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四話 身内面

「浮足立つ所申し訳ございませんが、暫くの間屋敷から出ないよう願えますでしょうか。」

「きゃっ!?」

そそくさそそくさ。厨房で分けてもらった朝餉の残り分を、同じく借りた三段重ねのお重の中にみっちりと。冷えてしまえっては折角美味しいのに味が落ちてしまうと、早々に裏表で色が異なる風呂敷に包み、外行き様の下駄に履き替えに一度東の離れに戻る。ついでに気に入りの羽織を纏いながら、いざ行かんと腰を浮かせた時だった。

誰もいないと思っていた背後から突然聞きなれた声に、そう話しかけられた。

風呂敷を抱えていた上半身が微かに飛び上がり、そのまま手を付く間もなく前のめりに倒れ込んでしまう。風呂敷は更に前方へと滑ってしまう。

そんな自分の様に対してだろう。

後方で小さく、あっと漏れた声がして自分が惨めな姿を晒した事に雪那は咄嗟に気付いた。気付いたところで無かったことには出来ないが。畳で擦った鼻頭を抑えながらそのまま後ろに体制を戻す事は出来ないので一度横に体を倒してから静かに起き上がる。

「いっ、いきなり声を掛けないでください氷室っ!私心臓が跳ね上がってしまいました…。」

「いきなり…。そうですか。では今後はいきなり後ろからではなく視界の先から臨みましょう。」

「いえ、そうじゃありません。そうではないでしょう。なんですかそれ?最近貴方弥代ちゃんみたいに私に意地悪な事を言う事多くなっていませんか?私の気のせいですか?いきなりすることはないって私言ってるんですけど…。」

全くもう…と肩を落とせば視界の先には滑って行ってしまったお重の包まれた風呂敷が転がっている。

きっと中身は傾いてしまっているかもしれないと不安になるが、あれだけぎゅうぎゅうに余す事無く詰めたのだからもしかした大丈夫かもしれないと願う。と、そこで雪那はようやく先ほど氷室に言われた言葉を理解した。

「何と仰いましたか?」











「随分といいご身分ですね。雪那には私からお伝えしておきます。」

「待て待て!?なぁ待って!!何が!?何をっ!!アンタはこれを見て何を思ってそんな事いうのさ!?待ってくれよなぁ!!ちょっと!おい!氷室さんっ!!なぁ待って!!ねぇ待ってくれよ!?」

騒がしい事。

大通り沿いの瓶屋の店主が、つい先ほど掲げたばかりの暖簾を潜りながら店先を見やれば、そこには最近この通りでよく見かける“色持ち”の子供がいた。

普段は一人でのらりくらりと歩いている事が多いが、時折複数人と連れ添って人通りも多く賑わう通りの中でも一際目立つぐらいに騒々しく騒ぎ立てるので店主の鶴兵も覚えてしまったものだ。

今日は見慣れない、いや初めてお目に掛かるような恐らくは同じ“色持ち”のお嬢さんだろう。これまた愛らしい顔立ちの別嬪さんに腕を絡めとられて大声を張り上げている。

暖簾を出す際に一緒に陳列した小さな瓶を抱えられるだけ抱えて、店の奥へと静かに戻す。

あの“色持ち”の青髪の子供は悪い意味でも見慣れている。

大切な商品を壊されてはたまったもんじゃないと奥まった定位置に並べなおしていると、奥の方から家内の怒号が飛んでくる。

「あんたぁ!?何店じまいしようとしてるんだい!?」

「違ぇよお前さん。通りに例の小僧がいやがるんだよ。割られてあれが弁償できねぇことぐらいお前も知ってんだろう。おいらだって学ぶもんさ。」

背中に背負ったややこが愚図り出さないように落ち着いてそう返せば履物も履かずに家内は鶴兵を押しのけて外の様子を見に行ってしまう。

どかどかと。子供を身籠る前はもっとしゃなりとして品もある可愛げしかない女だったというのに。女という生き物は子を産むとそれはそれは狂暴になり夫を尻に敷くようになると先駆者達が酒の席で言っていたのを思い出す度にどこか溜息が零れる。まだ生まれて三月も経たないというのにいつの間にか立場は逆転していた。かかあ天下の完成だ。気が付いた時にはもう既に遅い。

