第24話 選ばれた『静寂』
時刻は夜九時を回っていた。
愛福大学のキャンパスから離れた住宅街の一角にある喫茶店――『渡り鳥の休み木』は、営業終了間際の静けさに包まれていた。
客の姿はすでになく、店内の明かりも半分が落とされ、斎藤豪が明日の準備をヒッソリとしている音だけが鳴っている。
そんな中、奥のソファ席に集う三人の影があった。
「……凄い大変だったね」
低く抑えた声で、香帆が言った。
テーブルに置かれたスマートフォンの画面には、鉄真の顔写真と、最後に目撃された時間帯・場所が表示されている。
これらは豪の協力のもと出来たこと、郷夜も全貌を知らない豪の『異能』で出来ることだ。
「……ああ。あのまま追ってたら、多分俺が持たなかった。……数が多すぎた」
郷夜はソファに深く沈みながら、額の奥を押さえていた。
赤雷の痕跡がまだ身体の奥に燻っている。吸血の反動も、回復しきってはいなかった。
平気な顔をしているが、視界の淵が少しだけ赤く滲んで見えている。
「無理しないでよ。私たちだって役に立てるように頑張るからね」
「たまには後輩にお任せあれッ」
蓮華が鞄から手帳を取り出し、何枚かの付箋を並べた。そこには、異能の兆候があるとされる学生の名前と行動パターン、噂の拠点らしき場所がメモされていた。
過去の集会場所や活動していたとされる建物、常磐葵の目撃場所、どれも見やすくまとめられていた。
「大学の裏門から出て10㎞くらい先にある廃倉庫。元は美術サークルの作品保管所だったって……最近、誰かが夜な夜な出入りしてるって噂」
「……随分と王道な隠れ場所だな」
郷夜が静かに目を細める。
「そう。警備の目も届きにくいし、大学からも距離がある。仮に動くとしても、そっちのほうが都合いいでしょ?」
香帆は、あえて目を逸らさずに郷夜を見た。
その目には“巻き込まれる覚悟”ではなく、“踏み込む決意”が宿っていた。
「タクシーで近く通ってもらったんだけど、私……なんとなく、あの葵って人の“気配”を、そこで感じた。匂いでも、音でもない……脳が冷えるような変な感覚」
異能の影響によって、香帆の感知能力は確かに研ぎ澄まされている。
だからこそ、彼女の“なんとなく”は当てになる。
「……つまり、そこに色々ありそうってことだ」
「かもね。ただ、敵が全部そこにいるとは限らない。移動するかもしれないし、罠の可能性もある。でも、ひとつの出入り口にはなる」
蓮華が続けるように言い、視線を郷夜に向けた。
「先輩。……次は、私たちも近くに連れてって。待ってるだけは、嫌だから」
その言葉に、郷夜は一度、口を結んだ。
自分の弱さを、ふたりとも知っている。そのうえで、そばにいようとしてくれている。
「……分かった。けど、俺の指示には従ってもらう。敵は蛭だけじゃない。常磐葵の異能、まだ全貌が見えてない」
郷夜の声は、焙煎の深いコーヒーのように静かで苦い。だがその言葉には、はっきりとした“信頼”の重みが込められていた。
それを受けた香帆と蓮華は、小さく頷き合う。
「じゃあ、動くのは――明日じゃなくて、明後日の夜。私たちのほうで下調べを続けて、決定打になる情報を出す」
「悪い人たちがいるって確信持てたら、連絡する。……だから、先輩は少し休んで」
「無理は禁物。これは絶対にしよう」
「「了解」」
言いながら、蓮華はストールを取り出して、郷夜の膝にふわりと掛けた。
「お姉さんっぽいじゃん、アタシ」
「……可愛い世話好きな後輩だ」
郷夜が微笑み、蓮華は頬を染めてそっぽを向く。
香帆はそんなやり取りを横目に、薄く笑ったあと、グラスを傾けた。
冷えた紅茶が、喉を滑って消える。
この夜を超えれば、また一歩踏み込むことになる。
だが、それでも。
――まだ、取り返せるなら。
彼らの目が、静かに交差する。
それは戦う者たちではなく、“守りたい”と願った者たちの目だった。
――――――――
喫茶店を出た頃には、街灯の光がまばらな通りに、夜風がゆるく吹いていた。
人通りはほとんどなく、虫の声と遠くの車の音だけが、夜の静けさを埋めている。
「先輩、ちゃんと香帆先輩送っていってよね」
蓮華が隣を歩く郷夜の顔を覗き込むように言った。
冗談めいた口調ではあったが、その視線には心配の色がにじんでいた。
「あぁ、俺は少し遠回りしてから送っていく。念のため、確認したい場所がある」
郷夜の返答に、蓮華は一瞬言葉に詰まったが、すぐに微笑みを取り戻した。
「……うん、じゃあまた連絡して。……ちゃんと、寝てね」
「ありがとう」
蓮華はひとつうなずき、反対方向へと足を進める。
