が、今の妹の如く、再生して復帰したのだ。


「成程……な……ぐッ……そうか……故に、片や弓、片や小刀……理に適った、話だ……!!」


 恵麗巫種の双姉妹を治療するには、両方を同時に完治させる必要がある。

 しかし、この双姉妹は片や弓での狙撃戦、片や小刀での白兵戦を仕掛けてきている。双姉妹の間に距離があるため、片方を仕留めた後、片方が再生する前にもう片方を仕留めるのが難しい。


 この双姉妹――戦い慣れている!!


「づぅ……!!」


 カーパーの巨体が崩れ落ち、膝を着いてしまった。


「先生……!」

「やっぱり、鴆虎の呪毒、か……!!」


 カーパーの胸、突き刺さった小刀を中心に、黒い蛇の様なあざが四方八方へ広がっていく。

 鴆虎の呪毒を服毒してしまった証……呪紋じゅもんだ。これが全身に広がれば、最早指先ひとつ震わせる事はできない完全麻痺状態へと陥ってしまう。


「私達姉妹に挑んだ蛮勇を悔いなさい、キモい河童。いくらキモくても、自らの過ちを悔やむ権利はあるものよ。ま、再起やりなおしを望む権利は無いけどね」

「ええ、ええ。愚かな河童にも最低限の慈悲を与える。ああ、なんて言う徳でしょう。神様もきっと感心してくださるわ」

「……ッ……」

「あら、悪足掻き? どこまでもキモいのね」


 何を思ったか、カーパーは胸に突き刺さった小刀を、引き抜いた。

 小刀と言う栓を失い、傷口から赤黒い血がぴゅっと吹き出すが、すぐにカーパー自身が手でそれを押さえる。


「ダメよ、ダメダメ。もうダメなの。その痣は、鴆虎の呪毒がお前の魂を元手に増殖を始めた合図。もうその痣が出た時点で手遅れなの」

「ええ、ええ。呪毒から解放される術は二つ、絶命か解毒のみ。解毒剤の準備でもあるのかしら。なら取り出した瞬間、飲む前に取り上げてしまいましょう」

「私の矢とその子の俊敏な身のこなし、その両方を避けながら解毒剤を上手にごっくんできるのかしら。見物だわ」

「……ふッ……鴆虎の呪毒に対する解毒剤など……持ち合わせては……いないさ……持ち歩く必要も、無いからね……」

「……なんですって……? ……? 何の音……? なんだか、ぶぶぶぶ、って、蜂の羽音みたいな……」

「恵麗巫の双子については知らなかったが……鴆虎の呪毒については、俺の方が知識があった様だ」


 先程、カーパーが小刀を引き抜いた辺りから聞こえ始めた、小さな怪音。

 それはまるで、蜂や蠅の羽撃きの時に生じる振動音に酷似していた。


「蜂の羽音、と言ったね。まさしくその通り。これは生物の身体が、細かく振動する音だ……」


 ――煙……!

 カーパーの口端、耳、鼻の穴、目尻……顔中の穴と言う穴から、白くて薄い煙が立ち上り始めた!!


「は……!? お、お前、一体何を……!? 何をしているの!?」

「少々、体内で細胞を揺らしているだけさ。これぞ――医術、【肢波鈴救シバリング】」


 それは、恒温動物が元々備えている生体機能を、医術に昇華した技。

 寒冷地などに置いて、体温の急激な低下を感じた時、恒温動物は身震い――自身の筋肉を細かく振動させる。

 そうする事により細胞が発熱し、体温を引き上げる事ができるのだ。


「良い事を教えてやろう……鴆虎の呪毒は、【熱】に弱い。具体的には、一二〇度以上の高温環境では術式が綻び、増殖できず、消滅する!!」


 高らかに、力強く叫び、カーパーが立ち上がった。

 その胸に、痣は無い。消え失せた。


「なッ――」

「熱に弱い性質を持つ毒と言うのは決して珍しいものではない。細菌の多くも高熱には弱い。この術は、自衛用の医術としては基礎の基礎さ」


 元々備えていた生体機能を利用し、今できる最適な治療を自他問わずあらゆる患者に施すための技。


 それが医術。

 それを駆使するのが医者。

 そして彼は医薬師河童(Drカーパー)