なんて事を考えていると腕の中に何やら抱えさせられる。

なにかと思えばそれはかかあが背負っていた筈のややこで。

突然背中から降ろされたころに驚いたのだろう。目をぱちくりとさせて、自分を降ろした母親を求めるように腕を伸ばしている。

「どうしたってんだい?」

「外に氷室様がいらっしゃるんだよ!茶の一つでも用意してさしあげなくちゃお屋敷の方々に失礼ってもんだよ!?」

「またまたぁ、そんな大袈裟なぁ…」

言うや否やかかあはまた足裏を叩きもせずに奥へどたばたと戻っていってしまう。

元々里の生まれではない自分には到底理解できないことだ。

どうにもこの里で生まれ育った者は、里の統治をされている扇堂家という、既に貴族制度などないにも等しいこの国において、些細な事でも敬意を欠かさず示すのだ。

それはどういうわけか屋敷に仕える者達に対しても稀にだ。

かかあが言っていた氷室様とは、鶴兵の記憶が正しければあのお屋敷のお孫様の従者をしている…、

「腕っぷしの強ぇ御方だったかなぁ…」

脇下に腕を回してややこをあやす。

寝とけ寝とけ、かかあがまた戻ってくるまでの間だけでもいいからな。



「では、お言葉に甘えましょうか。」

氷室は瓶屋の夫人から湯呑を受け取ると、店先に用意されていた縁台の端に腰を下ろした。

胸元に抱えていた風呂敷包みを台の真ん中に下ろして、湯呑を傾ける。

一息つけば、眼前には目的の子供が見慣れない少女に腕を回され、不足そうな表情で自分を睨みつけているのがよく分かった。

「何か、言いたげですね。」

「おぅこら!!なんださっきの言葉は!?言いてぇ事しか湧かねぇだろうが!!」

だんっと、一つ大きく足を踏み込むので、同じだけの勢いでその出た足先を踵で踏みつけてみせる。

「っーー!?」

「出していただいた茶を飲んでいるのです。砂埃を立てないでください。」

「言葉で言わない!?言ってくれたら分かるよ俺!?」

「貴方に、言葉。………難しい話ですね。」

「何も難しくないと思うの俺だけぇ!?」

踏みつけられた痛むだろうつま先を擦りながら涙目でそう反抗的な態度を示してくるので、また足を持ち上げれば大人しく縮こまってしまう。

初めからそう大人しくしていればいいものを。

「だいじょーぶ?」

見慣れない少女は、薄っすらと涙を浮かべた子供をまるであやすように垂れた頭を撫でてみせる。

しかしその瞳は、赤い瞳は私を捉えていた。

「弥代の、知り合い?」

「知り合い…?いや、つーかお前勝手に俺の名前呼ぶなよ慣れねぇな!」

「もう、すぐそうやって意地悪言うんだから!」

声色は明るく。子供を支える仕草も柔らかい。だというのに何故だろう。その瞳だけが自分を捉えて離さない。

まるであの忘れられない悪夢の、悍ましい赤い瞳と重なる。

氷室は残り二口もない湯呑をそっと縁台に置いた。



屋敷から暫くでないようにと伝えた後の雪那はそれはそれは当初は取り乱していた。理由もなく屋敷からいきなり出ないようにというのはどういうわけかと。杷勿様の判断かと思ったのか、強く反対をすることはなかったものの、もごもごと言葉を紡ぎながら不満を漏らしていた。

しかし一言、神無月ですと伝えれば静かに身を退いた。

かつてこの里に、屋敷に妖怪の襲撃があったそれと同じ時期。

そこまで言う事はない。何も傷口を広げたわけではないのだ。

半年ほど前、かの子供の存在により少しずつ前へ進もうと、変わろうとしている彼女の想いを踏みにじりたいわけではない。

が、氷室にはそれ以外に雪那を今この屋敷から、敷地から出ないでいてもらえる効果的な言葉を知らなかった。不器用な男なのだ。

下女のうたが亡くなる以前よりは口数も増えただろうが、それでもまだきっと長年人と必要以上に接することを拒み続けた男はまだまだこれからだった。

『分かりました。ですが弥代ちゃんが、お腹を空かせているかもしれませんの。』

朝餉後間もなく西区画の厨房まで足を運んでいる姿を目にしたが、まさかそのような理由で立ち寄ったとは知らず。彼女の横に置かれた大きめの風呂敷包みの中身が分かった氷室は自ら提案した。