その背中を見送ったあと、郷夜は小さく息をついた。ちなみに豪がひっそりと着いていっているので安心できる。
郷夜の横に、香帆が静かに立っていた。
「……鉄真くん、完全に姿を消してる。どのルートを辿っても、家に戻ってないってさ」
「逃げてるんだな。……自分が操られてたって、どこかで気づいてる」
郷夜の声は、夜に溶けるような低さだった。
香帆はスマートフォンを手に、豪から提示された情報を確認していた。
「数日前から、検索ワードが変わってる。“異能者 対策”“洗脳 解き方”“正気 戻す 方法”……他人を助けようとしてた痕跡もあった」
「まだ自分を捨てきってないんだ」
郷夜は、静かに目を伏せる。
自分を見失いかけている友人――その命綱が、まだ繋がっているなら。
「……でも、あの異能の力は、感情を抑え込む。後悔も疑問も、言葉にできないようにされていく」
「だから今、誰にも会わないようにしてるんだと思う。自分の意思で距離を取ってる」
香帆の声には、どこか自分自身の過去を重ねるような響きがあった。
孤立と恐怖。
誰にも理解されずに、自分の中の“異常”だけが残されていく感覚――それが、どれほど苦しいものか。
「……時間との勝負になるのかな」
郷夜は短く言って、夜空を仰いだ。
星の見えない空に、戦いの兆しだけが淡く滲んでいるように感じられた。
「次の戦場が廃倉庫なら……大学の外だ。騒ぎにならない分、思い切って動ける」
「でもそれは、敵にとっても同じ条件。情報の取り扱い、慎重にね」
香帆が視線を上げる。
その瞳には、鋭さと覚悟が宿っていた。
敵は“感情と思考”に入り込んでくる。
物理的な攻撃だけでは決着がつかない戦いになる。
それでも――
「守りたいものを守る戦い」
郷夜の言葉に、香帆は無言でうなずいた。
二人の間に、迷いはなかった。
戦う理由も、守りたいものも、それぞれがすでに胸に抱いていた。
―――――――
夜風は少し肌寒かった。
灯りの少ない帰り道、蓮華は歩幅をゆっくりと落としながら、スマホの画面を見つめていた。
そこには、さっきまで一緒にいた郷夜からの短いメッセージ。
『無事に着いたら連絡くれ。遅くなるなら電話していいから』
ただそれだけ。
だけど、その言葉が胸の奥でじんわりと温かく広がる。
「……先輩、ほんとに優しいんだから」
ぽつりと口にして、誰もいない歩道に笑みを零す。
でも、その優しさが、時々こわい。
さっきの香帆とのやり取り――
二人の間に流れていた“信頼”や“秘密の共有”が、少しだけ自分には遠く感じた。
「(香帆さん、やっぱりかっこいいな……)」
冷静で、鋭くて、それでいて郷夜にもまっすぐ向き合える。
豪への協力要請、数時間で確実に使える情報を収集しまとめあげる力。
自分はというと、まだまだ感情の波に振り回されてばかりで――
さっきの打ち合わせだって、ちゃんと役に立てていたのか不安になる。
「……でも、負けたくないよ」
誰に? 香帆に?
――違う。郷夜に。
蓮華は空を見上げた。雲が空を覆い、星は見えない。
その代わりに、胸の内にある“灯”を見つめた。
初めて、先輩が助けてくれた日。
泣きじゃくって、何もできなかった自分を、たった一言で守ってくれた。
『……髪の色だとか顔がどうとかを複数人で、くだらねぇ……家に帰って宿題でもやってろ』
怖かった。でも、それ以上に――嬉しかった。
だから今、自分も誰かの力になりたい。あの日の郷夜のように。
そう思えるようになったのは、先輩のおかげだ。
足を止めて、深く息を吸う。夜気は冷たく、だけど目を覚ますにはちょうどいい。
ふと、カバンの中から取り出した小さな手帳。
そこには、彼女なりにまとめた情報がぎっしりと並んでいる。
学内の異能者に関する噂、葵に接触した可能性のある人物、大学近辺の人が寄り付かなさそうな場所、大学周辺の詳しい地図。
自分なりに必死で集めた“戦うための材料”。
(……アタシは直接は戦えない。でも先輩を戦いやすくはしてあげられるはず)
――支えることはできる。背中を押すことは、できる。
その覚悟が、蓮華の心にゆっくりと降りてきた。
それに、郷夜のことは自分が一番よく知ってる。
弱さも、優しさも、そして――ときどき見せる、無茶な顔も。
「……思ってた大学生活とは違うけど、先輩と一緒ならいっか♪」
その言葉を夜空に呟いて、蓮華はまた歩き出した。
遠ざかっていく街灯の下、少女の影は静かに、しかし確かに強くなっていた。
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