キョウカ
鏡花「はぁ…」
学園長への報告から数日が経ち、彼女は喫茶店の前にいた。
学園からのリークを元に、国は彼と交渉を行なった。
結果は破談。そんなものはない、の一点張りであった。翌日、鏡花は再交渉の場に同席を求められたが、結果は変わらず。ちなみに、2人の間にロクな会話は無かった。
そして今日、彼女は……任務として、この場所を訪れた。
【主目的:喫茶店マスターが所持する楽曲データを可能な限り入手する。交渉、潜入、懐柔、その他、手段は問わない。ただし、相手に敵意を持たせないこと。また、潜入の場合、相手に気付かれてはならない。失敗条件は完全な敵対。最悪のケースとして、ターゲットが国外に逃亡し、他国に売り込むことも予測される。任期は1年とする】
噛み砕くと、こういった感じの任務だ。
顔が割れている彼女が行くよりも、別のくノ一が向かうべき…と進言したが、学園長曰く「この任務には鏡花さん…"貴方"以上の適任はいません」と、意味深なことを言われ、却下されてしまった。
彼女のプランとしては…
1.バイトとして雇ってもらう
2.仲良くなる
3.事情を説明し、何かしらの楽曲データを貰う。
4.少しずつ打ち解けていき、更に仲良くなる。
5.楽曲データを更に貰う。
…なんてのを考えもしたが、正直言って自信はない。
せめて交渉の場に同席なんてしなければ、シラを切ってそういうこともできたかもしれないが…そうはいかなくなってしまった。
ならば、どうすればいいか。
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マスター「……1人か?」
鏡花「はい。…座ってもいいですか?」
マスター「客として来たなら」
一瞬、躊躇ったが…彼女はカウンター席に腰を掛けた。
マスター「何にする?」
鏡花「以前と同じものを」
マスター「…抹茶もあるが、カフェラテでいいか?」
鏡花「……では、抹茶ラテを」
マスター「はは、了解」
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置かれた抹茶ラテに口をつける。
…いつも飲む物よりも美味しい。
…抹茶にミルクというのがここまで合うとは知らなかった、それほどだ。
鏡花「…この曲は?」
マスター「普通の曲だ」
鏡花「……先日は申し訳ありませんでした」
マスター「…何に対して謝っている?」
鏡花「…くノ一として、得た情報は依頼主に納める必要があります。癒しの曲については、私の命に代えても情報を届けたでしょう」
鏡花「貴方様からすれば、助けた相手が裏切った、と…気分を害されたかと思い、謝罪させていただきました」
掟は守らなければならない。くノ一としての任を受けてから、それだけは絶対だった。
例え善良な人間に苦労を強いることになったとしても…それが、お国のために尽くす、くノ一なのだから。
マスター「気にする必要はない。仕事なら仕方ないし…こっちからすれば、変な奴らが"身に覚えの無いモノ"を譲ってくれと言って来ただけだ。…盗みに入って来たとして、警察が当てにならない相手なのは厄介だが」
と、苦笑いしつつ返すが…彼女はただ、申し訳なさ気に目を伏せるだけだった。
マスター「……それで、今日のご用件は?本当にただの客として来た、ってだけなら大歓迎なんだが」
自分用のエスプレッソに口をつけ、じっと相手の出方を伺う彼。どんな手口で来る。ここまで喋ったなら、情に訴えた交渉だろうか?
