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十一話 鈴の音

『やだっ!放して!!』

何が出来るわけもなく。己の無力さを知ったのはあの時が初めてだ。

大人達に抑えつけられる彼女でさえも抵抗を示すというのに、自分は何もすることが出来ない。

何も出来ぬまま、尻を着いて、逃げるように背を向けるばかり。

助けを求める声は聞こえど、手を伸ばすことが出来ない。

怖い、と、恐怖が勝ってしまう。

自分の身可愛さに背けたその後ろで、君の助けを求め縋る声が聞こえて仕舞いには耳を塞いだ。

視界にチラつく黒い髪を掻きむしる。体を小さく折りたたむように。


耳を塞いだ所で意味などない。

一際大きな悲鳴に、強く目を瞑る。

いっその事夢であってくれたらどれだけ良かっただろうか。






『雪那ちゃん』

戸を閉め切った暗いお座敷の奥で、見知った乳母に啜り声を上げながら抱き着くその姿の痛々しい事。

藤色の髪の隙間には白い包帯の姿が覗き、幼い彼女の顔半分を覆い隠しているのが分かる。

包帯の下では、あるべきものを失ったそこは窪みに沿って凹んでいるのだろうと思うと、その様を想像するだけで、吐き気を催した。

それでも、あの時差し伸べられた救いを求める君の手を取れなかった事が心残りで、無理を言って顔を見たいと、話をしたいとそう願い出た。

でもそれが叶うことはなくて。

『来ないでっ!!』

怖いよ、とそう届くか細い声が、拒絶された事を知らせてくる。

もう随分と時間が経ったようにも感じる。

ぐらつき出す視界に、揺れる足元に、意味がない事を自覚する。

『和馬様。雪那様は今とても不安定な状況におられます。これ以上刺激を与えられますのは、どうか。どうかお止め下さい。葵は、葵はそれを望みます。』

何がいけなかったんだろう。

俯いた視界にはあの時も見えた、いや、いつだって一番身近にあったその“色”が、自分自身がまるで語り掛けてくるかのように。

(僕が、僕が“色”を持たなかったから?)

(彼女みたいに“色”を持っていたなら、彼女を守ることが、庇うことが出来たの?)

(“色”、“色”さえあれば…、)

(“色”、“色”が、僕にも、あれば…。)


誰かの怒鳴り声が聞こえる。

『何でよ!傍にいたんでしょ!?何でっ!どうしてあの子の手を取ってあげなかったの!?貴方に、あの子は貴方に助けを求めたんじゃないの!?どうして!!どうしてよ!!あの子が、あの子があんな目に合う必要がどこにあったっていうのよ!!どうして、どうしてなのよ!!』

まるで大粒の涙に溺れるように。水浸しになったまま視線を持ち上げる。

袴では吸い切れなかったそれがまるで水溜まりのように、留まる。

僅かばかりに反射する自分の表情は酷いもので。

ふと、目に付くのは髪同様に黒い瞳。目元を慌てて覆う。

何も見たくない。彼女を守る事が出来なかった“色”なんて認めない。

藤の血を引く自分が、何一つ“色”を持たないなんて認めない。

追いやられるように国を後にし、この屋敷で長い事放置されてるなんて、そんなことありえない。認めない。認めない。認めたくない。認められない。

短い爪先が、深く皮膚に食い込む。

伝う水が傷口に沁み込めば痛いだけだ。

でもまだ浅い。早い内に手当てをすれば、きっと良くなる。良くなる筈なのに。

『大丈夫か。』

差し伸べられた手を、和馬は突き放した。

突き放して、そしてあろうことか、捌け口にするように彼の、少年の胸倉を掴み体制を入れ替える。

『お前がっ!!!!』

次の句は出てこない。何もないのだ。

何もない。

何が言いたかったわけでもない。ただ暴力的に、反射的にその身体を砂利の上に叩きつけた。

何もしていない。彼は何もしていない。滅多に見せることのない親切心からかは分からない。でも手を差し伸べてくれた。

力をこんな所で誇示したって何の意味もない。わかっている。わかっている。

でも。

『何で、僕には“色”がないの?どうして僕にはなくてお前には“色”があるの?なんであの子は僕に助けを求めたの?何も出来なかったのに。何も出来なかった、何もする事が出来なかったこの僕に!!どうして、どうしてだよ…どうして、なんで、なんで!!』

