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第15話

 突然電話が鳴って、うっかり出てしまうと和葉からだった。


 今何していますか? そんなこちらの都合を気にする殊勝な問いかけもなく、彼女は話があるからこれから出てきて欲しいと告げた。

チクリと小言を言うと、すぐに電話に出たくらいだから、どうせ暇なのでしょと返される。外れているわけではなかったから、何も言えずに電話を切った。


 軽く身支度だけを済ませると部屋を出る。


 待ち合わせの場所はやはりカフェだった。今日の店はアップルパイがオススメらしい。俺が着いたときにはまだ和葉の姿はなく、窓際の席に通された。するとすぐに店員がメニューを持ってきたので、それを開いて選ぶフリをしながら、取りあえずといって水を注文する。


 和葉が現れたのは待ち合わせの時間から十分ほど過ぎた頃だった。休日ということもあっていつも見る制服姿ではなく、白地のシャツに黒いカーディガンを羽織り、デニム―のショートパンツという格好をしていた。頭には黒いハットを乗せて、転びそうなくらい踵が高いショートブーツで上手くバランスを取りながら歩いてくる。歳相応にオシャレには気を配っているのだろう。窓際の席までやってくると、寝癖を直しただけの頭にTシャツとジーパン姿の俺を見て僅かに眉を寄せる。何か言いたげな顔をしたまま腰を下ろすと、その文句を遮るように店員が現れて、俺は安堵した。


 和葉はカフェオレとアップルパイのアイスクリーム添えを注文する。お兄さんは? と訊かれて、俺は仕方なく一番安いブレンドコーヒーを頼んだ。本音を言えばそこに四百円も払うくらいなら、コンビニのおにぎりを三つ食べたかったのだが、そのまま水だけで突き通すのは、女の子と二人っきりというシチュエーションによる男の安っぽいプライドが邪魔をした。


 愛想良く店員はお辞儀して下がっていくのを見計らって、俺は口を開く。


「それで、話ってなんだよ」


 恐らくファッションに対するダメ出しをしようと口を開いた和葉が、突然狙っていた獲物を掠め取られたように面食らった顔をした。そのまま誰かに助けを求めるように視線を泳がせる。こんなときに強力な味方となってくれるであろうグレイシスは、念願のテレビ取材の対応でいない。だから終始二人だけというこの状況で、和葉には助けてくれるような味方もなく、俺にしても二人きりで話す事柄なんて思い浮かばない。二人とも黙ったままで、落ち着いたピアノ曲を流すカフェの中を、眠気を誘うくらいに柔らかな時間が流れていく。


 机の上で組んだ手を何度も組み替える和葉を眺めているのにも飽きて、俺は一口水を飲み込んだ。それで胃袋が刺激されたのかもしれない。空腹を訴えて腹が鳴る。そんな俺を咎めるように和葉は睨んだが、視線を返すとすぐに目を逸らした。


 二人とも気まずい雰囲気になりかけた頃、注文した料理が運ばれてきた。水の入ったグラスと灰皿しかなかったテーブルの上が、ピーターラビットの絵の入ったコーヒーカップと皿で少しだけ賑やかになる。そこに和葉は可愛らしいピンクの手提げ鞄からUSBメモリーを取りだし、テーブルに置いた。


「ホームページの新しい原稿ができたので、見て感想を教えてください」

「ああ。だけど見て感想をって言われてもここには確認できるものもないわけだし、別にいつも通りメールで送ってくれれば良かったんじゃないか」


 一応受け取っておきながらも、それが口を開くための口実なのはわかった。もともと原稿を渡したいだけなら直接会う必要もない。それは和葉自身もわかっているはずだ。


 いつもならお腹を空かせたライオンのようにスイーツに襲いかかる彼女の前でアップルパイはまだ原形を保っていて、その脇に添えられたバニラアイスは自身の身体から溶けだしたクリームで皿の上に地図を広げていた。それをもの欲しそうに見つめ続けるわけにもいかず視線を上げると、和葉が窺うように俺を見ていた。そのまま見つめ合っていても埒があかず、俺は久々のコーヒーを口に運ぶ。カフェインがチクリと胃の底を刺した。


