彼の人の世界
一時間目が終わってすぐ、私は前に座っていたあざみに一番気になってた事を聞いた。
「松雪くんの事? ……ごめんなさい、私もよく知らないのよ。声が出ないっていう事も知らなくて、さっき凄く驚いたわ……」
あざみの言葉に、そうだよねと言いながら強く頷く。一方松雪君は周りに居る人から楽しそうに話しかけられている。……会話、どうやるんだろう…?
「~って事があってさ! もうほんと大変でぇ! 颯~、慰めてくれよ~っ!」
男友達だろう、賑やかな二人組を相手に音もなくクスクスと笑い何かをノートに書く。……文字で話してるのかな?
「……ははっ、それは勇気が悪いってよ、颯ちゃん容赦ねぇ~!」
一人が読み上げて笑うと、勇気と呼ばれた男子は「颯くんのいけずぅ~!」と笑いながら泣き真似をして崩れた……に、賑やかだ……!
「……不思議な光景ね」
あざみの言葉に思わず隣に視線を戻し、「何が?」と聞く。確かに書いて文字で会話するのには少し驚いたけど……あぁ、私はさっき廊下でそれが行われてしまったからまだ体制があるのかな?
「何がって……そうでしょう?
だって、さっきからあそこ、賑やかじゃない。颯くんっていう一人だけ話さない人が居るにも関わらず」
あざみに言われて、初めて気付きばっと松雪君を見る。松雪君の席は相変わらず楽しそうに賑やかだ。……松雪君が話してない、話せないというのに。
「……確かに、不思議だね…」
思わず驚いていると、あざみが少し息を吐いて首を横にふる。
「……いえ、違うわ。きっとあれが『正解』なのよ。私達がそれを知らないだけで、あれが正しい松雪くんの世界。ちっとも不思議なんかじゃないはずよ、彼らにとってはね」
そう言いきり、もう一度あざみはため息をつく。
「だめね、私迫害とか差別とか嫌いなのだけれど……こうも簡単に…。本当にだめね」
あざみの言葉が、刺さった。
最初、あの遅れるという文字を見た時に私は確かに、違和感と異質感を感じてしまったから。そして授業前やあの賑やかな席にまだ、異質感がある。……本当にダメで、そんなの感じたくないのに…こうも簡単に、違和感と当たり前の違いというものだけで視線が松雪君に行く。
「……どうしたら、その考えが消えるかな」
私は思わずそう呟く。だって、わざわざ文字に書いてまで遅刻を注意してくれて、今もあんなに楽しそうに普通におしゃべり…? しているのに。優しそうな人なのに。
私がこんな気持ち勝手に抱えてるなんて、嫌だったから。でも、どうしたら消えるのか分からない。
私は今まで、これといって不自由な人に会わなかったから……本当に、どうしたらいいんだろう?
「……そうね、これは気持ちというより、意識の問題だから……授業では習わない事ね。……穏やかな人っぽいし、優しそうだし…関わればいいんじゃないかしら」
あざみもどうやら同じ気持ちのようで、さらにはアイデアまでくれた。……関わる?
「関わるって、話しかけたりするってこと……?」
当たり前の事を聞いて、あざみが頷く。関わる、関わる…? 盲点、というか考えていなかった。
だって関わった事がないんだよ? どうしたらいいのか、分からないよ。もし迷惑になったら、困らせたら? という言葉がしばらくグルグルする。
「颯の文字俺好きだわぁ! 癒されるんだよねぇ……あっ! そうだ、俺の名前これに書いてくれね?」
「あ、俺もおねがーいっ!」
賑やかな二人組がそういって私物を松雪君に渡す。松雪君は照れくさそうに苦笑して頷くと油性マーキーでノートの名前欄に書き込んでいく。
その賑やかで楽しそうな様子は、やっぱりどこか異質で…でも同時にとても暖かい世界に見えて。
「……」
……違う、関わった事がないとかの話じゃない。例え関わってなくても、関わってみなければ分からないんだ。どう話したらいいのか、迷惑なライン、困るラインは人それぞれだもん。それは他の人にも言える事じゃない。なのになんでわざわざ、気にしたんだろう…?
