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第9話

「お前たちの悪行もそこまでだ!」


 そう吼えると、キャプテングレイシスは白昼の遊園地に飛び出した。海賊の船長が被っていそうな広唾の帽子の下で、黄金色のマスクが陽の光を弾いて輝く。その光にたじろぐように、頭に鯰のぬいぐるみを被った、男にしては妙に声の高い怪人を引き連れた女幹部が顔を引き攣らせる。

「な、何ヤツ!」


 その言葉を待っていたかのように。純白のスーツに青いベスト姿のヒーローが右腕を力いっぱい薙がせた。


「キャプテングレイシス、見参!」


 あの堅物のグレイシスが恥ずかしがって言いそうもないセリフだし、実際に言わなかったのだけれど、多少のフィクションは許しておく。出来事を淡々と語るだけではただのレポートになってしまうし、第一それでは面白みがない。読み物として人を惹きつける要素であるのなら、筆者の裁量で好きにやってもらって良いというのが、最初に取り交わした条件だ。それは勿論、題材になっている人物のイメージを激しく損なわれない程度に、ではあるけど。


 その後、戦闘員相手に大立ち回りを演じたグレイシスは、鯰男の電気攻撃に苦しめられた。どういう仕組みになっているのか良くわからないが、怪人の体に触れると電気が流れるようになっていたらしい。攻撃でパンチを当てるたび、その何倍ものダメージとなってグレイシスに返ってくる。怪人の防御術は、そのまま最大の攻撃でもあった。


 窮地に陥ったグレイシス。だけど、彼はそのままでは終わらない。


 グレートキャプテンエアーキック!


 やっぱり咄嗟に考えたのだろう。そんな聞いている方が恥ずかしくなるような技名を叫ぶと、グレイシスは思いっきり助走をつけ、大地を強く蹴った。大きく宙に舞い、蹴りを繰り出す。その跳び蹴りが相手の顔面に炸裂すると、怪人は呻き、倒れた。あれだけ苦しめられていた電撃も、最後の攻撃には効かなかった。


 そもそも大きな電気の流れる電線に止まる鳥が、なぜ焼き鳥にならないのか知っているだろうか。それは、両足が同じ電線に掴まっているからだ。感電で怖いのは体内を大きな電流が流れることであり、電流は端子間の電位差によって発生する。水の流れと同じで、電流も高いところから低いところへ流れていくのだ。だけど一本の電線であれば、それは同じ電位に保たれているから、高低差のないところでは水は流れないように、それだけを掴んでおけば電流は流れない。だから、焼き鳥にならなくて済むわけだ。


 でも、これがもう片一方の足が地面に着いていたとしたら話は違う。電気回路なんかで素子を0Vの端子に繋ぐとき、『接地する』『アースをとる』なんていうように、大地というのは基本的に0Vとみなされる。だから、電源との間に電位の差が生じて電流が流れる。なら、それを防ぐにはどうすればいいのか。


 答えは簡単だ。大地の上にいなければいいだけの話になる。それ故の跳び蹴りだ。相手が電撃を使う怪人の場合、参考にしてもらえればいい。


 そんなヒーローにとってのお役立ち豆知識を交えつつ、窮地から一転、機転を利かせて逆転勝利したグレイシスを讃える。

 やったー! 僕らのキャプテングレイシス!


-----------------------------------------


 かい摘んで紹介するとそんな内容の文章を読んで、俺は頷いた。ホームページの次回更新用の原稿だ。相変わらず、女子高生のブログ調の軽い言葉遣いが、戦闘という硬派な題材とのギャップを生んでいい味を出している。状況の説明よりも観戦者の感情の方が全面に出すぎている気もするが、寧ろそれが受けているらしい。世の中のトレンドというものは、良くわからない。


「まぁ、悪くないんじゃないか」


 俺のいつも通の感想に、執筆者である和葉は拗ねたように口を尖らせた。学校帰りの女子高生が屯する喫茶店で、彼女の口元には先程食べたオレンジタルトの上に乗っていたクリームが付いていた。


「やっぱり褒めてはくれないんですね。今回のも結構いい出来だと思うんだけどなぁ」


 特に窮地に追い詰められながらも諦めない姿が胸を打つのだとか、PCの画面をスクロールさせながら解説を始める。でもそんなことよりも俺は、文章の脇を添える戦闘風景の写真で、グレイシスがいちいちカメラ目線であることの方が気になった。


「俺は良くできていると思うよ。彼女のコーナーは毎回評判がいいしね」


 グレイシスが素直に褒めると、隣の席に座る和葉がどうだと言わんばかりの視線を寄越してくる。俺は軽く肩を竦めた。いつもお世話になっているお返しに今度はパフェでもご馳走しようかというグレイシスの提案に、ありがとうございますと和葉は、俺に対しては聞いたことのないような猫なで声を上げる。