「ただ、この術には少々欠点もある……細胞を細かく振動させると言うのは、意外に疲れるんだ。これを複数回使用する前提の長期治療は御免被る……なので、【奥の手】を使わせてもらうとしよう」

「ッ……何をする気かは知らないけど、お前が私達を殺しきれない事には変わらない!! じわじわじわじわと追い詰めてやるだけよ!!」

「聞く耳は持ってくれないだろうが、一応言っておくよ……河童と言う種族は元々、薬学に精通した一族だ」


 ――【河童の妙薬】と言う伝承がある。

 とある人間好きの河童が悪戯を働き、生真面目な武士がそれを笑い飛ばせずに刀を抜いた。そしてスパッと、悪戯河童の腕を斬り落としてしまったと言う。

 武士はすぐに冷静になり、「ああ、やり過ぎてしまった。許してくれ、許してくれ」と河童に謝った。

 しかし河童は「良いって事よ」と割と余裕有り気にあるモノを取り出した。

 それは黄緑色の軟膏薬。

 河童はその軟膏を傷口に塗りつけ、ちょん切れた腕の傷口同士を合わせた。

 すると、なんと言う事か、河童の腕は元通りにくっついてしまったのである。

 それを見た武士は「すごッ、え、すごッ……ちょ、それ骨折とかにも効いたりする? 実は愛馬が先日転倒してしまって……」と河童に相談。

 河童は親指をグッと立てて一言。「そんなもん、余裕へのカッパよ」。


 ――と言う感じの、何やら市販薬の通販宣伝めいた伝承だ。


「しかし、一つ問題がある。河童の持つ薬学技術は【優れ過ぎている】……これは最後の告知だ」


 カーパーが胸筋の谷間から取り出したのは、小さな巾着袋。袋には達筆で【薬】と一文字、刻まれている。


「大人しく治療されるか、この薬を処方されて荒療治を受けるか……選ぶと良い」


 カーパーは袋口を広げ、中から小さな二枚貝を一つ、取り出した。そして、即座にそれをバキバキと握り潰す。


「この薬は……正直、使いたくない」


 カーパーの掌、薄い不思議な手袋の上に、貝殻の破片が混ざった抹茶色の軟膏が広がる。

 これが、河童一族秘伝……【河童の妙薬】。 


「うっさい! キモい!」


 無駄話に付き合ってやる必要は無い。

 妹は予備の小刀を構えて飛びかかり、姉の方は矢を速射。 


「そうか。残念だよ……では、処方を開始する」


 妙薬の付いていない方の手を使って、カーパーは姉が放った全ての矢を払い落とす。

 そして、飛びかかってきた妹の方に――


「河童式薬術(やくじゅつ)――【摂凄異ドスコイ癒死ノ乱生掌(いやしにょらいしょう)】!!」


 顔面に、その一撃を叩き込む。

 先程の再現――否。

 妹の顔面に叩き込まれたのは、先程とは違い、拳ではなく張り手。掌の底を利用した一発。

 拳程の威力はなく、妹の顔面を吹き飛ばす事は無かったが……その顔に、べっとりと、そしてたっぷりと、妙薬を塗りつけた。


 そう、カーパーは今、張り手を叩き込んだのではない。

 妙薬を、妹の顔に激しく擦り込んだのだ。


「にゃぅあ!? うぺッ!? 何よこれヌメっとして気持ち悪い!! みぃやあああああああ目に入ったァァアーーーーッ!?」


 顔面に突然軟膏を塗り付けられた驚きから、妹は暗器の発動も受身も忘れて大地に転がりのたうち回る。


「何の嫌がらせよこ、れぇへ?」


 異変は、すぐに起きた。


 ――膨張したのだ。

 歪に、泥の沼があぶくを立てる様に、ぶくぶくと、妹の顔面が、膨らんだ。


「アァ――アアアァアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァアアアアッッッ!?!????!?」


