望んだ結果3
ガクンと電車が止まった衝撃で連夜は起きた。
眠たさに目を擦りながら周りを見ると茶奈が丁度、斎希のノートを鞄に詰め込み直していた。
茶奈がこちらの視線に気付いて顔を上げる。
「おはよー、よく眠ってたねー」
「……ああ」
「着いたから早く降りよう?」
連夜は億劫そうに首を縦に振ると、ふと桜樹が居ないことに気付き彼の所在を訊ねた。
「桜樹? 桜樹なら先に降りたよ? 止まった衝撃で缶コーヒーぶちかまして手を洗いに慌てて御手洗に」
「……それは」
不幸な。
言い掛けたが結局言わずに黙って荷物を持って立ち上がる。
どうせ言ってもどうにもならないからだ。
連夜の荷物は一つのリュックサック。斎希のノートと貴重品しか入っていない。
実家に帰るとなれば服などの日用品諸々はいくつか置いてあるからだ。
のろのろと歩き出して電車を降りる。その後を茶奈がてくてくとついて行く。
「うわー、久しぶりだなー。この駅。駅員さんまだいるかな?」
茶奈が鼻歌混じりに連夜と並んで歩く。
この駅の駅員さんは既に定年を迎えているが、無人駅になるということを聴いてわざわざ退職してからも、会社に頼み込み、案内係りみたいな感じでここに居座っている。
理由はそう。
「あたしたちが首都から帰って来たとき、誰も迎えてやらないと可哀想って言ってたしねー。くたばってないといいねー」
言い方が雑だがそれ程親しみのある相手だということ。
実をいうと連夜も会うのがたのしみだったりする。
昔はこの駅に遊びに来ると四人でお菓子を貰っていた記憶がある。
改札の無い駅なので、お金は電車から降りるときに車掌に払っておいた。
今更こんな寂れた駅に何の用だとでもいいたげな雰囲気を醸し出している車掌だったので、茶奈は切符を払うとき思いっきり睨んでやった。
「駅員さーん? いるー?」
駅員用の休憩室に向かって茶奈が声をかける。
と、同時に桜樹が御手洗から戻って来て、エナメルバックをとさっと近くにあるホーム内ベンチに置いた。
「あれ、何してんの?」
「挨拶」
桜樹が心得たように「ああ」と頷いた。
「僕も会いたいかも。連夜もおいでー」
桜樹がエナメルバックを担ぎ直して連夜を誘う。
茶奈がこちらを一瞥してから、休憩室のドアノブに手をかける。
「入るよー」
ノックぐらいしろよ。
連夜は思っても何も言わない。
茶奈がカチャリとドアノブを回すとあっさり開いた。
「あれ?」
茶奈が中を覗いて、間の抜けた声を上げる。
「どうしたの?」
「駅員さんいない。電気はついてるけど」
「鍵も開いてるから散歩にも行ったんじゃない?」
「不用心な」
各々がそれぞれ思うことを言った結果、
「まあ、仕方ないから行こうか」
桜樹の誘導により、駅の外に出る。
駅を出ると春の終わりをやっと告げた季節だというのに、燦々と輝く太陽が歩道を照り返して気温がぐっ、と上がっていることをアピールしていた。
桜樹と連夜が目に見えてぐったりとした表情をする。
「うわー……なんか暑そー」
「……行きたくない」
茶奈が一人だけ余裕綽々の笑みで「早く早く」と二人を急かす。
「なんで茶奈は平気なの?」
「こんなこともあろうかと日傘を持って来てたからねー」
いそいそと鞄の中から黒いレースのついた折り畳み式の日傘を取り出す。
「ずるいなー、もう」
「紫外線は女の子の敵だからさっ!」
「……女の子なんてどこにいる」
「ここ! ここにいるから! あたし女の子!」
珍しく冗談を言って茶奈をからかう連夜。
裏切り者には丁度良い制裁である。
