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何もかも忘れているのであれば、なおさら。
彼の視線が、そう語る。言葉にされなくても、わかった。
「……それは」
足から力が抜け、わたしは先程まで腰掛けていた椅子に崩れるようにして座る。
西寺春花。この名前にも聞き覚えがある。……『わたし』と知り合いだったのだろう。
ふと悪寒を抱いて、両腕をさすった。
(どうして、犯人はうちの学校から二人も……)
わからない。
――自分が一件目の殺人……連続殺人事件と、全く無関係であると、確かに、今の状態のわたしでは言い切れない。
何故なら何もかも覚えていないから。
(それに、夢で……)
目を覚ましてからこれまで、呪いのように思考にこびりついたあの言葉。殺してやる、という誰かの声。あの声が――もしも、
記憶を失う前のわたしが、実際に言った言葉だったとしたら。
「えーと、すみませんね。どうも刑事をしていますと、疑い深くなってしまいまして。けっして、君だけを疑っているというわけではないんですよ。あらゆる可能性を探るのが、警察の役割ですから」
いささか今さら感はあったが、緑川刑事が黙り込んだわたしを取り成すように笑顔を作ってみせる。
「川谷さん。ですからもし、何か『思い出したら』ここに連絡を」
(これは……)
俯いたわたしの前に、緑川刑事が何かを差し出す。『自分のことが全くわからない』という恐怖を改めて実感しながら差し出されたものを受け取れば、それは緑川刑事の名刺だった。所属、階級、電話番号、名前が書かれた、シンプルな警察の名刺。
わたしはなんとか「わかりました」と絞り出すと、促されるまま教室を出た。
*
教室を出ると、ちょうど響也も聞き取りが終わったところだったらしく、廊下でばったりと出くわした。
刑事二人は先生とまだ話すことがあるらしく、応接室へと案内されている。
「じゃあ、教室に先に戻っていてくれ。……一応聞くが、大丈夫か?」
「はい……」
「大丈夫です」
わたしと響也が頷くと、夏木先生は気遣わしげにしながらも応接室へと消える。
二人残されたわたしたちは、何とも言えない空気のまま教室へ戻ることになった。
「響也も聞かれた? アリバイ……とか」
「……聞かれた」
「そっか。わたしも聞かれた……疑われてるのかな、わたしたち」
「どうなんだろうな……」
応える響也の声に力はない。無理もない。
「でも、俺はあのあとまりあと一緒にいたから。小腹がすいてコンビニでチキン買って、近くの公園で食べながら駄弁ってた」
「二人で? 響也って彼女いるんじゃなかったっけ。確かそんなことをクラスの子が」
「まりあとはそんなんじゃないって彼女もわかってるから。もし誰かに見られたとしても、やましいとこなんもねーし」
「そっか……」
なんにせよ、響也にはアリバイがあるのか。
あの刑事二人がまりあにも話を聞きに行っているかはわからないが、実質、お互いにアリバイを証明していることになる。さらにコンビニでチキンを買ったというなら、監視カメラでそれが本当かも確かめられるはずだ。アリバイの裏付けとまではいかなくとも、証言の信憑性を高めるだろう。……疑われないということは羨ましい。
「わたしは家に一人だったからアリバイなんてないし、疑われたかも……」
「俺への疑いだって完璧に晴れたわけじゃないと思う。それに、警察だって、俺たちだけを疑ってるわけじゃないだろ」
「そうだよね……」
だが、わたしは響也とは違う。響也は自分を信じられるかもしれないが、わたしは自分を信じられない。『何かをしてしまっているかもしれない』という可能性は、何もかも思い出さなければ捨てられないのだ。
「そうだ。一人目の被害者の西寺さんって、知ってる?」
「……そりゃ知ってるよ。俺らクラスメイトだったし。なんだよ、なんか刑事に言われたのか? 記憶がないことをいいことに疑われたとか?」
「あ、いや……」
その通りだったが、そのまま肯定することも躊躇われて、視線を彷徨わせる。
響也は眉を顰めたが、「まあ、気にしすぎるなよ」とだけ言った。
「さっきも言ったけど俺らのことだけ疑ってるわけじゃないし、それに、これは『連続殺人』なんだし。お前は光輝を殺してないんだろ?」
「当たり前だよ」
「だったら大丈夫だって。連続殺人は同一犯だろ、普通。光輝を殺してないなら春花のことだってお前はなんもしてないよ」
「……そうだね」
今は、そう思うしかないか。
わたしは無理に自分を納得させ、なんとか笑ってみせた。