「うわぁ、やっぱ字キレ~! 書き慣れてるからだとしてもやっぱ颯の字は癒されるわ!」
「そりゃそうだろ、俺らの3倍は颯ちゃんは書いてるだろうしな!」
二人組が次々に褒めると松雪君は「そんなことないよ」とでもいいたげに首を横に振り謙虚な素振りをしている。
……あそこにいる二人組も、きっと最初は私達と同じ立場だった人。関わってなかった、人達。
……私、は……関わる前に怖じ気づいてる人、だ。
「……」
思わず自分が少し嫌になる。でも動くなら、きっと……。
キーン コーン カーン コーン
休憩が終わり、授業がそろそろ始まる知らせの音が鳴り私は立ちかかった腰を椅子へ戻す。……悩んでたら休み時間終るとか、小学生かっ……! と思い机につっぷしてしばらく反省会をした。
―――★―――
「……私は意気地無しです…駄目な人間です…怖じ気づくようなチキン人間ですっ…!」
お昼ごはんをあざみと菫と共に一緒にしている中、私は机に頭を置きながら自分を責める。
「そんなに言わなくても~、ほらぁ、委員会は一緒になったんだし、まだ機会はあるわ~」
菫のほほんとした口調で少し落ち着き「そうだよね…まだあるよね……」と頑張って座り直す。
「美化委員で同じなんて、燕も持ってるわね。頑張って話しかけるのよ?」
あざみに念を押され、「はいっ!」と返事をして背筋を伸ばし松雪くんを目で探す。
……あっ居た! …別のクラスの人と話してる……? 交友範囲広い……す、凄いな……。
「松雪くん、思った以上に沢山の人と話してるよねぇ、びっくり~」
菫も同じことを思っていたようで「だよね」と返す。松雪くんは身振り手振りで会話していたりたまに手話のようなものを使っている……相手が手話を知らないと使えないから、手話は滅多にしないけれど。
「……そうか。美化委員なんて颯らしいな」
それにしてもあの黒髪の男子生徒、別クラスなのにわざわざ来てる…松雪くんと仲良いのかな? 松雪くんが手話で話してるっぽいし……長い友達なのかな?
「あぁ、俺は変わらず生徒会だ。颯と一緒には帰りにくくなるが、なるべく一緒に帰るから」
優しげな、けど高校生らしい少し低い声が、松雪くんの場所から響く。
「そういえば二人は何の委員になったんだっけ?」
お弁当箱の蓋を指でつつきながら二人に話を振ってみるとあざみは「私は何故か風紀委員。二年連続よ、これで…」と苦笑しており、菫は「私は委員に選ばれてないわ~、二人とも委員活動頑張ってねぇ」とのほほんとしてる。
「羨ましいよ、菫もあざみもっ……! チキン人間なんて美化委員だよっ…!? 二人しかいない美化委員…! 接点できたのは嬉しいけどっ……私はチキンなのっ…!!!」
悔しさとやるせなさで一週回って男泣きのフリをしながら弁当に居る唐揚げと目が合ったので「あぁ、唐揚げさん……君は立派に鶏肉にして揚げてもらったのに…! なのに私はっ…!!」と悔やむ。
「……燕、ふざけてないで早く食べないと四時限目始まるわよ?」
あざみの冷静ツッコミに「あはは…」と苦笑してお弁当箱を食べ進めていく。……けど、本心でもある。
目の前の唐揚げさんは美味しくなっているというのに、私は油に飛び込む勇気もなく、根性もなく……先輩、見習わせてくださいよその度胸……なんて訳のわからない事を考えていた。
―――★―――
「大飛~、少しいいか?」
一通り授業を終え、帰り際。美化委員の活動でチキンメンタルを奮い立たせようと準備していたら迎先生が手招きして私を職員室まで呼び出した。ふむ、遅刻で怒られるのかな、それともチキンメンタルなのを見抜かれたのかな。どちらにしろ今の私にとっては先生は敵ッッ! と、頭の中が何故か少年漫画になっている……相当混乱してるんだなぁ……なんてぼんやり感じてしまうのは多分ほんのり残った理性。
「大飛は今まで俺が担任してなかったし、松雪とも同じクラスになってなかったろ。いきなり美化委員で同じにして悪いな」
