夢は思ったよりも現実味を帯びている1
「ただいま」
顔にかかる艶やかな黒髪を払いながら言った斎希の呟きは、暗い玄関に広がっただけだった。
やっぱり、誰もいないよねぇ、と内心でため息をついた。。
今年の三月、斎希達は高校を卒業した。
そして四人は十年前から緻密に立てていた『計画』通り、東京でルームシェアをする事に。
それぞれが夢が叶うと言って手を叩いて喜んだ。そんな夢と希望に満ち溢れた生活の幕開けを、誰もが期待していた。
けれど結果は、そんな生活を夢見ていた四人の予想とは裏腹に、すれ違い、それぞれが独自の生活を持つだけの、寂しい生活が始まった。
斎希は頭を降った。さすがの彼女もバイトと大学の両立が大変でストレスが溜まる一方だった。その上なかなか四人揃って顔を会わせることが叶わないので、ルームシェアをする意義が分からなくなってきている。
他のメンバーといえば、連夜と桜樹は男2人で小さなカフェを開いて生活を支えてくれようとしてくれているけれど、まだまだ経営ができる状態には達してはいないため、バイトで資金を集めつつ、生活費を捻出している状態。
もう一人の女子メンバーである茶奈は大学のサークルに夢中で、サークルの仲間の家に泊まる回数が多かった。
「……はあ。お風呂に入って寝ようかなぁ」
一人でうなずいて、荷物を部屋に置きに行く。二階にある自室に荷物を適当に置いて、着替えを用意。タオルは脱衣所に置いてあるので、着替えだけもって再び階下へ。
脱衣所について風呂を溜めるかどうかを悩んだ末、面倒だったのでシャワーだけで済ますことに決める。黙々とシャワーを浴びて、髪や体を綺麗に洗う。
ドライヤーをかけるのすら面倒で、湿った髪をそのままに、バスタオルを首にかけて部屋に戻ると、全身が脱力感に襲われた。
「つっかれた~!」
ぽふっ、と大きなビーズクッションに飛び乗る。
ごろごろと背を丸めて適当にスマホを操作し始める。
SNSをのぞいていると、友人の大学生活を満喫している投稿が目に留まってしまい、目をそらした。
「こんな疲れる生活になるなんて、誰も思って無かったよねぇ……」
「そうだね」
いきなり背後から声がして、斎希は振り向いた。
「うわ、桜樹っ! いつの間に!?」
「ん? たった今だよ。今日のバイト休みなんだ。そんなことより、斎希、疲れているみたいだね」
じゃーん、とふにゃりとした中性的な面立ちの青年が缶ジュースを差し出した。
「はい、温かいココア。近くの自販機で買ってきたからまだ温かいよ。これ飲んで早く寝てね。あと……」
桜樹の顔が斎希に迫る。
思わず目を瞑った斎希は自分の額に温かい感触と、軽いリップ音を聞いた。
「おまじないだよ」
「ん、いい夢が見られそう」
「そう願ってるよ。おやすみ」
「ん」
桜樹は微笑んで、部屋を出て行った。
扉が閉まるのを確認して、斎希は自分の手を額に当てる。少しだけ、頬が火照っている。
桜樹とは別に恋人関係ではないのに、こんなことをよくやってもらってる。言うなればアメリカン親子関係だと自他に説いているものの、なかなか信じてはもらえない。小さい頃はこの事で、同級生にからかわれたものだった。
今さらだから別にいいんだけど、と斎希はそっと頬を染めた。
◇◇◇
「ん……朝……?」
朝日が目に染みた。どうやら、カーテンを閉め忘れたらしい。
斎希は身体を起こしたが、すぐにふらりとベッドに逆戻りした。
身体が、異様に重い。
「う……頭いたい……」
風邪でも引いたのだろうか。
動くことが億劫だが、大学には行かなければならない。両親が無いお金を振り絞って学費と仕送りを出資しているのだ。せめて出席点だけはと思う。だけど、途中で倒れたりしたら迷惑になるし……
斎希は痛む頭で悩んだ。
時間はチクタクと進んでいく。
