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契約


鏡花「……ここ、は」


知らない天井…ではなかった。

自室…それも、ここ数週間前に新しく手に入れた自室の方ではなく…元々の、実家の方。


体の節々が痛むのをなんとか堪え、上半身を起こし、布団を剥がすと…そこには、ガッチリと包帯で固定された両足があった。


鏡花「…いかなくては」


近くに用意されていた松葉杖を掴むと、彼女は体を無理矢理に起こし、出来る限りの速度で、向かうべき部屋へと歩き始めた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


鏡花「…お婆様」


お婆様「…どうやら、要件はわかっているようじゃないか」


鏡花「…はい」


今時珍しい和風の屋敷。その中でも大広間と言える部屋の上座に静かに正座しているのは、この家の現当主である。


お婆様「昨日、例の男から連絡があった。聞くと、お前と捕虜の忍を救出したから運んで欲しい、なんて言うじゃないか。…お前は再び任務に失敗して、あまつさえあの男に救出された…間違いないね?」


気を失う前に起きたことは、全て覚えている。間違いない。忍でもなんでもない一般人(?)に救助された…そういうことになる。


鏡花「はい、間違いありません」


お婆様「あの男に気に入られているようだけど…データの方は順調なのかい」


鏡花「そう…なのでしょうか……」


お婆様「そうなのでしょうか、って……やれやれ。もう既に手を出すぐらいはしてるのかと思っとったよ」


鏡花「手を、出す…?」


いまいちピンときていないらしい鏡花の態度に溜息を漏らし…イライラした様子で髪をかき、言葉が続けられた。


お婆様「はぁ……いや、いい。…国からの依頼とは別に…いや、並行して…お前に新たな任務を授けることにした」


鏡花「……任務に2度も失敗したくノ一に居場所は無いと、そう言われると思っていました」


お婆様「ああ。その通りだ。だが……八田宮家は、あの男の評価を改めることにした」


お婆様「お前が苦戦する相手にすら無傷で勝利する手腕。恐らくは例の"曲"の力だろうが…それを"自在に"使いこなすのは、相当な修練を積んだか…あの男が作者だからかだろう」


"自在に"という部分を強調したお婆様の意図が分からず疑問符を浮かべたが、そんな彼女を無視して言葉は続けられる。


お婆様「そんな有望な人材を、一介の喫茶店のマスターにしておくのは惜しい。そこで我が家にあの男を迎え入れ、忍の世界をより盤石なものにする」


お婆様「そのために…お前には、あの男をオトしてもらう」


鏡花「オトす…ですか?」


尚もポカン?としている彼女に痺れを切らし、膝をバン!と叩き


お婆様「誘惑して子供を作らせて結婚させるってことだよ!」


鏡花「ゆうわくして、子供をつくらせて……っ!!」


脳裏に光景が浮かび、白い頬が珍しく熱を帯びる。オロオロと、どこに行くわけでもないのに慌てる様を見て、老婆は深いため息を吐いた。


お婆様「ようやく分かったかい。幸い、あんたはあの男にかなり好かれているようだから、いくら鈍いあんたでも大丈夫だろう。…というよりも、大丈夫じゃないと困るんだがね」


鏡花「あの、お婆様…子供を作ることと、結婚と…順序が逆では?」


お婆様「あんたの場合はこっちの順序の方が早いんだよっ!!」


鏡花「…???」


お婆様「あの男の価値が知れ渡れば、同じように奴を狙うくノ一も出てくるだろう。だからその前に、あんたがあの男をオトすんだ」


鏡花「で、ですが…」


お婆様「言っておくが、今日をもってあんたは勘当と、内々に伝えてある。他の者に示しがつかないからね。もう一度この家の敷地を跨ぎたければ、この任務を果たす以外にはないんだ。わかったね?」


用事は終わりだ、と立ち上がり、その場をそそくさと去る八田宮家当主。かつては、厳しさの中にも優しさがあったが…今回のことで、完全に失望された、のだろう。


鏡花「…………はい」


可能か不可能か…そんなことを考える余裕もなく、無意識的に、了承の言葉が紡がれた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