それでも暑さには負けてしまうので桜樹が降参したように両手を合わせて頼み込む。
「茶奈ー、僕も入れてー」
「駄目ー、相合い傘は斎希とやってねー?」
ニヤニヤと笑ってパッと傘を広げる茶奈。
連夜と桜樹が、渋々と駅の屋根の下から外へ出る。
太陽が三人を照らす。
今の時間は午後二時で太陽が元気よく活動している真っ只中。本当にやめてほしい。
このあたりの地形の特徴として盆地であることがあげられるのだが、それでもまだこの辺りはマシというもの。すぐ隣の街では去年、気温が四十度を超えそうになったとか。
会話する気など暑さに持っていかれてしまったので、黙々と目的地を目指す。
着いたのは屋根の無い時刻表のみが置いてあるバス停。
暑さにやられながら待機する。
数分が経つ。
三人が、各自で暇つぶしをしていると一台黒色の中型車がバス停で止まった。
中から一人の女性が出てくる。
「母さん」
桜樹が声をかける。
「おかえり、早かったね」
柔和な面持ちで三人を迎えるその表情は少しだけ桜樹に似ている。
桜樹の言葉通り、彼女は桜樹の母親の吉良だ。
「積もる話もあるだろうけど車に早く乗りなさい。暑いでしょう?」
連夜がぐったりと頷く。
茶奈は日傘を差していたから平気だが、連夜と桜樹は太陽の光にやられて狼狽している。
三人はさっと移動して車のドアを開ける。
桜樹が助手席、連夜が助手席の後ろで茶奈が運転席の後ろに乗り込んだ。
三人が乗り込んだ事を確認して、車を発進させようとした吉良がふと首を傾げる。
「桜樹、斎希ちゃんは?」
久々に見る息子の幼馴染みが一人少ないことに吉良は目ざとく気づいた。
桜樹はぐっ、と息を詰める。
これはどうやって誤魔化すべきか。
一瞬悩んで口を開く。
「……斎希は東京に残ってる」
知らず知らずの内に連夜と茶奈も息を潜める。
「本当に? 本当に首都にいるの?」
シートベルトをしながら吉良が疑い深く探るように訊いてくる。
桜樹は眉を寄せる。母がこんなに疑い深いのは珍しい。
「……何でそんなこと聞くのさ」
吉良はジッと桜樹の目を見つめてから、すっと逸らしてハンドルを握る。
「秘密」
唇に人差し指を当てて真意を言わない吉良に、三人は謎を感じたけれど相手は大人。
まだまだ子供であると思われている自分たちに簡単に口を割ることは無いだろう。
吉良が車を発進させる。
車はエンジンを響かせゆっくりと進み始めた。
桜樹は外をぼーっと見つめる。
駅の近くには地元の人用のちょっとした商店街があるのだが、彼らを乗せた車はその商店街をすいすいと進んでいく。
商店街というものの、余りにも寂れてるので人通りは皆無。
一応、商店街を出た辺りにスーパーがあるので、専門店以外の用はそちらで済ませられるのだ。
商店街を抜けるとだんだん信号が少なくなり、水田や畑が目立ち始める。
青々と繁る雑草に占領された畦道は、小学校の頃に皆でよく冒険と称して進んでは戻ったことを思い出させてくれる。
「あー……やっぱ、こっちって田舎だよねぇ……」
茶奈がぼそりと呟くと吉良が尋ねてきた。
「東京ってどんな感じだった? ビルとかいっぱいあるんでしょう?」
窓の外を見つめながら茶奈が答える。
「いえ、そうでもないですよ? あたしたちの住んでる家は東京の中でも都心から離れてるので」
「マンションばかりのベッドタウンかと思ってたんだけど、結構一戸建て住宅も多いよね」
「……探すの大変だった」
連夜が窓の外を見ながら黄昏る。
首都での住宅探しは連夜が一人で三人の望む条件を訊いて、情報の絞り込みをある程度やったのだ。