 軽快な破裂音と共に、泡の如く、肉と血が弾け飛ぶ。鈍い音を連続させて骨格が歪み、それが顔を伝って首・胸・腹と徐々に全身へと伝播していく。


「な、は……? せ、先生……!? 一体、何を……!?」


 悲鳴をあげながら醜い肉塊へと変貌していく堕悪恵麗巫の片割れを眺めながら、丑若丸は戦慄し、声が震える。

 余りの出来事を目の前に、上手く空気を吸えない。


「【河童の妙薬】……希釈しなければ、爪の先ほどの分量で人間なら不老不死の回復力を得てしまう様な――【劇薬】だよ」


 傷の治癒、つまりは細胞の再生。細胞の再生の基本は、分裂と成長の繰り返しによって果たされる。

 河童の妙薬は、細胞の再生活動――つまり分裂と成長を激しく促進させる軟膏薬だ。細胞へと浸透し、その細胞に活発化を強制する。

 本来なら、胡瓜や西瓜をった半液体に溶かし数万分の一に希釈して、ほんの数滴を傷に垂らし塗り込む薬である。


 それ一切希釈せず、掌一面分、顔面に叩き込まれたら、どうなるか。


 解答はこちら。


 細胞再生活動の暴走。不必要な過剰再生による形質の崩壊。

 必要以上に分裂した細胞が、必要以上に成長し続け、在るべき形を維持できなくなる。


「いくら回復力に優れていても、こうなってはどうしようもない。何せ、損傷ではないからね。今まさに限度を越えて回復し続けているからこそ、こうなっているんだ」


 着物の修繕に例えるなら、祭で踊り狂う様な気分で一箇所を必要以上に縫いまくっていると言った状態だ。

 必要以上に縫い続ければ、その箇所にはカッチカチの糸の塊が発生して、不格好になる。

 しかし、それは破損ではない。過剰な修正によって生じた不要な補強でしかない。


「もう二度と、自力では元の形質に戻る事は無いだろう。……しかしまぁ……普通なら生体維持が不可能になって絶命(完治)するはずなんだけど、双子の恵麗巫が持つ性質と言うのは――悲劇だね」


 最早、馬屋の隅に積まれた糞山を彷彿とさせる様な有様になっても、彼女はまだ生きている。

 双子の恵麗巫は、片割れが生存可能な状態である限り、死なない――死ねない。


「長く苦しめるのは医者として有り得ない。早急に、完治させよう」

「ひッ……」


 妹の変わり果てた姿に魂が抜けたかの様に呆然としていた姉が、カーパーの視線に気付き、顔を歪ませる。

 あれは、恐怖している顔だ。


「妹さんは最早、まともには再生しない。本来、自力での生存もご覧の通り不可能な状態だ。あとは君を治療すれば、施術完了……完治だよ」

「ひ、ひぃ、ひぃぃぃいいいい!!」


 自分達は死なない。双姉妹の強み、不遜な態度の根源。

 それを剥がされれば、何て事は無い。何度も転びそうになりながら必死に逃げる背中は、ただのか弱い少女でしかない。


 ……いや、にしては、凄まじい走行速度だが。やはり化生者である。


「やれやれ……何時の時代も、子供は治療を嫌がるものか……」


 まぁ、治療を拒否して逃げ惑う子供を捕らえ、施術できる健脚も、医者の必須能力だ。


 と言う訳で。

 全力で逃げる姉の横に、緑色の巨体が一瞬で並走する。


「げぇッ!? 河童ァ!?」

「治療が必要な状態になるまで性格(病状)を放置したのは自分の責任だろうに、まったく……最期に、患者に必要なモノを教えてあげよう――自身の怠慢のツケを【死んでも精算する】と言う覚悟と誠意だ」

