エピローグ 『在り方の選択』
深夜――廃倉庫の外。
涼しい風が、焼け焦げた空気の名残をさらっていく。
郷夜は静かに座っていた。背を壁に預け、腕に巻かれた応急処置の包帯が微かに赤く滲んでいる。
香帆と蓮華は、その左右に並ぶように腰を下ろしていた。
しばしの沈黙の後、鉄真がぽつりと口を開いた。
「……結局、俺は何も考えずに従ってただけだったんだな」
その声には後悔も羞恥もあったが、それ以上に、何かを踏みしめるような重みがあった。
「他人の言葉のままに生きるのって……楽に感じるからな。自分で何も選ばなくていいってのはな」
蓮華がちらりと横目で郷夜を見る。
香帆も、わずかに目を伏せた。
「でも、先輩は……違った」
「私たちは……自分で選んだから、今こうしていられる」
郷夜は黙っていた。けれど、どこか少し照れたような表情を浮かべ、夜空を見上げる。
「異能者であることから、逃げたいと思ったことはある。けど、それも含めて『白赤郷夜』という人間なんだよな」
それは、誰かに教えられた正しさじゃない。
不器用でも、自分で選び取った、生き方の話。
鉄真が鼻で笑った。
「皮肉だよな。吸血鬼のほうが、人間らしいこと言ってるなんて」
郷夜も笑う。
あまりにも落ち込む鉄真に対し、こんな奴だったかなと思いつつも、今は自分たちの在り方を再確認するいい機会だと、言葉を続ける。
「まぁ……常磐葵と俺、存在的には俺の方が怪物だったかもしれないけど、社会的に見れば葵のほうが……明らかに人をやめた怪物だった」
香帆が、ふと口を開く。
「力に酔って、周りを使い潰して……それを“理想”って呼ぶのは、なんだか社会にも似てるかも」
「うわ、香帆さんの大人コメントきた」
蓮華が茶化すが、その声は穏やかで、どこか誇らしげでもあった。
「でもさ……あたし、思うんだよ」
蓮華が両腕を膝に乗せ、ぽつりと続けた。
「この時代って、『異能があるから恐ろしい』とか、『異能がないから安全』とか、極端に振れすぎてる気がする」
「だからこそ……何を選ぶかが一番大事になる。誰かに流されるんじゃなくて、自分で考えて、選んで生きることがさ」
香帆の言葉を、郷夜が引き取る。
「……人であることの信念なんて、それぞれだろうけど、今の時代……難しくなってるのかもな」
月明かりが、三人の背中を静かに照らしていた。
それは、終わりを告げる光ではなく――
これから始まる夜の、その先を照らす灯りだった。
「……あたし、先輩が吸血鬼でも、ちゃんと人間だって思ってるよ」
蓮華が、さりげなく手を重ねた。
香帆も、小さく微笑みながら、反対の手を添える。
「うん。同感」
郷夜は照れたように笑い、そっと二人の手に自分の手を重ねた。
「……ありがとう」
「……お前ら、なんか随分距離感近くなったんだな」
「そりゃ~……一緒に戦った戦友ですからね♪」
どこか、誰にもなじめないと思っていた。
誰かの脇に立つ資格すらないと思っていた。
けれど、今は違う。
たとえ吸血鬼であっても、人として隣にいようと思えた。
それが人の理の中に『馴染む』ということなら。俺は、少しずつでも進んでいける気がする。
「……そろそろ動かないとな」
重い腰をあげ、少し歩き出した郷夜は、自販機で買った缶コーヒーを鉄真に手渡した。
「……飲めるか?」
「まあ、毒は入ってなさそうだな」
そう言って缶を受け取る鉄真は、申し訳なさと、これ以上落ち込まないように明るくしようという意思があった。
蓮華と香帆は少し距離を取り、並んで会話している。
声の届かないところで、女の子同士の何かを話しているらしい。
そんな背中を見ながら、鉄真が口を開く。
「なあ、郷夜……俺、あいつに操られてたって言うより、乗っかってただけなんだと思う」
「乗っかった?」
