~2~
いつものアパートのいつもの部屋で、僕と唯さん以外の――お客様である高橋さんが、呆れた様子で目の前の椅子に座っている唯さんに向かって苦言を呈した。
「お前な、主役にお茶淹れさすなよ」
「だって……」
唯さんは口を尖らせつつも、助けを求めるように仕切りの向こう――台所でお茶とお菓子の準備をしている僕の方に視線を向けている。
どうしようかな、と思うものの、女性同士の会話に無造作に割り込めるほど僕は子供ではなかった。まずは唯さんに微笑み返して様子を見てみる。
「だって、なんだよ?」
絡む口調で高橋さんが唯さんをつっつくと、唯さんはそっぽ向いて不貞腐れた声を上げた。
「私、急須でお茶入れられないもん」
「はあ!? 茶ッ葉入れて、湯を注くだけだろ?」
ツッコミというより、もっと荒ぶった調子で唯さんに迫る高橋さん。
仲が良いんだか悪いんだかよく分からない二人に、僕は、今度は苦笑いで割って入った。
「淹れ方の微妙な違いで味は変わるんですよ」
計量スプーンはあるものの、何杯入れるかや、蒸らし時間、他にも色々な要因によってお茶の味は変わる。単純そうに見えて、意外と工夫の余地がある。
茶ッ葉入れて、湯を注ぐだけ、なんて単純作業ではないのだ。
「あ……確かに」
お茶を淹れている僕に向かって、『だけ』って簡単なことのように言い切った気まずさがあるのか、高橋さんはちょっとしおらしくなった。
ただ、唯さんが逆に調子に乗ってしまったけど。
「ほーら、ほーら」
高橋さんは少し僕を見てから、ジト目で唯さんに視線を戻し、さっきよりは落ち着いた声で言い返した。
「お前な、相方が出来るんだから、一緒にいて少しは感化されろよ」
「ぶー、ぶー」
子供っぽく口を尖らせている唯さん。
そうした二人の掛け合いを、ちょっと悦に入った表情で見つめる僕。
久しぶりってほどに間が開いたわけじゃないんだけど、なんか、こういうの見てると安心する。色々あった後だから余計に。
今日は先生もお休みだったみたいで、連絡をしたのは昨日の深夜だったけど、ちょうど良いから、と、午後からこれまでのことを一度皆でまとめることになっていた。
今はまだ高橋さんしか訪ねてきていないけど、遅刻の連絡は入っていないので、もうそろそろ……。
ピン、ポーン。
と、考えていたところで、ちょうど玄関からチャイムの音が聞こえてきた。
唯さんみたいにこちらの返事をまたずにインターフォンに話しかけてきたり、高橋さんみたいに連打しないことから考えるに最後のお客さんが来たのだろう。
「いらっしゃいませ」
顔を確認してからドアを開ける僕。
高橋さんの知人の先生が、今日は紺のスーツでパリッと決めて立っていた。
しかし……この先生は、相変わらず眉毛がもっていくな。硬く見られたいなら損しているけど、親しみやすく見られたいなら得をしている。本人は、どっちを狙っているんだろう?