そして、さすがにそろそろ起きないといけない時間になって結局、
「……倒れなきゃいいのよ」
と、いう結論を弾き出した。
大丈夫、今日はテストも、指名されるような少人数授業もないから、出席確認と配布プリントだけもらえばどうとでもなると自分に言い聞かせる。
服をパジャマから七分袖の淡いピンクのセーター、黒のフレアスカートに着替えて、昨日適当に放置していた鞄の中身を、今日の授業に必要な物に入れ換える。
やはり頭が痛くて、フラフラと足元が頼りない。
それだけの動作でも、ものすごく疲れてしまった。
「うー……」
唸りながら、支度を整える。
支度を整えながら、ふと、眠っているときに夢を見ていたことを思い出す。
夢を見るといつもこうだ。起きて少し経つと夢を見たことを思い出す。
でも、夢の内容が思い出せなくてもやもやするのだ。
「どんな夢だったけ…」
いつものことだが、そんな都合よくは思い出せない。
でも頭痛のせいで頭が働かないことも、夢の内容が思い出せない一因に違いなかった。
まあいいか、と思考を放棄する。
斎希は自室のドアを押し開いて、朝ご飯を食べるためダイニングに向かった。階下なので、階段を降りるときには細心の注意を払う。普段なら簡単に降りるのに、今日は頭痛のせいで余計に疲れた。
ダイニングに行くと、桜樹と四六時中むすっとしている雰囲気の連夜がテーブルで朝食を食べていた。
「あ、斎希。おはよう」
「……おはよー」
斎希は一瞬、戸惑った。
どうして二人がいるのか。この時間ならもう仕事に出ているはずなのに。
「その顔はなんで僕らがいるか分からない、って顔だね」
「……昨日今日と、休み。店の水道管が破裂して修理待ち」
「そっか」
「「?」」
桜樹と連夜は斎希に対して、違和感を感じた。
なんだか、いつもより反応が薄い感じがしたのだ。
「斎希、調子でも悪い?」
「ん、なんで?」
「……顔にそう書いてある」
「大丈夫だよ。問題な、い……」
くらり。
「斎希!」
「……っ!」
突然、前に体が傾いだ斎希を、慌てて二人が支える。
心配そうに桜樹が額に手を当てた。
そして大きく目を見開く。
「熱あるじゃん! なのに、大学に行く気だったの!?」
「だって、今日の講義とらないと」
「今日は休みだな」
「待って、連夜! 私、大丈夫だから! 行けるからっ!」
「倒れて、俺と桜樹に支えられているのに?」
「でも」
「連夜の言うとおりだよ、斎希。茶奈を呼んでおくかな……」
「そこまでしなくてもいいよ! 茶奈に悪いよ」
はあ、桜樹と連夜がため息をついた。
理由は明白。斎希があまりにも意地っ張りだからだ。
頑固に大学に行くと言う斎希を無視して、二人で視線を交わす。
「桜樹、コイツを部屋に連れてけ。俺、茶奈に連絡する」
「オーケー」
「え、ちょっ」
斎希の抗議の声に取り合わないで、桜樹は彼女を軽々と横抱きにして立ち上がる。視界の端では、連夜が携帯をいじっていた。
横抱きにされて思わず赤面する斎希を抱えたまま、桜樹は危なげなくダイニングを出て階段を登り、斎希の自室に到着する。
器用に扉を開いて斎希の部屋に入ると、ぽふっと桜樹は彼女をベッドに降ろし、布団を被せた。
「大丈夫だって言っているのに」
「全く。僕だけじゃなくて、あの連夜まで驚いてたじゃない」
「二人とも心配性なんだよ」
「今頃気づいた? それが嫌だったら、早く元気になること」
「んー」
布団を頭から被った斎希は唇を尖らせ、不満顔だ。
それでも桜樹は、訥々と言い諭す。
「とにかく、今日一日は休んでいる事。いい?」
「ん」
「なんかあったら呼んで」
「ん」
短くも返事をした斎希に、よし、とうなずいて桜樹は部屋を出て行った。
斎希は桜樹が出て行った後、ふう、と息を深く吐いた。
治まっていた頭痛が再び頭痛が酷くなってきたので、おとなしく眠ることにする。