望んだ結果6
「ちょっと、斎希ちゃん! どうしたの、その顔色!」
午後6時頃。
オウキの家に帰ってきた斎希は、その顔色の悪さを吉良に指摘されたけれど「何でもないです」としか言わなかった。
靴をそろえて家に上がる。
さっきの事から立ち直った訳ではないけれど、やりたいことができたから、吉良たちに伝えなければならない。
「すみません、迷惑をおかけして。それでその、今日は宿を見つけたので荷物を取りに来たんです」
「宿? この辺りには宿屋は無いって……」
「親戚がいたんです。それで、こちらにいつまでも迷惑をかけていられないと思って」
「……本当に?」
「はい、本当です」
斎希はふわりと微笑んだ。
綿菓子のようにとびきりふわふわで甘そうな笑み。
故に、幻のようで、偽物のようで、胡散臭い笑み。
吉良はその笑みに隠された事実を読みとろうとしたが、結局はやめた。
今の斎希は嘘をも隠せる完璧な笑みだったからだ。
「……まあ、あんまり強く引き止めることはできないわね」
ふう、と名残惜しそうに溜息をつく吉良。
斎希はそんな彼女を見て、申し訳なく感じた。
「オウキー、斎希お姉ちゃん帰っちゃうってー」
吉良が奥の部屋に声をかけると、パタパタとオウキが駆けてきた。
「えー、ようせいさん、かえっちゃうのー?」
ぽふっ、と斎希の足にオウキが抱きついてきた。
そして、ちょっと小首を傾げて尋ねてくる仕草はお人形のようにとてつもなく可愛い。
一瞬、キュンと胸をときめかせてからはっとして、
「き、吉良さん! 私、黙って行こうと思ったのに!」
挙動不審になる斎希をオウキが澄んだ瞳で見つめる。
「ようせいさん、ほんとにいっちゃうの?」
「え、ええ」
「あそべなくなっちゃう?」
寂しいよう、と言外に伝えようとしてくる子供の罪深さを呪いたい。
思わず、本当の事を言ったら自分は外道だ! という思考が働いてしまった。
「分かんないわ。もしかしたら、また遊べるかもしれないね」
「そっか、ならいいや」
ぱあっ、と顔を輝かせ、とてててて、と可愛らしい足音をたてて部屋に戻っていくオウキ。
本当のことは伝えていないが、案外素直に納得してくれたので、斎希はちょっと拍子抜けした。
「オウキくん、物わかりのいい子ですね」
「そう見える?」
吉良はくすくすと笑った。
斎希は意味が分からず首を傾げる。
どこからどう見てもオウキは物分かりの良い、いい子だ。
「あの子、とっても寂しがり屋なのよ。イツキちゃんって子は知ってるわよね?」
「……はい」
過去の自分とは言えない。
十分過ぎるほど知ってるけど、オウキと何の関係が?
吉良は横髪をさらりと払う。
その大人っぽい仕草の端に、桜樹の面影が見えてどきん、とした。
「イツキちゃんは、オウキと一番仲がいい子なんだけどね。オウキは彼女と一度大喧嘩をしてるの」
「……ああ、あれ」
斎希がこの時代に来て初めて出くわした場面だ。
寂しがりなイツキを見つけに来てくれて、仲直りの印に何度でも探すことを約束してくれたオウキ。
目を閉じれば鮮やかに思い浮かぶ光景。
斎希の呟きは吉良には聞こえなかったようで、吉良は話を進める。
「オウキね、イツキちゃんを探しに行くまでね、凄く泣いていたの」
斎希は目を見張る。
初耳だ。
「私たちの話を聞いてくれなくってねえ。レンヤ君がオウキを殴って落ち着かせるまで、手をつけられなかったのよ」
困った顔で感傷に浸る吉良。
対照的に、斎希は目を点にする。
今、物騒な言葉があった気が。
「え、殴っ……え?」
「子供が大人よりも堂々としているから、ちょっと惚れちゃったわ~」
「え、あ、う?」
どこから突っ込めばいいのか分からず狼狽える。
そんな斎希に吉良はつん、と斎希のおでこをつついた。
「ん」
「オウキがね、泣いてた理由は寂しかったからなのよ。レンヤ君が『さみしいなら、じぶんからいけ』って言ったのよ。その時、私も初めてあの子が寂しがり屋さんなんだって知ったの」
吉良は斎希の頬をなぞるように撫でる。
吉良の手のひらはとても温かかった。
まるでオウキがよしよし、としてくれているように思えた。
「また会いに来てくれる? 寂しがり屋さんなあの子のために」
斎希は真っ直ぐに吉良を見る。
曇りのないその瞳で力強く吉良を見つめた。
───本当は会わないで帰れたら、って思ったんだけど。
浅はかな考えだったようだ。
繋いだ縁はもう切れない。
斎希ははっきりと言葉を紡ぐ。
「───いつかまた、遊びに来ます」
その眼差しを受け、吉良は安心したような表情で斎希の頬から手を離す。
「お洋服は紙袋に入れて、あなたの寝ていたお部屋に置いてあるわ。紙袋はそのままあげるし、そのお洋服も上げるわ」
「え、でも」
「どうせ私には小さくて着れないわ」
斎希はきょとんとする。
吉良の体格は斎希とあまり変わらない気がするのになぜ?
「そのワンピースね、胸が苦しいのよ。だから着なくなっちゃってね。うちもオウキ一人っ子で姉妹もいないし……」
ちゅどーん。
斎希の中で何かが爆発した。
む、胸……。
すかっと、絶壁に等しい自分の胸を見る。
そして吉良のそれと比べる。
確かに差がある。
ボリュームが、違う。
「うう……」
「どうしたの?」
「大きいお胸は敵ですぅー!」
びしぃっ! と、吉良に人差し指を突きつける。
吉良は一瞬、考える素振りを見せてから、斎希の顔を自分の胸を交互に見て……
ぽよんっ。
揺らした。
───なんとッ!?
斎希に衝撃が走る。
「……負けませんからあ!」
恨めしそうな目でそう叫んで、パタパタと廊下を走って行った。
その背中には哀愁が漂っていて、思わず吉良は笑ってしまう。
それからふと、台所で料理をしていたのを思い出し、続きをしなくてはと廊下を歩いた。
「ふふ。顔色が悪かったけど、戻ったから大丈夫かしらね」
途中、子供部屋の扉からオウキが顔をひょっこりと出していたので、彼を抱き上げた。
オウキはぎゅっと吉良に抱きついて、顔を埋める。
「寂しくなるね~」
「ようせいさんともっとあそびたかったよう」
「また遊びに来るって言っていたから、また遊べるわ」
ぱっと、顔を離すオウキ。
「だよね! ウソじゃないよね!」
目がすごくキラキラとガラス玉のように輝く。
「心配だったら、今度は指切りしておいで」
「うん!」
こういうところで吉良は母親なのだ。
人の心を簡単に動かしてしまう。
つまりは最強なのだった。