失礼にならない程度に顔を見ると、ぺこりとお辞儀をされたので慌てて僕もお辞儀を返す。
「いや、この度は、力にもなれず、招いてもらってしまって。あ、これ、お土産」
丁寧な挨拶の後に手渡されたのは、近くの和菓子屋の煎餅だった。きちんと箱に入っている、少し高めの品。逆にこれだけの物を持参されると少し気が引けてしまうな。
まあ、淹れたお茶は緑茶なので、お茶請けにはちょうどいいかもしれないけど。
ちなみに、高橋さんは手ぶらで来た。
「これはご丁寧に」
と、両手で受け取ってから先導してリビングの方へと入っていく。
「うぃーっす」
そう、自宅のようにくつろいでいる高橋さんを、先生はちょっと眉をひそめて見たけど、他人の家で言い争いをしたくなかったのか、無言で高橋さんの隣の椅子に座って軽く肘を高橋さんの脇腹に入れていた。
病院の時の掛け合いとかでも親しそうだったし――でも、幼馴染って程には年は近くなさそうだ。仕事で知り合って馬が合ったとかなのかな? もしくは、部活の先輩後輩とか。
……ううん、性格的な相性はそこまででもなさそうだし、後者かな。
と、勝手な推理をしながら、お茶を出す僕。
全員に湯飲み茶碗が行き渡り、テーブルの中央にでん、と、高級煎餅が出てきたタイミングで高橋さんが切り出してきた。
「で?」
前置きもなにもない問い口だった。
「結論から言いますと、どうも、僕は、水を触媒にして穢れや罪を祓える……といいますか、流せるようです」
高橋さんの態度から、まどろっこしい説明は退屈させてしまうだろうな、と、思い、いきなり結論を口にした僕。
だけど、流石に単純過ぎたようで、先生にツッコミを入れられてしまった。
「……本当にざっくりした説明ですね」
僕は、苦笑いで顔を高橋さんから先生の方に向け直し、補足説明を始めた。
「いえ。ええと、先生」
「はい?」
「僕を診断した時に、脳が虚血症状になっているって前に仰られましたよね?」
「ああ、それは、欠陥やダメージから考えて、間違いないと思う」
オカルトが好きと言っている割には、スクエアで難しい顔をした先生が、頷いて肯定してくれた。ついでに唯さんと高橋さんの様子を窺うと、ちょっとだけ会話に遅れ気味な表情をしていた。
このまま話を進めても良いものか迷ったけど、お二人には最初のあの結論だけでも充分だったんだろうと思うことにして、先生に頷き返して言葉を続ける。
「あの神社の水を持ち歩かなかったので、祓う際に体液という形で消費したんだと思います。ただ、全身から均等にってわけではなく、意識に近い部分から取られたんでしょうね」
思い返せば、あの廃屋でも祓った後の大黒柱は、まるで乾いたように変貌していた。なにをもって清浄とするかは別としても、最後の一件から祓うのに必要な水の量を考えれば、あの柱はどちらかといえば神聖な方の存在だったのかもしれない。侵入者から家を守ろうとしただけだったのかも。
聞いている先生は、難しいというよりは渋いような顔をしている。まあ、理屈は通っているのかもしれないけど、前提条件の時点で非科学的だし、理系の医家の先生としてはすぐには納得できないのだろう。
とはいえ、僕もこれ以上の説明は出来ないんだけど。
「そ、そんな単純なの?」
ちょっと慄くように返した唯さん。あっけなさ過ぎて逆に驚いて損な顔になったんだろうと思う。
単純といえばそうだけど……、と、少しだけ考えてから僕は返した。
「そうですね。でも、原理を理解すると意外と単純なシステムだったっていうのは、自然界には多いと思います」
脚気や壊血病も原因が解るのに長い時間が掛かったのに、現代人の視点からすればただのビタミン不足の一言なんだし、特にこうした呪術的なモノって、科学的には症例の蓄積も少なく、判断するまでが難しいんだと思う。
「では、水さえ持ち歩けば平気だと?」
