第19話 『蝕む甘言』
『吸血鬼は馴染みたい』を閲覧していただきありがとうございます!
気付けば第19話まで来ました。
あっという間だったなぁ。
午後のキャンパスには、のどかな日差しが差し込んでいた。
けれど、如月香帆の胸の奥は、晴れやかな空とは裏腹にざわついていた。
「(……また、さっきの子)」
図書館を出て中庭を歩く途中、香帆は“視線”に気づいた。
すれ違った学生。何度か顔を合わせた程度の女子学生だったはずだが、目が合った瞬間、妙な“ざらつき”が胸元に走った。
「(これ、最近すごく増えてきてる……)」
表情は普通。言葉遣いも、態度も、以前と変わらない。
けれど、どこかに“ノイズ”がある。まるで、誰かの考えや感情が、薄皮一枚越しに自分の中に流れ込んでくるような――そんな気味の悪い違和感。
「(郷夜君の影響……かな?)」
無意識のうちに、首元をそっと押さえる。
あの日、郷夜の牙が触れた場所。
その記憶は今でも鮮明で、怖かったはずなのに、なぜか温かさすらあった。
「(吸血鬼に噛まれたら吸血鬼になる……本当に近づいてるのかな?)」
香帆は小さく首を振った。
強さを得たわけじゃない。ただ、今まで感じなかった“違和感”に、無意識に気づけるようになっただけ。
それは、もしかすると――“これから何かが起こる”という前触れなのかもしれない。
「……香帆先輩?」
その時、背後から聞き慣れた声がかかった。振り返れば、そこにいたのは獅子堂蓮華の姿があった。
郷夜を通じてここ数日で話すようになった後輩。互いに学内で噂を聞くような存在なのもあり、会えば軽く挨拶して話すような関係になった。
「なんか心ここにあらずですね……人付き合い疲れですか?」
「さすが鋭いね。それもあるけど、たんにボーっとしてたのもあるかな」
「先輩と長年一緒に居ますから、先輩の鋭さを教えてもらってるかもです」
「本当……仲良しだね」
蓮華は人懐っこい笑顔を浮かべながら、香帆の顔をのぞき込んだ。
だが、その瞳にはかすかな警戒と鋭さがあった。
「(この子も、私と同じで……凄く警戒してる)」
香帆ははっとした。
この“ぴりついた空気”を、蓮華も感じ取っている。
彼女もまた、郷夜に血を吸われた――つまり、今は同じ“変化の中”にいるのだ。
「蓮華ちゃんも、なんとなく……変な感じ、してる?」
「はい。なんか、風が通ってない感じ。周りの人が、急に無表情になったり、話してても、心がそこにいないみたいで」
「それ、やっぱり……私の気のせいじゃなかったんだ」
二人は顔を見合わせた。
香帆の顔には、確かな不安が浮かんでいたが、蓮華はそれを見て、意図的に明るい声を出した。
蓮華とは、郷夜繋がりで軽く挨拶する程度の仲になったばかりだが、ここまで踏み込んで来るということは、相当な違和感が蓮華にもあるのだろうと香帆は感じる。
「でも大丈夫。先輩がいる。先輩って、ちゃんと見てくれてるから」
「……うん。わかる。すごく、安心できるよね」
蓮華の言葉に、香帆も少しだけ笑った。
それでも、胸に残るわずかな緊張は拭えなかった。
何かが、確実に迫ってきている。その確信だけが、2人の間に静かに共有されたのだった。
その様子を、木陰から見つめる一人の男がいた。
猿川鉄真。
声はかけず、ただ少し離れた位置から2人の様子を伺うように立ち尽くしていた。
いつもは朗らかな表情をしているはずの彼の顔は、どこか沈んでいて――
その背後には、淡いグレーのシャツを着た青年が立っていた。
常磐葵。
その手には、ふとしたタイミングで鉄真に手渡された小さな冊子が握られている。
「君は特別な人間だ、これからの未来に良い影響をもたらせる。そう言ったら、彼は黙って受け取ってくれたよ」
葵は誰にともなく呟きながら、ゆっくりと木の陰を離れていった。
――――――――
講義終わりのキャンパスは、日が沈みかけ、間もなく夜になろうとしていた。
