30年前のあの日から。
「水野先生。来年度から野球部の顧問よろしく頼んだよ。」
「え!?いや、あの......勘弁してください。さすがに無理ですよ。」
「でも今この学校で野球経験者、水野先生しかいないのよ。」
「いや、でも...」
「まっ!頼んだよ!」
という感じで私は野球部の顧問をやることになった。野球に関わるのは30年ぶりだ。不安で仕方がないが、やるからにはしっかりとやらねばならない。
今日の放課後、野球部員に挨拶をすることになっている。職員室の窓からグラウンドを見てみると、無邪気に白球を追いかける高校球児を見ることができた。
部員は50人くらいだろうか。そこそこ多い。
部員がそこそこ多いと、はっきり言ってしまえば部員の性格は悪くなると思う。周りを蹴落とさなければならないからだ。単純に野球を楽しむことが出来なくなる。もちろん、周りを蹴落とすのは勝負の世界では当たり前のこと。そう思う人もいるだろう。
30年前、私が彼らと同じユニフォームを着ていた時も部員は50人くらいいた。
そして、同じポジションに私よりも野球が上手い同級生が1人いた。無理して同じくらい上手いはずだと思っていたが、実際は全くもって及んでいなかった。
この話の流れだと私はレギュラーではなかったみたいだが、私の最後の夏は背番号5番だった。
なんだ、レギュラーじゃないか。と思う人もいるだろう。でも少し、いや、だいぶ変わったことが起こったからである。
30年前のあの日。夏の大会1ヶ月半前の練習試合。これは、この高校のグラウンドで起こった出来事である。
「松野代打だ。」
「はい!!」
ベンチで試合に出る準備をしていた松野がヘルメットを被り、バットを握ってバッターボックスへ向かう。
誰の代打かって?それは、私だ。
この日、珍しくスタメンで出場していた私は3打数無安打。結果が出なかったから代えられた。
私は唇を噛み、ベンチの奥からグラウンドを睨み付けた。
もしかしたら大会であれば、松野頼む!打ってくれ!となるかもしれない。ただ、練習試合で同じことを思う奴がいるだろうか。少なくとも、私は違った。
松野とは同じポジションだし、選手としての特徴も似ている。
しかも、この日は夏の大会でどちらがレギュラーになるかが懸かっている大事な練習試合だ。背番号発表まで、あと残すところ練習試合の数は、この日を入れてあと3試合だった。そろそろだ。
お互いが、お互いの失敗を望んでいた。いや、どうだろう。もしかしたら、私の方が劣勢だったから向こうは多少余裕があったかもしれない。
たしかに、松野は私が失敗することをあまり望んでいないような気がしていた。むしろ、私にバッティングを教えてくれた程だ。それも、心から私に上手くなって欲しくて教えているように感じていた。少なくとも、私をライバル視していなかったのだろう。
自分の方が上手い思っていたから、そんなことができたのだろうか。
カウント2ストライク3ボール。
松野は2球で追い込まれたが、ファールで粘りフルカウントまで持ち込んだ。
松野の選球眼はチームで1番だと監督が言っていたことが記憶に残っている。
三振しろ。三振しろ。私はベンチで願った。酷い奴と思う人もいるだろう。だが、残念ならが所詮人間はそんなもんだ。自分が失敗したら、他の人にも失敗して欲しいと思う生き物である。
第10球目。
松野はフルスイング。今までで聞いたこともないような快音を響かせ、打球はセンターへとぐんぐん伸びていく。
私はホームランだとわかった瞬間、ボールの行方を追わなかった。見たくなかったからだ。ライバルと思っている奴のホームランなど、誰が見ようと思うか。
終わった。これは松野がレギュラー確定だ。
松野、私は君が嫌いだ。君さえいなければ、私はレギュラーだったはずだ。
3年間頑張ってきたが、結局控えで終わってしまう。私は悔しかった。グラウンドから背を向け、下を向く。
すると、突然
「ゴン!!!」
今の聞いたこともないような鈍い音はなんだ?
