最悪な気分
鏡花「…どう.でしょう?おかしくはないでしょうか?」
マスター「良いと思う」
翌日、彼女は履歴書を持って再度この店を訪れた。
曰く「手伝う、と言ったから」らしいが、まさか本当に働きに来るとは思わなかった。
八田宮鏡花…立ち振る舞いからも貴族的な物を感じていたが、調べればすぐに出てきた。
といっても彼女が、というよりも彼女の家名が、だが。
そして、喫茶店の制服も特に無いため、長袖のワイシャツにネクタイ、タイトスカート…それに黒いエプロンをつけた形を、制服ということにした。
長い銀髪は一つに束ね…所謂ポニーテールにしてある。
これまで、彼女と会う時はいつも和服であり、中にはサラシでも巻いていたのかもしれない。タイトスカートによってくびれがハッキリとわかり、隠されていたメリハリに意識が引っ張られる。
くノ一としての訓練の成果と、本人の素養、それらが合わさったためだろう…女優として生きたなら、この国でもトップ10に入るレベルだとからは感じた。
鏡花「…その、あまり見ないでくださいませ…」
マスター「…すまん。とにかく、始めようか」
鏡花「はい、よろしくお願いいたします」
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マスター「とりあえず初日はそこに座っててくれ。ドリンクを作る時は教えるからこっちに来て、客が帰ったら食器をこっちに持ってきてくれ。…接客とかは次にしよう。…つっても、客が来たらの話だが…来なかったら一通りドリンクを…」
バーーンッ!!!
と、扉をぶち抜くような豪快な音と共に現れたのは、小学生ぐらいの女の子だった。
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ヤイナ「おっじゃまっしまーすっ!」
【快活】。これ以上の言葉は無いだろう。
真紅の長い髪をツインテールにした、白い八重歯がキラめく少女。
マスター「いらっしゃいませ」
ヤイナ「あの!ここってアイスある?」
マスター「あるよ。ソフトクリームだけど。あとはパフェとか」
ヤイナ「じゃあパフェ!あと、飲み物はお任せで!!」
敬語を解き、子供向けの営業スマイルを見せる。と、少女はどかっとソファに腰掛けた。
…家族でレストランに来た時とかも、こんな感じなのだろうか?…親の顔が見てみたいような、見ない方が幸せな気もする。
慣れた手付きでパフェを仕上げ…るよりも前に、彼はちょいちょい、と鏡花を手招きした。
マスター「詳しい手順は後でメモを渡すけど、とりあえず一回見ておいてくれ」
鏡花「かしこまりました」
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鏡花「お待たせしました」
コト、という軽い金属音と共に置かれたのは、ソフトクリーム、イチゴ、チョコ、シフォン、白玉を階層的に仕立てたパフェ。
背の高いスプーンでガッツリと抉り取り、大口を開けて頬張ると、
ヤイナ「うぅ〜〜っまい!!!」
マスター「よかった」
パクパクと食べ進める少女。数分経ち、半分まで食べ進めたのを見計らい、
鏡花「スパイスココアです」
と、置かれたのはシナモンと蜂蜜を混ぜたココア。
火傷しないようにある程度冷まされ出されたソレに、少女はそっと口を付けた。
ヤイナ「これ、ココア!?」
マスター「ああ。それにシナモンやら蜂蜜やらを入れた」
ヤイナ「蜂蜜!?シナモン!!??へぇー!へぇーっ!!」
ズズズ、と音を立てて飲み、再びパフェに齧り付く少女。
この店を開いて以来、子供の来店は実は初めてだ。
子供というと、パフェがこぼれてテーブルが汚れたり、テーブルの足をやたら蹴るような印象だが…喜んでいる子供を見るのも悪くはない。……財布の中身がちゃんとあるのか、そのことは心配だが。
完食すると水を飲み、少女は備え付けの紙ナプキンでテーブルを拭いた。
ヤイナ「ふぅ……マスター!いくらー?」
マスター「700円」
ヤイナ「あー……10000円でいいっ?」
マスター「はいよ。お釣りは9300円」
ヤイナ「うん!じゃあ、ごちそうさま〜!!」
嵐のような勢いで、本日1人目の客は去っていった。
鏡花「…普段から、あれぐらいのお子様はよくいらっしゃるのですか?」
マスター「まさか。店を開けて以来、初めての子供客だよ」
…それにしても、色々と印象に残る子供だった。
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鏡花「いらっしゃいませ」
年配の客「あら…新しい人?」
鏡花「はい、至らない点も多いとは思いますが、よろしくお願いいたします。…お席はどちらに?」
年配の客「あらあらご丁寧にどうも…席はいつも、テーブルの方にしているわ」
鏡花「かしこまりました」