バカげている、とでも言いたいのか、先生は大袈裟に肩を竦めた。
んー、と、少しだけ頭を傾げて見せる僕。
「どのぐらいの量がいるのかは、一~二回試してみた方が良いかも知れませんけど、おそらくは」
なんとなく、で、必要量を感覚でつかめることは出来るけど、最初は多めに水を持ち歩いて試した方が身体にはいいだろう。無理をして意識を失ったらことだし。
「……便利だな」
オカルト好きを公言している先生だけど、理系の自分自身とのせめぎ会いもあるのか、複雑な顔で呟いている。
確かに、イメージ的にはもっと複雑な儀式や、難しい呪文――もとい、お経や祝詞が必要で、フィクショんの世界では戦ったりするのを考えればあっさりしていると言えばそうなんだけど……。ただ、ちょっと誤解というか、僕よりも安易に考えているような部分もあったので少し補足する。
「いえ、不足分を意識に近い水で払わされるとなると、そこまで安易には考えられませんよ。しばらくはポリタンク装備かもしれません」
うん、と、考え込むように腕を組んだ先生だったけど、眉が軽く動いた後、多分、今日、一番聞きたかったであろうことを――。
「ええと、その、ご家族の込み入った事情を根掘り葉掘り伺うのも失礼だとは思うが……」
訊こうとしたんだと思うけど、内容が内容なだけに、先生でも尋ね難いらしい。
もちろん、先生だけではなく、唯さんや高橋さんも気になっていたとは思うけど、今日まで訊けずにいたことを僕は自分から口にした。
「餓死という形で、祖父母の死亡の書類は出ました」
こことは別方向の一戸建ての並ぶ住宅街の、そこそこ大きな家で祖父母は死んでいた。老人会なんかも積極的に顔を出して社交的に振舞っていたから、休日の朝のゲートボールに来なかったのを不審に思って家に向かった老人が、食堂で倒れている二人を見つけたらしい。
死亡したのは土日のどちらかだと思われているが、金曜とはまったく別の骨と皮だけの姿で、まるで木乃伊のようだったと聞いている。
「お悔やみを」
「いえ……、正直、ほとんど記憶にない人ですし、裏を返せば僕が死んでいました」
僕の言葉で、場が緊張するのが分った。
でも、事実だったのでしょうがない。
重い口を最初に開いたのは先生だった。
「なにがあったのか、教えてくれるかな?」
「全てを言葉にするのは難しいですね」
僕自身、説明が上手い方じゃないとは思う。なので、分りにくい部分もあったのかもしれないけれど、最後に祓った際に見た全てのことを、今度こそ伝えた。
「言い訳のようで申し訳ないですけど、一番最初に唯さんの腫瘍状のモノを祓った時と同じなんですよね。なにかをしたって感覚はないんです。こんなことになったのに無責任かもしれませんが」
「いや、んん……にしても、ちょっとやり過ぎだったんじゃねーのか?」
非難するように、高橋さんが口を挟んできた。
結果として人が死んでいるのに、実感がないでは確かに無責任だと思う。
思う、けれど……。
「意思が介在できれば、加減もできたのかもしれないですね」
「あん?」
軽く僕をにらむ高橋さん。
そう、ここからが難しい。起こってしまった出来事に、なぜ? とか、どうして? と、理由を求めることは、普通の人には当たり前なんだろうけど。
「機能が……、そう、欠落しているから零の位置にある。でも、逆に、プラスとマイナスが同じだけあり、完璧だからこそ相殺して零の位置にある。今回、僕と神様は、そうした状態だったのかなって思います」
顔を顰めた高橋さんを横に押し、先生が訊ねてきた。
「プラトン哲学?」
「多分、近いモノだと思います」
イデアを定義するなら、確かにお会いした女神は完璧だった。ただ、その完璧さゆえに現実感がそこにはなかった。
人間として当たり前の揺らぎを感じなかったことは、全てが終わってからしか僕は気付かなかった。これが例えば、僕ではない人間だったとしたら、最初にその危うさにも気付いていたように思う。
