副作用1:調査完了
鏡花が彼の忍になってから数日が経過した。彼の曲の甲斐もあって、歩けるまでには回復し、店の手伝いを再開した。
そして……。
カウンターの中に備え付けられた椅子に座り、物思いに耽る。
…あの曲。正気を取り戻せたあの曲は、思い出せる範囲でメモを取り、作曲ソフトで再現もしてみたが、やはり細かな部分で違いが出る。
自分なりにアレンジしてしまおうかとも考えたが…プライドがそれを許さなかった。それをするぐらいなら、同じコンセプトで自分の手で一から作るべきだ。
…ふと、曖昧なまま、頭の中でその曲を再生するとーー空いた席に、光の粒子が集まるようにして、件の少女が現れた。
寝癖のついた白い髪を短めのポニーテールにし、飾りのような帽子を被る。短めのスカートと無意味に巻かれた大きなベルト。膝より上まである黒いソックスとブーツ。黒い肩出しセーターという、完全なシティコーデ。
以前はワンピース一枚で髪も伸ばしていたが…そういうものなのだろうか?
頭の中の曲を止めてはならない。その予感があり、意識の半分しかそちらに割けない。
店内にいる唯一の客の反応を見るが、変化はない。
…やはり、当人にしか見えないものなのだろう。
ーーなんとなく。紅茶とミルク…テータリックを作り上げ、カップを隅の席に置き、何もせずに戻ってきた。
彼女はカップを手に取り、そっと口をつけると…一瞬目を見開き、穏やかな顔でこちらに笑みを返してきた。
のんびり、少しずつ、ちびちびと飲んでいき…完飲する頃には、頭の中の曲は既に終盤になっていた。というより、勝手に途中で繰り返しを入れ延長していたのが、誤魔化しきれなくなったのだ。
全てを飲み干すと、ぐてー、と机に突っ伏し、やがて曲の終わりに合わせ姿が消滅しかけると、チラリとこちらに目をやり、小さく手を振り…完全に姿を消した。
チラリと、唯一の客の方を見ると…うってかわって、不思議そうにこちらを見ていた。
ヤイナ「…??あそこの席がお気に入りなの?」
少女のその言葉で…現状は、思っていた以上に深刻だということがわかった。
…彼女の動きを、自分が代行した。それも、無意識に。
マスター「…そんなところだ」
置いたままのカップを取りに戻ると、中身は消えており…鼻と口を覆うように手でマスクをして息を吐くと…テータリックの匂いがした。
これは、致命的な副作用だ。少女の言葉が無ければ、気付くこともなかったかもしれないと思うと、尚のこと恐ろしい。
…やはり、神なんていなかったのだ。
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ヤイナ「マスターって、私のこと知ってる?」
2度目の来店。前回のように扉をバーン!と吹き飛ばす勢い…ではなく、普通に扉が開かれ、普通にテーブル席に座ると、少女はそう話しかけてきた。
因みに、鏡花は暫く休みだ。癒しの曲は使わせていない。…あれだけの効果、体への負荷は絶対にある。強力な薬に副作用が無いわけはないのだ。そのため、たっぷり1ヶ月、休みを命じた。
マスター「以前も来ただろう。特徴的な子だったから、覚えてるよ」
ヤイナ「そうじゃなくって…あ、じゃあ!この人は知ってる!?」
ヤイナが突き出してきたスマホの画面には、世界的なアーティスト…盲目の歌手の画像が映っていた。
マスター「…ククトゥリア・ナントカ、多少は知ってる」
嘘だ。…彼女のことは、調べたこともある。
というか、何処から嗅ぎつけてきたのか、メール越しのオファーが何度も来ている。
ヤイナ「…マスター、テレビとかあんまり見ない?」
マスター「見ないな」
ヤイナ「やっぱり!ヤイナを知らないなんて人、それしかありえないし!」
ヤイナと名乗った少女は席を立つと、その場でクルリと周り、グッ!と自分を指し
ヤイナ「奈落夜否!バーンと大売出し中のアイドルです!よろしくどーぞぉ!!!」
マスター「おー…」
思わずパチパチと手を叩くと、ヤイナも満足した様子で席に戻った。
ヤイナ「マスターさ、彼女とかいる?」
マスター「いや?独り身だけど」
ヤイナ「ヤイナね、この前番組の中で、この中で付き合いたい人はだれ?って聞かれて」
マスター「全員やだと答えたと」
ヤイナ「え…すごい!!よくわかったね!…って、番組見てたでしょ!?」
マスター「テレビは見ないよ。なんとなく、そう答えてそうだと思っただけ」
ヤイナ「へー……喫茶店のマスターって凄いな……。それでね、その後、番組では笑って終わったんだけど…」
マスター「マネージャーに怒られた?」
ヤイナ「ううん。花ちゃんは「ヤイナらしくてよかった」って言ってくれたんだけど、一緒に番組出てた女の子が…」
マスター「君に振られた(?)男の中の1人が好きだった?」
ヤイナ「そう!それで、あり得ないとか、馬鹿!とか言われて、ムキーってなって…どうしたと思う!?!?」
マスター「…何もせずに帰った」
ヤイナ「ん〜〜っ!そう!大正解!!逃げてきた!!!花ちゃんも、いじめられたら、録音か逃げるかしてって言ってたから!」
ヤイナは驚愕と怒りがごちゃ混ぜになっており、今にも壁を爪で引っ掻きかねないような顔で、足やら手やらをバタバタとさせる。
マスター「その花ちゃんは、いいマネージャーだな」
ヤイナ「むぅーー!げいのーかい、こんなのばっかできらい!!」
マスター「はは……悪い奴ってのは、いつかどっかで裁かれるもんさ、そんな奴のこと気にし続ける時間がもったいないぞ」
ヤイナ「んぅ〜っ!でも、でも〜!!」
マスター「まぁ、そんな簡単には割り切れないか」
暴れるヤイナの前に、ホットミルクを置いた。
ヤイナ「パフェの気分なんだけど!マスター!!!」
マスター「奢りだから。熱いから注意してくれ」
ヤイナ「むぅ〜〜っ!!いただきますっ!」
勢いづいて一気に飲む…と思いきや「ふぅー、ふぅー」と何度か息を吹きかけ冷ました後、そっと少しだけ飲んだ。
ヤイナ「あま〜いっ!!!うん、っまぁ〜ああ…ぁあああ!?にっ、がっ……んぅ…あれ……?甘い…?」
マスター「…どうだろう?」
ヤイナ「…凄い!甘い牛乳なんだけど、なんかちょっと一瞬「うん?」って、なって、でもなんか、甘くて…!!」
マスター「気に入ったなら何より。因みに、喉にもイイぞ」
ヤイナ「へぇ〜!!!これ、なんて名前?」
マスター「うん?…シナモンと蜂蜜とミルク……正式名称?は、シナモンハニーミルクかな」
ヤイナ「シナモンと蜂蜜とミルク、シナモンハニーミルク…うん、バッチリ!」
覚えようと口の中で何度も唱えると、ペースを上げてシナモンハニーミルクを飲み干した。
ヤイナ「マスター!ごちそうさま!!」
マスター「おう、またこいよ」
席から立ち上がるなり駆け出し、バーン!と扉をぶっ飛ばす勢いで、彼女は店を後にした。