『貴女が望まれるのでしたら、私が代わりにお持ちいたします。』

彼女が友達と称するあの子供の元へ持っていくと伝えれば、手紙を行けない変わりに付けたいと言われた。

冷めきる前に早く食べさせてあげてくださいという彼女の言葉に従って、足早に包みを抱え屋敷を出た。

まだ陽も高くなかった為長屋にいるかと思い、知った道を進んだがおらず。隣に住まう夫婦に訊ねれば大通りまで駆けっこに行ったと言われ、どういうわけか分からず、それでも言われた通り大通りに向かえば声を掛ける直前まで確かに駆けっこをしていた。

それが今眼前で自分を見つめる少女と子供の間で行われていた。

端から見れば子供が少女に、人波をかき分けて行われる傍迷惑なそれだったが。

「雪那から渡すように頼まれたのです。暫く、彼女は屋敷から出ることが出来ない為、どうかご了承くださいませ。」

残り二口にも満たないそれを一気に煽り、矢継ぎ早にそう告げる。

返事も聞かぬまま、その場から立ち去るように腰を持ち上げる。

氷室は背後で変わらず笑みを浮かべる少女のその視線から逃げる様に、その場を後にした。






「いや返し方とかえっ?どうすんだよこれ…」

一切の迷いなく、その場を立ち去ってしまった氷室の背中はもう人垣に飲まれてまともに探せそうになく、縁台に置かれたままの風呂敷包が邪魔になってしまわないように抱えればその重みに焦った声を上げる。

「何が入ってるんだろうこの中?」

「何さも当然のようにお前が開けようとしてんの!?俺宛だぞ?!」

「ボクは弥代のお姉ちゃんだから、弥代が見る前にボクが目を通す必要があるんだよ。お姉ちゃんが危険なものじゃないかどうか見極めてあげるから。」「認めてねぇって言ってんじゃん俺!!煩わしい事この上ねえ女だな!?」

二人は身の丈も近かったが弥代の薄っぺらい履物と違って高さも厚みもそこそこにある下駄を履いた彼女は、弥代が抱える風呂敷包みの結び目に手をかける。

青髪と白髪の子供が二人包みを取り合うようにしてわいわいと喚いている光景だ。彼女・詩良が言うような取り合いっこしているような姉妹のように見えるのだろうか。そんな事を考えながら次第にムキになっていく。