「アップルパイ、少し食べますか?」


 突然和葉の口から出たのは、そんな言葉だった。柄にもないことを言う。そう思って彼女を見ると、それを和葉自身も心得ているのだろう、気まずそうに視線を外した。それでももう一度訊いてくる。俺は呆気に取られながら首を振った。


「悪いが焼いたリンゴは苦手なんだ」


 好き嫌い言うなんて子供みたいです。そう言って和葉は微かに笑った。そんなどうでもいい話をしている方が落ち着くのだろう。その方が和葉らしいと、俺も思う。だけど彼女はようやく心の中で何かを決めたみたいに口元を引き締めたかと思うと、笑顔はもう、隠れていった。

 代わりに真剣な眼差しで見つめられて、俺は内心たじろぐ。アップルパイはまだ、綺麗な扇形をしたままそこにあった。


「敵に捕まったって聞きました」


 一昨日のことを言っているのだということはすぐにわかった。どうして知っているのかと訊くと、耳が早いグレイシスが教えてくれたとのことであり、ネットにも少数ながら書き込みがあったらしい。やっぱり本当なのかと訊かれて、事実であるのだから俺は頷くしかない。


「空腹と疲労で倒れたところを……て」

「まぁ、間違ってはいないかもな」


 コーヒーを飲みながら事も無げに答える俺を見て、和葉は興奮したのか突然大声を上げた。


「子供じゃないんだし、どうしてご飯くらい食べていなかったんですか!」


 そう言える和葉はまだ親元にいて、口を開けていれば餌を入れてもらえる環境にいるに違いない。そんなやつが食うに困る人間の境遇なんて想像もできるわけがない。子供じゃないんだから、と和葉は言った。だけど俺はその子供じゃないせいで、巣でぬくぬくと過ごすことも許されずに、餌も取れず飢えいく。


「言ってくれればあたしだって力になれたかもしれないのに」

「女子高生のヒモになるくらいまで落ちぶれたくはないさ」

「もう十分落ちぶれているじゃないですか。あたしにまでこんなに心配させて。そんなところで見栄張ってどうするんですか」


 どうするもこうするもない、と思う。男は見栄を張る生き物なのだから。昔から武士は食わねど高楊枝というくらいに見栄を張って生きて、見栄のために死んでいくものだ。そもそもそこまで意地を貫き通す気もないが、八歳も年下の女の子に頼るのはどうしても格好が悪い。どうせ縋るのなら、グレイシスの方に決まっている。


「心配かけて悪かったな」


 取りあえず口先だけで謝っておくと、和葉は少し拗ねたような、窺うような視線をこちらに向けてくる。


「それで、あいつらに何か変なこととかされなかったでしょうね」

「何かって何だよ。怪人に改造されたとかか?」


 俺は初めて和葉と出会ったときの、女幹部に捕まってその言葉を聞かされたときの嫌がりようを思い出して笑った。だが幸いなことに俺の手は鋏になっていなければ、頭に変な被り物もない。彼らが普段どんな格好をして人間社会に溶け込んでいるかは知らないが、少なくとも一見して体におかしな部分はなかった。だけどそれだけでは安心しないのか、和葉は躊躇いがちに呟いた。


「例えば洗脳とか、です」


 あまりに真面目な顔をして言うので、俺は思わず噴出した。和葉はヘンテコな装置を頭に被せて機械を操作すれば、人間の意志なんて簡単に書き換わってしまうとでも思っているのだろうか。俺が女幹部と川原で過ごした時間はおにぎりを食べ終えるまでの一時間くらいで、そんな短時間でどうこうできるとはとても思えなかった。


