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第25話 『欺瞞の静寂』


 翌日の昼下がり、愛福大学から都会方面へと離れた地域にある大きめな図書館。


 窓際の一角、数冊の専門書を積み上げながら、如月香帆は小さく息を吐く。


 大きな図書館の中でも人が少なく、冷房がやや効きすぎるこの場所は、今の彼女にとってちょうどいい“戦場”だった。


 片手には、『現代社会における集団誘導の心理作用』『信念形成と暗示効果』といった資料。

 もう片手には、タブレットとスマホ。それぞれにはSNS、掲示板、チャットアプリの画面が映し出されていた。



「……分かりやすいくらいに……痕跡がある」



 香帆がつぶやいた画面には、最近急に投稿が減り、かつ表情もどこか“曇った”学生のアカウント。

 以前は日常のことを明るく投稿していたが、ある日を境に内容が減り、関係者のコメントも消えている。


 ――違和感の痕跡。


 感覚で拾った“変化”に、理屈を乗せて確かめていく。

 それが、香帆のやり方だった。



「選ばせてるようで、もう選択肢を潰してる。そういう力……あり得るかも」



 操作ではなく『選ばせる』ことで服従を作る。

 強制的に心を操るのではなく、同調と孤立の波を使って、知らぬ間に人を“自分の意思”に閉じ込める。



「(――もしそれが本当なら、下手に話しかけても無意味。

 こちらの言葉を“選ばない”ように誘導されてるかもしれない)」



 思考の先で、香帆は郷夜の姿を思い浮かべる。

 強くて、優しくて、でも無茶をする人。

 そんな彼が「話しても届かない」と苦しむ姿だけは、見たくなかった。


 今の自分に出来る最善は何か? 自分の何が彼の力になれるのか?


 彼にとって、自分は役立てているだろうかと不安になる瞬間はある。けれど覚悟は決まっている。



「……ちゃんと、助けるんだから」


 

 彼が諦めて悲しむ顔なんて見たくない。自分を助けてくれたときのような勇ましい顔を見ていたい。



「学生同士の争いなら……私にだって手札を揃えれるはずなんだから」



 そう呟いて、次の資料に手を伸ばす。

 視界の端では、図書館の外に午後の陽が滲み始めていた。





―――――――






 一方その頃、蓮華は自宅のテーブルの上で、紙の地図を広げていた。


 スマホのマップで3D化したものと見比べながら、蛍光ペンで印をつけていく。


 廃倉庫を中心に、入りやすい道、視界が開けているポイント、物陰が多い抜け道、郷夜が戦ううえで邪魔にならない導線と、万が一の撤退ルートまで計算していた。


 近くに敵戦力が隠れていそうな箇所まで視野に入れて目印をつけている。



「……先輩が、動きやすいように」



 ぽつりと独り言を漏らしながら、彼女は真剣な目で地図を睨む。

 可愛いくまのぬいぐるみがいくつか転がっている部屋とは思えないほど、空気が張り詰めていた。



「突入口は3つ……正面は広すぎるから避けるとして、裏手の植え込みが狙い目かな。でも相手だって同じ考えになるかなぁ~?」



 小さな付箋には「照明なし・音が響く・段差あり」などのメモも添えられていた。


 自分が戦うわけじゃない。

 けれど、自分にしかできない準備がある。



「……アタシ、先輩の“後ろ”は任せてもらうって決めたんだもん」



 そう呟きながら、蓮華は机の端に置いていた封筒に視線を向けた。

 中には、万が一の時のためにまとめたメモ――香帆に託すための手紙も入っている。


 もし自分に何かあっても、大事な先輩が止まらないための魔法の言葉。



「(怖いこと、いっぱいある。でも――)」



 逃げる選択肢だけは、もう消していた。


 窓の外では、雲が流れ始めていた。

 不穏な空が、ゆっくりと夜の色を孕み始めている。


 その下で、戦いに向けて“支度する者たち”は、静かに動いていた。





―――――――





 夜のジムには、郷夜の打撃音だけが響いていた。


 音楽も流れていない。

 使い込まれたサンドバッグと拳がぶつかる乾いた音が、まるで“確認”のように繰り返される。


 左ジャブ、右ストレート、膝蹴り、そしてロー。

 ムエタイ基礎を丁寧になぞりながら、郷夜は呼吸を整えていた。


 だが、心は静かではなかった。



「(……親父さんには友達の家に泊まってくるなんて言って……何してんだかな)」



 あの夜、手が届かなかった背中。


 あいつは、自分が操られていたと分かっていた。

 だが、罪を背負った自覚もあった。

 だから――姿を消した。


 自分を恥じ、誰にも頼らず、誰の手も取らず、ただ遠ざかることを選んだ。



「(……『吸血鬼』として悪い道に染まってたら、俺もそうなってたのかもな)」



 自分よりずっと普通で、ずっと社交的で、どこにでも馴染めていたはずの男。

 それでも“異能”に巻き込まれ、今は誰よりも孤独にいる。


 郷夜の拳が止まる。

 額から汗がゆっくりと垂れ落ちる。



「……くそッ」



 絞り出すような声だった。


 怒りの矛先は、常磐葵か。

 それとも、すぐそばにいたはずの友を救えなかった自分か。


 いや――どちらでもある。


 郷夜はサンドバッグの前で拳を握り直し、静かに構えた。

 深く、腹の底から息を吸う。



「(力だけじゃ、救えないのは分かってる。

 けど、力がないと守れないのも現実だ)」



 あの日、蓮華を守るために力を使った。

 自分の中の“吸血鬼”を肯定したのは、初めてだった。


 そして、香帆を守った日――

 吸血鬼としての限界も、リスクも、他者を変えてしまう現実も知った。


 自分の力は、万能じゃない。

 それでも、この状況をどうにか出来る可能性を秘めている。



「選択ってのは……己の意志でするもんだ。他人に選んでもらうようなもんじゃない」



 サンドバッグを睨みつけたまま、左足が軸を描く。

 鋭く振り抜かれた右回し蹴りが、乾いた音をジムに響かせた。


 『吸血鬼』としての力だけに頼るのではなく、自分自身の技で、守りたいものを貫くために。


 その瞬間、携帯が震えた。


 画面には、香帆からのメッセージ。



《友達がターゲットを目撃したって連絡がきた。想定通りの行動範囲だよ》



 文面は端的で、淡々としている。

 でもその裏にある、香帆の“覚悟”が伝わってくる。



「(……俺が引っ張られてる立場になってるな)」



 香帆は、頭で考える者。

 蓮華は、心で動く者。

 そして自分は――その間で、拳を握る者。


 2人の真剣な表情が脳裏に浮かぶ。自然に身体に力が入る気がした。



「……早く片付けて、みんなで普通の大学生活に戻らないとな」



 郷夜はその言葉を、誰にも聞こえないように呟いた。


 誰にも奪わせない。

 この命が続く限り、何度でも取り返す。


 夜のジム。

 止まったサンドバッグが、再び揺れ始めた。

最後まで閲覧していただきありがとうございました!


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次話もよろしくお願い致します。

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