痛い。

ずっと痛い。

いつからかなんて忘れてしまった。

痛いのは、どこなんだろう。

痛い。

ずっと、ずっと痛いまま。

何も出来なかった。






「そう、何も出来なかったんや。」

和馬は、藤原和馬は眼前の彼女を見つめる。

自分がこれまでしてきた行いを振り返りながら、まるで自らの所業を告白する罪人のように、ぽつり、ぽつりと零す。

例えばもし、自分が一人であの白鴉をどうにか出来ていたのなら、もっと早い内に面と向かって彼女と言葉を交わすことができただろう。

例えばもし、あの晩見ず知らずの誰かではなく、あの札を剥がすことが出来たのなら、早々にこの里から気付かれぬ内に仲間と合流し逃げおおせていたことだろう。

例えばもし。

「ちゃう、ちゃうって。そんな事、今考えたって仕方がないやろ。」

いつからかなんて、よく覚えている。

あの時、あの場所で力を望んだその時から、自分の中には誰かの意志が存在している。

それは正にあの白い少女が言ったように、蝕むようにずっと、ずっと中に巣食っている。

身に余る、本来その土地の生まれでもない自分が、その土地に根付く加護を、祝福を。あまりに強すぎる思念を取り込んだ故の反動。

自ら望んだ結果だ。他の誰を責める資格があるわけもなく。

浮かべた言葉は耳障りな、独特な抑揚を含む。

「あー、その…、」

彼女は、静かに待っている。

陽は傾き出している。

背の高い木々に囲まれたこの境内には、影が差し、夕陽の温かさそのものさえもう残り僅かだろう。

肩を通さずに纏うばかりの、秋の暮れに薫る銀杏の木を彩るような鮮やかな羽織が靡く。

靡く。靡くのはそれだけじゃない。

彼女のあの甘い果実のような長い髪が、眩みだす東の空に溶け込むような。

「髪、伸ばしたんやね。」

「よぉ、似合っとる。」

「昔は、お転婆で。そこまで長くなかったから。」

「知らんかった。長い髪、えらい綺麗や。」

邪魔をしないでくれ。

溢れる言葉が、誰かのそれに汚される。

違う、違うんだ。

「ずっと、長い間会えてなかった。会いたかった。会いたかったんや、もっと早く。早く。」

会いたくなかった。

会いたくなんてなかった。

出来る事なら二度と顔を合わせたくなかった。

嘘だ。そんなわけない。ずっと会いたかった。会いたくないわけがない。

ずっと。

「ずっと、」

ずっと。

「ずっと…、」

ずっと。

「ずっと、謝りたかったんだ。」






『ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいっ!!』

『和馬君、どうして?』

思い込みだ。言われた記憶もない言葉が頭の中にこびりついて消えない。

どうしてと攻め立ててくる言葉。


『いつまでそうして塞ぎ込むつもりですか貴方は。』

榊扇の里から武蔵国の藤原の屋敷へと戻ったばかりの頃、和馬は一人部屋に籠り切るようになってしまった。

義理兄弟である彼とも、あれ以降顔を合わせなくなってしまった。

八つ当たりのように掴みかかって、自分が直前にされた事をそのまま誰かにぶつけるように大声で喚き散らかして、少しだけ驚いたように見開かれるその青みを帯びた瞳が忘れられない。違う。忘れられないのは他にもある。