マスター「…大丈夫か?」


鏡花「え、ええ…ご心配をおかけしました」


車椅子に乗り、1人で門を潜る彼女へ、家の前で待っていた彼が声をかけた。


マスター「…?てっきり、車でも出すのかと思ってたが」


鏡花「いえ…私は既に、この家の者ではありませんから」


明らかに落ち込んだ様子の彼女に、掛ける言葉も見つからず…


マスター「…この後は、どうするんだ?」


鏡花「…とりあえず、野宿できる場所を探そうと考えています」


マスター「…うん?」


鏡花「私が部屋に持ち込んだ物は、売ってしまってください。これまでの家賃として、立て替えていただければと思います」


マスター「…???」


鏡花「あ、ええと…任務は継続ですから、これからも喫茶店で働くことをお許しください。私のせいで店を閉めてしまいダメにしてしまった材料代や迷惑料の支払いは…なんとか、月末までにご用意させていただきたく思います」


マスター「ん?ううん???」


鏡花「あっ…そうでした、マスター様に助けていただいたお礼も済ませておりませんでした…!…ええと、家に置いてある物は家賃として扱ってもらうのですから……今来ているこの着物しか……ですが、これだけではとても足りませんし………。……あの、マスター様、服を着ていなくとも働くことのできる場所をご存知ではないでしょうか?」


…彼女は、どうやらとんでもない箱入り娘のようだった。出会った当初はそんな感じもしない、クールな感じだったが……それとも、彼女なりのボケなのだろうか?


マスター「…プールの監視員とか?」


鏡花「あ、その手がありましたね!…ですが水着が…..…。……遠目なら、下着でも気付かれないかもしれません」


マスター「………とりあえず、俺の家に行こう。それでいいか?」


鏡花「あ、はい、かしこまりました。…あの、何を?」


マスター「車椅子、押す」


鏡花「あの、ええと…大変申し訳ないのですが、お返しできるものは…」


マスター「…あとで頼むよ」


鏡花「はいっ、かしこまりました」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


マスター「家の関係ってのは、そんなに簡単に切れるものなのか?…俺からすれば、異常だ」


鏡花「…任務に失敗したのに生きている忍の方が、忍の世界としては異質です」


マスター「…はぁ。…学園の方はどうなるんだ?」


鏡花「貴方様からデータを手にいれる、という任務は続行ですから、まだ請負関係にあります。ですが、それが終われば…完全に関係は切れるでしょう。1年後には卒業ですから、そこだけは幸運だと思います」


マスター「…忍としては、もうやってけないってことか?」


鏡花「…そう、ですね。国の忍…公忍としては、もう戻れないでしょう。…そういった忍は数少ないですが、非公認組織の忍へと堕ちるか、一般人として生きるか、そのどちらかです」


と、なんだかんだ話している間に、彼の家へと着いた。


マスター「…失礼するぞ」


相談もなしに、彼女をお姫様抱っこの要領で抱えた。


鏡花「きゃあぁっ!あ、あの、下ろしてくださいまし!」


マスター「つっても、車椅子でそのまま入れるには色々どかさなきゃならないし…どうする」


と、彼は彼女を抱えたまま、彼はその場で立ち止まり、車椅子の方を向いた。


鏡花「ぅぅっ…わ、わかりましたから…この姿勢は恥ずかしいです…」


お世辞にも軽いとは言えない彼女を居間のソファに下ろし、車椅子やら何やらの処理を済ませた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


マスター「…店への迷惑料だとか、家賃だとか、今日寝る場所だとか…全てを解決する方法がある」


鏡花「ほ、ほんとうですか!?」


目を見開いて驚いた様子の彼女。期待50%驚き50%のその目に、この提案は応えられるのだろうか…と少し不安に思ったが、今更無しとは言えない。


マスター「ああ。……その、俺と契約をしないか?」


鏡花「…マスター様と私が、ですか?」


マスター「ああ。…内容としては、1.基本的にはこれまでの関係と変わらない。だが、国からの依頼が終了後、俺専属のくノ一になってもらう。2.家賃、研修費等の費用は全額こちらが受け持つ。ってぐらいなんだが…どうだろう?」


ポカン、という擬音以外出てこないような顔の彼女に、言葉をつづける彼。未だに、彼女のことはよくわかっていない部分が多い。断られて、本当にプールの監視員になろうとする可能性も0じゃないだろう。


