秘密は墓の下まで
「貴女との婚約は解消することにした」
茶会の席で——いや席に座ってすらいない段階の、顔を合わせた直後に文字通りの開口一番でそう言われ、リリアン・コルデン男爵令嬢はまず室内の人数を再確認した。
3人だけである。リリアンと、その婚約者である伯爵家次期当主、クルーテル・テクストゥム。そしてテクストゥム家の領地の本宅に長年勤める老いた家令だけだ。念のため、ドア近くに立つクルーテルの脇から廊下の様子をうかがってみたが、そこにもお茶のワゴンを押してきた年配の侍女頭がいるだけである。
流行りの小説や歌劇のような、真実の愛を見つけた云々ではないらしい。どこぞの夜会の最中に大声で婚約破棄を告げるような恥知らずな真似でもない。どうやらクルテールは割と真っ当に、婚約の解消を望んでいるようだ。あまりにも突然ではあるし、リリアンの両親も不在の場であることを除けば。
突然だが、リリアンの予想通りである。
そろそろこんな日が来ると思っていた。
リリアンは老家令を見た。重い頷きが返ってきた。廊下にいる年配の侍女頭を見た。目が合って、こちらからも頷きが返ってきた。
ならば、リリアンの答えはひとつだ。
「クルテールさま、そのようにおひとりで全てを抱え込もうとされるのはよろしくないですわよ?」
「えっ」
緊張しているのか、顔を強張らせていたクルーテルの口から、やや間が抜けた声が漏れる。
「まずはお掛けになって。お茶をいただきながら落ち着いてお話をしましょう」
お願い、とリリアンが言うと、侍女頭がワゴンを押して入って来た。
テクストゥム伯爵家本宅の居間ではあるが、招き入れる側となっているのはリリアンの方である。王都のタウンハウスから戻らないクルーテルの代わりに、主人も女主人もいない本宅と領地の運営を指揮していたのはリリアンだ。使用人たちもリリアンを慕っている。
誰の家だと思っている、などとはとても言えない。
クルーテルは勧められるままにソファに腰を下ろした。
リリアンが結婚前から女主人のようなことをしているのには訳がある。
クルーテルの父である前伯爵は、まだ幼い息子と妻を遺して早逝した。不運な事故だった。
悪いことに、前伯爵の弟、つまりクルーテルの伯父も若くして亡くなっていた。こちらは流行病だ。
幼いクルーテルは、まだ爵位を継ぎ領地を運営することができない。そのクルーテルの後見人として認められる、近しい親族もいない。
あわや断絶、という危機から伯爵家が救われたのは、王家の意向があったからだ。
テクストゥム伯爵家には、数代前の王妹殿下が大恋愛の末に降嫁している。王家の血が流れる家門を簡単に廃れさせるわけにはいかない。
そこで王命が下された。曰く、「コルデン男爵家令嬢リリアンは、テクストゥム伯爵家令息クルーテルと婚約し、コルデン男爵家は縁戚となるテクストゥム伯爵家を支えるべし」。
コルデン男爵は、テクストゥム伯爵領で産出される鉱石の加工で財を成し、父が叙勲されて一代貴族となった男だ。だからテクストゥム伯爵家とは元々一蓮托生とも言える関係で、それを支えよと命じられれば否やはない。
しかも王家は、クルーテルが無事に成人し伯爵位を継ぐまで無事に領地を守れば、コルデン男爵家に世襲を認めると約束したのだ。
コルデン男爵一世一代の大事業だ。なにしろ家門の運命がかかっている。
男爵はさっそく、娘のリリアンに出来得る限りの教育を施し、テクストゥム伯爵領行きにも同行させるよつになった。事業の都合上、コルデン男爵は伯爵領には定期的に足を運んでいる。そこに娘を伴い、領地運営とは何たるかを実地で学ばせて、伯爵家の女主人にふさわしいよう育て上げるためだ。
幸いにして、リリアンには状況を見る目と数字を把握する才能があった。クルーテル自身も全てを人任せにしようとはせず、リリアンと共に良く学んだ。