「夢の中で神様は完璧だったんですけど、だからこそ感じる違和感もあるといいますか、人の姿なんですけど、うつく……完璧すぎて人として見れない状態といいますか」
唯さんが若干ムッとした顔になったが、ちょっと今はそういう話じゃなかったので、流させてもらい、話し続ける。
「一概に、全てがそうだとは言えませんが、神様はどちらかといえば機械的な部分があるのかもしれません。加減の概念が無いと言いますか。……今回の件も慈悲とかそういう感覚ではなく、偶々僕が助ける条件に合っただけ、のような気がします」
先生は少し考えるしぐさをしたけど――。
「祖父母側は、キミに殺意があった、ということかな?」
ゆっくりと、区切って訊ねかけてきた。
「……分かりません。祖父母の心情を知れるほど、僕は祖父母を知りませんから。あるいは、祖父母自身もそこまでのつもりではなく、ストレスの捌け口として恨んだり呪ったりした結果が、悪い意味で上手くいってしまったのかもしれませんし」
先生よりも難しい顔で応じる僕。
郵便貯金の口座名も僕自身の名前になっていたし、自動引き落としの設定だったから、正直、名前さえもうろ覚えだった。進学とか、細々した時に必要になると、ファイリングしている昔の書類から、父親か祖父の名前を引っ張り出して記入し、百均のハンコを適当に押していた。
なんとなく顔立ちを覚えていたのは、単に、僕自身が関わっている人間が少なかったことと、年老いた祖父母の容姿が記憶の最後の姿と然程変化がなかったせいだ。
優しくされた記憶もないが、虐待された記憶もない。
本当に、いつのまにか、あの神社にいたのだ。多分、炊飯器なんかの使い方とか、郵便貯金のおろし方とかは教わったはずなんだけど、どれも単純なことだし、その日はもう思い起こせない。
そもそも、幼稚園の頃の記憶とかも、もう思い出せないことばっかりだし、その少し先の小学校からの代わり映えのしない日常だって同じだろう。
「神様はそんなに親切じゃあないみたいです。起こった出来事の意味は、人間自身で考えろってことなんでしょうね」
ただ――、あのままでは危なかったのは本当のことで、神様に助けられたのも事実だと思う。助けた後は丸投げだったので、解釈で悩んでいるだけ。
底意地の悪いことを言うのなら、じゃあ、僕が死んだ方が嬉しかったですか? と、訊けばそれで話は終わる。そう感じるからこそ、それだけは口にしない。
ちゃんと、一緒に考える。
これまで僕が全くしてこなかったそういうこと、これからしていくと決めた。
あ――、と、頭をぐしゃぐしゃと掻きながら高橋さんが。
「お前を守って身代わりになったとかは?」
「分かりません。ですが、その場合はもっと危険だと思います」
先生はすぐに意味が通じたみたいだったけど、高橋さんは、はぁ? と、全く分っていない様子ですぐに訊き返して来た。
「どうしてだ?」
先生に目配せしてみるが、頷かれたので口にすることにする。
「祖父母が味方だったのなら、僕を殺したい誰かが、今も存在してるって事になりますし。それに、そこまではっきりした害意を抱けるというのは、近い人物だと思います。その際に思い浮かぶのは、父親もしくは母親、そして――」
「この三人、か」
先生が、言い淀む僕の話を続けた。
頷くと、高橋さんだけは意外そうな顔をしていたが、高橋さんに視線を向けられた先生は軽く肩をすくめて見せただけだった。
「心理学も完璧じゃないが、傾向から推察することは出来るよ。視線の動きが擦れてない。会話に慣れていない証拠だ」
テーブルに肘をつき、手に顎を乗せて、でも、高橋さんにではなく、僕に向かって答える先生。
「それに、客観的に考えて、味方だとしたら粗末――っと、失礼。小さな神社に幼少期から放置しておいたことと整合性は取れないだろ?」
幼少期から?