「いや……いやよ!! 私は、私は天真爛漫を運命付けられた堕悪恵麗巫のひ――」

「当然、聞く耳持たない。医術、【蛮威折武凄バイオレンス剥魔死癒スマッシュ】」



   ◆



「…………………………」


 河童ってすげぇ、なのか。

 医者ってすげぇ、なのか。


 丑若丸が感想に困っていると、カーパーが血塗れの不思議な手袋を外しながら戻ってきた。


「お待たせしてしまったね、うにゃちゃん。ようやく、君の治療を始められる」

「……ぁ……えぇと……その……今更な質問なのだが……大丈夫な奴、と考えても……?」

「? ……ああ、不安になるのも無理は無いか。でも大丈夫だよ。君の治療に南蛮式の医術は必要無い」


 それを聞いて、丑若丸はほっと胸を撫で下ろす。


「君の状態は、過労と栄養失調。見ればわかる。医術は基本的に患者の体内に在るものを活用して治癒を図る趣旨だから、現状の君には最適ではないんだ。君に対しては、医者ではなく薬師としての腕の見せどころだね」

「……薬師……」


 先程の河童の妙薬、凄まじい逸品だった。

 あれだけの薬物を持つ河童ならば、過労と栄養失調を解決する事も……


「では」

「……ちょっと、待て……」

「え? 何で?」


 ナンデ、はこっちの台詞だと丑若丸は思う。

 何故、この河童は突然新しい不思議手袋を装着し、先程の巾着からまたあの妙薬を取り出しているんだ?


「……そ、それ……」


 あ、もしかして同じ巾着に入れて同じ柄の貝に保管しているけど、別の薬なのだろうか。


「さっきも言ったが、妙薬は適量塗り込めば人間を不老不死にする事もできる。これから君を不死身にするよ」

「…………!?」

「ハッキリ言おう、君は手遅れだ。正直、この俺の目を以てしても、『何でこんな状態で生きていられるんだ、この患者……』と言う驚愕を隠せない。疲労は既に全身至る所の細胞壊死を招くほどに蓄積され、栄養素各値すべてが生命維持の最低基準値を大幅に下回っている。本当に聞いていいかな、何で君、その状態で生きていられるの?」

「…………ぶ、武士だから……?」


 確かに、三日三晩化生者の群勢と戦い続けて、無事でいられる訳もない。


「あー……武士だからかー……本当に武士と言う人種は……常軌を逸している。もうちょっと世の理や常識と言うのを弁えた方が良いと思うね」


 とにかく、そう言う訳なので。


「君はまともな医術や薬術では治せない。むしろ下手に手を加えれば、均衡が崩れて死んでしまう可能性すらある。だからもう、不死身になってもらうしかない」

「そ、そんな簡単に……」

「それに、君には都合の良い話でもあるはずだよ」

「……?」

「聞こう。君はこれからどうするつもりなんだい? 化生者の跋扈する世となってしまったこの国で」

「どう、するって……」


 ――そうだ。

 ここで生き延びて、どうする?

 化生者共に戦いを挑み町を奪還する? それは戦いではなく手の込んだ自殺と言うのだ。

 しかし、どこへ逃げてもきっと化生者からは逃げ切れない。

 化生者は国中にいる。今までは人間と住み分けていたそれらが、突如一斉に人里に侵攻を始めた事が、此度の人の世終焉のきっかけだ。


「武士が非常識な存在だと言っても、結局、化生者から見ればちょっと強いだけの人間だ。君がもし奇跡的に常人のまま回復できても、先は長くないだろう」


 化生者と戦って殺されるか。

 化生者から逃げ回って衰弱死するか。


 結局、そのどちらかに帰結するのが関の山だろう。


「なら、いっそ【不死身の武士】として……俺の【助手】を務める気はないか?」

「……じょ、しゅ……?」

「御手伝いさ。――俺はね、人の世を、取り戻そうと思っている。その補助を、する気はないかい?」

「……!? な、なんで、河童の貴方が、そんな……」

「今のこの状況が不自然――国全体が【病んでいる】。そうとしか見えないからだ」


 国が――病む?