「そう。葵の言ってた『弱者救済』とか『異能者の時代における役割』って言葉、俺の中の甘えを全部肯定してくれてた。……考えるの、やめられたからさ」
缶を握る手が微かに震えていた。
「世の中が悪い、社会がクソ……って言ってりゃ、自分の不安とか弱さをごまかせる気がしたんだよ」
郷夜は黙って聞いていた。
「でも結局それって、ただの逃げだよな。言葉に酔って、力に甘えて、自分で選ぶことをやめて……俺、そんなんで特別になった気でいた」
缶の開封音が、静かな夜に響いた。
「だからあの時、お前が『自分の道は自分で決める』って言った時、俺……すげぇ悔しかった。情けなくて、涙出そうだった」
郷夜は少しだけ微笑んだ。
これもまた『人間らしさ』、自分の数少ない友がこんな風に考えてくれたのが嬉しかった。
「……なら、これから選べばいいさ」
「選べるかな。操られてたとはいえ、……色々迷惑かけすぎた」
「今後……鉄真自身がどうありたいか……これに尽きる」
その言葉に、鉄真ははっとする。
缶コーヒーを見つめたまま、ゆっくりと深く頷いた。
「……ありがとうな」
ふと、蓮華と香帆の笑い声が聞こえた。
二人の間に、緊張はもうなかった。
どこか安心したような、あたたかい空気が流れている。
香帆が郷夜の方へ歩いてくる。
それに気付いた蓮華も、少しだけ遅れてついてきた。
「ごめんね。ちょっと話し込んじゃって」
香帆が微笑み、郷夜と隣に来て歩く速度を合わせた。
蓮華も反対側を歩きながら、ぽそっとつぶやいた。
「……ねえ、先輩。あたしたち、これからどうする?」
「どう、って?」
「こうやって異能に巻き込まれて、戦ったり、人の闇を見たり……それでも、また“普通”に戻れるのかなって」
香帆も視線を落とし、小さく頷く。
「……異能があるからって、特別になれるわけじゃない。むしろ、余計に孤独になることもあるって、思い知らされてきたからな」
郷夜は少し考えてから、答えた。
確かに、まだ今回の件も完全に解決したわけじゃない。
「それでも俺は、普通に生きていきたいよ。自分が吸血鬼だってわかってて、それでも誰かと一緒にのんびり過ごしたい」
その言葉に、香帆はゆっくりと笑った。
「私も……そういう“普通”が、いいと思う」
蓮華も、小さくうなずく。
「じゃあ、先輩がその道、間違えそうになったら……あたしたちが引き戻してあげる」
「ん、それは心強いな」
軽く笑い合う三人の影。
その横で、鉄真がぽつりと呟いた。
「支え合って作り上げる普通の生活……生きるのってのは大変だな」
郷夜が歩きながら、ゆっくりと伸びをした。
「さ、帰るか。この後も講義あるしな」
「……えっ、講義あるの?」
蓮華が絶望的な顔をし、香帆がくすっと笑った。
誰しもこんな戦いの数時間後に講義を受けるなんて考えたくも無い。
「日常って、めんどくさいよね。でも、それが愛おしいんだよ」
その香帆の言葉に、郷夜は深く頷いた。
――人でありたい。
『吸血鬼』という怪物の力を持っていたとしても。
『人として生きる』という選択は、いつだって難しい。
けれど、決して一人じゃない。
「……『蛭』の本体さんよ、絶対に壊させないからな、来るなら覚悟しとけよ」
こうして、激しい夜は幕を閉じ、郷夜の選択はまた一歩、社会に馴染むための一歩となった。
最後まで閲覧していただきありがとうございました!
1章完結でございます。
けっこう満足しました。三人称や現代ファンタジーという分野を書いてみましたが、どうだったでしょうか?
このまま第2章予定でしたが、もっと良さげなの書けそうな気がするので、一旦完結させます。
現代ファンタジーを三人称でまだ書いていこうと思います。
ブックマーク登録・評価・誤字脱字報告ありがとうございます!
とても励みになりました!! また急に続きを再開する可能性は大いにあります。