ムキになって意地でも離すものかと力を込める弥代だが、どういうかわけか涼しい顔をしている目の前の自称姉は微動だにせず、しかししっかりと包みを掴んで離さない。

「お前が知らねえ相手!俺のダチ!」

「弥代のお友達って事はボクも仲良くしなくちゃぁ!でそいつって男?女?」

「いいから離せよ~!」

調子を掻き乱される。それは何も今に始まったことではなく二日前の夕方からずっとだ。

昨晩は夕食を用意してもらい、何となしに別にいられたって悪くないかなとかそんな事を考えていたのだが無理だ。こんなのと常時接していて、雪那以上に疲れる相手は御免だ。

その矢先それは訪れた。

「弥代」

苦手ではない。話しかけることだって近づくことだってある。でもそれらは自分からしかけた時に限る。

何を考えているのか覇気のない目線がじっと自分を捉えてくる。それは初めてあの小仏の森で出会った頃から何も変わらない。

奴もまた、弥代の調子を乱す存在に他ならないのだ。

「何をしているんだ。」

「見て分かれよな!?なんでも人に訊ねて教えてもらえると思ってんじゃねえぞ!!」

「今日は気が立っているんだな。腹でも空かせてるのか。」

「俺の気が短いの腹空かせてる以外に理由ねえのかよ!?!?」

「いやちょっとなにお前ボクのこと無視しちゃってんの。」

定位置のように右隣に並ぶでかい図体に包みを掴む力が緩めば、あっさりと包みは詩良の手元に渡ってしまう。

しかし別に包が本当に欲しかっだけではない、弥代とじゃれていたかっただけの詩良はそれを足元に迷いなく下ろすと、口早に彼に掴みかかる要領で言葉を投げかけた。



「弥代、誰、そいつ?」

「いや、誰つーか…」

「弥代以外と馴れ合うつもりはない。」

「え、なにそれどういう事?」

「俺は馴れ合いたくはないかなぁ!?いやそういう事聞いてるんじゃないんですけど?!」

厄介なことになった。

二日前の夕暮れ時の出会いだってそこそこに人目を引いたというのに、今はそれよりも遥かにお天道様も高く、人の行き来も多い。

弥代にはあまり感性というものが優れているわけではないが、里きっての美貌と称される事が多い雪那の顔は確かに綺麗なものだと思う。

ただその顔は右半分を酷い火傷跡に覆われ、伸ばした前髪で隠してはいるものの、見えやしなければ気付くこともない程には、恐らく整っている。

大して目の前の彼女はどうだろう。

あまりこうしてまじまじと、自分にくっつくばかりで離れた姿を目にするのは多分は初めてなのではないだろうか。

白髪に赤目とそれは嫌でも目立つ。

指通りの良さそうな柔らかな髪の毛に、白く長い睫毛に縁取られたあの真っ赤な瞳。よく雪那に向けられる賞賛の中に美しいという言葉を聞くが、土俵が違いというか。一昨日の夕暮れ時の事も踏まえるなら、可愛いという方が近いのかもしれない。

「こんなに可愛い子が目の前にいるにも関わらず弥代の方に声掛けるとか何お前?弥代とどういう関係だよ答えろよ。」

「どんな関係…」

自分でも可愛いというのかと、そう思いながらもこれには弥代も春原の答えが気になった。

何やかんや自分から問いただすのも面倒で、屋敷のあの晩の会話以来折行った話は避けてきた。自分に対しては嘘は吐かないと言った男。話せといえば馬鹿正直に話すか、無言に徹するかのどちらかしか想像が出来ない。

過去の関係を持ち出されても今はあくまでも今しかないと弥代は考えているが、それが自分の過去を思い出せる結果に繋がるのなら是非「ただの知り合いだ。」「ただの知り合いにベタベタ付き纏ってんじゃねえぞボケっ!!!!」



