夢じゃない時の対処法3
「おやあ? 見かけねえ顔だな」
いしし、と意地悪く笑う老人の一人に声をかけられた。
「ええ、ちょっと東京から観光に来たんです」
「そうかそうか」
夢だけれどもなんか、素性がバレるのが嫌で旅行者を装って応える。
「それでは、先を急ぐんで」
そそくさと逃げるように早歩き……からの走って行く。
早くも後悔が現れる。町のじっちゃんに会うくらいなら、スモモの樹の下から移動するんじゃなかったと。
もっとスピードを上げて走りたかったが、いかんせん、体力が持たない。
すぐに息切れして走れなくなった。
「……ぜッ…………はッ」
前屈みになって横っ腹をつねる。というより、揉む。
「う~久しぶりに走った……」
しゃがみ込むと呼吸が少しだけ楽になった。
自分の運動不足までひしひしと感じさせる夢が、本当に夢なのか疑わしく感じられてくる。
「……夢?」
また歩き出そうとしていた足を止める。
「え、と……? もしかして夢じゃない……?」
頬をつねる。うん、痛い。
「……あは」
ははははは、と乾いた笑いをする斎希。
「……うああああ!?」
パニックを起こして思わず叫び出す。
「夢じゃない、夢じゃないの!? 全然気付かなかったんですけど!? ゆ、ゆゆ夢じゃなかったらナニコレ、何なのコレ!?」
思っていることをだだ漏れで、世間体なんて知ったこっちゃねぇと言わんばかりに喚く。
今更気付いたことのショックは遥か彼方に埋もれているが、自分置かれた状況の理解による驚きは手の届く距離でぶら下がっている。
そのことに唖然とした。
というか、夢じゃないことに唖然したことのほうが先か。
「全く思ってもいない可能性程、怖い物は無い気がするわ……」
斎希の人生論が、今ここに出来上がる。
「てか、コレが夢じゃないのだったらタイムスリップなのかしら……? 小さい自分がいるし」
立ち止まったままぶつぶつと呟いているのを見た通りすがりのおばちゃんが「最近の若いのは、マナーというものを知らないね」と言って横を通るが、斎希は知らん顔。
「タイムスリップかあ……ん、有り得ない」
知らん顔で自分の思考を高速回転。
「有り得ないから、コレはやっぱり夢だな」
人生という名の解答用紙に勝手に作った解答を記入して自己完結する。
「ん、気にしない気にしない。気にしたら世界が滅んじゃうからね!」
そんなんで世界が終わるならとっくに世界は何億回も滅んでいるのだろうがそんなことも気にしない。
「さてさて、新たに真理を得たけれど、目的は違う違う」
重要な脱線を思いっきりスルーする。
どうせ考えてもキャパシティをオーバーするので、選択肢としては正しいが。
「急がなきゃ急がなきゃ」
タタタっと軽快なリズムを刻んで走り出す。
いち、に。
いち、に。
途中で何度も休憩を入れながら目的地まで足を急がせる。
目的地。
それは。
「あー、疲れた……思ったよりもスモモの木の広場から距離があるのね」
目の前には、太陽の光を反射してキラキラと輝きながら、俗世など知ったこっちゃ無いと自由気ままにユラユラと波をたてる池があった。
池の底が見えるほど浅く透き通っているこの池は、祭の日になる時ぐらいしか人はこない。
「おにぎり食べてたら手がベトベトになっちゃったしね……でもハンカチあったかしら?」
ポケットをあさるとハンドタオルが出てきた。
なんとこの夢、大学に行こうとした時のままの服だからラッキーである。
「ん、とりあえず手を……」
鼻唄混じりに前屈みになって手を池に「きゃあ」。
……池の淵に立っていたせいなのか、自分の体勢が悪かったのか、見事に池におちた。