『ごめんなさいって、言えなかった。』

逃げてごめんなさい。

助けてあげられなくてごめんなさい。

手を握れなくてごめんなさい。

目を逸らしてごめんなさい。

守ってあげられなくてごめんなさい。

伝える相手もいない座敷の奥で膝を抱える。

部屋の主であった秋滿はそっと、そんな和馬の慰めた。

何も優しい気遣いのできる言葉を投げかけることはできなかったが、それでも彼なりの精一杯の言葉だった。

『自分を責めるのはお止めなさい。』

『仕方のないことなのです。ですが、ですがもし、貴方が今後どうすれば良いのか分からないと、そう言うのでしたら。』

『精一杯生きなさい。』

『誰かの為に、その命を晒しなさい。』

『それが、貴方に課せられた定めなのです。』

膝を抱え、一向に外へと出ようとしない幼子に向けられた言葉だ。

秋滿は何も本心でそんな事を言ったのではないだろう。少しでも気が紛れるようにと、そう思っての言葉だったかもしれない。

でもその言葉はしっかりと和馬の中に刻み込まれた。

それしか縋ることが出来なかったから。他に、立ち上がる術を当時の彼は知らなかったから。

折れそうになる度に、その言葉を求めた。

自分にない“色”を手にして以降は、それが自分に向けられた言葉なのではないと気付いた。

『貴方は、私を失望させないでくださいね。』

彼が彼自身に向けたであろう言葉に、ただ救われただけに過ぎない。

誰かの為に、なんて。本当はどうでもいいのだ。

力を欲したあの時だってそう。誰かの為じゃない。自分の為の力。

望んだのは自分にない“色”。あの子を守れるだけの“色”。あの子の隣に並ぶことが出来る“色”。

「俺は、」

「君に、ごめんなさいって、そう、伝えたかっただけなんだ。」

久しぶりに耳にした、本来の自分の言葉に。

和馬はそのまま一歩、前へと踏み出した。






細くたなびく彼女の長い髪が頬を撫でる。

「ごめんなさい、」

強い夕陽を反射させた瞳が自分に向けられているのが分かる。

「ごめんなさい、」

同じ言葉をただ並べるだけの自分は、はたしてどのように映るのか。

「ごめんなさい…」

頭を垂れる。

「ごめん…、」

視界が揺らぐ。

「守れなくて、ごめんなさい。」

涙が自然と浮かぶのだ。

ずっと、ずっと。

伝えたかった相手に伝える事の出来なかった積み重なった言葉が浮かんでくる。同じだ。

漸く伝えることの出来た喜び、いや解放感だろうか。

あの時からずっと塞き止めていたものが、今になってあふれ出すような、胸の奥が苦しい。

喉奥から絞り出た言葉を、受け止めてもらえるだろうか。途端に不安になる。

少しだけ、ほんの少しだけ、頭を持ち上げそうになる。でも、出来ない。

彼女のつま先から視線を逸らすことが出来ない。

足がその内崩れてしまいそうだ。立っているのも儘ならない。

でも、でも、この場から逃げ出すことだけは出来なかった。

出来なかった。






どれだけ、時間が経っただろうか。

境内は暗くなる。

陽はいつの間にか西へと沈み切ってしまったのだろうか。

しゃくりを上げる体を抱きしめることが出来ないまま、和馬はただその場で頭を下げることしか出来ない。

「ずっと、」

木々のさざめきだけがよく響くその場に、ふと彼女の声が落とされた。

「ずっと、それだけの為にそうまでなられたのですか?」

それは彼女からしたら純粋な疑問だろうか。

訊ねられる声色に頭を持ち上げる。

「そうまでって、」

「謝りたいと。ただ、それだけの為に、貴方はずっと、ずっとそうして、…」

それ以上、彼女の言葉は続くことは無かった。



忘れたわけじゃない、ちゃんと覚えている。

あの時、右目を失ったあの日、そこにいた彼を、覚えている。

あれからずっと、ずっと何年もの間彼は、それを抱えて生きていたのだと、ただ謝りたかっただけなのだと。