「良いのあれ?」

「良いんだよ放っといて。」

くつくつと喉の奥を鳴らして笑う彼女と、並んで歩いてみると視線がよくかち合う。いや、かち合うというとたまたまのように捉えられてしまいそうだがそういうわけではない。

彼女は、詩良はずっと弥代を視界に留めているようだ。

弥代が話しながら視線を向ければ自分に向けられた視線と混ざり合うだけで。

「どうかした?」

「いや。」

家族だという。

双子だと。

自分の姉だと。

自分の顔など見た事なんてまともにない。

鏡なんてものにも縁もなく。

自分もまた彼女のような真っ赤な目をしているものかと、そう考えてしまう。

ゾッとする。

生々しい、まるで血のような瞳な。

体表から溢れたばかりの血のような、黒く変色するまえの、鮮血のような、そんな赤がそこにある。

自分の“色”から目線を逸らすように遠くを見つめる。

するとどうだろう。

嗚呼、この里には黒意外の“色”も溢れている。

髪も瞳も、"色"を持たない者が多いだろうが、それでもちらほらと、どこか青みを帯びたような髪色をした者や、一際目立つ明るい色をした者もいる。

「そうだな。」

「大差、ねぇよな。」











「いやぁ、見事な蹴りやったねぇ。」

瓶屋の脇から姿を見せた白髪の男は言いながら地面に倒れたままの春原に歩み寄る。

「…。」

「えっいや無視ぃ?何か一言ぐらい言ってぇな?」

男は顔馴染みに気さくに接するように、絶えず言葉を投げかけながら手を差し出す。

「ほら、相良さん?やっけ。んなに着物汚して、小言漏らされるでぇ。」

「関係ない。」

それは普段と何一つ変わりない、静かな返答だ。

「お前には、関係ないだろう。」

それでも言い足すかのように。誰であっても、弥代以外にそこまで言葉を発することがない春原が、そう言葉を続けてみせた。

差し伸ばした右手を弾かれた男は、上手く隠すことも出来ずに開いたままの口元を戦慄かせる。歪んだ口で、息を一つ一つ下手くそにも紡ぐ様が、何とも不器用で哀れで。

春原は弾いた手に目もくれず、立ち上がった。

軽く泥を捌けて、男を、藤原和馬をその場に置いていく。

たとえ相手が義理の兄であろうと、春原にとって関係のない話だ。











「厄介極まりないねぇ。」

草臥れた葉を逆さまに、一つ高い音を立てて煙管の詰めから落としながらそう零すのは里の大主・扇堂杷勿だ。

特注であしらえさせた背をもたれる事ができる座椅子の上で胡座を掻きながら高い天井を仰ぐ首を回す。

「なんでこうも問題というものは止まないのかね。次から次へと、老体に鞭を打たせるんじゃないよ全く。立場を逆にして考えてもみなよ。え?何も嬉しかないだろう?挙句、藤原…藤原家ねぇ…ほっぽり出したいったらありゃあしんないよ、心底ね。」

結局、昨日の会談は全て取り消しとなった。

前日門番への会談申請の時点で、宿泊する宿屋を控えていたため、屋敷の遣いが朝早く宿屋へと赴き、再度調整を望まれる場合は商談が行われるまでの期間の宿代を扇堂家が負担するように宿側への手配も行われた。

わざわざ商談の為にはるばる里を訪れてくれた者を相手に無碍にすることは出来ない。目先の問題が先延ばしになるというのはなんとも気持ち悪いものだ。日を置かねばならない案件でもないというのに、どうしたものか。

「杷勿様、杷勿様。」

首を伸ばしきった所で右手の襖越しに聞きなれた声を聴く。

許可を述べるよりも早く、襖が開けばよく知る声の主・佐脇がいた。

「討伐屋がおいででございます。」



「悪いね春原の坊。わざわざ出向いてもらって。」

「…わざわざ?」

「一々そこで止まる必要はありませんからね春原さん。」

木目の張られた広い御堂には小さな春原の声さえもよく拾う。

失言があってらならないと、口を閉ざすように相良が託せば、春原は興味を失ったように口を固く紡ぐ。

服が朝討伐屋を出た頃よりも若干汚れている事が気になったが、相良もそんなことを気にする余裕はなかった。

七日毎に春原と共に請求の申請書面を持ち込むことがあったが、直接自分達が大主である扇堂杷勿に渡すということはなく、書籍官経由であることが大半だった。こうして面と向かって話をするのは、かれこれ半年振り、里に看板を構えないかと誘いを受けて以来だ。

以前は武蔵国を拠点として働いていたが、ここ数年武蔵国では藤原家の管理が厳しくなり、その関係で直接妖怪討伐の依頼が来ることもめっきり減ってしまった。最低限の生活も儘ならず、これぽっちの財を削って納税をする生活もそろそろ限界かと思われた矢先の甘い話だった。

屯所となる場所も用意してもらえると言うことで、流されるままの春原の代わりに相良が一通りの書面を交わしたのだが、その時点で気付くべきだったというのは、まあ今となれば苦い思い出だ。

しかし武蔵国の統治とは異なり、かつての貴族・扇堂家が統治するこの榊扇の里には納税の義務がなく、最低限の生活なら堪えればなんとか過ごすことが出来た。だからといって未承認で報奨金が支払われないのは話が違うが。

「ウチの馬鹿脇が昨日は迷惑を掛けたみたいだね。」

「杷勿様!?」「帰られるまでお前は口開くんじゃないよ。開いたら叩き倒してやるからね。」

クスクスと、御堂の外で庭掃除をしていた下女らの微かな笑い声が聞こえてくる。


と、大主の目線が庭に向く。

何を言うまでもなく下女らがその場を後にする光景に、これは真面目な話だと相良は春原に変わり気を引き締めた。

「先日。里の巡回を強化してくれと、そんな旨の書面を受け取ったろう。それをね、一度忘れて欲しいんだよ。代わりに、探してほしいものがあるんだ。」

「探す、ですか?」

春原討伐屋が榊扇の里に看板を掲げるようになり、一年の半分は過ぎた。

というのに、扇堂家を経由してくる業務内容に本来妖怪討伐を生業にしてきた立場からすれば生温い里の巡回や、あっても名家の護衛、里に住む者達の諍いの仲介等だ。

里は知っての通り広く。半径二里にも及ぶ、大山の麓から東海道を含んだ海沿いまで続く。偶に顔を出す程度の弥代を含めても実際に動けるのは実質五人に満たないことさえある。それだけの人数で広いこの里を一日で周りきる事は不可能に近い。七日に一度というのは一度に請け負った用件を済ませるまでの云わば期間だ。