先生は座ったまま資料か何かを置いて、私に少し申し訳なさそうに微笑んだ。……迎先生、気にしてくれてたんだ。
「…いえ、大丈夫です。私も松雪くんの事が気になっていて……だからむしろありがたいです!」
怖がったまま、何もなしはダメだよね。これも何かの縁……かもしれないんだから。そう心の中で言い聞かせていると迎先生はほっとしたように微笑んだ。
「そうか、よかった~……今日は花壇の雑草取って土をほぐすだけだから、松雪と協力して頑張れよ。明後日に植える花が届くから、明後日は俺も手伝うからな~。何か困ったら俺か、本人に聞けばいい」
迎先生はそう言いながら「ほら行った行った」と払うように手を振る。優しい先生なんだなぁ……と感じつつも軽く会釈をして花壇へと向かいながら考える。
……今日1日見ていた、松雪くん。仕草や顔、文字、ごく稀に手話のようなもので話していて、彼の周りは静かなのに賑やか。……とても、不思議な空気を纏った人。
……一体あの人の見えている世界は、感じている空気は……どんな感じなのだろう。
そんな事を考えながら靴を履き替え、花壇へと歩いていくと……制服に軍手姿で、雑草を抜いている松雪くんが。
……こうして見ると、なんだか動きが綺麗だなぁ……なんて見とれてしまいハッと気付く。
「あっ、お、遅れてごめんねっ!」
まずは謝罪からだよ、一人で先にやらしちゃった…! 私が小走りで松雪くんの隣へならび頭を下げると、松雪くんは大丈夫といいたげに微笑んで首を軽く横にふった。……そ、そうやって会話するんだっ、松雪くん……!!
「私も手伝うねっ…!」
軍手を素早くとりつけ、いそいそと雑草を探しだす。……遠くから見ていて、ああやって話すことは理解していたのに……いざ話してみると、こうも感動する事にかなり動揺している。なんだかワクワクするような、ドキドキするような…好奇心や探求心が跳ねているのが自分でも分かるくらい。
取り敢えずは目の前の雑草を抜きつつ、待雪くんを真似て土の中の根っこも出来るだけ取り除いてみる。意外と無心になれて楽しいな、と思っていたら抜いた雑草が山もりになってるのに気付く。
「あ、纏める袋とか持ってくるね…!」
急いで立ち上がろうとしたらぱしっ、と待雪くんに手首を軽く捕まれた。
「…えっ…?」
松雪くんは驚く私にぴ、と足元を指差した。そこにはもう袋があって、松雪くんが摘んだのだろう雑草が入ってる。
「あっ、あったんだ…! ありがとうね松雪くんっ」
私が引き抜いた雑草の塊を袋へ突っ込み縛ると松雪くんはどういたしましてという風に微笑み、土を柔らかくほぐすためにスコップで土を刺し掘り返してを繰り返している。花を扱ってる人はやっぱり違うな…! と素直に感心して早速真似する。
スコップで土を刺すとサクッと軽い音がした。引き抜いた雑草の残った根っこが切れる感覚もある…掘り返して、またサクッと刺す。
「……た、楽しいかも…!?」
サクッと土を刺す感覚も、ふわふわになっていく様もなんだか楽しくて「松雪くん、これ楽しいね…! サクッて音がして、ふわふわになって!」と松雪くんに伝えた。
数秒シン…と静まりハッとする。やってしまった…!
「あっ、はしゃいじゃって…でも、サクッっていうのがほんとに…」
何を狼狽えてるのか、慌ててるのかもちょっと分からなかったがなぜかワタワタしてしまった。キョトンとしてる松雪くんに見られて、なんだかうつ向いてしまう。
「……っ」
ふ、と隣から柔らかい息がもれた。反射的に顔を上げると松雪くんが笑っていた。声を出せないまま、息でくすくすと、困り眉で楽しそうに。
―――綺麗だと、思った。
夕焼けの光が茶髪と制服に当たって、薄く透けているのも、瞳に夕焼けが映り込んでオレンジになっているのも綺麗だった。けれど、そんなものが関係なくなるくらい―――綺麗で、どこか…悲しい笑い顔だと思った。
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