雪那は、素直にそれを受け止めることが出来た。

いっそ不自然なぐらいに、何の抵抗もなく。

助けてくれなかった彼を今になって糾弾することが出来るわけがない。

それは眼前でこんなにも苦しそうに、でもどこか背負い続けていたものを肩から漸く下ろすことが出来たように。

真っ直ぐ、暗がりでも自分を見つめるその双眸が物語っていた。

どことなく、それはあの晩の彼に、亡骸となった三ツ江に似ていた。

死ぬことでそれまでのものから解放された三ツ江と、長年伝えることのできなかった言葉を口にして肩の荷を下ろしたような和馬の何が違うというのだろう。

でも、でも。

「ずっとそうして、私に謝りたいと、ただ、ただそれだけの為に、貴方は、和馬さんは、」

疑いようのない真っすぐな気持ちだけで、どこか温かく感じてしまうのは単純だろうか。

いや単純だって構わない。彼が長年ずっと自分に謝りたいと、その一心でここまで来てくれた、自分と向き合ってくれたそれだけで少しだけ。ほんの少しだけ、本当に、嘘偽りはなく雪那は心が軽くなるのを感じた。

ただ、その会話はそこで途絶えることとなってしまった。











あれから十日は経つだろうか。

境内で意識を失った彼は、近くでいざという時に駆け寄れるようにと控えていた弥代の手によって抱えられ、雪那の案により再び扇堂家の屋敷へと迎え入れられることになった。

元々数日まともに食事を摂っていなかったのが大きな要因だろうか。緊張の糸が解れてのかもしれない。その身に流れる血に掛けられた呪いによる痛みに耐えられなかったというのも考えられる。様々な原因と思える要素が重なり意識を失った和馬を、扇堂家の屋敷は何を思ったのか快くとまではいかないが受け入れた。

先日この里に襲い掛かった雷の原因を持ち込んだ張本人であると聞かされていたのに、どういう風の吹き回しだと弥代は若干不信に感じたが、言った所で他に任せる宛があるわけもなく。屋敷の西区画の、春原が半年前に暫くの間世話になったその部屋で彼の療養が行われた。

大主の横に控える佐脇は、彼を毛嫌いしており手を貸してくれなそうだった為、扇堂美琴の元で介助が行われたのだと、そんな話を聞かされたのはつい先ほどの事だ。

「で、どうするわけ?その呪い、だっけがあんだろ?里の中にいても苦しいだけなんじゃね?」

「いやね、それがどういうわけか起きてから全く感じないっちゅーか、痛まないんよ。」

夕暮れ時に耳にした抑揚のない喋り方はどこへやら。以前飯屋で交わした時のような抑揚を節々に交えながらそう彼が語る。

「んだそれ。じゃぁ何か?お前の呪いはどうしたんだよ?」

「分からんけど、もしかしたらどっかの優しい神様が取り除いてくれたんかなぁって、都合よくワイは考えとる。」

「優しい神様ねぇ…、俺はどうやら知らねぇ奴だろうな。」

「ははっ、弥代ちゃんには優しくないんかもなぁ。」

「贔屓はよくねぇぜ神様よぉ…」

軽口だ。あの時のどこかぎすぎすとした空気とは違う。

柔らかい談笑を交える。

「てかどうだった?屋敷の飯口に合った?」

「美味かったよ。家の方じゃ味が薄くての。相模国の領土の大半を占めるだけあって、西から来る珍しいもんもいっぱいあんやね。飽きないわこりゃぁ。」

「だよなー!いや屋敷の飯うめぇのよ。でも量がイマイチ少ないつーか、俺の我儘だろうけど食い足りねぇてかさ。体よくなったら屋敷出て行きつけの飯屋連れてってやんよ。あっ、お前の奢りでな。」

「いやいやおかしいやろ?快気祝いでワイが奢るんはおかしいやろ!?無一文やで!?ワイ今すってんてんやで!?」

「はー?んな事言ったら俺だって逆さまになったって何も出てこねぇよ?……仕方ねぇな。雪那連れて払わせるか。」「ちょっ!!雪那ちゃんに迷惑かけるのは話がちゃうて!!止めっ!!行こうとすんなや!?ちょー!!誰か!!誰かあの子止めてー!!!!」

