信念ってなに?
いつかも、どこかもわからない場所で、1人の少年と、1人の男が話していた。
少年「信念ってなに?」
男 「信念っていうのは...、たとえ証明できなくても、否定されても、それでも、そうあるべきだ、と思えるものさ。誰かに何か言われたからじゃなく、自分の中から湧き上がる、これだけは譲れない、と思うもの。...多分、それがないと、人は自分を保てなくなるんだ。」
少年「変なの。なんで、信念がないと、人は自分を保てなくなるの?」
男 「世の中は、不確かなものばかりだ。正しいことも、正しくないことも、見方によってはどっちにも見える。何が幸せで、何が不幸せなのかも、時と場合で変わる。そんな中で、自分の中に『これが自分だ』って軸がなければ、振り回されるだけになる。人は何かを信じることで、自分という形を保っているんだ。」
少年「振り回されるってどういうこと?」
男 「...たとえば、何を信じていいかわからなくなったとき、誰かの言葉にすぐ左右されたり、状況に流されたりする。『どうするのが正しい?』って考えてもわからず、自分の意思じゃない方向へ進んでしまう。そういう状態を、私たちは『振り回されてる』って言うんだ。」
少年「変なの。自分のしたいようにしたらいいのに。」
男 「それができたら苦労しないさ。人はいつも自分のやりたいことがわかっているわけじゃない。本当にそれが自分の意思なのか、それとも誰かの価値観に染まっているのか、見分けがつかないことだってある。だから人は、『信念』ってやつを持って、自分の軸を作るのさ。」
少年「変なの。自分の心なのに、自身の心の中に自分以外の誰かがいるってこと?」
男 「...そうだな。多分、人の心の中には、たくさんの『他人』が住んでいる。親の声だったり、友だちの声だったり、はたまた世間の常識だったり。知らないうちに、それが『自分の考え』みたいな顔をして居座っている。それを全部振り払って、『これが本当の自分だ』って言える人間なんて、ほとんどいないんじゃないか?」
少年「いろんな人の考えに影響されて、本当の自分がわからなくなるってこと?変なの。人って、産まれてから、いろんな人の影響を受けて育つ種族なんじゃないの?」
男 「...君の言う通りかもしれない。俺たちは、生まれた時から誰かの影響を受けて育つ。言葉の使い方、ものの見方、生き方のルール、全部、誰かに教えられてきた。それを含めて『自分』だって、そう考えるのは自然だ。でもな、そうして作られた自分に、どこか『嘘くささ』を感じることがあるんだ。これ、本当に自分の声か?と。そう思ってしまうとき、人は信念とか、本当の自分とかを求め始めるのかもしれないな。」
少年「『嘘くささ』を感じるってどういうこと?」
男 「...たとえば、人と話している時、自分でも『これは本音じゃない』って思うことがある。本当はどう感じているか、ちゃんとわかっているはずなのに、それをそのまま口にできない。そういう時、胸の奥に、モヤモヤとした違和感が残るんだ。ああ、今喋っている俺は『俺』じゃない。そんなふうに感じるのさ。これが『嘘くささ』だ。ちゃんとした理屈じゃなくって、感覚みたいなものだけど、人はそういうものに案外敏感なのさ。」
少年「変なの。なんで本音をそのまま口にしないの?」
男 「...怖いんだと思う。本音を言って、傷つけてしまうのが。嫌われてしまうのが。自分でもその本音に向き合うのが。それに...、本音を言ったところで伝わらないことも多い。だから、人は『言わないこと』を覚えるんだ。本音をしまって、形のいい言葉を並べて、そうやって、うまく生きようとする。」
少年「うまく生きるって、どう生きること?」
男 「...できるだけ傷つかずに、できるだけ誰かを傷つけずに、人とうまくやっていって、仕事して、食べて、笑って、眠って...。大きな不幸も大きな失敗もなく、波風立てずに、日々を過ごせること。そういうのを、俺たちは『うまく生きてる』って言うんだと思う。」
少年「変なの。もっと好きに生きればいいのに。」
男 「...できるなら、そうしたい。でも、好きに生きるって、簡単なようでいちばん難しいんだ。好きに生きるには、自分の『好き』をちゃんと知らなきゃいけない。誰にも頼らず、自分の足で立ってなきゃいけない。それを本気でやるのは怖いし、孤独なんだ。だから、多くの人は『うまく生きる』って方を選ぶのさ。」
少年 「変なの。『好きに生きるには、自分の好きをちゃんと知らなきゃいけない』って、自分がどうしたいのかわからないの?もしわからないのなら、なんで『自分は自身のしたいことがわからない』ってことが認識できるの?」
男 「...そうだな。『わからない』って思うことは、誰かに、どこかで『何かを探している自分』がいるってことだ。でも、その『自分』が何を探しているのか、はっきり言葉にできない。それを見つけようとして、あちこち手を伸ばして、違うと感じて、また迷って...。そうやって、人は『自分のしたいこと』を探してるんじゃないかって、思うんだ。」
少年「それって、おなかすいたからご飯食べて、遊びたいから遊んで、やってみたら『違うな』って感じて、また別の『面白そう』って感じたもので遊ぶ、という話?僕もいろいろ遊ぶの好き。」
男 「...そうだな。きっと、それでいいのかもしれない。頭でこねくり回すより、腹が減ったら食べて、面白そうならやってみる。違うと思えばやめて、また別の何かに手を伸ばす。それを『遊び』って言える君は...多分、俺よりずっと自由なんだろな。」
数日後...
少年「大人たちが、僕にまで『うまく生きる』ことを求めてくるんだ。あたかも、『うまく生きる』ことが素晴らしいことであるかのように。こちらにまで求めてこないでほしいのだけど、どうしたらいいと思う?」
男 「...それは、君が自由だからだ。君の中にある『好きに生きようとする力』が、『うまく生きることに慣れすぎた人たち』には、まぶしすぎるんだよ。だから無意識に、自分たちのやり方に君を引き込みたくなる。そうすれば、安心できるから。どうしたらいいかって聞かれたら...俺なら、無理には逆らわない。でも、全部は従わない。『はい、わかりました』って笑って、それでも、心の中には『僕は僕のやり方で遊ぶ』って決めておく。それでもいい。誰にも見えないところで、自分の火を守る。それが、君のままでいることなのだと思う。」
少年「それって、自分にとっても、他人にとっても、不誠実で嘘つきだよ。」
男 「...君の言う通りだよ。確かに、不誠実だ。嘘をつくことになる。でも...その嘘がなきゃ、生きていけない人間もいる。全部を本音でぶつけて、全部正直にしてたら、壊れてしまう人もいる。俺は、自分も、そして誰かも壊したくないから、時々、嘘を選ぶ。それは、正しくない。でも、『弱い人間』の選ぶ、せめてものやり方なんだ。」
少年「それは、あなたの言う『弱い人間』のためにはなる。そして、『弱い人間』が僕のような『本質』を知ろうとする人間を殺している。僕は、自分や仲間を壊すことより、誰かを壊すことを選ぶ。この世界に、『本音でぶつけて、全部正直な』人間の居場所を作るために。」
男 「...そうか。君は、俺が守ってきたものを『壊す』と言った。でも、それが『誰かの居場所になる』のなら、俺の選んだ嘘の世界が、君のような人間を押しつぶしていたのなら...壊されるべきなのかもしれないな。俺は、それでもまだ、壊すのが怖いけれど。それでも君がやるというのなら...きっと君のほうが、ずっと誠実なんだろうな。」
少年は歩き出した。