望んだ結果1
スモモの木の下に小柄な人影が一つぽつりと佇んでいた。
その影は立つのが嫌になったのか急にしゃがみ込んだ。
その後ろに新たな影が現れ近づいてくる。
小さい影は気づかない。
「はあ~」
「見つけたあ~」
「にゃあぁぁっ!?」
んばあ、と斎希が正面に回り込んだら、お化けでも見たようにイツキが悲鳴を上げた。
悲鳴を浴びた斎希は頬を膨らませる。
「人の顔を見て悲鳴を上げないの。失礼ね」
「よ、よ、ようせいさんっ?」
「当たり前でしょう。それ以外、誰に見えるのよ」
「オバケかとおもった」
「生意気ね」
むにぃと斎希はイツキの頬を引っ張る。
「あふあふ」
「あら、こんなに伸びるのね」
うりうり。
しばらく斎希にされるがままだったイツキがばたばた抵抗して逃げ出した。
「いひゃい! いたいよ、ようせんさんっ」
「ふふふ、ごめんね?」
ポンポンと頭を軽くたたく。
「逃げなかったのね」
「……うう」
再びその場にしゃがみ込むイツキ。
心なしかその表情は少し堅い。子供でも、こんな表情をするのか。
「緊張するの? ただ謝るだけなのに」
囁くようにして尋ねる。
イツキはコクリと頷いた。
「そっか」
斎希はイツキに近づいてしゃがみこみ、目線を合わせる。
「何で緊張しているの?」
え? とイツキが顔を上げる。
その顔はちょっと意外そうだ。
斎希はニヤリと笑う。
「どうして謝るだけなのにそんなに緊張するの? 今までレンヤ君が謝っても赦してくれなかったことがあるのかな?」
大人としての問い。
当たり前の問い。
なのにイツキはヘンな顔をした。
「……ナニその顔」
「だって、レンヤとナカナオリしたことないもん」
「あるぇ?」
斎希は首を傾げて疑問符を頭に浮かべる。
仲直りをしたこと無い? そんなはずは……
「…………あるわ」
そうだった。
レンヤとケンカした後は基本的に、気を使ったサナやオウキが遊ぼうと言って、四人で遊ぶうちに仲直りしてたんだっけ?
「……え、じゃあ私ってお節介? 別にどうにかしようとか思わなくても良かったのかしら?」
うわー、自分バカだ。
斎希は頭を抱える。
もしかしたら自分は勘違いをしてたのかもしれない。
考え方を改める。
空を仰いだ。
きっと気づかない内に、この子と自分は違う子だと思ってたのかもしれない。
現実離れしている状況に立たされている自分が、ここが過去の世界だということを受け入れていなかったのかもしれない。
斎希は苦笑した。
……全然、順応なんかしていないじゃないか。
結局、冷静だと思って過ごした二日間も、パニックのあまりそういう姿を装っていたことと考えられる。
「……無駄な二日間だったってことね。あーあ、そんなことなら全力で現代に帰る方法でも探せば良かったかも」
溜め息はついても乗りかかった船。
ぼそぼそと呟くのをやめて、前向きに行こう。
決意を新たに胸に秘め前を向く。
と、言うわけで視線を斎希に戻した。
「ねえ、イツキちゃん」
「なあに? さっきからブツブツいっててこわいよ、ようせいさん」
ふにぃ~。
「だはら、いひゃいっへ、ようへいはん!」
「これは罰ゲームです」
ふにふにふにゃあ~。
思いっきりほっぺをうりうりして遊んでやる。
イツキがジタバタするので、一分くらいで許してやった。
イツキが真っ赤になった両頬を押さえながら怒る。
「ようせいさんのいじわるうぅ!」
「妖精さんは悪戯が大好きですから」
おほほほ~、と斎希は慣れない高笑いをしてみる。
でも、すぐに真顔になって。
「イツキちゃん、謝るということしないと、いつか本当のケンカをした時に困っちゃうわ」
「ホントウのケンカ?」
イツキが聞き返す。
「ええ、そうよ。ケンカをした後、誰かが仲直りさせてくれるとは限らないの。自分が悪いときは自分から謝らなきゃ駄目よ? 特に今回はキミがレンヤ君の言うことを聞かなかったんだし」
イツキがキョトンとした表情から徐々に顔を青くしていく。
やはり、自分が悪いという自覚はあるようだ。
斎希がオウキに言った言葉と、真逆のことをイツキに教えるのは、周りに迷惑をかけたくないから。
小さな頃のイツキをこうやって矯正しとけば、後々役に立つだろう。
うんうんと一人で勝手に頷く。
実際、自分から謝ることは大事だし、斎希もこれぐらいの頃、誰かからそう教わった記憶がある。
───……って、あれ?こんなこと、誰から教わったんだっけ?
首を捻る。
まただ。
不思議な感覚。
何かを忘れているような……?