言いながら廊下へと出て駆け足で本堂側へと向かいだす弥代を、まだふらつく足で寝台から落ちんばかりの勢いで降りた和馬が追いかけだす。

すれ違う下女らがくすくすと笑うのを尻目に、和馬はどこか気恥ずかしさを覚えるが、それでも足を止めるわけにはいかなかった。

「あっ、雪那ー!明日にでも外で飯食わねー?金ねぇからさ、奢ってくれると助かるわー!」

「止めぇっ!!ほんま止めって!!雪那ちゃん!気にせんで!忘れて!!」

本気ではなく揶揄い交じりなのはよくわかる。それでも壁を感じさせないように気さくに触れ合う人の温もりというのが、今の和馬には何よりもかけがえがなくて。

『貴方は、もう藤原へ戻ってきてはならない。』

明け方、朝日を背にそう自分に言い残したあの人を忘れることはない。

(どこかで、また会えますよね。)

やっと伝える事が出来た言葉の先の、彼女と昔のように過ごすことが出来る時間を。今はただ、大事にすることに和馬は身を捧げるのだった。






弥代が逆さまになっても何もないというのだから、それは春原討伐屋も金がないのは当たり前の事で、少し前に屋敷から依頼を受けていた巡回強化だって、気が付けばいつの間にか白紙に戻っていた。

「いやまじでどうしましょう。え?今月の立て直しの費用いくらでしたっけ伽々里さん?足りていますか?」

「どこぞの誰かが刀を打ちなおさなきゃいけないのに物がないから揃えなくちゃと持ち出したのですから足りるわけがありませんでしょう。ご自身の行動をどうか冷静に振り返ってくださいまし。」

「相良さんってわりと無駄遣いしますよね~!」

「志朗、そいつは如何ですよ。そいつは如何です。」

「私のせいじゃありませんから!!」

湯呑に注がれた茶の薄いこと、薄いこと。

これなら白湯の方がましだとまで思えてしまうような下手に味覚を刺激するだけの薄さに微かに芳賀の眉間に皺が寄る。

それ以上顔に出しては贅沢を言うんじゃないと叩かれかねないとぐっと堪えるも、目ざとく伽々里の目が光る。

「芳賀さん人が出したものに嫌そうな顔をするのは止めなさい。身内だけしかこの場にはおりませんが、普段からそういった面には気を張りなさい。気が緩めば直ぐにボロが出てしまいますよ。」

「うぇ、はーぃ、すんません…」

最悪叩かれると思っていたが、予想外にも手を出されることはなく。そんな様子に少し違和感を感じてしまうその時だった。

とんとん、と小さく正面口が叩かれる音がする。

誰か客人かと、一番玄関に近い位置にいた芳賀が体を捻り腰を持ち上げる。

「はいはい少々お待ちくださいねー!んしょっと。あーお待たせしましたしましたしまし…あれ?」

戸を開ければそこにいたのは意外な人物で。

見覚えはあれど名前は聞き覚えのない、屋敷の娘に仕えている従者の姿があった。

「相良志朗殿に折り入ってお話があります。」

「上がらせていただいてもよろしいでしょうか。」






それは、何ともまぁ奇妙な話だ。

あと一歩遅ければあの身の程知らずの青年は呪いか、身に余るそれによって命を落としていただろう。危ない所だった。実に、危ない所だった。

だというのに、それはあの神仏擬きによって防がれた。青年が例えばそれで命を落としたとなれば、あの娘が傷つくとでも考えたのだろうか。

今になって過去の自分の行いを悔やむなんて、あまりにも遅いだろうに。

一時の感情に身を任せて、そうして呪う事で気を紛らわしただけにすぎない。こんなのどうやったって笑い話にもなりゃしないだろう。

ああそうかい、君は興味がないかい。薄情なものだね。お前のその“色”を再びお前自身が自覚するきっかけを与えてくれた彼の事を、そんな風に斬り捨てる事が出来るだなんて。