が里はとても平和で。ちょっとした事で里の者達が揉めることはあっても、里の中に妖怪が突然姿を現わして生活を脅かす、なんていう武蔵国では日常茶飯事であった事がこの里ではない。

本当に妖怪討伐屋が必要なのかと、運用を始めてから一月が経過する頃には芳賀と一緒になって飯屋で話し込んだものだ。

しかし今回のはこれまでの用件とは異なった、正に自分達の本来の生業に近しい類の内容に違いないと、そう相良の勘は言っていた。

「我々は、一体何を探せばよろしいのでしょうか。」

この榊扇の里は神仏にあたる水虎様という、水神の力によって守護されているのは春原の怪我で屋敷に暫く世話になった際に聞かされた話だ。

もしその水虎様が皆が言うように神仏にあたるというのならば、この神なき月において、元は名も薄い妖怪に他ならないそれの力が弱まっている筈だからだ。

「烏を、探して欲しいんだよ。」






「いやいやいやいや付き纏いすぎくっつきすぎ熱苦しいひっつくな。」

「いやいやいやいや全く全然くっつきすぎなんて事ないない。ほら最近肌寒いでしょ?ボクが弥代の事温っためてあげる。ほら何も困らない?」

水路沿いに腰掛け、氷室から渡された風呂敷包みを解けば中には三段重ねのお重に漆塗りの箸が一膳丁寧に添えられていた。

真横にくっつく自称姉には悪いと思いつつも腹が空いていた弥代は、断りだけ入れて入れていざおかずに手を出した。

扇堂家の食事には基本的に肉が出ることはない。

屋敷の建てられた大山の中腹部はかつては山ということもあり木々に囲まれていたそうなのだが、そこを屋敷の建設の際に切り開いた事で、その土地に住んでいた野山の動物たちの住処を追いやってしまったのを、かつての先祖らが嘆いた為らしいと、雪那がうろ覚えながら肉を欲しがる弥代に説明をした事がある。

里自体にその考えは根付いてはおらず、あくまでも屋敷の者達の考えであり、大山は阿夫利の社が存在している事もあり、精進料理に近いものが多い。が月に一度、海まで続く里の海沿いの漁師らが、産物を献上しに屋敷へやってくる事があり、三日ほど続けて魚料理が出ることもあった。

お重の中には秋の旬の鯖もあり思わず頬も綻ぶ。飲み下すのが勿体なく

思えて何度も何度も噛み締めていると、左どなりの彼女が手を伸ばしてくる。

「だからっ!これ俺の!」

「目の前でそんな美味しそうに食べておいて横取りされないなんて保障はどこにもありゃしないんだよ?べったら?美味しそう。ボク麹類には目がないんだぁ。」「言いながら取るやつがあるか!?」

擦り寄せてきた体を離すように仰け反っていると、好機とばかりにお重の中から真っ白な漬物が抜き取られる。

行儀悪く指先を舐める様が見た目と相まって子供じみて見える。

自分以上に奔放な振る舞いや態度に、仮に双子じゃないにしても歳は近しいのかもしれないと、そう思えてしまう。

「…。」

「ボクの可愛さに見惚れちゃった?」

「かわ??あっ、いや、食ってる横で摘まれるの不快だから食いたいもんあるなら言えよ。先にとるから。」

「一緒につっつくのが楽しいんじゃないか!?」

「そういうのいいから。間に合ってるんで。」

頬をむくれさせて憤りを表してくるが全くこれぽっちも怖くはない。

仔犬がキャンキャンと遠吠えと違い、飼い慣らされたことで高くなった鳴き声のような。鼓膜を直に揺さぶってくるような高音に耳を塞ぐと、背後に誰かが立つ気配を感じる。

人通りもそこそこな大通り沿いの水路に腰を下ろして飯を広げる自分の背後に立つ相手とはどんなだと、もしや先程蹴り倒した春原が復活してわざわざまた追ってきたのかと、箸を咥えたまま肩口から覗くように後ろを見やる。そこには左隣の彼女と同じような白髪をした、昨日春原討伐屋に置いてきた筈の青年が立っていた。

