その扉が四角いなら私は開ける。
お題:未熟な快楽 必須要素:三角関係 制限時間:15分
三角関係という言葉自体私はあまり好きでは無い。
というのも、私は三角が嫌いだからだ。
それよりもスクエア。
私は昔から四角が好きだ。
どれくらい前から四角を愛しているかと言えば、
幼稚園の時にまぶたに木のブロック(四角形)が入って、失明しかけた頃からになる。
今思うにあの時、四角は物理的に私の中に入ってきたあの時に、私は既に次の瞬間には四角を取り込んでいたのだろうと思う。
それから以降の人生で私はずっと四角と共にいる。
四角はただ私のなかで静かにしている。
四角は何も考えていないようだし、何を訴えるわけでもない。しゃべらないし、考えない。
そんな四角を私は心の底から尊敬して敬っている。
人生の伴侶に何を選ぶか?
もし四角を選んでもいいのならばそうするだろう。
自分とは何もかも違う他人と人生を共に生きていくということ自体、私には某の無理があるのでは無いかと感じる。
会社で仕事が終わると、家に帰り、私は四角を愛でる。
例えば拭いたり、撫でたり、頬で感じたりする。
それをすることで私は快楽を得る。
未熟な快楽などというそんな不完全で適当なものでは無い。
完全な快楽を私は得る。
一日一日充足感を得る。
それが幸せだと思う。
私は四角を愛して居る。
四角があれば何もいらない。
それに四角だけが昔から私と共にいたのだ。
あの幼稚園児の時から。
それからずっと私の中には四角が居る。
私のすぐそば、四角はソコにとどまってくれている。
それが何より嬉しい。
でも、
昨日、突然四角が居なくなった。
昨日まで四角がいたところに、一文の手紙が置いてあった。
「僕がいるせいで君が気づかないことに耐えられない」
四角がいたところには、
いつからソコにあったのか?一枚の扉。
四角とまるっきり同じ形の扉。
四角がいたから見えなかったその扉。
その先に四角は居てくれているのだろうか?
十本も連続でどうでもいい適当な話をアップしてすいませんでした。ホントに。