びしょびしょになって立ち尽くす。
「…………どうしろと」
自問自答。
いや、公園行けばいい話なのに近場の公園はさすがに人が多いだろうなと思ってこちらに来たわけで、でもさすがに手を洗うだけのつもりで全身まで浸かるつもりは全くなかったのよ? と言い訳してみる。
その言い訳を聞く人は誰もいないけれども。
ちゃぷん、と音を立てて頭まで沈んでみる。
池の冷たさが、走って火照った身体に染み渡る。
目を開ければ落ちたときに枝に引っ掛かってゴムがちぎれたのか、ほどけた髪がもさーっとたゆたっている。
そのままブクブクと空気を吐き出しながら水中でたゆたう。
すると頭上に影が差した。
太陽が雲に隠れたのかと錯覚する。
考えてる内に酸素が足りなくなる。
慌てて顔を水中から出した。
「ぷは」
「わわわー!?」
「ん?」
なんか異常に驚く声が聞こえた。
陸を見るとオウキがへたり込んでポカンとしている。
「あら、オウキ君。さっきぶり」
よっ、と手を挙げる。
「な、なんだ、ようせいさんか~」
斎希であることがわかると、ほっとしたようにこちらへ寄ってきた。
「ようせいさん、なにやってるの?」
「修行です」
「え?」
「嘘よ。それより、タオルかなんか持ってない?」
斎希は手を合わせて頼む。さすがに手持ちのハンカチでは間に合わない。
「え? そんなのもってるわけないじゃん」
「ですよねー……」
がっくりと肩を落とす斎希に救いの手が差し伸べられる。
「ようせいさん、ぼくのいえにくる? そしたらタオルあるよー」
「ダメよ。お母さんとお父さんに迷惑がかかるでしょ?」
「いいんだよ。ぼくのおとうさんとおかあさん、おきゃくさん、だいすきだから」
「そういえば、そうね……」
ふと、自分がこれぐらいの頃、オウキの家に居候がいたことを思い出す。
まさか、自分が居候になるとは。
それだけはできるだけ避けたい。
なぜなら、恥ずかしいからだ。
他人の家に堂々と居座る。なんて、図々しい。
そんなことをグルグルと考えてるとくちゅんとくしゃみがでた。
「わあ、ようせいさん、かぜひいちゃう! はやく、ぼくのいえにいこ!」
「で、でも」
斎希がしどろもどろなっていると、誰かが通りかかった。
「あら、オウキ? なにやってるの? こんな所で」
栗色のサラサラな髪の、ちょっとふっくらとした綺麗な女性がオウキの名を呼んだ。
オウキの母親の吉良だ。
「あ、おかあさん! あのね、あのね、ようせいさんをいえにつれてってもいい?」
タタタっと吉良に駆け寄り飛びついて、甘えた声でお願いするオウキ。
「ようせいさん?」
「うん、あそこ!」
オウキが斎希を指差す。
吉良が視線をそちらに向けると、池に浸かってるずぶ濡れの少女が一人。
吉良は目を丸くして、慌ててこちらへ近づいてきた。
荷物をその場に放り出して腕をまくる。
「まあ、大丈夫? あらあら、まあまあ。こんなに濡れちゃって。見かけない子ね、観光に来たのかしら。着替えはある?」
「えと、持ってないです……」
「まあ、それは大変。このままじゃ風邪を引くわ。家へいらっしゃい」
「でも、迷惑がかかるので」
「迷惑がどう、っていう話じゃないの。早く池から上がりなさい」
岸から、ロングスカートの裾を左手で持ちながら、右手を差し伸べる吉良を見て斎希は、そっと手を伸ばす。
伸ばした手をしっかりと握って斎希を岸に上がらせた吉良は、にっこりと微笑んだ。
「ふふ、捕まえた。さあ、家に行くわよ~。オウキ、お母さんの鞄持ってくれる?」
左手にスーパーの袋、右手に斎希を持っていると、ハンドバックが持てない。
「はーい!」
オウキの元気な声が響いた。