でも、何を忘れているのか思い出せない。
頭の中がモヤモヤグルグルして気持ち悪い。
仕方ないから今は頭の隅にでも置いておこう。
今は、イツキとレンヤの仲直り大作戦の方に集中。
「イツキちゃん、後でいいこと、教えてあげるわ」
「イイコト?」
「ええ、飛びっきりのね」
片目を瞑って返事をする。
「レンヤ君と仲直りしたら私のとっておきをキミたちに教えてあげる」
本当は伝えようかどうか迷っていたこと。
でも。
「キミたちがずっと仲良しでいられるおまじないよ」
伝えてあげたい。
今、この子たちが決裂したら斎希は現在に戻っても、今まで通りの生活じゃないかもしれない。
頭の中をそんな考えがよぎったのだ。
結局は保身なのだろう。
自嘲の笑みが自然と出てしまう。
それでも、イツキは斎希なのだからいいじゃない。
斎希はそう考える。
───自分の為に相手を気遣うかあ……。
相手は相手でも結局は自分。
簡単にできそうで案外難しそうな謎解きだ。
相手が喜ぶことは自分でも喜べること。
それを考えたとき、ソレしかなかったからいいはず。
斎希のとっておき。
イツキにとってもとっておきになる。
それは。
「まだ内緒よ」
気になってしょうがないとでも言いそうなイツキの表情を見て、しーっと人差し指を自分の唇にそっと当てる。
「イツキちゃんとレンヤ君が仲直りした時にね? ───ふふ、仲直りしたくなった?」
聞いてみる。
さあ、イツキは斎希のとっておきに釣られるかどうか。
やがて、イツキが口を開く。
「……うん。イツキ、レンヤとナカナオリするよ」
よっしゃあ、釣れたあ!
大物釣れたあ!
斎希はひっそりと心の中で拳を握り締める。
表面上は平静を装うが頬の筋肉が勝手に緩む。
まさか、ここまでスムーズに自分の思い通りになるとは。
もう少し、説得に時間がかかると思ってたからこれは重畳。
素直すぎるぞイツキ。
自分はキミの将来が心配です。
悪い人にほいほいついて行きそうだと考えて、ちょっとそれはヤバいかもと思い直す。
まあ、そこら辺は後で言い含めるとして。問題はここからだ。
イツキの説得は成功した。が、問題はレンヤだ。
あの頑固者の説得はオウキに任せてある。
会って一日の斎希だと、まだ警戒心が抜け切れてないだろうから。
斎希は苦笑する。
こちらは向こうのことをよく知ってるのに、向こうはこちらのことを全く知らない。
これではまるでストーカーのようだ。
ああ、でも。一応詳しく話せばイツキと同一人物だと理解してくれるだろうか?
自分で思っておきながらストーカー扱いだけは願い下げだ。
のしをつけてどこかに捨て置きたい称号かも。
「さてさて、時間までもう少しね……」
「イツキ、レンヤが来たらどうすればいいの?」
イツキが不安そうな面もちで訊いてくる。
斎希は目線を揃える為にしゃがみ込んだ。
二人してしゃがみ込んで影が小さくなる。
「簡単よ? ごめんなさいって言うだけなんだから」
イツキが顔を隠すように下を向く。
「むずかしいねー……」
小さな身体が余計小さく見える。
斎希は目を細める。
そして微笑む。
───……そうやって、沢山悩みなさい。
沢山悩んで、沢山考えて。
ひねり出した答えが間違っているはずがないのだから。
数学的観点なら間違えているような問題でも、国語の物語文のような心理読解の問題に、十人十色の答えがあるように。
「難しいのは最初だけ。未知の道を乗り越えれば、後に残るは歩んだ道。そこから地図を作れば道には迷わない……」
「ミチのミチ? なに? ダジャレ?」
うふふふふふ。
「人のカッコイい台詞をよくもまあ、残念にしてくれるわね」
「あふあふ」
ぐりぐりうみょーん。
やっぱり頬を摘んで弄る。
「全く、生意気。妖精さんを少しは敬いなさい!」
解放してやるとイツキは頬をさする。
「ようせいさん、さっきからいたい! いじわるうぅ!」
非難してくるイツキに斎希は涼しい顔で言ってのける。
「イツキちゃんが悪いのよ? 私を怒らせるようなことを言うから」
「イツキ、なんかいった?」
「おめでたい頭ね、全く」
我が事ながらと思うものの、嘆息する。
無自覚か。
無自覚なほど厄介なものはない。
けれど、イツキは斎希の子供時代なのだから認めざるを得ないのだ。
───つまり、子供の頃の私はこんなに厄介者だったのね。よくまあ、こんな子の友達になってくれたわね、三人とも。
こんなに三人のことを有り難く思ったのは初めてかもしれない。
そもそも、奇跡に近いかもしれない。
三人、と思って、現代に残ってきているはずの幼馴染み達を思い出す。
そういえば、現代の自分は今どうなっているのだろう。
身体ごと、こちらに来ているとしたら、行方不明者扱い?