グラウンドから背を向けていたから何が起こったのか分からない。
少し怖くなり、ゆっくりと振り返りながら、グラウンドを見つめる。
すると、グラウンドに立っている選手全員、いや、両チームのベンチメンバーも全員センター後方のテニスコートを見ていた。全員、強張った表情をしており、座り込んでしまっている選手もいる。
そして、テニスコートの中で1人の女子生徒が倒れているではないか。
両チームの監督が慌てた表情でテニスコートまで走って向かう。
「救急車だ!早くしろ!」
「まずい!頭に当たった!」
「だめだ!血が止まらない!」
テニスコートから私がいるところまでだいたい120メートルくらいあるだろうか。それでもはっきりと聞こえるくらい大きな声が聞こえてきた。
松野は一塁を回ったところで、棒立ち。石のように動かず、ただ引き攣った顔でテニスコートを眺めている。
あの後試合がどのような結果になり、私もその他の人達もどのようにして家に帰ったのかあまり覚えてない。
あの「ゴン!!!」という鈍く大きな音。そして、血を流して倒れる女子生徒。女子生徒を囲う人達の悲鳴。救急車を呼ぶ監督や先生。あまりにも衝撃的すぎたからだろう。
次の日。
朝一番に部員全員が部室に集められ、ミーティングが行われた。
そこで、打球が当たった女子生徒は亡くなったと知らされた。
全員ミーティングが終わった後、その場から離れる者はいなかった。何も考えられないような状態だった。
仕方がないが、これは全国規模のニュースになり、マスコミが一斉に私達の学校に押し寄せることになった。
野球部っぽい見た目の生徒は全員マスコミ陣に捕まり、1時間以上も取材を受けていた。当然、私も。
この状況では野球など到底できるはずもなく、そもそもやる気も起きない。
1ヶ月半後の大会に出場できるかどうか。
学校には出場辞退を望む手紙や、脅迫状や爆破予告なども来た。
松野は野球部を辞めるとかそれ以前に、学校にすら来なくなってしまった。
それは、仕方のないことだ。
亡くなった女子生徒は、松野と同じクラスであり、
そして、2人は交際していたのだから。
大会3週間前
出場辞退をする予定だったが、亡くなった女子生徒のご両親が、是非出場して欲しいとのことで、出場することになった。
そして今日は背番号を渡される日。
「背番号5、水野!」
「はい!」
私は大きな返事をして、監督から5番の背番号をもらった。
本当は2桁だったに違いない。5番は松野だったはずだ。
松野がいなくなったから。そう、松野がいなくなってくれたから私はレギュラーの座を掴んだ。
松野......君がいなくなったおかげ。
と言っていいはずがない。なんてことを考えているんだ。
一瞬でもそう思った自分に腹が立つ。
私は愚かでひどい人間だ。
最低な人間だ。
ただ、1年生の時から夢見てきた、レギュラーの背番号。これを手にしたわけである。
松野さえいなくなれば、手にできた状態だった。そして本当に松野はいなくなった。
松野がいなくなったおかげだよ。
......ダメだ。私は最低な人間だ。自分に腹が立って仕方がない。
私はあの30年前のことがあってから、考え方を改めることにした。
人の失敗やミスを望まない。私がどんな状況だったとしても。人の成功を望み、幸せを喜ぶような人間になりたいと思ったのだ。
結局、あの夏の大会は一回戦で敗退。私もノーヒット。エラーもした。
松野が試合に出ていたら、ヒットを打っていただろうか。
少なくとも、私よりは活躍しただろう。
人の不幸をラッキーと一瞬でも思った人間に、成功など訪れるはずもなかった。
私は今、自信を持って考え方を変えることができていると思っている。人の成功を望み、幸せを喜ぶような人間になること。
今グラウンドで白球を追いかけている球児達に、このことを伝えたとして、彼らは理解してくれるだろうか。
いや、今理解してくれるかは分からないが、いつか理解してくれることを望んで、伝えるべきだ。
さぁ、いまから私はグラウンドへ向かう。
腰を上げ、私は職員室から出た。
終