「何故、今の今まで人と化生者が同じ国できっちり住み分けられていたか、知っているかい? 【双方、それで事足りていたから】だ」


 人は人里の中で。化生者はそれぞれの縄張の中で。

 それぞれ、事足りて生活できていたから、つい数ヶ月前まで、人と化生者は度々多少の衝突はありつつも、住み分ける事できっちり共存できていた。


「それがどう言う事だ。ようやく海水に対応して先日南蛮から泳いで帰ってきてみれば……この有様。色々と調べたよ。理解できない症状を観測したら徹底的に検査して調べるのが医者だからね」

「……じゃあ、もしかして……原因が……?」

「ああ、既に把握しているさ。――【妖界法師ようかいほうし】、そう名乗る【謎の河童】が、各地の化生者達を先導したらしい。今は奔州ほんしゅう恵土えどに陣取っているそうだ」

「……! じゃあ……」

「此度の事変は、化生者達の【群】ではなく【軍】による【侵略戦争】と言う事だね」


 妖界法師。それが、この国に置ける人の世を滅ぼした、元凶。


「――何処に大義があった? 住み分けができていた、現状で満ち足りていたはずだのに、どうしてその均衡を崩す必要があった? 闘争事にも是非はある。是にあたるのは、奴隷解放や伝統の守護などのための戦いだね。何か尊い存在を守るために、多くの者が生命を賭ける事に合意して戦う。決闘の延長線上にある闘争だ。それならば、俺だってただただ見守ろう。この戦いは代謝の様な事だと、老廃物や膿を出し健全な状態を保つために必要な事だと考えよう。――だが、妖界法師が起こしたこの戦いは、どう考えても大義に非ず。ただ悪戯に多くの生命を失わせただけだ」


 黒眼鏡の奥で、翡翠の瞳が鋭く光る。

 瞳の奥で、何かが燃えている。くべられているのは、おそらく憤怒。


「妖界法師――奴はこの事態(症状)の根源、病巣だ」


 ――目の前の患者に最適な治療を施したくて辛抱できない――


 それが医者の性だと、カーパーは断言した。

 彼が今見ている患者は、歪んでしまったこの国。

 捉えた病因は、妖界法師。


 狂ってしまった人と化生者の勢力図を、元に戻す。

 そのための治療を、彼は行う。


「独りでは骨が折れるかも知れない。助手は多く欲しい。君も、人の世を取り戻したいとは思わないかい?」

「………………当然……!」


 丑若丸に、その提案を断る理由は無かった。


「まぁ、さっきも言ったけど、君が何と言おうと治療しちゃうんだけどね。いやはや。でも同意を得られるに越した事は無い」


 気を取り直して、カーパーは手袋に覆われた指先で、ほんのちょっぴり、妙薬を掬い取る。


「あ、そうだ。ひとつだけ注意点」

「?」

「君はこれから不死身になるけど、戦闘能力が著しく上昇する訳ではない。もし下手な化生者に捕まって『おお、こいついくら食っても次から次に再生するやんけ、巣に持ち帰って家族みんなで毎日啄んだろ』なんて事になって目も当てられない。気を付けるか精進しようね」

「な、何でそう言う不穏な事を言う……!? ちょ、ちょっと待った。やっぱりもう少し考えさせ――」

「処方開始」

「ぁッ」




 薬術と医術を駆使する医薬師河童いやしがっぱ平羅野たいらの花流波かるぱことDrカーパー。

 そしてその助手であり不死身の武士、水源みなもと丑若丸うにゃまる

 二人が目指すは諸病の根源、【妖界法師】のお膝元、奔州・恵土。


 丑若丸が無事に助手仕事を完遂できるかは――はてさて、神が知るか河童が知るか。


 ともあれこれは、とある医者が世を治す物語。


 いずれ人の世にて、救国の河童伝説として語り継がれる事になるお話であります。


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