そんな顔をするなよ。何も意地悪がしたいわけじゃないんだ。ただの親切心さ。

お前はあまりにも他を斬り捨てるものだから、親切な僕はお前に、それは失ったら追々後悔するぞと、そう遠まわしに教えてやっているだけで…。

止せよ、春原千方。

刀を降ろせよ。向けるべき相手を見誤るなよ。

そうだよ、そう、お前が刀を向けるべき本当の相手は、あいつなんだから。

















それは秋の終わりを告げるが如く、この里に訪れた。


秋雨の降る晩、弥代は珍しく外で食事をしていた。

一緒の家で暮らす彼女は仕事を探してくると言って昼時に外へ出たきり、夕暮れになっても戻ってくることはなかった。

彼女と暮らすようになってから夕餉は殆ど彼女が用意してくれていた為、台所の勝手がわからずに手元は少ないが外で食べる事にしようと、傘を差して家を後にした。

雨宿りを兼ねてか、普段里の北側では見かけない顔ぶれが肩を並べる食事処にお邪魔すれば、どういうわけかそこにはよく見知った二人組の顔があった。

どうやら夕暮れから降り出す雨は一向に止まず、足場の悪い中移動は怪我をしかねないという男の方の判断で、屋敷に牛舎を手配して待っているのだという。

過保護がすぎると漏らせば、彼女も賛同の声を上げる。が、よくよく考えれば随分と前に雨の日、派手に泥濘に足元を取られ着物を汚していた事があったので、迎えを呼んだ事自体は間違ってはいないだろう。年甲斐もなく転んでしまったと恥に顔を覆い隠す様は正直面白かった。

素直にそう言えば頬をむくれさせるのだから、齢二十一など誰が信じようものか。

行儀は悪いだろうが、この二人と他愛もない話をして飯を突きながら食事をする一時が、案外と弥代は好きだった。

この後二人は迎えにきた牛舎によって屋敷へと帰っていき、それぞれ別々の床で眠りにつくにしたって、同じ屋根の下へ帰るのだから、少しだけ。ほんの少しだけ羨ましい。

一緒に暮らす彼女・詩良は時折いなくなる日があり、そうすれば翌日の夕暮れ迄帰ってこない事があった。この時間帯に家にいないのだからきっと今日も帰ってこないのだろう。そうなのだろう。

そう思えば、誰かと帰るというその些細な行為だけでも、どこか羨ましく感じてしまう。自分には今日はそんな相手がいない、静けさしか残らない部屋で一晩を明かすのが寂しかった。

例えばここで今日泊まりに行ってもいいか?なんて軽口を叩くことができたらどれだけ楽だったろうか。でもきっと牛舎はそんなに広くないし、乗れる人数は限られているだろうし、いきなり世話になるのだって、あれから屋敷に足を運んで神仏に拒絶される回数は減りはしたが、悪いなという気持ちの方が勝った。


飯を平らげ茶を飲むころには、外の方から一つ雨音に交じって金の音が聞こえた。

迎えが来たのだろう。

勘定を済ませようと思えば、男の方に窘められてしまう。

屋敷の人間はあれからというもの、どこか弥代に対し甘いというか。楽しい一時を過ごせたお礼だと、三人分を彼が代わりに懐から出して支払う。初めて会った頃とあまり変わらない装いだが、着流しの裾にあった紋はなくなっている。どういった経緯かは分からないが、元々彼女にいた従者とは別に護衛のように彼は今や彼女の傍を片時も離れないようになっているのだ。守りたかったと、ごめんなさいとあの日あの時告げた彼の今までの望みがまるで叶ったような、そんな風に見てとれる。