「笑い事じゃないです」


 和葉は声を張り上げるとテーブルを叩いた。そして俺を非難するように睨み付けてくる。


「前後で何か変わったことはありませんか? 相手のボスに対して急に忠誠心が芽生えだしたりとか、丸いものを見ると叫びだしたくなったりするとか」

「あいつらのボスがどんなやつで、なんて呼ばれているかもしらねえよ」


 そう答えながらも、しかし変わったことなら確かにあった。悪の組織への見方だ。彼らと俺たちで今まで黒と白にはっきりと塗り分けられていた境界線が滲んで、おぼろげなものになり出していた。


 だけど、それが悪いことだとは思えなかった。それは人それぞれの思想が単純に色分けできるものではないのを思い出しただけだ。組織というものはいつだって、一つの色に染め抜かれているわけではない。人が集まればその分様々な色に彩られて、そこには好きになる色もあれば、吐き気を催すようなものだってあるに違いない。俺はただ、和葉の毛嫌いするそれを好きになりかけているだけだ。だけどそれを正直に話したとして、彼女は一体、どんな顔をするのだろう。


「お兄さんのこと、信じていますから」そう言い出しす和葉は、まるで縋るような顔をしていた。「だから、あいつらの手先になんて、ならないでください」


 お兄さんはあたしを――裏切らないでください。


 それが多分、和葉が最も恐れていたことなのだろう。そして、直接会って確かめたかったこと。


 ヒーローは常に正しくて、清らかで、正義なんていう曖昧な言葉を具現化したような存在で、そんなものを和葉はただひたすら信じていた。一欠けらの例外も許せないくらいに、ただ真直ぐに。それは自分の理想の形に無理矢理他人を当てはめているだけに過ぎないし、全ての者が同じ型に嵌るわけなんてないのに、自分は神様に愛されているのだと信じて疑わない人間のようにそんな夢だけを見続け、その夢から醒めることを恐れている。


 和葉にとってみんなのために自分を犠牲にしてまで戦い、正義を貫くヒーローこそ全てなのだ。だけど残念ながら、そんなヒーローなんてきっと現実には存在しない。


 ヒーローがヒーローであり続けるためには、最低限生活に足る金が必要だ。グレイシスはそう言い切った。それは多分真であり、だから俺たちはどこかで正義に殉じるよりも寧ろ、ビジネスライクであることが求められる。ならば本当は、そこには敵とか味方とか、正義とか悪とか、そんなものは存在しないのかもしれない。


 だけど、まだヒーローですらない彼女は、正義の味方か存在するために悪が必要だと信じているみたいだった。そして、それが溶け合うことを頑なに拒んでいる。そうでなければ、彼女の憧れ続けるものが消えてしまうから。だから和葉は、正義の味方であり続けろと、俺に言う。

 でも、俺は――


「俺はもともと、お前が望むような正義なんて持ち合わせてはいない」


 コーヒーカップを持ち上げると、俺の手は和葉が伸ばしてきた手をすり抜けていった。別に意識したことではない。それなのに、和葉はそれが俺の答えだと受け取ったのかもしれない。強気な顔が僅かに歪むのがわかった。それでも平静を繕おうとする彼女が痛々しかったからかもしれない、気づけば俺は取り繕うように口を開いていた。


「もっとも、ヤツらのために働いてやるつもりも、そんな義理もさらさらないさ」


 それは俺の本心には違いなかった。あいつらのためにこの手を悪事に染める気なんてない。女幹部の誘いを受けるとしたら、それは利害の一致によるだけだ。彼女は手を貸してくれると言い、それを借りるだけだ。その先にグレイシスたちと共に目指すゴールがあるのなら、俺は誰を裏切ったことになるのだろう。


「取りあえずそれ、食べてしまえよ」


 溶けたアイスの海に浮かぶアップルパイを指差すと、和葉はフォークを握った。扇状の形を小さく切ると、甘い汁を存分に染みこませて口に運ぶ。その内の半分をもらっておきながら俺は、悪の組織と手を結んだとしたら和葉は泣くのだろうかとか、そんなことを考えていた。



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