それはいただけない……三人に迷惑をかけてしまっているのだ。
早く現代に戻らなくては。
少しだけ焦る。
でもどうしようか。
現代に戻るための良いアイデアが浮かばない。
やっぱり保留にするしかないのか。
一瞬で諦めると、イツキから目線を逸らした。
見つめるのは、イツキの背の向こうの木々の切れ間。
背の低い木が揺れた気がしたのだ。
「むむむ……?」
目を凝らすと、ガサガサと揺れているのを確認した。
ふふん、視力だけは良いのよ。
「イツキちゃん、ほら。あっちを見て」
視線で促すと、イツキは言われるまま振り向いた。
そして、丁度そのタイミングで小柄な影が三つ転がり出てきた。
……三つ?
よくよく見れば、風に揺れるくりくりの癖毛が確認できる。
どうやらサナのようだ。
「オウキ君、サナちゃんも連れてきてくれたのね」
昨日言ったこと、サナもちゃんと覚えていたようで何より。
確認するように呟くと、イツキがすくりと立った。
「ん?」
てててて、と斎希の背に回り込んでしがみつく。
「こらこら、隠れちゃ駄目じゃない」
「だ、だって、はずかしいんだもの」
ぎゅーっと斎希にしがみつく。
「痛い痛い、お肉まで掴んでるから!」
「あ、ごめんなさい!」
ビックリしたように慌てて手を離してくれたが背中から出ようとはしない。
斎希は溜め息をついた。
もう少しなのに。
もう、そこに出口の扉が在るのに。
外の世界が怖くて出られずにいる。
自分のことだけれど……いや。
自分のことだからこそ、手に取るように分かる。
「私も怖いわ」
青い空を見つめてぼそりと言う。
澄んだ空は何処までも果てしなく広くて、空から、宇宙から、自分を見下ろしたらどんな感じなのだろうと何度となく考えた。
辿り着く結論は何時も一緒。
「私はとても小さいの。小さな私が何をしても、私のしたことは小さすぎて誰にも気付かれない。それを考えると同じ物差しで考えてくれる友達は大切にしなきゃね」
「むう? どーゆーこと?」
「小さい子達は小さい子同士仲良くしなさいってこと」
ひらひらと左手を振る。
そして、呆れた口ぶりで追い立てる。
「ほら、行ってきなさい」
でもイツキはイヤイヤと首を振る。
「もう」
本当に呆れて体操座りの状態で膝の上で頬杖をつく。
オウキたちの方を見ればもうすぐそこまで来ている。
この一歩が大きいことは分かっている。
実際、斎希でも面と向かって謝れと言われたら恥ずかしくて穴を掘ってでも隠れたくなるのだから。
「イーツーキー!」
「よーせーさーん!」
子供の足は思ったよりも早く、オウキとサナが大きな声を張り上げながら斎希たちの元へ辿り着いた。
その後ろから下を向いているせいで表情が隠れているレンヤも辿り着いた。
レンヤが一歩前に出る。
けれど、イツキは隠れたまま。
「ほら」
パッと立ち上がってイツキの後ろに滑り込み、イツキの背中を押す。
「あ、あの、えと、そのぅ」
イツキがしどろもどろになって一生懸命言葉を紡ぐ。
「ご、ごめんね。イツキがようせいさんのためにって、い、いったのに」
あたふたとせわしなく瞳を動かしながら、やっと言えた言葉はすうぅっと中に消える。
レンヤは無言のまま。
沈黙が落ちた。
子供ながらにシリアスな空気に耐えかねている斎希が冷や汗だらだらで二人の行方を見守っていると、沈黙を破ったのはレンヤだった。
「……おれも」
はっとした表情でイツキが顔をあげ、穴が開きそうな程レンヤの顔を見つめる。
「……わるかった、たたいて」
イツキがキョトンとする。
斎希は自分の耳を疑った。今、レンヤが謝った?
───え、今レンヤ悪かったって……? うそ、あのレンヤが悪かったって認めた!?
今までの人生でレンヤが謝ったことのある記憶など、学校の先生に叱られる時以外に無かった気がする。
「これはどんな天変地異が起きるのかしら……?」
レンヤに対して悪いが、それぐらい珍しいものを見たのだ。
そんな斎希の反応とは違って、オウキとサナはお互いにハイタッチをしている。
「よかったね、ナカナオリできて!」
「だね、オウキ!」
当の本人たちより喜んでいるかもしれない。
まあ、他人の喜びを素直に受け止めあうことは良いことだが。
「ん。でもまあ、良かった良かった」
任務完了。
ほっと胸をなで下ろす。
そして、ふと、急に風が凪いだのに気付いた。
風がそれぞれの髪をそよがせる。
まるで風までもがイツキとレンヤを心配していたような感じで、安心したことを表すように優しい風だった。
斎希は思わず微笑んで、優しい瞳でイツキたち四人を見つめた。