互いに人に対しては壁を作らない性格なのだろう。和葉とグレイシスは直接顔を合わせるのがこれで二回目だというのに、まるで旧知の仲だといわんばかりの馴染みっぷりをみせていた。そして今回からはヒーロー組合の会合場所はファミレスから彼女お気に入りのカフェに代わり、この店は特選ベリーベリーパフェがオススメらしい。お陰であてにしていたグレイシスからの食事のおこぼれはなくなり、俺は店員の冷たい視線を浴びながらもひたすら水ばかりを呷る。そんなもので空腹なんて癒えはしないのに――。


 前回和葉から電話を受けた直後に、俺はグレイシスに今回の企画を持ちかけた。メインコンテンツ不足に悩む組合ホームページにどうか、と。趣旨としてはごく単純なものだ。ヒーローが出動し、活躍する姿を一般人の視点から写真と文章で伝える観戦レポート。言ってしまえば、毎週テレビで放送されている戦隊物の特撮ドラマを文章にしてみたようなものだ。和葉が言うように、ヒーローの姿が誰かに求められて存在するのだとしたら、そこには一定の需要はあるのだと思った。この小生意気な小娘を引き込むことには少なからず抵抗があったが、文才のない俺が書いて恥を晒すよりは、他人が恥を垂れ流す方がずっといいと思った。


 正直なところ、あまり期待なんてしていなかった。素人が思いついて素人が書いた文章を読んで、どこの誰が喜んでくれるのか。そんなこと、想像もつかなかった。だけど、第1回を掲載した辺りから掲示板にぽつぽつと書き込みが見られるようになった。それは、グレイシスや和葉の自作自演などではなく、確かな反響だった。


 実際にはグレイシスのプロモーションが功を奏したのかもしれない。彼は営業時代から付き合いのあった複数のブロガーに紹介の記事を書いてもらうように頼んでいたらしい。その中には一日のアクセス数が数千人を数えるような人気のあるものも存在し、記事が掲載された辺りから、俺たちのホームページへの来訪者がそれまでと比べて飛躍的に伸びた。今では『ヒーロー労働組合』で検索をすればトップに表示されるほど躍進を果たしている。もっとも、対抗馬がいないのが大いに幸いしているのだろうけれど。


「でも、それはやっぱり和葉ちゃんだっけ? 君のお陰だよ。和葉ちゃんがいいものを書いてくれるから、みんな好意的に紹介してくれる。それを読んでまた別の人が興味を持って来てくれる。俺のしたことは軽く背中を押しただけで、これだけの躍進は和葉ちゃん自身の力によるものさ」


 いえいえそんなこともないですよ、と口だけで和葉は謙遜をする。だけど視線はさっきからウェイトレスの運ぶスイーツばかりを追っていて、よっぽどこの後来るパフェに心を奪われているみたいだった。


「あんまり褒めすぎるとこいつ、調子に乗りますよ」そう茶々を入れると軽く睨まれた。その光景が微笑ましいとでもいうように、グレイシスは笑う。


「正当な評価というのは必要だと思うよ。それに、君にも感謝している。いい案を考えてくれたし、いい仲間を連れて来てくれた」


 いい仲間かどうかはわかりませんけどね、と呟くと、今度は隣から肘で小突かれた。グレイシス相手にはこいつは猫を被るのに、なぜだか俺には容赦がない。


「それで、これからどうするんですか、会長さん。あたし、何でもやりますよ」


 そう言って和葉はパンチを繰り出す真似をした。仲間になったのだから、自分も一緒に戦いたい。そんな意思が、言葉にしなくても伝わってきた。


 そろそろホームページの更新作業だけでは飽きてきたのかもしれない。広報活動も立派な正義を貫くための重要な任務なのだと、色々と理由をこじつけて説得をしても、和葉は実戦に出たがった。もともと粗暴な性格というのもあるのかもしれない。だけど、それ以上に書く側から書かれる側へ、自分がずっと憧れ続け、かつ誰かの憧れを惹く存在へ近づきたいという想いが強くあるのだろう。