「喉、刺さってまうで。」


「あー、あぁ…えっと、あー?雪那の幼なじみの、……………くしわら?」

「藤原や。藤原和馬。」

透けるような若干の青みを帯びたような白髪の詩良とは異なった、色抜けしたようなどこかくすんだ様な印象を受ける同じく白髪の青年・藤原和馬は弥代が咥えていた箸を抜き取って、持ち手側でお重の中から見てくれが少しだけ崩れかけた卵を摘んで口に運んだ。

「いやなにさも当然のように食ってくれてんのお前?」

「昨日いっぱい奢ってやったやろ?お返しお返し。一切れで済むんなら安いもんやない?」

一度地べたに風呂敷ごと置けば、すかさず和馬の胸ぐらに身長差はあれど掴みかかる弥代。和馬は一切慌てる事無く受けとめ静かに流す。

勢い余って掴んだは良いものの、全く動じないその様子に詩良の事も含め短気になっていたと気付き早々に掴む手を緩めた。



「藤氏の血族か、お前。」

理由はあれどいきなり胸ぐらを掴まれたというのにヘラヘラとした笑みを浮かべたままの和馬の表情が、その言葉に強ばる。

「お前凄いな。藤氏の分際でこの土地に足を踏み入れるなんて命知らずにも程があるだろう?」

弥代は、声のする方へと視線を向ける。

そこにいたのは、間違いなく先程まで肩を並べて他愛もない事で騒いでいた、自分の家族を、双子の姉だと名乗る彼女・詩良だった。











『三一、貴方はどうしてそのような場所に隠れているのですか?』

どういうわけか、彼女は光を知らないくせして事ある毎に師から逃げる私を見つけてみせた。

その日も、師からくすねた薬草を私だけの秘密の場所に持ち逃げようとしたのに、軒下に逃げ込んだ所でその手入れの行き届いた長い長い黒髪を惜しげなく地べたに擦らせながら見えもしないのに顔を覗かせて、そう声を掛けてきた。

『貴女こそ、そんな体勢で…、少々お転婆が過ぎるのではないですか?私に構わないでください。一人にしてくださいな。』

軒下から四つん這いになって陽のもとに出ても、彼女は私が出てきたことに気付かないのか未だに軒下を覗き込んでいる。

勘がいいだけなんて信じられない。

彼女は私が聞こえてないとでも思い込んだのか、口元に手を添えてまた私の名前を、先程よりも少し大きく呼んだ。

『三一?いつまで隠れてるのですかー?出てきてくださいなー!』

『猫かなにかですか私は!?外です!!もうとっくに出てきてますから!!』

軒下伝えに響いたのだろう声に、近くにいた屋敷の使い達が気付き視線を寄越してくる。慌てて泥を払い落せしていると、ふと、全く力のない彼女の腕は限界を迎えたのか、自分の体さえ支えられなくなり前のめりに頭から傾いてしまう。

『春奈様っ!!』

自分のせいで怪我をしたとあっては屋敷の長であるあの方に叱られるのは目に見えている。

思わず彼女の頭を守るように、庇うように抱きしめた。

『びっくりしました。』

『こちらの台詞ですね!?馬鹿ですか!?貴女は馬鹿なんですか!?』

腕の中で肩を震わせるから泣くかと思えば、笑い出すものだからもう呆れかえってそれ以上何も言うことが出来なかった。

彼女は、生まれながらに目を患っていた。

この榊扇の里を代々治めてきた、扇の名の血筋だというのに、"色"を持たなかった。

私によく似た髪も、閉ざされてしまい常からは窺えないその瞳も。それでしかなかったのだ。


『あっ。』

気づいた時、師からくすれた薬草は私の手のひらで潰されていた。

彼女を守る際にそのまま潰れてしまったのだろう。

彼女は、体もそこまで丈夫ではなかった。

神仏と契約をする代わりにこの敷地内から出ることが出来なくなり、代わりに人が到底手にすることができないような神通力を手に入れた大主とは違い、彼女の体は弱く。

目が見えない事もあり屋敷から出ることは殆どなかった。

少しでも、少しだけでも滋養のある物を食べさせて、そうしていつか、いつか彼女に外の世界を見せてあげたいと、密かに思い続けていたのは誰にも話したことの無い私の秘密だ。