さすがに東京。
地価は高いわ需要はあるわで、なかなか望む条件を達成するような物件は見つからなかった。
「そうなのねぇ、それじゃ、皆向こうで充実してる?」
この問いには三人とも笑顔で頷く。
「楽しいです! あたし、サークルに入ってるんですけど、凄く楽しいです!」
「僕らがバイトしているとこも、大変だけど結構楽しいよね」
「……ああ」
自分の価値観で三人が東京の生活を話す。
その間にもぐんぐん車が進んで行く。
やれ、大学の勉強は思っていたより面倒だとか。
やれ、常連さんができただとか。
茶奈と桜樹が交互に話す。
連夜は二人の言葉に頷くだけ。
「楽しいけどさ、忙しいよねー」
「この間だって斎希が珍しく落ち込んでいたから何事かと思って話を聞いたら、皆と住んでる割に余り皆と遊べないって愚痴るほど皆忙しいんだ」
茶奈と桜樹が話を弾ませていると、連夜が桜樹をつついた。
「どうした?」
連夜が窓の外を指差すと桜樹は自然と窓の外を見ようと体を捻る。
そこで連夜がそっと耳打ちする。
「……斎希の話するな」
不機嫌そうな連夜の声音に桜樹が驚いて目を丸くする。
しかし直ぐにその真意に気付いて「ごめん」と、小声で吉良に聴かれないよう連夜に謝った。
連夜は今、あんまり斎希の話聴きたくない。自分だけではないと思うのだけれど、自分の無力さを思い知るから。
それじゃあ駄目なことは分かっている。
目の前に置かれた現実から目を逸らしてはいけない。
分かってはいる。
考えるだけでは何も進まないこと。
動くことで何かが変わること。
明確な指標が無い今、がむしゃらに動く必要がある。
───そのために此処にいる。戻ってきたんだ。
もう、戻る気の無かったこの土地に。
ここに来て何ができるんだと、心の底では思っている。
何もできないかもしれない。
ここに来て何が変わるんだと、頭の悪い自分でも理解している。
何も変わらないかもしれない。
それでもいいからと、ここに来たのだからネガティブでいては埒があかない。
でも、せめて。
────疲れ果てる前に休んでもいいだろ?
目を閉じてシートに深く座り直す。
「あれ、連夜寝るの?」
「……仮眠」
「電車の中でも寝てたのによく寝れるね~?」
仮眠と言っても、どうせ数分後には連夜の家に最初に着くだろうから意味は無い。
ただ、戻る気の無かったこの町の風景を余り見たくなかったための嘘。
「……着いたら起こせ」
「え~、もうちょっとで連夜の家に着くじゃん」
呆れた声で文句を言いながらも「嫌」とは言わないのは茶奈の長所だ。
吉良はそのやりとりを聞いて微笑む。
「相変わらず仲が良くて羨ましいわ。お母さんも青春したいわ~。ところで桜樹、さっき連夜くんと何を内緒話してたの? 気になるから教えて?」
通ろうとした瞬間、信号が黄色になって赤になる。
「っと」
ブレーキを踏んだ。
吉良は調度良いとばかりに運転する手を止めて桜樹に詰め寄る。
「さあさあ、お母さんにキリキリと白状しなさーい」
「あーあー、きーこーえーなーいー」
耳を塞ぐ桜樹は全身で聞こえないアピールをしている。
自転車に乗った男子中学生の集団が、目前の横断歩道を渡っていく。
最後の一人が渡りきった所で信号が赤から青に。
この辺りの信号機はセンサー式のが多い為、赤に変わったばかりの信号が直ぐに青に変わることもしばしば。
どうやら桜樹は白状してくれないようなので、吉良は一つ息を大きく吐いて身を戻すと、運転に集中する為にハンドルを強く握りしめた。