専属の忍…彼女が先に挙げた選択肢の中には無かったが、そういった選択肢が0な訳はあるまい。まだ学生なのにこれだけ優秀な人材だ。そんな忍が全員、命を軽視しているわけはない。国の命令に逆らい、愛国心を無くし、自分の命を優先する…そんな忍もいるはずだ。…彼女の組織では意図的に隠されているのかもしれないが。


鏡花「…マスター様、契約は基本的にお互いが対等でなくてはありません。ですが、これは…」


とりあえず取り付く島もないというわけではなさそうでホッと息を吐く。


マスター「そうだな、すまん……月いくらぐらい払えばいい?」


鏡花「そ、そうではありませんっ!私の方が得をしすぎるという話です」


マスター「そんなことはない。お前は知らないかもしれないが、新しく入ってきたバイトに、逆にお金を払わせる職場なんてありえないし、家賃だとかも、むしろ家事を請け負ってもらってこっちが給料を払うもんなんだ」


鏡花「それは普通の場合です。今回は、私の都合で一方的に押しかけたのが真実です。マスター様はアルバイトの募集も家政婦募集もしていませんでした。半ば強引に押しかけたのですから、迷惑料を払うのは当然です」


意外にも至極?真っ当な意見で返され、思わず言葉を失った。

いや、それでも迷惑料をもらうのはおかしいと思うが……無い話とは言い切れないのも事実だろう。


マスター「…分かった。なら、2つ条件を加える。1.絶対に嘘をつかないこと。…色々お願いすることがあるかもしれないが、嫌だと思ったなら嫌だということ。それからこれが1番重要」


一旦、唾を飲み込む。緊張しているわけではないが…自分には合わないことだという、一種の恥のようなものがある。


だが…それでも、言わなければならない。


「2.何よりも、自分の命を優先すること」


どうだ?と首を傾げる彼へ、彼女は小さく息を吐いた。


鏡花「…マスター様」


「…あの日からずっと思ってた。お前は…自分の命を軽視し過ぎだ。俺は、それが嫌だ。…生き様を、信念を変えろっつってんだから、それなりに大きな条件だと思うが」


鏡花「…マスター様。……こちらに、来ていただけませんか?」


静かに、真っ直ぐに見つめられ…やらかしたか?という不安を覚えつつ、彼はその言葉に従い、彼女の隣に腰を下ろした。


彼女ーー鏡花は彼の両手をそっと取り、優しく、しかし強く握りしめた。


鏡花「……貴方様が、敵である私にそこまでしていただけるのは、どうしてなのですか?」


鏡花「お店で厄介になることを許し、家に押しかけても許し、あまつさえ、危険を承知で助けにも来て……貴方様はどうして、私を助けてくださるのですか?」


俯きながら話し始めた少女は、しかし、返答を求め、彼の瞳をジッと覗き込む。その瞳は、疑問・不安・恐怖…そればかりが占めているように見えた。


彼女は彼の手を離し、再び俯いた。


「…最初に会った時から、『イイな』って思っていた」


「…結局は、それの延長に過ぎない。…過ごす中で、性格も悪くないと思った。それから、見た目も好きだ。変な所で拘りを持ってて、変な所でヌけてる、そんな所もいいと思う。それに…憧れてる部分もある」


鏡花「憧れ、ですか?」


「…融通が効かないが純粋で…知略は苦手で、力押しで通そうとする。…俺が無くした部分を、より強く掲げている。…見上げると眩しくて、目を背けたくなるが…嫌いとは違う。…すまん、作詞家の悪い部分が出た、忘れてくれ」


冗長な言い回しをするのは、曲を作る者の悪い癖だ。…言いながら、次の曲で使えそうだな、なんて考えてしまうのだ。


鏡花「いいえ…忘れません」


首を横に振り、胸元に手をやり…大きく深呼吸をする鏡花。


今度は彼から彼女の両手を取り、顔を上げた彼女の目を、しっかりと正面から見つめ続けた。


「それに、募集してなかっただけで、バイトも家政婦も、いてくれてすごく助かったし…。…ずっと1人だったから、誰かが側にいてくれるってだけで、違うものだよ」


なんて、弱みを見せて微笑む彼に……彼女は申し訳なさそうに、再び俯いた。


鏡花「…ありがとう、ございます。…そう言っていただけて、嬉しく思います。…ですが……私は、八田宮の家から、最後の任務を受けているのです」


「…?」


鏡花「…貴方様を八田宮の家に引き入れるために、貴方様を籠絡しろ。……子供を作り、結婚しろ……そういう任務です」


「…それは」


鏡花「ああまで言っていただいたのに、申し訳ありません。私はもう、貴方様が憧れるようなくノ一ではありません」


「…俺と専属で契約すれば、その任務を果たす必要はない。任務ですらない、家に戻るための条件なんだろう?公忍じゃないが、お前はこれまで通り、くノ一でいていいんだ。…それでも、どうしても、八田宮の家に戻りたいのか?」