 多分、和葉は実感したのだ。自分が書いたものの反響が大きくなればなるほど、自分たちは、自分の信じるヒーローは、こんなにも多くの人たちに求められているのだと。


 そんな少女の胸の内を知ってか知らずか、グレイシスは頷いた。「そうだね。そろそろ次の段階に移ろうかと思っている」

「次の段階とは?」


 俺がそう訊くと、待っていたとばかりにグレイシスは目を光らせた。


「ホームページ上でこの街のヒーロー向けに募っていた会員数が三十人を越えた。これは、この街の人口とこの病の発症率を鑑みれば少しばかり大きすぎる数字だから、中には本当はヒーローでもなんでもない人や、この街の住人でない人もいるのだろう。でも、少なくともそれだけの人が、俺たちの活動を支持してくれているというのは多分、間違いない」


 俺たち三人の他にもそれだけ仲間がいるのだと、グレイシスは嬉しそうに笑った。自分が蒔いた種が確実に育っていることに、強い手応えを感じているのだろう。


「来週の土曜日あたりに彼らを集めて決起集会を開こうと思う。そこで組合の正式な発足と活動開始を宣言する。俺たちの意見というのはもう、個でなくなるんだ。これでようやく俺たちは戦える」


 追加で頼んでいたパフェが運ばれてきて、和葉の前に置かれた。待ちに待っていたはずなのに、和葉は少し複雑な表情を浮かべていた。それは多分、グレイシスの言葉が思い描いていたものと違っていたからだろう。だけどその戸惑いも、きっとすぐになくなる。スプーンを動かし出せば、生クリームのお化けみたいなそれはダイエットと無縁とも思えるその細い体の中に、何の躊躇いもなく消されていくに違いない。


 折角だから乾杯しよう――グレイシスはそう言って、自分のコーヒーカップを持ち上げた。そこに俺は水の入ったグラスを、和葉はパフェの器を押し当てる。


「ささやかな門出に――」


 その晩、今年最後の面接結果を告げる通知が届き、俺は就職活動を止めた。最早、新卒の特権が失われた俺にしてみれば、履歴書にて社会経験をアピールできる団体職員という肩書きに専念した方がいいのではないかと考え、そして決めた。


------------------------------------------


 それから一週間後の土曜日午前九時、桂木平の公民館の斜向かいにある公園に異様な雰囲気を放つ集団があった。赤や黄色や青といった、割とどぎつい色合いをベースとしてコーディネートしたファッションの一団は、そこがコミケ会場ならまだ溶け込むのかもしれないが、近所の上品な老婦人が犬の散歩をしているような閑静な住宅街の公園においては明らかに異彩を放っていた。


 数にして十五人。普段は見慣れてしまったヒーローたちも、それだけ集まれば圧巻だった。蟻も寄せ集まれば気持ち悪いなんてものではない。個々のフォルム自体が奇抜であくが強いのに、それらが寄せ集まると最早何がなんだかわからなくなって軽い吐き気さえ催しそうになる。将来的にはグレイシスはもっと人が増えていくことを願っているが、例えばホールを一杯に埋め尽くすヒーローたちの姿を想像するとぞっとした。


「これ、みんなヒーローなの?」


 このある種異様な光景に、和葉の声は上ずっていた。普通の格好をしては目立つからとあのピンクの格好をしているせいで、その表情は読み取れない。けど、俺が胸焼けを起こしそうな景色に、彼女は目を輝かせているらしかった。


「では、そろそろ始めるとするか」


 グレイシスは俺の肩を軽く叩くと、高さが大人の背丈くらいのゾウさんの滑り台に上った。多分、それが演台のつもりなのだろう。金ピカのマスクが朝日を浴びて神々しい光を放っていた。見た目シュール過ぎるその光景を気にもしていないのか、彼は声を張り上げる。顔をマスクで隠すことできっと、そんな度胸が湧いてくるのだろう。


「皆さん、本日はお集まり頂きありがとうございます。私がこのたびの発起人であるキャプテングレイシスです」


 まずは簡単な挨拶から入り、組合結成の目的、組織としての行動理念等を説明していく。質問はその都度入れられたが、大半はグレイシスの落ち着いた明朗な話しぶりに引き込まれているようだった。約三十分の演説の間、誰も帰っていく者はいなかったし、寧ろ散歩中のおじいちゃんたちが何事かと集まってくるくらいだった。


 最後に賛成多数にてグレイシスの労働組合会長の就任が承認され、続いて事務として俺と、広報担当として和葉の登用が発表された。俺は念願の団体職員の地位を得て、ようやく社会に一歩踏み出したような気がしていた。


「ではここに、N市のヒーロー労働組合の結成を宣言します」


 滑り台の柵に手をついて、グレイシスは前のめりになりながら精一杯叫んだ。そして、それに覆いかぶさるように拍手が鳴り響く。


 連日の暑さにセミも夏バテしたかのように大人しく鳴り出した夏の日の朝。俺たちの本当の戦いは、ここから始まろうとしていた。

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