リリアンとクルーテルがふたりで帳簿を確かめ、その年に起きた小規模な水害とそれに伴う不作への対策を的確に指示したのは、リリアンが12歳、クルーテルが14歳の時だった。
その結果はコルデン男爵を満足させ、翌年からはリリアンはひとりで伯爵家の屋敷に向かうようになった。父から一人前、少なくともふたり合わせれば一人前だと認められたというわけだ。
リリアンとクルーテル、そしてコルデン男爵家とテクストゥム伯爵家の未来は明るいと思われた。
それに影がさしたのは、クルーテルが16歳となり、再来年の成人をもって正式に伯爵位を継承、あわせて行われるリリアンとの婚儀の準備も年明けから本格的に、という頃だった。前伯爵夫人である、クルーテルの母が亡くなったのだ。
王都滞在中の突然の心臓の病で、同行していたクルーテルが看取ることができたのは不幸中の幸いだった。
領地運営に関しては男爵家の助けがあったとは言え、母ひとり子ひとりで育ったクルーテルの悲しみは深かった。領地での葬儀と埋葬が終わると、クルーテルは王都のタウンハウスに向かい、そのまま領地には帰らなくなった。
皆はそれを、母を亡くした悲しみがあまりにも深いためだと思った。母との思い出深い領地の屋敷にいることに耐えられないのだろうと。
先々代からテクストゥム家に仕えてきた老家令も、時には祖母のようにクルーテルを見守ってきた年配の侍女頭も、コルドン男爵もそう思って、クルーテルの心に安らぎが戻るのを待った。
リリアンも待った。当主代理も女主人も不在の本宅で、領地の運営を采配し、クルーテルを待ち続けた。
ところが、しばらくしてリリアンが受け取った王都の友人令嬢からの手紙にはとんでもないことが書いてあった。
クルーテルが「あんな下賤な生まれの女と結婚するなど考えられない」と周りに吹聴しているのだという。
貴族家の子息子女は、成人して社交界に本格的にデビューする数年前から、昼のパーティや小規模な夜会に出席し、他家との交流を拡げる習慣がある。その中で、まだ社交に慣れない者、つまり歳が近い者たちは特に仲が良くなる傾向にあるのだが、そこで良く話題に上がるのが、男女を問わず自分たちの婚約者についてのことだ。結婚を控えた若者同士、お互いの事情に興味が湧くのは当然だろう。
そこでクルーテルは、いかに自分の婚約が屈辱的で理不尽であるか、不平を漏らしているのだそうだ。
「我がテクストゥム家は畏れ多くも王妹殿下が降嫁された家。伯爵家ではあるが家格は侯爵家に近いと言っても過言ではないだろう。対してコルドン家は一代限りの男爵位。実質的には準男爵だ。侯爵家が準男爵家から妻を娶るなどあり得ないだろう? 屈辱にも程がある!」
これが王命による婚約ではなければ、とクルーテルは不満たらたらだという。
しかもクルーテルは、毎晩のように商売女のところに通って朝帰りを繰り返したり、舞台女優に入れあげてあれこれ贈ったりしているらしい。友人からの手紙に「観劇に行っら、ホールにクルーテルのネームプレートが添えられた真っ赤な薔薇の花束が飾られていた」と書かれていた時は、リリアンもさすがに手が震えた。
クルーテルがタウンハウスから戻らなくなってからの1年、リリアンには手紙のひとつも届かないのである。誕生日にはかろうじて贈り物が届いたが、そこにはカードすらも添えられていなかった。本宅と領地を守っている婚約者に対する態度ではない。おそらくこのプレゼントさえ、何の用意もしないクルーテル様子を見たタウンハウスの家令が、リリアンに気を遣って届けさせたものなのだろう。
コルデン男爵も、そちらがそういうつもりなら娘は連れて帰ると激怒した——が、リリアンは父を宥めて、少しだけ待って欲しいと言った。
何かおかしいと思ったのだ。
前伯爵夫人が亡くなるまで、クルテールは本当にまともだった。テクストゥム伯爵家の次期当主としてふさわしくあろうと努力していたし、リリアンという婚約者に対しても誠実で優しかった。
