夢じゃない時の対処法5
「お風呂と服、ありがとうございました」
斎希が丁寧に頭を下げようとすると、吉良がそれを止めた。
「いえいえ、良かったわ、私の昔の服が着れて。よく似合ってる」
ワンピースだから、サイズが少しくらい違っても問題ない。乾いた服を借りられたこと自体がありがたかった。
クリーム色の七分袖のワンピースは、斎希があまり着ないタイプのものだからか、少しそわそわするが、借り物に文句を言うほど常識外れじゃない。
……なんか、この考え方、自分は本当は常識外れってことを認めているような。
ちょっと首を傾げる。
しかしまぁ、タイムスリップっぽいことしている時点で十分、常識外れだ。
「うあ、イヤ~な真理にたどり着いちゃったじゃない……」
「どうかしたの?」
「い、いえ! ちょっと今夜の寝床の心配を」
言った瞬間、しまった、と思った。
独り言の言い訳をしようと思ったら、ついこんな事を言ってしまった。
これではまるで。
「まあ、宿を取ってないの? あらあら、まあまあ。ついでに家に泊まっていきなさい」
案の定だ。
別に宿の請求をしたかった訳じゃないのだが……こうなることが分かっていたはずなのに口を滑らせてしまった自分の軽い口を呪ってしまう。
「いえいえ! そんな迷惑かけられません! 多分どこかで宿が取れると思いますし!」
「あら。宿というか、ホテルだって近くに無いわよ? もうちょっと市街地の方へ出ないと。それにあなた何も持ってないみたいでしょう? お金もかかるのに泊まれるの?」
「……あ」
そうだった。
すっかり失念していた。
だって家があるから宿屋の存在なんて考えたことなかったし、お金に関しては完全に頭から吹き飛んでいた。
これ以上世話をかけるのは避けた方が良いと斎希は考えるが、しかし。
「ぜひ、泊まっていって。オウキちゃんも喜ぶわ」
天使の微笑み。
「お? ようせいさん、おとまりするの? そうなの?」
天使の微笑みpart2。
オウキがドアを開けてキッチンに入って来た。
もはや、遊んでモードのようで、その右手にはプラスチックの戦隊モノの人形──どう考えても赤色だから、リーダーっぽい──が。
───ううー、オウキのお母さんのことだから、私が泊まることを喜んでくれてはいるのだろうけど……
罪悪感が。
会話を知らず知らずの内に誘導してしまった気がする。
うーむ、仕方ない。ここは甘えよう。
なんか、オウキ親子の天使の微笑みに負けた気がする。
恐るべし天使の微笑み。
最強だ。
子供の微笑みは天使みたいだけど、まさか親の世代の微笑みがあんなに無邪気だとは思わなかった。
つまり、真に恐るべしなのは吉良。
そこら辺の子供よりもその微笑みは周りに花を飛ばしている。
「……ん、それならお言葉に甘えて泊まらせてもらおうかな」
ちょっとだけ小声になってしまう。
けれど、はっきりとオウキと吉良には聞こえていたようで。
「おお! ようせいさん、おとまりだあ!」
「遠慮しないでいいのよ、ゆっくりしていってね」
ぱあ~、と顔を輝かせるオウキ親子。
これは漫画とかにすると絶対に花飛んでるなぁと思う。
斎希は目線を少しズラして照れたように頭を掻いた。歓迎してもらえるならいいのだけれど。
「あら、忘れるとこだったわ! 名前! 自己紹介しなくちゃ」
吉良がポンと手を打った。
「え、名前?」
「そうよ。せっかく一緒に過ごすのだから、名前を知ってないと色々不便じゃないかしら?」
斎希は固まった。
オウキ以下の子供組には自分のことを「妖精さん」と、すりこんでしまった。
こんな所で後悔する事になるとは。
「私、吉良っていうの。オウキの母です。オウキ、ほらご挨拶」
「えー? ぼく、さっきアイサツしたよ?」
「あら、そうなの?」
「うん。イツキとサナとレンヤとあそんだときに、ようせいさんとあったんだ!」
両手を大きく広げて吉良に教えるオウキ。
「あらあら、そうなの。ってことは、貴女の名前はヨウセイさんなの? 珍しい名前ね」