その言葉に、鏡花は一度目を閉じ、深く深く、自分の胸に触れ、その内を再度確認する。そうして…


鏡花「…はい。勘当されようと、私はあの家で育ち、あの家と共に生きてきました。戻る術があるのなら、そうしたいと思います」


結婚に、大したこだわりがあるわけじゃない。もしここで結婚してくださいと言われても、即結で「ハイ」と答えるだろう。

ただ…しかし。彼女にとって、それで良いのだろうか。今ここで彼女の任務が果たされるということは、『好きでも無い人と結婚し、戻りたかった家に戻ることができた』という結果にすぎない。

その結果は…考えうる中でも下の方の結果だと思う。


「…俺が聞くのもなんだが……もし、戻れなかったらどうする」


そんなことを聞くと…彼女は、申し訳なさそうな…しかし、恥ずかしげに


鏡花「……その時は…………改めて、貴方様専属のくノ一にさせていただければと思います」


照れながら「都合が良すぎますよね」なんて苦笑いを浮かべる彼女を見て…素直な感想が、そのまま漏れ出てしまう。


「……可愛いな」


鏡花「…えっ、と……?」


「やっぱり、お前は、俺が思った通りの人だったよ。そんな非道な任務を受けたことを、隠さずに話してくれたじゃないか。だから…失望なんてしない」


「家の任務のことは…俺からはなんともいえない。やりたいって言われたら…やめてくれとは…言えない。…ただ、その任務を抱えたままでもいい。俺のくノ一になってくれ」


鏡花「…ですが、先程の条件では…」


「今は専属じゃなくて良い。…予感がするんだ。俺は今後、命を狙われる可能性がある。…お前の家が俺を認めたように。一対一の戦いなら勝てるかもしれないが、闇討ちなんかには対応できない可能性もある。だから…お前には、できるだけ側にいて守ってほしい。プールの監視員のバイトは無しだ」


「…重大な仕事だ。色々縛りも加えたし、この条件なら、給料が発生するのも当然だろう?」


緊張した面持ちで、彼女の返答を待つ。彼女は口元に手を当て、少し考えた後…。


鏡花「……そういうことでしたら、分かりました」


咄嗟に思いついた話だったが、うまくいったようで何よりだった。だが…全くの嘘ではないだろう。闇討ちにも対応はできるだろうが…万全を期すに越したことはない。


鏡花「私、鏡花は…貴方様を主として認めます。…これから、よろしくお願いします。旦那様」


彼女が差し出した右手を握り、彼はイイ笑顔で


「ああ…!よろしく頼む!」


と、安心したように微笑むのだった。


鏡花「…私のことは鏡花と、そうお呼び下さい」


「!……よろしくな、鏡花」


若干照れ臭く思いながらもそう応え、立ち上がり手を離そうとした瞬間。不意に鏡花に引っ張られ…彼は勢いよく、彼女の胸元に顔を埋めることとなった。


鏡花「…どうか、もう一つの任務の方も遂行中なことをお忘れなく」


そのまま頭を抱きしめられ、彼はその場を脱出することができない!!


「ンーーっ!!」


鏡花「…殿方はこうされると喜ぶ、と、家で頂いた参考書に書いてあったのですが…合っているでしょうか?」


若干迷いつつ、コクコクと頷くのを感じると、


鏡花「良かった…。…少し、恥ずかしいですが…でしたら、しばらくこのままで」


柔和な表情で彼の頭を撫でる彼女だったが、一方の彼は、感じたことのない柔らかい感触と、ガッチリ掴まれたせいで呼吸がし辛い状況により、感情がごちゃ混ぜになった表情のまま…穏やかに動く彼女の鼓動を聞き続けた。


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