Three days from now.
Lesson20「3日間」
朝、玄関の扉が叩かれた。
三回。等間隔で。丁寧だが、有無を言わさない叩き方だった。
クミとエミリーが同時に固まった。
二人の顔を見て、俺にもわかった。これは、ただの来客じゃない。
「……あたしが出る」
クミが立ち上がった。ツインテールがピーンと直立している。緊張のツインテール。
扉が開く。
立っていたのは、長身のエルフだった。
老齢——だが背筋はまっすぐだ。白髪混じりの金髪を後ろに撫でつけ、質のいいローブを纏っている。杖は持っていない。持たなくても威圧感が十分だからだろう。目が鋭い。老人の穏やかさの奥に、切れ味のある知性がある。
「おはよう、クミスティーナ」
「……おはようございます、ブラウネル長老」
クミの声がよそ行きだ。こいつがよそ行きの声を出すのは初めて聞いた。
「少し話がある。入ってもいいかね」
断れる雰囲気ではなかった。ブラウネルは部屋に入ると、テーブルの上を一瞥した。日記と翻訳用紙はエミリーが咄嗟に布の下に隠していた。さすがの判断力だ。
ブラウネルが椅子に座った。俺の正面だ。
「人間か」
「矢島タカシです。英語の先生をしてます」
「知っている。……図書館で見かけたことがある」
目が、笑っていない。
「本題に入ろう」
ブラウネルは前置きを省いた。
「図書館の地下が荒らされた。外国人記録保管庫の錠前が壊され、棚の木箱がひとつなくなっている。——心当たりは?」
クミのツインテールが、ぴくりと震えた。
バレバレだ。こいつのツインテールは嘘がつけない。
「……」
「クミスティーナ。おまえたちの祖母から、語り部の役目を受け継いだことは知っている。地下のことも、祖母が死の間際に何か言い残したことも。私は老人だが、耳は衰えておらん」
全部知っていたのか。
「あの夜、図書館の上の階にいたのは私だ。地下で物音がするのでね、様子を見に行った。……光の玉が階段を駆け上がっていくのが見えたよ」
光の玉。クミの魔法だ。あの夜、物音に慌てて逃げた時の——
「脱出魔法で消えるのは見事だったが、光の玉は消し忘れていたね」
クミが真っ赤になった。あいつの魔法は感情と連動する。慌てていたから消し忘れたんだろう。
「木箱を持ち出したのは、おまえたちだね?」
沈黙。
エミリーが俺を見た。クミが拳を握った。
「……はい」
クミが答えた。短く、はっきりと。
「あたしたちが持ち出しました」
ブラウネルは頷いた。驚いた様子はなかった。
「中身は読んだのかね」
「読みました。タカシが翻訳してくれた」
「……そうか」
ブラウネルは目を閉じた。数秒の沈黙。それから目を開けて、俺を見た。
「タカシと言ったな。おまえは、あの箱の中身が何か、わかっているのか」
「はい。エレノア・レーンという女性の日記です。大日本人たちに通訳として連れてこられた、地球のイギリス人の」
「……そこまで読んだか」
ブラウネルの声に、かすかな疲労が混じった。
「あの地下は"触れてはならない場所"だ。大日本人様の時代からそう決まっている。理由は知っているかね」
「この国の平和を守るため、ですか」
「そうだ」
ブラウネルが立ち上がった。窓際に歩み寄り、外を見た。庭にイランイランの花が咲いている。
「私は中身を読んでいない。読めないからだ。だが、封印された理由は先代から聞いている。——あの箱の中には、この国の成り立ちを揺るがすものが入っている、と」
「揺るがす、というか——」
「真実だ」
ブラウネルが振り返った。
「真実が平和を壊すことがある。おまえはまだ若いからわからないかもしれんが」
「……」
「この国は二百年以上、平和にやってきた。エルフもドワーフもホビットも、同じ言葉で話し、同じ歴史を学び、同じ茶を飲んでいる。それを壊す権利が、おまえたちにあるのかね」
重い言葉だった。悪意はない。本気でこの国の平和を守ろうとしている老人の言葉だ。
「タカシ」
クミが俺を見た。「答えて」と目が言っている。
「……ブラウネル長老。ひとつだけ聞かせてください」
「なんだ」
「あなたは"封印された理由"を知っている。でも"中身"は読んでいない。——中身を知らずに封印し続けることは、正しいんですか」
ブラウネルの目が、一瞬だけ揺れた。
「……三日だ」
「え?」
「三日以内に木箱を返しなさい。中身もすべて。図書館の地下に戻す。——それ以上の猶予は出せない」
ブラウネルは玄関に向かった。振り返らなかった。
「クミスティーナ、エメラルド。おまえたちの祖母は立派な語り部だった。だからこそ——軽率な行動は、祖母の名を汚すことになる。よく考えなさい」
扉が閉まった。
足音が遠ざかっていく。
三人、しばらく動けなかった。
「……行っちゃった」
クミがぽつりと言った。
「三日……ですわね」
エミリーの声は落ち着いているが、指が震えていた。
「語り部としての立場も危うくなりますわね。ブラウネル長老に逆らうということは、この街で……」
「知っちゃったもんは知っちゃったんだよ」
クミが言い切った。
「嘘をつき続けるのはヤダ。おばあちゃんが"読め"って言ったんだよ。読んだ。知った。——で、知らないフリして箱返して、はいおしまい? そんなの、語り部じゃない」
クミのツインテールが、強く揺れていた。怒りでも緊張でもない。覚悟の揺れ方だ。
「……三日か」
俺は天井を見上げた。
「三日あれば——やれることはある」
「タカシさん?」
「"You should not have come here."——来るべきではなかった。ブラウネルの目は、そう言ってた」
俺はそこで言葉を区切った。
「でもな。"should not"と言われて引き下がるのは、エレノアだってやらなかった」
"I could not stop them. But I could write it down."
"She should not have written it. But she did."
「shouldとshouldn'tは"正しさ"の話だ。でも——何が正しいかは、立場によって変わる」
クミが黒板を見つめていた。
「……あたしたちは、何を"should"するの?」
「それを、三日で考える」
窓の外で、風がイランイランの花を揺らしていた。
甘い香りが、かすかに漂ってきた。




