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紫音は自室でため息をついてレポート課題に取り組む。大学の夏季休暇中に開講される集中講義で事前に出されたものだ。
明日から講義が始まるので、今日中に仕上げなくてはならない。
課題内容を見たときは、事前ということも考慮されてか、そこまで難しいものではなく、すぐに終わると思っていたのだが予想が外れた。
特段、難しいわけでもない。いつもの紫音ならとっくに終わらせているが、今は違うことが頭の中をチラチラ過ぎり、集中できないのが原因だ。
時間だけが過ぎる焦りで、紫音はキーボードから一度手を離した。思い切って椅子の背もたれに体を預ける。
先日、凰理と偶然にもデートという体験をしてマンションに戻ってきた。
魔王相手にデートとはなんとも妙ではあるが、そこで紫音にとってはさらに衝撃的な出来事があった。
マンションのエントランスで利都と女性が一緒にいるのを見かけたのだが、偶然にも彼女の名前は河野詩音と、紫音と同じ名前だった。
問題なのはその後、そこへやってきた凰理との関係だ。
『……どうしてここに?』
訝しげに尋ねる凰理に、詩音は笑顔で返す。
『仕事の都合でね。ちゃんと先生やってるの?』
『まぁ、それなりに』
ぶっきらぼうに答える凰理に詩音は気を悪くするわけでもなく、むしろ懐かしそうに微笑んだ。
『見てみたいな。凰理の講義してるとこ。大学生にまぎれ込もうかな』
『やめろよ』
すげなく返す凰理だが、嫌悪感はない。気を許しているとでもいうのか、ふたりのやりとりに紫音の心は落ち着かない。
ひとりだけ蚊帳の外だからなのか。そもそも詩音とは初対面だ。無関係の紫音がこれ以上ここに留まる必要はない。
先に部屋に行こうと足先をエレベーターの方に向けたときだった。
『やっぱり元カノに見られるのは嫌か』
詩音の呟きに足が止まる。ちらりと彼女をうかがった後、視線を凰理に移すと凰理はなんともいえない顔をしていた。
そこまでリアルに思い出し、紫音は頭を振る。
いやいやいや。なにも驚くことはないでしょ。だって魔王よ? あの男に恋人のひとりやふたりや三人、もしくはそれ以上いたって別に……。
驚きはしない。ならば数日経った今でもこうして思い出してはモヤモヤしてしまうのは、なんなのか。
あの後、利都から詩音は凰理と同じく大学の同期だと聞いた。
利都の恋人だろうかと想像したときは好奇心でウキウキしてしまったのに、凰理と関係があったと知って、どうしてこうも気持ちの持ちようが違うのか。
なんで、私はあの男のことでこんなに振り回されているの?
肩上で揺れる髪先にそっと触れる。詩音はまさに洗練された大人の女性といった感じだった。
美人で儚げな雰囲気に長く柔らかそうな髪。おそらく仕事もできるのだろう。
大手銀行に勤めているらしく凰理と話す姿は対等で、言い回しには余裕があった。
たしかに、ああいう女性が魔王のタイプだったかも。
その考えに至り紫音の思考は別のところに移る。
なんで、別れたんだろう?
少なくともふたりの様子を見た限り、お互いに嫌いあったわけではなさそうなのは、はっきりしている。
とはいえ、そこまで込み入った話題などあの場で当然出るわけがないし聞けるわけない。
紫音は我に返り、一度立ち上がった。
もう考えるのは止めよう。私には関係ない。
これ以上、魔王に振り回されるのは御免だった。一度冷たいものでも飲んで心を落ち着かせようと決め、紫音は冷蔵庫に足を向けた。




