第二十七話 新旧の英傑たち
老いた帝と、病に伏す老臣。
清涼殿で交わされる、静かな言伝。
「朕は――待っておる」
鬼の弟・義経が背負う道のりを、帝もまた、見つめていた。
「……歳には勝てませぬ」
二条晴良が頭を下げていた。
その先には、静かに晴良を見つめる正親町天皇がいる。
「鬼との約束は、朕が果たすしかあるまい……」
「帝をお支えすべきところ、まことに申し訳ございませぬ」
帝は小さく息を吐いた。
「鬼の弟はいかがしておる……」
「頼朝が守ってきた武田が、あのようなこととなりましたが――
上杉が内大臣(義経)と手を取り合い、領は広がっておりまする。
しかし……」
「この御所の中でも悪く言う者が後を絶たない……
そう申したいのか」
「毛利への肩入れ、内大臣の悪評……
何やらきな臭い動きがあるようにも思いまする」
晴良の言葉に帝の表情が曇った。
「兄が見据えていた難しき道のりを、突然歩かねばならず……
鬼の弟も、苦しかろう」
帝は御座より降り、ゆっくりと晴良のもとに進む。
「……そなたも苦労したであろう。
病は……心労からかもしれぬな」
「いえ、帝のご苦労に比べたら、何ほどのこともございませぬ」
「朕のために、ここまで良くやってくれた。
何にせよ、この後は養生せよ……」
「勿体無きお言葉……!」
晴良は深く頭を下げた。
帝は平伏する晴良の体を起こし、静かに微笑む。
「最後に一つ……朕の願いを聞き届けてもらえぬか」
「何なりと、お申しつけを」
「鬼の弟に言伝をお願いしたい……」
帝はゆっくりと御座に戻り、腰を下ろした。
「朕は――待っておるとな。
鬼への免罪符――惣無事令の約束は……生きている限りは守る。
――そのように伝えてもらえぬか」
「心得ました」
晴良の言葉を聞き、帝は静かにうなずいた。
「誰かある」
帝の言葉に、清涼殿の奥から数人の女官が現れた。
自力で歩くのが難しい晴良の肩を支える。
部屋を出る際に、晴良は再び帝に振り返る。
帝は静かに頷き、晴良に微笑み返した。
***
「元親殿が、岸和田城に参られたと!」
義経が大内義興の報告を耳にして、声を上げた。
「はい。
鈴木重秀殿のご配慮で、お忍びで堺をご案内されるそうで」
「それは、我らもすぐにでも参ろうではないか」
そこに、徳川家康が口を開いた。
「これより、義興殿は毛利との折衝のために、鳥取城に向かわれまする。
この後長宗我部との話が落ち着くまでは、某が義経様のお側におりまする」
「それは心強い。
義興殿も、家康殿も、お願い申し上げる」
義経が二人に頭を下げた。
そこに、廊下から慌ただしく足音と、宝の泣きそうな声が聞こえてきた。
「あの、お待ちくださいませ……!」
部屋の戸が開いた。
部屋の中の三名を見下ろすように、男が立っていた。
その足元で、宝が慌てて頭を下げている。
義経、義興、家康も振り向いた。
「竹千代!
来ているのであれば、なぜ顔を出さぬ。
水臭いではないか!」
「信長殿……」
家康が苦笑いをしながら呟いた。
「いつの間にかお市を迎えたそうじゃの。
”義兄”と呼ぶがよい。
あっはっは!」
宝が、必死に義経に訴えかける。
「お、お止めしたのですが……私など目に入らぬようでして」
信長がニヤッと笑う。
「この女子は、何者じゃ。
子供がこのようなところをうろつくとは、良い度胸じゃ」
「こ、子供ではございませぬ!
こう見えて……二十歳でございます!」
「な、何……二十歳であったか!
それは失礼した!
中々良い目をしておる。
わしの小姓にしてやっても良いぞ」
信長が楽しそうに宝をいじっている。
それを見た家康が、ため息をついた。
「信長殿……その方は義経様の軍師、源宝殿でござる」
「な、なに……」
信長は一瞬固まり、あらためて宝を見た。
「このものが、竹千代を散々に打ち破った軍神殿の軍師か……!」
家康は言葉なく肩をすくめる。
宝は、子供扱いをされたからか、顔を赤くしながら口が膨らんでいた。
その宝の様子を見ながら、突然、信長が大笑いをした。
「これは、面白きことかな!