私は私なりに、私に出来る範囲で、貴女の、貴女に幸せを、ただ幸せになって、ほしかった。

それだけだったのに。


『三一見てください。何と彼、あの地下牢で一人で暮らしていたそうなのです。』


『寒くありませんでしたか?あそこは屋敷の中でも特別冷えると聞きます。』


『温かい湯を張ってもらいましょう。こんなに冷えきってしまって、かわいそうに。』


『ねぇ三一、貴方もどうか手を貸してください。』


何処の生まれかも、何処からやって来たのかも分からない。

薄汚れた子供の手を引いて私の前に現れた貴女。






「何をしているのです佐脇。」

一々歩み寄る必要がどこにあるのだろうか。

男は、見慣れない着流し一枚で寒くないのか。鼻頭は若干赤みを帯びながらも平然と距離をつめてくる。

「杷勿様にでも叱られましたか?子供のように拗ねていてはまた下の者達に馬鹿にされますよ。」

「放っておいてくださいな。私、貴方と二人で口をききたくありません。」

御堂から出ていくように言われ、大人しく廊下に出たは良いものの、それじゃあまたいつ口を挟んでくるか分からないから暫く離れていろと言われてしまった。

渋々と、共有の履物が用意された場所まで行き、庭に下りてみれば片付けそこねたのか竹箒が一つ転がっていたのでそれを手に取って時間を潰していたというのに。

「懐かしいですね。昔はよく二人で打込みに明け暮れたものです。」

「そんな昔の話、止めなさいな。否が応でも歳を自覚してしまいます。」

佐脇の手元から竹箒を半ば奪い取るようにして、それから男は真剣さながらに脇を締め、一つ振り下ろしてみせる。

その立ち振る舞いのぶれぬこと。長年刀を構えていない男のそれには到底思えなかった。

「もう、振るわないものだと思っていました。しかし、先日ついに抜いてしまいまして。」

だから、なんだと言うのだ。

「佐脇、貴方は、」

「いつまで、そうしているのですか。」

屋敷に、男が戻ってきてから五年以上の年月が経つというのに、昔馴染みのある男にいくら自分が声を掛けようとも、一つ返事で終わりを迎えてしまう。いつからか、男が出した答えがそれだったという事だと、そう言い聞かせて、未だに前に踏み出せずに昔を知る相手を拠り所にしようとしていた自分がいた事に、佐脇は腹を立てた。

だからこそ。だからこそ二人で顔を合わせることも、二人だけで言葉を交わすことも控えてきたというのに。

「貴方が………貴方が、それを言うのですか?」

半年ほど前からだ。遠目に見ても口数が増えたのは。

分かっている。分かっている。分かっているんだ。何が原因かなんて、ああそうだ杷勿様だって同じ、あの子供だ。あの"色"を持ったあの子供、あいつだ、あいつ、あいつが、あいつが、あんなものがまた現れたから…。

『氷室』

「貴方さえ拾わなければ、貴方さえこの屋敷に来なければ、貴方、貴方さえいなければ…っ!!」

止めろ、止めてくれ、止めろ、見るな、そんな、その目で私を見るな。

貴方のその、あの娘と同じ“色”で私を見るんじゃない。

その可能性を示すんじゃない。今まで逸らしてきたその答えを付きつけないでくれ。

彼女の、あの人が残した忘れ形見であるあの娘の瞳で、私を、私を見ないでください…。






いつかを待つ。

いつか、いつの日か。

私の罪が、白日の元に曝される、その日を待ってる。

私はその時を、今か今かと、焦がれる。

焦がれている。

きっと、それは許されない事だから。

『ねぇ、氷室。私、私ね…』

『貴方を愛していたわ。』

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