「王都の華やかな社交界に憧れるような歳なのに、君には苦労をかけてばかりですまない」
テクストゥム家の領地に長期間滞在し、帳簿を睨み、時には自ら馬を駆って村々を視察して回り、当主不在の伯爵領の運営に尽力するリリアンに、クルーテルはいつも深く感謝していた。
「いいんです。私、お茶会やパーティより視察の方が好きですわ」
「そう言ってくれると助かるよ。だったらせめて、視察が楽しくなるように、街道に花でも植えようか」
「でしたら林檎の木を増やしましょう。春には白い花が美しいですし、実は長い冬の備えになります」
「はは、リリアンらしい。そうだな。美しい花を愛でるなら屋敷の庭の薔薇だけでいい。民に育てさせるのであれば、民に利があるものでないと」
ふたりで馬を並べて、そんな会話を交わしたのを覚えている。
ただ美しい花を育てるのではなく、食べられる実をつける木を。そんな風情のないリリアンの提案に、それがいいと微笑んで理解してくれる。クルーテルはそういう婚約者だったのだ。
それが突然、豹変した。
何かがおかしい。そう確信したリリアンは、老家令や侍女頭をはじめとした、古くからの使用人を中心に調査を始めた。
前伯爵夫人の死がきっかけでクルーテルはおかしくなった。それは間違いない。ではなぜ、前伯爵夫人の死がクルーテルをそこまで変えたのか。
そして何より、どうしてクルーテルはリリアンとの婚約を破談にしようとしているのか。
爵位の格差を持ち出すのは今更だし、王命による婚約なのだから簡単に解消できないこともわかっているはずだ。
どうしても我慢ならないにしても、他にやりようがある。例えば結婚の届けだけは出して数年放っておき、子が望めないようなので離縁したいと申し出れば、王命による婚姻であっても考慮されるだろう。
なのにクルーテルの行動は、まるでわざわざ自分の有責で婚約が解消になるようにしているかのようだ。
「——で、調べました結果がこちらです」
侍女頭がテーブルに並べた茶器の横に、老家令が書類の束と、古びた1冊の手帳を置く。
「まずこちらの手帳から。こちらは前伯爵夫人、お義母さまの日記です……約18年前の」
「18年……!」
顔色を悪くしたクルーテルが、腰を浮き上がらせて手帳に手を伸ばす。だがその手を老家令が押さえた。
「この手帳は、この屋敷の女主人の部屋の、机の隠し引き出しの中にありました。他の時期の日記がありますのに、1冊だけ抜けているのが気になって、探して探してようやく見つけたんですのよ」
短い沈黙の後、手帳はリリアンの手の中で開かれた。
「……この日記によると、お義母さまはテクストゥム家に嫁がれた後、当時まだご存命だった前伯爵の弟……クルーテルさまの叔父にあたる者に辱められたのですね」
「そ、そのようなことを人前で明らかにするなど……!!」
「ここにいるおふたりは知っておられました」
「なんだと!?」
「申し訳ございません、ぼっちゃま!!」
狼狽するクルーテルの足元に、それまで黙って控えていた侍女頭がひれ伏す。
「あの日、旦那さまはご不在で、私が奥様をお守りしなければならなかったものを……体調を崩してしまい、休んでいるようにと奥様に言われて……その間に……」
「いえ、悪いのは私です!」
侍女頭の横で老家令も平伏する。
「私が奥様の護衛に人手を割いていれば…旦那様に同行した者たちの分、人数が足りていなかったのは確かですが、それでもやりようはあったはず……私の、私の落ち度でございます…!!」
古くからの使用人たちの証言によると、クルーテルの伯父、先代伯爵の弟は、元々は穏やかで、父や兄を良く助けて家のために尽くしていたのだという。
ところが、彼は兄の妻に恋してしまった。道ならぬ恋に狂い、想いを告げるも拒まれ、ついには人として越えてはならぬ一線を超えてしまったのだ。