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午前の客は結局少女ともう1人だけであり、休憩を挟むと、「接客をさせて欲しい」と彼女が言い出し、任せることにした。
自分から言うだけあり、彼女は既に完璧に接客をこなせており、彼が教えることはドリンクについてのみ。
手が開けば掃除やら客の相手やら、色々とこなしてくれており、研修期間は1日未満となったのだった。
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マスター「…お疲れ様。今日はもう上がってくれ」
鏡花「はい、お疲れ様でした」
扉の前の看板をcloseに変えている間に、鏡花は更衣室へと行ったらしい。
ご一緒するわけにもいかないので待っていると、すぐに和服に着替えた彼女が出てきた。
鏡花「マスター様も着替えてきてください」
マスター「ん?ああ…んじゃ、お疲れ様」
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マスター「…あれ?まだいたのか?」
鏡花「ええ、お手伝いの約束です。…これでは、ただのアルバイトになってしまいます」
マスター「…うん?」
鏡花「ですから、これから貴方様の作曲の手伝いをするために、お家にお邪魔させていただければと…」
マスター「……あー、成る程。大丈夫だ、そこまでしてもらわなくて」
鏡花「……ええと……?」
マスター「……?」
鏡花「…では、荷物はどこに置けば良いのでしょう?」
マスター「…荷物?」
鏡花「はい。これから、貴方様の家で生活するにあたって、必要な物を一通り、家の者に用意させまして…今頃、家の前で待機していると思われますが…」
先程からずっと、真顔で問答を続けていた2人だったが…その『キョトン』とした彼女の顔に、ようやく言わんとしていることを理解した。
マスター「…え、住み込み…ってコトか?」
鏡花「?はい」
首を傾げながらそう答える、常識不足な彼女の姿に…外聞も気にせず、文字通り彼は頭を抱えた。
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鏡花「ですから、『同棲までしてようやく一曲作成或いは交渉ができた』となれば、仮にその曲がどのようなものであろうと、学園を納得させることができると、そう考えたのですが…」
マスター「……確かに一理あるが……間違いが起きたらどうするとかは気にしないんだな」
鏡花「間違い……ですか?」
マスター「…あまり言わせないで欲しいんだが」
ぶっきらぼうに答えるも、
鏡花「ご心配には及びません。くノ一ですもの。一般人に遅れは取りませんし、貴方様が"良い"人だと言うことは、ここ数日でよく分かりましたから」
と、影の無い微笑みで返されては…断る気も失せるというものだった…が、ここで折れるわけにはいかない。適切な距離感、というものがある。それに、家の中でまで気を張っていなければ行けないというのは…遠回しな拷問だろう。
マスター「…パーソナルスペースは侵してほしくないんだが」
鏡花「……。それは…申し訳ありません」
考えもしていなかったことを言われた、そんな顔の後目を逸らす。だが…「ここで引き下がってはいけない」と、自分を鼓舞して顔を上げる。
鏡花「…ですが、正直に申し上げると…甘い、です」
鏡花「くノ一を扱う国を相手に、個人情報保護、というのは…不可能かと」
今度は逆に彼が思ってもいなかったことを言われ…あまりに堂々とした姿勢に、思わず納得してしまった。
マスター「…八田宮さん1人に絞った方がまだマシ、ってことか…」
鏡花「…最低限、配慮はいたします」
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喫茶店から徒歩5分未満。都内にある小さな一軒家に一人暮らし。
それが、何の因果かくノ一との2人暮らしに変わった。…変わってしまった。
鏡花「改めて、よろしくお願いいたします。私のことは、都合の良い家政婦のように思っていただいて問題ありませんから」
家の前に着き、黒い服の男たちが待機しているのを見て…いよいよ彼は観念するのだった。
(盗まれて困るものは誰にも取られないようにしてある。大丈夫だ。…なるようになる)
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家の案内を済ませ、「許可なく彼の部屋に入ってはならない」等のルールを決めたりしている間に、すっかり日が沈んでいた。
自分の家だというのに何処か居心地の悪さを感じる彼と、さして気にした様子もない彼女。…同居の提案といい、もしかすると割と抜けてる部分があるのだろうか?