ちょっと疑問に思って唯さんへと視線を向けると、うんうん、と、先生の話に力強く頷くふりをしながら、僕自身も頷くことを要求していた。
ああ、結局、お二人の前では大学生の恋人と言う話は継続するんだ……。話すなら、今、まとめて全部打ち明けても良いかなと思っていたけど。
「だから、未必の故意を定義するにしても、話に聞くキミの生活や状況を考えれば、失礼かもしれないが、親族にもそれが適応されてしまうだろうね」
深く考えれば、僕がしたことは殺人に当たるのだろうか? とか、色々と疑問や不安もあるけれど、結局は最初に唯さんに言った一言と同じで、実感がない、が本当の所だと思う。実際問題として、僕は祖父母を殺したいわけじゃなかった。
そして、祖父母は僕を殺したかったのかどうかさえも、もはや訊く手段はない。
事実として、拗れた因果がどちらかしか生かさなかったってことなんだろう。
こういう時、反省も後悔も、まして悲しささえ感じない自分自身の心が、まだ未発達なんだと感じるが、そもそもそうさせた元の原因を考えれば、問題はまた循環しだしてしまう。
「庇ってくださるのも有難いのですが、率直に罪の所在を伺ったら困りますか?」
だから、他の人の生の意見を聞きたかった。
「ああ、困る。医者は警察じゃない」
多分、ほんの少し意図したんだと思う。先生の眉が動いて、そっちに意識を持っていかれたところで、先生の返事を聞かされていた。
「キミのご家族のことは直接存じ上げていないし、キミは実直な青年だよ。立ち振る舞いで分かるさ。更生が必要だとは感じない」
「実直だとしたら、もう少し真っ当に悲しめたような気もするんですけどね」
確かに世間から見れば虐待という環境だったとは思うんだけど、祖父母の死に対する感覚が、ニュースで聞いた顔も知らないどこかの誰かが死んだことと同じような感覚なのは問題のような気がしている。
もっとも、前提条件としての家族とは? という部分で、DNA情報が近い人という認識なので、現時点で祖父母の死を悲しめないのも、そうした意味では当然なのかもしれないが。
「なら、それも含めてさ。そもそも、警察だって取り扱えないだろう、そんな話は。もっとも、だから良い、というわけでもないだろうが。多分、究極的にはキミ自身が解決する……というか、抱えて歩む問題なんだと思うよ」
どこか話を煙に巻かれたような、騙されているような気持ちで聞いていると、先生は意味ありげに笑って。
「誰しも、後ろめたさや後悔はある。無自覚の内に、他人を犠牲にしている場合だって多い。いじめを犯罪に問わなかったりと、社会も矛盾に溢れている。暴く必要のある事件だとは思えない。……どちらかしか救えない選択だったのなら、なおさらね」
正面の先生を見て、その横の高橋さんを見て、最後に隣の唯さんを見る。一様に頷いてくれて、最後に視線を合わせた唯さんが「私なら、家賃かからないんだから、五万でなんとかしろって拘束され続けたら恨むし、反発すると思うな」と、付け加えて、どっか斜に構えていた高橋さんに、ね~? と、問いかけている。
「それも理解出来るから、悩んでたんだっつの。トモダチに悪いことなんてさせたくないからな。……ま、事情が事情だし保護観察ってところかね。って、あれ、お前未成年だよな?」
友達のニュアンスに、唯さんに向けるような気安さがなかったので、ちょっとまじまじと高橋さんを見てしまったら、居心地の悪そうな顔で――色々とおまけが付け加えられてしまった。
「そうですね、二十歳未満です。一応」
さすがに酒を勧められるわけにはいかないので、十八歳以上ということなら大丈夫かと解釈してそう答えたんだけど、テーブルの下では唯さんからの主張が激しかった。太ももを抓る手とか、絡ませてくる足とか。
水面下――否、机面下のことなど全く知らない顔で、先生が高橋さんに苦言を呈している。