誰もそこまで思い詰めていると思わなかった。あの穏やかな青年が、激情に身を任せて兄の妻に無理を強いるなどとは考えもしなかった。前伯爵も、前伯爵夫人も、使用人たちも。
だから事を知った先代当主は、弟を離れに閉じ込めただけで終わらせることにした。
家令と侍女の不備は罰せず、ただ口を閉ざすよう命じた。妻の恥を広めて、これ以上傷つけてはならぬ、と。
「お義母さまの日記には、義弟もまさかそこまではしないだろうと考えていたご自分の考えの甘さを悔やむ言葉や、何があったかをお知りになったお義父さまが家を空けていたご自分を責めるご様子、そこにいるおふたりをお義父さまが罰せず、そのせいでかえって苦しまれているのを申し訳なく思う気持ちが記されています」
それから程なくして、罪人は流行病に罹って死んだ。よほど苦しんだのだろう。シーツが破れるほど掻きむしった痕があり、手の爪が剥がれかけていたという。
だが、前伯爵夫妻のさらなる苦しみが始まったのはその後だった。
「2ヶ月後、お義母さまが妊娠されていることがわかりました」
日記の続きには、前伯爵夫妻の地獄が綴られていた。
妊娠の時期からすると、あの夜の子かもしれない。堕胎も考えた。だが夫の子かもしれない。結婚から3年。待ち望んだ子だ。罪のない子の命を奪いたくはない。でも、もしかしたら、でも。
前伯爵も苦しんだ。我が子ではないかもしれない。確かめる術はない。なにしろ、違っていたとしても弟の子だ。自分と同じ金髪を受け継いでも、青い目が良く似ていても、我が子だという確証にはならないのだ。
その苦悩の果てに、前伯爵は決意した。どう考えてもわからないのであれば、我が子として育てようと。真実がどうあれ、生まれて来た子を我が子として愛そうと。
「ですがお義母さまは、お義父さまの子ではないと思われていたようですね。母の直感か、お義父さまへの罪悪感によるものかは、もはや確かめようもないですが……」
「そう……そうだ……俺は父の子ではない……生まれながらに罪を負った……忌むべき罪人の子だ……」
「クルーテルさまはそれを、死の床でお義母さまに聞かされたのですね?」
「……そうだ」
「それで、自分などがテクストゥム伯爵家を継ぐわけにはいかない、私と結婚するわけにはいかないと考えられたのですね? 私との婚約をご自分の有責で解消し、私の経歴に傷が付かないよう身を引いたら、あとは姿を消すなりして始末をつけようと考えられていたのですね?」
クルーテルが頷くのを見て、リリアンは溜息をついた。
そんな秘密は義母に墓の下まで持っていって欲しかった、と思う。男爵令嬢ではあるが商人の娘でもあるリリアンは、何があっても明かしてはならない秘密というものがあり、その扱いによっては自らも周囲も滅ぼすのだと、父に厳しく教えられていた。これはその類の秘密だ。
だが、義母の気持ちもわからないではない。人に言えない秘密と苦しみをずっと抱えていたのだ。死の床で気弱になって、その重みに耐えられなくなって、つい明かしてしまったのだろう。
(だからと言って我が子に同じ重荷を背負わせなくてもいいでしょうに)
愚痴のひとつも言いたいところだが、その相手は既に墓の下だ。それに、今は他にやるべきことがある。
リリアンは手帳を丁寧に閉じ、テーブルの上に戻して、今度は書類の束を手に取る。
「あのですねクルーテルさま。そのようにおひとりで全てを抱え込もうとされるのは、本当の本当によろしくないですわよ?」
「えっ」
「こちらの書類をご覧くださいませ」
リリアンが差し出した書類を受け取り、クルーテルは内容を確かめようとした。が、読めない。この国の言葉で書かれてはいるのだか、専門用語らしき単語が連なっていて意味が読み取れない。
「最後の結論の部分だけでよろしいですよ」
そう促されて、クルーテルは書類を最後のページまでめくる。