鏡花「…本日は、学園の任務で…こちらに参上いたしました」
それから、彼女は事情を全て話した。
任務の内容から、彼の曲が悪用されている可能性まで。
…最初、彼が故意に曲をばら撒いている可能性も懸念したが…悪用されている事実を突き付け、反応を見ることにした。
…ありのままを話すこと。これが、彼女が選んだ選択肢だった。
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マスター「…それで?……正直に全て話せば、俺がその、あるはずもないデータを渡すとでも思ったか?」
一通り話し終えた後、冷たく鋭い眼差しを向けられた彼女。これまでの、なんだかんだと柔和な印象からはかけ離れたその瞳に、しかし彼女は怯まない。
悪用されている可能性を告げた際、彼の目の中には恐怖と、殺意を感じた。
鏡花「嘘は通じない。隠し通しても進展しない。なら、事情を話してご理解いただくしかないと、そう思ったからです」
マスター「…俺が、事情を聞いたら納得して渡すやつに見えるか?」
鏡花「見えません。ですが……貴方ならば、良い案を出していただけると思いました。…それだけです」
断言し、お互いの瞳をじっと見つめ……やれやれと、根を上げたのは彼の方だった。
マスター「…交渉相手に案出しを求める奴がいるかよ…」
鏡花「……」
マスター「…俺が何故、データを出し渋るか分かるか?」
イエスともノーとも答えず、無言を貫く彼女に向けて、彼は語り始める。
マスター「そのデータが存在するとして…それはいわば魔法だ。それも、誰でも手軽に使える。傷を治す曲なんて最もわかりやすい。良い点で言えば、怪我をしてもすぐ治せる。怪我をさせてもすぐ治せる。悪い点で言えば、廃業する医者が出るかもしれない、廃業する薬品会社が出るかもしれない。戦争の場で、ゾンビのように戦う光景が生まれるかもしれない。もっと言えば、副作用があるはずだ。副作用が無いなら、人間に備え付けの機能としてその治癒速度が無いのはおかしい」
マスター「…怖いだろ?責任を取れなんて言われても無理だ。そんなデータ、無い方がいいに決まってる」
これが、先程彼女が感じた恐怖と殺意の正体だろう。
鏡花「……」
彼女は、その意見に対して何も言い返せなかった。それもそのはず、最初に学園長室で感じた嫌な予感の正体はまさにこのことで、彼女自身、データ回収には反対なのだ。
だがそんなものを、ただの個人が持っていて果たして良いのか?むしろ強硬手段に出て、彼から強引に奪うという選択を国が取っても、何の不思議もない。…いや、あまりにも彼が協力を拒むようなら、そういうことも起こり得るだろう。
鏡花「他に、何か……例えば、みんなが楽しくなる曲とか、頭が良くなる曲とか、そういった、みんなが幸せになる曲なら、提供できるのではないでしょうか?」
マスター「どんなものだろうと、結局は使いようだ。人殺しを楽しんだら?娯楽が消えたら?頭が良くなる曲のおかげで、研究者が更に賢くなってとんでもない兵器が生まれたらどうする?…無理なんだよ、結局はそれを使う人によっては、俺の曲が凶器になる」
責任が取れない。怖い。
もっともな意見だと思う。
だから作曲家にはならず、ノウハウも無いのに喫茶店経営なんて道を選んだのだろう。
…曲を作りたいのに、無闇に作れなくなってしまったのだとしたら…。
鏡花「…私の任務の期限は一年。まだ時間はあります」
席を立ち、足音を立てず、しかしヅカヅカとカウンターの中に入ってくる。
鏡花「私に、手伝わせてください。使い道を間違えようのない、誰もが幸せになれる曲……それを作る手伝いを」
理想と現実。それを相反させない。見上げた彼の目と、決意を帯びた目が交わる。
マスター「……だれもが、幸せになれる曲…」
鏡花「今はまだ思い付かなくとも……なるようになる、なるようにしかならない…そうですよね?」
貴方が言ったことですよ?と微笑み首を傾げる彼女に…彼は初めて、苦味のない笑顔を見せた。
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マスター「…今更だが、名前を聞いてなかった」
鏡花「まぁ…!失礼しました、八田宮 鏡花です。…改めて、よろしくお願いします」
マスター「……それは、本名?」
鏡花「?ええ、そうですが……」
マスター「……なんというか、すごい偶然だな」
鏡花「…ええと?」
マスター「…あー、…店の名前、見てないのか?…ほら」
マスターはどこからともなく名刺を取り出し、彼女に手渡した。
鏡花「……えぇっ!」
マスター「はは…これも、なるようにしかならない、に入るのかね」
何故だか顔を赤くする鏡花と、思わぬ偶然に心から笑ってしまう彼。
彼女の手元、名刺には…彼の最初の曲名と同じ読み、音楽の響く家という意味で【喫茶店 響家】の文字が書かれていた。
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