「いや、保護観察は少年だけが対象じゃなくてだな……」
そうなの? と、口には出さなくても目を大きくして僕を見た高橋さん。
「気にはしませんよ。僕に色々と欠けたモノがあるって自覚はありますので」
「あ、いや、オレは、別に……お前を悪者にしたいわけじゃなくてだな」
「はい?」
歯に物が挟まったような言い方だなって思った。実際問題として、これから常識や様々なことを監督して頂けると考えるなら、中学生の子供を重荷と考えるのは普通の反応だと思っていたから余計に。
唯さんが、照れ隠しだったんだよ、と、僕に耳打ちし、高橋さんに睨まれている。が、唯さんは得意そうな顔で笑い返して、煽っている……。
「中二病とでも呼んでやってくれればいいよ。知ったばっかりの単語使ってみたい子供はどこにでもいるだろ?」
そう先生にまでからかわれては、さしもの高橋さんも、窓の方を向いて頬杖ついてしまった。
「……なんでもねーよ」
先生も高橋さんも、一応は納得してくれたみたいだったので、昨日結局詳しくは話せていなかった唯さんに、最後に改めてどうでしょう? と、首を傾げてみる。
今回の一件を経て、お手軽な年下の恋人候補という、前ほどの軽さはなくなってしまったような気がするので、唯さんの心変わりだけが心配だった。
「わかんない」
「お前、分かんないってな」
今後のことで、こっそり協力してもらっているからか、高橋さんがそっぽ向いたまま唯さんを問い詰めるも「色々、わかんないことばっかりだったんだもん。でも、格が戻ってきて嬉しい。それだけ」と、どっか達観した顔で唯さんがまとめてしまい、ねー? と、首を傾げて同意を求められれば、僕の答えはいつもとど同じだ。
「はい、僕も嬉しいですよ」
暗い話にならないように気を利かせてくれた唯さんにそう答えると、難しい話はこれぐらいにしますか、と、最後に先生に目配せをして、湯飲みを両手で持って少しぬるくなったお茶を一口飲む。
ほっと緩んだ一息の後、隣の唯さんにそっと耳に口を寄せられた。
「大人はずるいんだよ」
いつもとは違うその一言に、視線で続きを催促すれば、唯さんはどこかニュートラルな顔のままで。
「優先順位があるの。格のこと、信じてたから、話すも話さないも格に任せようってね。辛いとさえ感じられない、心理学的に一番拙い状況だったの分かってるんだよ」
高橋さんが、ピンクのカバーを開いて、スマホの画面を僕に見せてくる。
使い方とかもよくわからないんだけど、吹き出しみたいな形でいろいろ書かれているページ? で、数分間隔でみっしりと文字が連ねてあって、僕がいない間に色々と相談してたことは分かった。
「どうやら、話してすっきりするタイプみたいだったな」
と、さっき二人に責められたせいか、ちょっと悪そうな顔で僕を見た高橋さん。
「まあ、そうですね」
すっきりというか、まだ価値観も判断基準も未熟な子供なんだから、大人の意見を求めるのは普通だと思う。
「なんだよ、煮え切らない反応だな」
テーブルの上にのしかかった高橋さんは、煎餅の皿に手を伸ばし――、唯さんがそれを遠ざけるという意地悪をしているので、半ば寝そべるような状態で僕の顔を下から見上げていた。
「モラトリアムですので」
生意気な、と、呆れ顔をしたのは高橋さんで、唯さんは際どい一言に噴いていた。
「だ、大学生だってモラトリアムだよね。ギリギリ」
唯さんが、悪戯する手を止めて僕の太腿を抓ってきたので、高橋さんは終に煎餅を手にしていた。
パキ、パキと二回煎餅を割る音が響いたと思えば――、目の前に、四分の一の煎餅が差し出されていた。意図するところが分からずに首を傾げれば、ん、と、それでも押し付けるように煎餅を渡す高橋さん。
「義姉弟の契り的なアレだ」
唯さんと先生にも配り終えると、どこかやり遂げた空気を出して深く椅子に座って椅子の背凭れに任せて踏ん反り返っている。