その様は本当にどこか幸せそうで。

お言葉に甘えて傘を広げれて外に出る。

と、明確な違和感というものを弥代は感じた。

そこには既にいると思っていた二人の迎えの牛舎がなかったのだ。


ーちりん

鈴を鳴らしたような音に、弥代の視線は向く。

なんだと思えば、秋雨の中、大通りの中心にそれはいた。

男だろうか。弱くはあるが雨が降る中、傘一つ差さずに顔には影を差し、そこに立っている。

ーちりん

また一つ、鈴の音が聞こえる。

音は男の方からする。

よく見れば男はその手に何やら杖のようなものを握りしめている。

ーちりん

一つ。

ーちりん

また一つ、聞こえる。


「和馬、雪那連れて早い所屋敷に戻れ。」

警戒。

思わず左手を後ろに伸ばし、長い事抜いていない刀を構える。

腰紐に括り付けた紐を鞘に巻き付ける。

得体の知れない何かに、弥代の中の何かが激しく揺さぶられる。

自身の身の危険よりも、恐れているのは背後にいる店から出てきたばかりの二人に危害が加わることだ。

この里は扇堂家が祀り上げる神仏・水虎の加護により外界からの妖怪の侵入や襲撃を防いでいる。しかしまだこの神無月という月はどうやら神仏自体に悪い影響を及ぼすらしく。

本来水を操る水神である水虎はこの島国において北に住まうとされる妖怪の一種であった。

それがどういうわけか南下したこの相模国の土地に根付き、里を守護する神仏になっていた。

神無月というものがどのようなものか弥代は理解していなかったが、彼女の従者である氷室に先日説明を受けていた。

毎年その時期はその土地に眠る加護が強くなるのだと。

本来北の地に住まう水虎と、東の地の性質というものは相性が悪く。身に受ける加護に、力が相反するように彼女の中で暴れ、そうしてこの里自体に掛けられた結界が弱まるのだということを。


眼前のそれは、恐らくその顕著なまでの違和感は人ならざる妖怪の類であろう。

人の理解を超えた長命な、特異なる力を操るその存在を前に、たった一人で太刀打ちが出来るわけがない事など分かっていた。

けれども、後ろの二人と一緒に逃げるという選択肢はなかった。

ーちりん

また鈴の音がする。

男の持つ杖にぶら下がった鈴が鳴る。

大通りだというのに自分たち三人以外に人がいないのもどこか奇妙だ。

弥代は、もう一度口にする。

「危ねぇかもしんねぇからここから逃げろ。」




「聡明と、称賛を述べるべきでしょうか。ですが結構。私めが用がありますのは貴女様のみ故。他を退けていただけますのは大変都合がよろしい。」

皺枯れた声の主は、距離は詰めぬままそう口を開く。

後方で雪那が和馬に抱えられこの場を後にするのを確認した後、弥代は男を見据えた。

「俺に用だ?何者だてめぇ、先ずは名乗りやがれ。」

言葉の通じる相手であることに対する安堵を覚えながらも、警戒を解くことは無い。

人間相手であれば無暗に相手を斬り捨てる事はしたくなく、刀を抜く事をこれまでずっと避けてきたが、相手が妖怪でありこの里に害を成すのであれば話は別だ。

右手に持ち替えて、柄に軽く指先を滑らせる。

「気迫に満ち溢れた御人だ。しかしそれぐらい威勢の良い方の方がきっと若様もお気に召しますでしょう。数少ない同胞同士、どうか我らが里に迎え入れたいものです。」

「名乗れって言ったのが聞こえなかったのかよ。ぺらぺら訳の分かんねぇ事ぬかしてんじゃねぇぞ。この里に危害を加えるってんなら俺は容赦するつもりはねぇぞ。」

よくよく目を凝らしてみれば、この秋雨の中男は傘一つ差していないというのにその身が濡れているようには見えない。やはり、人ではないのだろう。

「これはこれは申し遅れました。私は小雨坊という妖怪でございます。遥か北の地、津軽より貴女様のお噂をお伺いし参った次第でございます。」

「噂…?」

「えぇ、鬼の子の噂でございます。」



鬼ノ目 二節・鴻雁来、秋旻の契り

全十一話、これにて終話となります。


初節の後書きに倣い、コチラの二節は、

2021年1月21日~21年5月17日に打たれた内容で、加筆等は一切行っていない内容になりますが掲載させていただきました。


全十二節中の、二節目の話となりますが(あらすじにも記載あり)、

初節同様に継続する話ではないため、各節終話時点で完結という形を取らせていただいております。

ご了承下さいませ。

評価、感想等いただけますと大変励みになります。


体感として、半分以上大幅にカットしている節の為、

初節加筆版を刷新後、時間に余裕があれば二節の加筆もしたいと考えております。

その前に、六節以降から前に進むつもりです。

ここまでお付き合い下さりありがとうございました。

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