花を飛ばしながらニコリと微笑む吉良。
「ええ! そうなんですよ! 親がちょっとアレな人で! なんて言うか、子供にヘンな名前を付けたがる人で!」
ここぞとばかりに言い訳を思い付いて力説する斎希。
「にこにこにこ」
「あはははは……」
「で、本名は?」
そりゃ、そうですね。
あっさりバレたから、斎希の敗戦である。
さすが一児の母。嘘を見破る力は凄いらしい。
斎希は肩を落として自分の無駄な抵抗を諦めた。
「……斎希です。難しい方の斎に、希望の希で斎希です」
「……あら? イツキちゃんと全く同じ名前なのね。漢字まで同じだわ」
「……そうなんですか?」
今知ったという顔で言う斎希を見て、吉良はますます微笑んだ。
「ふふふ、名前が同じだけじゃなくて、顔の雰囲気が似てるわ。まるで大人になったイツキちゃんを見てるみたい」
「あはははは」
まさしくその通りです、なんて言えない。
どう反応すればいいのか分からなかったら、乾いた笑いがでた。
オウキが自分の存在をアピールするように、斎希のワンピースの裾をクイクイと引いた。
「ようせいさんのナマエ、イツキとおなじなの?」
「ええ。ごめんなさい、嘘をついて」
オウキは一瞬キョトンとした。
そして首を傾げて尋ねた。
「どうして、あやまるの? ようせいさん、ウソなんかついてないじゃん」
これには斎希の方がキョトンとした。
「だって、ようせいさんのナマエがイツキなんでしょ? ほら、ようせいさんはウソなんかついてないじゃん」
斎希は目を丸くした。
そして意味を飲み込むとすぐに笑い出した。
子供の発想力を侮っていた。
「うん、そうだね。じゃあ、今言ったことは撤回。これから宜しくお願いします、オウキ君、吉良さん」
「こちらこそ」
「わーい! ようせいさん、あそぼー!」
オウキは右手の人形を振り回す。
完全に遊ぶモードに入ったオウキを見て、吉良は斎希の方へ視線を移した。
「今日はご飯が楽しくなるわね。一生懸命作るから、斎希ちゃんはオウキちゃんの相手をしてもらえる?」
「あ、はい……で、あのう」
吉良の言葉に頷いてから、意を決したように斎希は口を開いた。
「何も聞かないんですか? こんな、何にも持ってないし、フラリとやってきてオウキ君と何故か仲良くなってる怪しい人物なのに」
自分で言ったことだが、凄い怪しい人物じゃないか、ここまでくると。
なのに吉良はこう言った。
「別に気にしないわ。出会いって、とても大切にしなくちゃいけないって聞いたこと無いかしら? 私は貴女のこと、何も聞かないわ。まあ、貴女が話してくれるのなら別だけれど」
そう言って笑うのだ。
「ようこそ、斎希ちゃん。狭い家だけど、旦那は今出張中だからゆっくりしていってね」
笑いかけられて、斎希は温かな気持ちに触れた。
大人になってから、こんな子供扱いされたのは久しぶりだからか。
それとも、本当は独りで不安だったからか。
ドラマとかによく使われるキザったらしい台詞なのに、涙腺がちょっと緩んでしまった。
ここは、一応現実。
ドラマではない。
「まあまあ、泣かないの」
「す、すみま、せん……」
それなのに、次から次へと溢れる涙を両手で拭う斎希の頭を、吉良はそっと抱いた。
「女の子が一人で何も持たずにこんな所に来るなんて、きっと何か理由があると思ったんだけど……」
よしよし。
子供をあやすように頭を撫でる吉良。
「辛かったのね」
……辛かった?
一体何が?
高校を出てからの生活が?
ううん、違う、と斎希の心が首を振る。辛いんじゃないんだ、疲れてただけなんだと。
だって、四人でのルームシェアは楽しみだったんだ。
今だって、幼い自分たちは「計画」を一生懸命練っているんだ。
それが実現できたんだ。
───だから、私がここにいるのはきっと休む為なんだ。
視界の端でオウキがじいっと斎希を見つめていた。
「おかあさん、オウキもイイコイイコしてー」
ねだるオウキの甘えん坊ぶりに、斎希は吉良の腕の中でクスリと笑った。