「……煎餅の誓いですか?」
先生が買ってきた高い煎餅ではあるものの、一応とはいえ神事の後の総まとめとしてはどこか滑稽な場面に反射的に問い返してしまったのだけれど、高橋さんは憮然として言い返してきた。
「酒に出来ない理由の癖に、変なとこ気にするなよ」
藪をつついて蛇を出したくはなかったので、大人しく煎餅を受け取った左手を口元に待機させるも。
「…………?」
高橋さんが無言のままなので、それ以外の三人の視線がうろうろしてしまった。
「お前が、挨拶するんだろ?」
こんこん、と、テーブルの下で脛を蹴られたけど、まさかそれが僕の役目だとは思っていなくて。
「仕切りだしたのは、高橋さんでは?」
え? オレ? と、露骨に戸惑った高橋さんに、先生がそりゃそうだろうと呆れ顔をしている。唯さんは僕を見てからにへーっと笑ったので、どっちでも良いらしい。
再び微妙な沈黙が降りそうになっていると、高橋さんが投げやりな調子で短く叫んだ。
「おつかれっした!」
「……した」
遅れて声を重ねるけれど、そうしたのは僕だけだった。
そして各々重ならないまま、ばりばり、ぼりぼり音が響いては――。
「ぐだぐだだな」
先生につっこまれれば、不貞たように高橋さんが言い返している。
「次までに考えとくんだっての」
次? と、首を傾げればどこか脅迫めいた顔を向けられた。
「安全な対処が分かった以上、仕事はたくさんあるんだよ。前にもリスト見せただろ」
「高橋さんって、そういう伝手があるからこのお仕事をされているのでは?」
以前、唯さんからお仕事の内容は伺っていたけど、であればこそ、僕以外にもこうしたことに対処する手段があるんじゃないかと思ったんだけど……。
「お前も、会社に勤めるようになれば分かるよ。世の中の理不尽さがな」
遠い目をする高橋さん。
どうも、そういうことらしい。逆に、これまでどうやって凌いでいたのかの方が僕には気になってしまうんだけど。神社とかお寺にお願いしていたのかな?
それからしばらくは世間話……というか、僕以外全員が社会人なのでお仕事の話なんかをされていたけど、自然と十六時になるちょっと前ぐらいには解散になった。
「ああ、最後にひとつだけ」
帰る間際に先生が声色を変え、真面目な顔で僕を見て言った。
「今回は……、結果としてキミの安全は最大限に守られたので不問にしますが、医者の言うことは素直に聞くこと、もし反することを行うのであれば、急ではなくしっかり相談すること、いいですね?」
予想していなかった言葉に、呆気にとられていると先生の横にいた高橋さんに軽くウィンクされた。
先生にもちょっと軽い感じの笑みを上乗せさせられれば――。
「はい。その時は、頼らせて頂きます」
僕はニッコリと笑って一礼した。
人の縁って不思議なものだな、なんて思いながら。
「気を使われちゃったなぁ。それがつらいのに」
二人の出て行ったドアを目の前に、僕の肩をつかんで背中に引っ付いた唯さんが溜息混じりに呟いた。
「はい?」
僕自身のことを慮ってなのかなと最初は思ったけど、続く台詞がそれを打ち消した。
「もう一歩も二歩も踏み出したいんだけどね、私としても」
僕の肩に顎を乗せた唯さんは、さっきまで肩に乗せていた手を、僕の腕をなぞるように這わせてから、脇腹をつかんで、もとい、くすぐっている。
残念ながら、脇腹の神経が強いのかはたまた鈍いのか、僕はまったく平気だったので。
「なら、そうしますか?」
顔を横に向ければ、鼻と鼻がぶつかった。
高橋さんに、バイト代の使い道について色々とお願いしている最中ではあったけど、唯さんが待ちきれないなら、今この場で保留にしていた関係についてもはっきりと――と、考えていたら、泣き笑いの顔で叫ばれてしまった。
「察してよぉ!? 未成年ン!?」