ただものでない眼差しをもつ子供と思っていたが、これは失礼いたした。
あっはっは!」
宝の口がますます膨らむ。
「まあ、信長殿、入られよ」
義経が信長に促す。
「宝殿、ちょうど良い。
そなたも入られよ」
宝も思い直したように頭を下げて、信長の後ろについて部屋の中に足を運ぶ。
義経の近くに座ると、信長は丁寧に頭を下げた。
「軍神殿。
わしからも少しお話がございましての」
「遠慮せずに申すがよい」
なぜか信長に対しては、義経は肩の力を抜くことができた。
信長は、まわりの者たちを見まわし、口の端を上げて義経に口を開く。
「長宗我部元親との話を相談されているのかと存ずるが……
お会いになるのであろう」
「ほお、耳が早いではないか、信長殿」
終始困ったような顔をしていた家康が、口を開いた。
「義経様……
信長殿は、昔から誰よりも早く情報を入手される……」
家康の言葉を耳にして、信長が再び家康にニヤッとして言葉を返した。
「わしが滅ぼした伊賀ものを拾ったそうだが、働きが悪かろう。
はっはっは!」
家康は半蔵の手下の件で義経と梓に言い訳をしたばかり。
ただ、この信長の軽口は、疑念を払しょくしたい家康にとって、不利な言葉では無かった。
信長はあらためて義経に顔を向けた。
「長宗我部は滅ぼすつもりであった」
義経が家康に目を向けると、家康は手を額にあてて困り果てていた。
そして、信長に顔を戻した。
「信長殿は、どうあっても長宗我部を攻め滅ぼしたいのか」
「そうではござらぬ。
長宗我部を攻めるはたやすき事。
申し上げたかったのは、元親は山猿の大将、ということ」
義経は信長の真意をつかめずに、信長の言葉を待った。
「四国では並ぶもの無き力を見せておるが――
正規の軍も無く、武器も鎧も見られたものではない。
まだ、本土の軍と戦ったことが無いゆえ、怖さを知らぬ」
信長はさらに、義経にせまる。
「織田の力でも、長宗我部は圧倒できるはずであった。
そこに軍神殿の軍の武装を見せれば、戦意を喪失するであろう」
「脅すのか、長宗我部を」
義経は、これまで交渉の戦略を練ってきた他の者たちの反応も、気になっていた。
信長はその義経の真意を理解しているのか、笑みを浮かべた。
「まずは話をされるが良かろう。
わしは、信貴山にて軍神殿からいただいた武装を整え、兵たちの調練をしておる。
元親と気が済むまでに話をされた後、信貴山まで連れてくるが良かろう」
話を聞いていた宝の表情が、いつの間にか明るくなって、斜め上に目線を向けていた。
その様子に義経が気が付いた。
「いかがした、宝殿」
宝が没頭している時の姿であった。
いつものように、現実に戻された宝は慌てる。
「あ、申し訳ありません!
いえ、あの、これで長宗我部様との交渉が、楽になったと思いまして……」
「宝殿も、信長殿の言に賛同か」
「信長様がどこまでお考えかはわかりませぬが……
でも確かに四国は全ての国を束ねたとしても貧しく、武装を十分に整える物資も金銭もございませぬ。
今の義経様の軍勢の武装との差は、きっと元親様がお考え以上に圧倒的かと存じまする」
宝は、どこか嬉しそうに話を続けた。
「これまで通り、義経様と家康様と私で臣従の説得を試みますが――
元親様が納得されずとも、信貴山城にお連れすれば我々の誠意も、現実もお分かりいただけると存じまする」
「はっはっは!」
宝の話を聞いて、信長が嬉しそうに笑った。
「軍神殿。
このものがおれば、信貴山まで連れてこずとも、元親は首を垂れるやもしれぬ!
のう、竹千代!」
信長は突然家康に振り返る。
「はい、誠に」
家康はバツが悪そうに頭を下げた。
信長はあらためて義経に向き直った。
「では軍神殿。
わしは兵の調練に信貴山に戻る。
まずは堺を元親と堪能されよ」
義経は機嫌よく信長に言葉を返す。
「よろしくお願い申し上げる」
信長は退出しようと立ち上がったところで、義興に目を移す。
「このものは……」
「ご挨拶が遅れ申した。
大内義興と申す」
信長の顔つきが変わった。
「大内義興までこの軍団にはおったとは!」
そして信長は苦笑いを浮かべた。
「大内義興がわが軍におれば、頼朝などには負けずに済んだかもしれぬな」
「単なる敗軍の将でござる……」
信長はしばし義興をみつめていた。
そして一言。
「……教えを請いたかったものよ」
信長は顔を前に向け、愉快そうに笑い出し、退出した。
義経がふたたび宝に目を向けると、交渉の重責から解放されたからだろうか、表情が緩んでいた。
お読みいただきありがとうございました。
義経たちは、それぞれの想いを胸に歩みを進めます。
義興は毛利と会いに鳥取城へ。
義経が家康と宝をともない、長宗我部元親と会うために堺へ。
――西国の安定と、惣無事令への道のりを開くために。
この後の展開も、是非お付き合いくださいませ。