鏡花「お風呂、いただきました」
マスター「ああ…」
こういうのは家の主人から…というような気もするが、「作業があるからお風呂は先にどうぞ」の結果こうなった。
風呂上がり、銀色の髪の毛は水気を帯び、湯気が出ている。
わざわざ着たのだろう、旅館などで着るしっかりとした浴衣は、いつもの和服よりもゆったりとした印象を感じさせる。
鏡花「聞きそびれていましたが、貴方様はどれぐらいの頻度で一曲を仕上げられるのでしょう?」
マスター「あぁ…そればっかりは何とも言えない。高校生の時は一月に一つぐらいは作っていたが、大学生の時は一年に一つとか……喫茶店を開いてからは、一つも作っていない」
鏡花「それは…スランプ、のようなものでしょうか?」
マスター「……まぁ、間違っちゃいないが…。…俺も風呂入ってくるよ」
鏡花「…かしこまりました」
逃げるようにその場を去った彼の背。扉が閉まり見えなくなると…彼女は瞼をゆっくり閉じた。
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美人局だと言われた方がまだあり得る。
治療の時に一通り見てしまってはいるが、状況がまるで違う。
…いや、冷静になれ。
そう…考えるのだ。
これはつまり、こういうことだ。
誘惑に負け手を出す→御用→全財産没収→獄中で強制作曲
そう、彼女にその気があろうとなかろうと、そもそも彼女を仕向けたのは巨大な組織であり、国だ。
「つまり、一連の流れは計画通りだということだ」
…成る程。冷静になれた。
…これからは『自分』を出してはいけない。
社会的な仮面を被るのだ。
『ただの喫茶店のマスター』として、彼女に接しなければならない。
逆に、作曲する時は『自分』でなければならないが…。
スイッチを切り替えるのだ。
一度湯船に沈み、それからゆっくりと立ち上がる。
髪を手でかき分け、一呼吸。
マスター「…よし」
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時刻は既に12時を過ぎている。
あの後、彼女が作ってくれた夕食を頂き、その後はすぐに自室へ。
約束通り、彼女が部屋に入ってくることはない。
隣の部屋だから物音で分かることだが、今頃は荷解きをしているようだ。
「…誰もが幸せになれる曲、か」
今の気分はどうだろう。
…部屋の外では『マスター』として振る舞う。奴らの、計画通りになんてならない。
誘惑になんて乗らない。…機械的に振る舞う。
「…機械的になる曲。……いや、幸せとは程遠い。……そうじゃなくて………かなしい?」
今の感情。機械的になる…それよりも、そう。ーーを深く知る、その糸口を手に取ることができない、かなしみ。
非現実(的なイベント)との遭遇。正直言って、かなりキツい。
だが…だが、そうだ。
1チャンなんてあるわけがない。住む世界が違う。いや、そもそも、人間としての値段が違い過ぎる。桁がいくつ違うのか、数えるのも億劫になる。
携帯のカメラを起動して、インカメラを起動する。
…自分の、顔を見る。
「…よし」
最悪な気分になってきた。
デスクトップに置かれた1つのアプリ。長らく起動していなかったそれが、今ようやく開かれた。