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「悪かった」
「謝らないでよ。私ね、結婚するの。同じ職場の人」
謝罪の謝罪に対し、詩音は苦笑しつつ重大な報告を混ぜて返す。
あまりにもさらりと告げられた事実に凰理が目を瞬かせると、紫音はとびっきりの笑顔を彼に向けた。
「凰理と違って私をしっかり見てくれるとっても素敵な男性よ」
強がりでも誇張でもない。詩音の目は幸せに満ちている。そんな彼女を見て凰理もぎこちなく笑った。
「……おめでとう、幸せにな」
「うん、ありがとう。だから凰理もいい加減、許してあげて」
なにを?と凰理が尋ねる前に、詩音は人差し指を軽く立てて凰理を指した。
「自分をよ。あなたいつも自分を許せないって顔をしてる」
凰理は常に自分自身になにかを課している気がした。ストイックとでもいうのか。
付き合ってそばにいても、凰理が心の底から幸せそうな顔をしているのを詩音は見たことがない。
いつもなにかを堪えている表情。それだけが心残りだ。
彼女なら……自分より年下でまだ大学生ではあるが、紫音なら凰理を笑顔にできるんだろうか。いや、してほしい。
「私、幸せになるの。だから凰理も幸せにならないと。絶対に」
力強く懇願するように告げる詩音に凰理はふっと笑みを浮かべる。
「ありがとう、詩音」
なにそれ、そんな顔もできるんじゃない。あの子に会ったから?
カフェで紫音といたとき、凰理がどちらの名前を呼んだのか紫音にはすぐにわかった。あのとき、自分を呼んだわけではないのも。
同じ名前でも紫音を呼ぶときの凰理の声はどこか優しい。
けれど今、最後の最後で詩音はやっと凰理から誰かの代わりではなく自分の名前を呼んでもらえた気がした。
※ ※ ※
その後、利都から連絡があり紫音が体調を崩して寝込んでいるから、いくつか差し入れをしてやってほしいと伝えられた。
詩音はすぐに行ってあげるべきだと告げ、研究室を出ていった。くれぐれも手を出さないようにとの忠告付きだ。
凰理自身、そこまで節操なしではないと眉をひそめる。
ちなみに利都からも紫音の部屋のスペアキーを受け取りながら同じごとを言われた。皆、自分をどう思っているのか。
しかし蓋を開けるとこの有様なので凰理としては、もうなにも言えない。紫音はなんとか眠れたようで規則正しい寝息を立てている。
凰理は紫音の額にそっと手を置いたが、また熱い。
まったく。あれほど自分に連絡しろと言ったのに、結局紫音が頼ったのは利都だった。それが凰理の心をザワつかせる。
おそらくそれも自分でなんとかしようとして、どうにもならないうえでの決断だったに違いない。
人に頼るのが苦手な紫音のことだ。すべて自分が我慢して、背負い込めばいいと思っているのは昔から変わらない。
「今なら存分に甘やかしてやれる」
凰理の呟きは誰にも届かず宙に消えた。
紫音本人はそんなことを望んではいないのではないか。結局、詩音に対しても中途半端な真似をして傷つけてしまった。
凰理は前髪をくしゃりと掻き、大きくため息をつく。
『凰理もいい加減、許してあげて』
許してほしいのか、許されたいのか。
凰理は思考を振り払い、そろそろここを後にしようとする。
おそらく仕事帰りに利都が様子を見に来るだろうし、紫音も自分とは顔を合わせたくないかもしれない。
立ち上がり、紫音を見ると彼女の目がうっすらと開いた。起こしてしまったかと焦る凰理に、紫音は寝ぼけ眼で凰理を見つめる。
続けて彼女は柔らかく微笑んだ。
「ありが、とう……おうり」
朦朧とした意識の中、呟かれた紫音の言葉に凰理は固まった。紫音はすぐに目を閉じる。
しばらくその場を動けずにいた凰理だったが、紫音が再度眠ったことを確認し、どっと項垂れた。
今のは、なんだったのか。紫音が自分を名前で呼んだことはない。前世の記憶なのか。それとも……。
どうでもいい。今、自分の目の前にいるのは神代紫音だ。それ以外の誰でもない。誰も彼女の代わりにはなれない。
凰理は紫音の手を取り、もう少しだけ彼女のそばにいることを決意する。
しおらしい紫音も悪くはないが、やはり憎まれ口を叩きつつ元気でよく笑う彼女がいい。
嘘が苦手ですぐに顔に出るのを本人はどこまで自覚しているのか。つくづく正反対だと凰理は思う。だから惹かれたのか。
目が覚めたら、紫音は自分になんて言うだろうか。凰理はベッドのサイドフレームに背を預け静かに目を閉じた。