郷夜は購買前の自販機で缶コーヒーを手にし、階段横のベンチに腰を下ろしていた。
ポケットに仕舞ったスマホには、未読のメッセージが一つ。送り主は――猿川鉄真だった。
「(俺も忙しかったけど、講義も一緒に受けれないほど忙しいなんて大丈夫か?)」
文面自体は、いつもと変わらない。
けれど、どこかよそよそしい。妙に“壁”を感じた。
いや――
「(この数日、鉄真から感じる雰囲気が、薄くて強さを感じない)」
そう、まるで、会話の“芯”が抜けたような、表層だけをなぞっているような感覚。
喋っていても、目が合っても、そこに“魂”が通っていないような違和感があった。
そのとき、すぐ傍の通路を数人の学生が通った。
小さく会話をしているようで、内容は聞き取れない。だが――郷夜は、その中の1人から、ごく微かな“血の臭い”を感じた。
それは普通の怪我ではない。
もっと深層的な『濁された血』の匂い。
「(……寄生されてた人とは、また違う匂いだ……夜になりかけで助かった)」
今までは気配を隠していた連中が、じわじわと“場”を広げ始めている。
大学という名の、閉じたコミュニティの中で、徐々に輪郭を持ち始めている『支配の構図』。
郷夜は静かにサングラスを外した。
瞳に力が宿り、通りすがった学生たちの気配を一人一人、確かめる。
その一瞬――
すれ違いざまの男子学生と視線が合った。
郷夜は無意識に、拳をわずかに握った。
ほんの一瞬だが、その男の視線には『敵意』が滲んでいた。
「(……今の奴、見覚えがある。たしか、鉄真と同じゼミの……)」
まるで“探るように”こちらを見ていた。
普通の学生なら絶対にしない、静かで、だが鋭利な目付き。
もし操られているのならば、こちらが敵意を向けなきゃいけないのは操っている本人であり、操られている人たちは極力傷つけない方向で行きたい。
「……人間社会ってのは恐ろしいもんだ」
郷夜は、ふっと目を細める。
これまでの戦いは“外部”からの襲撃だった。
けれど今は違う――内部から、じわじわと侵されている。
何らかの形で人を操ることの出来る厄介な異能。
それに加え、寄生型の蛭による肉体強化。
この状況に違和感を感じさせないように、かなり多くの人を操り、それが当たり前であるような社会を形成してるのが嫌らしい。
2つの手法を使って、確実にこの大学を支配させようとしている誰かがいる。
「常磐……葵、だっけな」
香帆が見た違和感。蓮華の言葉。
すべてが繋がる。
彼は目立たない場所から、確実に“地盤”を固め始めている。
その刃は、郷夜に最も近い“友”にまで、伸びてきていた。
スマホを見下ろし、郷夜は静かに呟いた。
「……鉄真、お前まで喰われるなよ」
―――――――
一方その頃、鉄真は学内のカフェでノートPCを広げ、資料を見ていた。
目元には疲労の色が浮かび、指先は震えるように軽く動いていた。
隣の席に、常磐葵が静かに座る。
「また会ったね。……最近、調子はどう?」
鉄真はゆっくり顔を上げて、曖昧な笑みを浮かべた。
「……まあまあっすよ。色々考えることあって、今の状況も良いのかなって色々と」
「うん、きっと君は、考えすぎるくらいがちょうどいいんだと思う」
そう言って、葵は笑った。
その声には“熱”がなかった。けれど、冷たくもなかった。
「君の中の居場所の無さ、嫉妬……特別への憧れ、全部わかってあげられる」
「ありがとうございます」
「そうさ、少数派でなければいいんだよ。影響力のある人物を筆頭に、圧倒的多数の肯定があれば……僕らは世界の中心にだってなれるんだから」
鉄真の目が、かすかに揺れた。
その瞳の奥に、静かに“常磐の色”が滲みはじめていた。
最後まで閲覧していただきありがとうございました!
8月終わりですね!!
9月中旬に第1章完結する予定です。
次話もよろしくお願い致します。