『これらによって、検体Aの提供者と検体Bの提供者の間に親子関係を認める』
意味がわからない。
その一文を呆然と見つめているクルーテルに、リリアンから補足が入った。
「簡単に説明しますと、人間の体には、ひとりひとり異なる情報が記されていますの。言わば、魂の形が記録されているのです。それを紐解くと、血縁関係なども遡って調べられるのですわ」
「そんな話は聞いたことがないぞ」
「コルデン家の門外不出の技術ですもの」
リリアンは小さく笑って見せた。
「コルデン家がなぜあれほど巧みに鉱石を加工するか、考えてご覧になったことは? 調べるんですのよ。この石は何がどうやって生まれたのか。なぜ固いのか、なぜ脆いのか。どうしてこういう色なのか。何に似ていて何と似ていないのか。物質の構成を読み解き調べる技術において、コルデン男爵家に並ぶものはございません。その技術を、人にも用いたというわけです」
「ではこの、検体Aの提供者というのは……」
「お義父さまですわ。お義母さまがお義父さまの遺髪を大切に残しておられて助かりました」
前伯爵夫人の宝石箱の中、絹のハンカチに包まれて大切にしまわれていた金髪の束を、リリアンは手帳の上にそっと置いた。
「そして検体Bの提供者は言うまでもなくクルーテルさまです。調査の結果、クルーテルさまは間違いなく前伯爵さまの、お義父さまの血を継がれた子。テクストゥム伯爵家の正統な後継者でいらっしゃいます」
「俺は……父上の子……」
「そうです。間違いなく、お義父さまとお義母さまの愛の元に授かった御子ですよ」
憑き物が落ちたような顔をしてクルーテルは小さく呻き、それから一瞬遅れて、大粒の涙がこぼれた。
「うっ……ううっ……」
母の告白を聞いてから、ずっと胸の奥で重く沈んでいたものが溢れ出したような涙は、当分止まりそうにない。
リリアンは、ようやく身を起こした老家令と侍女頭に目くばせすると、クルーテルにハンカチを渡して立ち上がった。
「しばらくおひとりにして差し上げますので、落ち着かれたら出て来てくださいませ。料理長が、今夜はクルーテルさまのお好きなものをたくさん作ると言って張り切っておりましたから、できたらお夕食の時間の前にお願いしますわ」
あえて軽い調子で告げ、リリアンは老家令と侍女頭を伴って居間を出た。
爵位の相続についてはこれで良し。婚約については……まだ解決していないが、理由が理由だ。クルーテルがきちんと謝罪し、父にも頭を下げれば許そう、とリリアンは考えていた。男爵から一発ぐらいは殴られるかもしれないが、そこはまあ、仕方がない。
他の令嬢にうつつを抜かしたわけでもないし、商売女のところに通っていると言っても行為に及ぶことはなく、酔い潰れて動けなくなってそのまま泊まっていただけだということも調べはついている。王都での悪評をどう処理するかの問題は残っているが、それはこれから、ふたりでなんとかしよう。
それよりも、だ。
「例の件、くれぐれもクルーテルさまには内密にね」
「もちろんです」
「これでクルーテルさまのお悩みが晴れるのですから、必ずや」
「ありがとう。感謝するわ」
例の件とは、クルーテルと前伯爵の血縁関係を証明する書類のことだ。
親子の血縁関係を調べ、証明する技術などコルデン家にはない。分析できるのはあくまで鉱石のことだけ。人体のことなど、ましてや血の繋がりのことなどわかるはずもない。
あの書類はリリアンが用意した真っ赤な偽物、でっちあげだ。
だがその偽物でクルーテルの心が晴れるなら。
なんと言っても、前伯爵が「真実がどうあれ我が子として愛そう」と決めたのだから。クルーテルは前伯爵の子だ。それでいい。そういうことでいい。
新たな秘密を共有した3人は、頷きあってその場を立ち去った。今度の秘密は絶対に墓の下まで持っていこう、と思いながら。