完成
彼と鏡花が訪れたのは、都内にある小さなコンサートホール。
事前に調べたが、この時間にコンサートが開催される、といった話は上がっていない。つまり、独占コンサートということだろう。
なんとなく、数回しか着たことのないスーツを着てきた彼と、それに合わせてなのか、彼女も覚醒時の装束を身に着けていた。
ククア「お久しぶりですわ、マスター」
と、どこから現れたのか、目の前に突如としてククアが現れた。
「…てっきり、ステージで対面するんだと思っていたが」
ククア「サプライズを用意することは芸者の基本ですわ」
ククアは彼の横…鏡花に"目"をやると、豪華なスカートの端を持ち上げ、彼女に礼をし
ククア「私の手紙を彼に届けていただき、ありがとうございますわ」
鏡花「…私はご主人様の『モノ』ですから。役目を果たしただけのことです」
ククア「役目だからと、お礼を言わない理由にはなりませんわ。…今日のステージには、是非貴方もいらしてください。きっと、良いものを見ることができるとお約束いたしますわ」
穏やかな笑みと共に告げられた礼に表情を動かさずに、鏡花は小さく頭を下げた。
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ククトゥリアについていき、会場の中に入る。
…小さな会場だ。世界的歌聖のコンサート、となればこれの10倍は広い会場が普通は用意されるだろう。この会場は言うなれば、学芸会なんかで使用されるもので…観客と演者の距離もかなり近い。
ククア「さ、折角ですから1番前の席に座りましょう」
と、先行するククアについていき…そのまま1番前、真ん中の席に腰を下ろした。…ククアが。
「…ん?」
ククア「鏡花さんは私の隣に。貴方の席はありませんわ」
「…おいおい、待て待て」
反射的に後ろの出口へ逃げようとする彼の手を、ククアが掴む。
ククア「…歌うのは私ではなく、貴方ですわ。…私がこんなに小さなステージで歌うわけがないと、そうは思いませんでしたの?」
ニヤリと、歌聖とは思えぬしたり顔が向けられ…熱いものと冷汗が混ざり…額に手を当て立ちくらみをなんとか抑えるのが精一杯だった。
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「意味がわからない。客として招かれたんじゃないなら帰る」
ククア「…」
ククアは返事をせず、ただ、見えない瞳で彼を見つめ…やがて、彼の手を離した。
「…そっけない態度を取ったのは悪かった。だが、俺は自分の歌を誰かに聞かせたいなんて1ミリも思わない。自作の歌なら尚更だ。会えと言われれば会う。だから、こんなアホなことはよせ」
ククア「いいえ。貴方にはステージで歌ってもらいます」
「何故」
ククア「貴方の歌を完成させるために、ですわ」
「完成はしてる」
ククア「世に出さなければ完成したとは言えませんわ」
「俺の中で形になって、データになってる。聞く奴がいるかどうかなんて関係ない。関係あるとして、俺個人が聞けばいい」
ククア「……」
「…」
ククア「嘘をつくのはおやめなさい」
ククア「誰のために、何のために作られたのか。誰が歌うための、誰が聞くための歌なのか…一度聞いた私が、それを理解できていないとでも?」
自信満々に、されど少しの怒りを込めて、ククアは彼を"見"つめる。
…彼女の言っていることは図星で、けれど図星というだけ。
…歌う理由にはならない。
「…そうだ。理解できちゃいない」
ククトゥリアに背を向ける。後ろで待機していた鏡花と目が合い、外に出るように促す。
鏡花「…」
だが、鏡花は動かない。
鏡花「…私は、世に出ない作品があることも、【未完」で【完成】のモノがあっても良いと思います」
鏡花「ですが……だけど……私も…【ご主人様】と同じぐらい【ご主人様の曲】を愛しています。…愛している人の自殺を止めるためなら、自分の誓いを曲げることもします。…自殺用のロープだって、持ち主を守るために自ら千切れることができます」
彼の鼓動が、呼吸が、加速していることを、歴戦の忍は感じ取った。
だが…言葉は取り消さない。取り消せない。
自らに掛けた誓いに背き、彼女の装束が溶けるように消え、いつもの和服に戻ってしまう。だが、それでも、彼女は真っ直ぐな瞳で彼を射抜く。
鏡花「……貴方の歌が聞きたいのです。…それでは、ダメでしょうか?」
苦虫を噛み潰したような顔とは、このような顔のことを言うのだろう。
鏡花に目を向けるのをやめ、出口を見上げる。一歩、段を上がり…しかし、背中から感じる二つの視線に射抜かれた心が、それ以上の歩みを許さない。
椅子から立ち上がり、彼を後ろから抱きしめるククトゥリア。
いつの間に回り込んだのか、彼を前から抱きしめる鏡花。
いつもは大きく感じる背中/胸板が、今はひどく、小さなものに感じる。
本当に、やりたくないことをさせようとしているのだと、彼に触れた彼女達は改めて実感する。
それでも…引かない。自殺用のロープは、持ち主を"最終的に"救うために、結びをよりキツく絞ることにした。
前後から完全に包囲された彼。
…心の整理はまだつかない。
だが、必要なことだと、絶対に逃げてはいけないと、彼の心を占める2人に言われ…
「……ヘタクソだとしても、笑うなよ」
ついに、折れることとなったのだった。
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鏡花「…ありがとうございます。ククトゥリア様」
ククトゥリア「お礼を言うのは私の方ですわ。…貴方に止めていただかなければ、彼はここを去っていたでしょう」
鏡花「…私には、こんな方法は思いつきませんでしたから」
ククトゥリア「ふふ…でしたら私達、意外と相性は悪くないのかもしれませんわね」
鏡花「…そう、でしょうか?」
ククトゥリア「同じ人を愛し、愛されたのですもの。…そうですわ。一つ、お願いがあって……」
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1時間後、データの取り込みや音響の準備、調整などが終わった。
舞台袖に立ち、息を整え、ついにステージへの階段を登る。
中央に置かれたマイクの元へ歩き、正面を向く。
ククアと鏡花、2人が見つめる中…一礼をすると、15秒間の前奏が流れ始めた。
そして、頭に浮かんだ通りの歌詞を、口が紡ぐーーはずだった。
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声が、出ない。歌詞をど忘れしたわけではない。現在も音楽に合わせ、頭の中では詞が流れている。だが、出ないのだ。声が。
緊張。それ以外にない。失敗したらどうしよう、という不安。とにかくやらなければ、という気持ち。
…既に失敗だ。ここで「悪いもう一回やらせて」とでも言うのか?ありえないだろう。
彼女達の期待に応えられなかった。顔を見るのが怖い。…だが、見ずにいるのはもっと怖い。
チラリ、と、一瞬だけ、瞳を彼女達に向けた。
…心の底からリラックスして、肩の力が抜けて、曲に聞き入っている表情だった。
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彼女達は、この曲の完成形を聞いたことがない。
だから、まだ、これが既に間違いであることを知らない。
彼女達の中では、まだこの曲の歌は始まっていない。
ーーその時思い出したのは、ククアの言葉。「世に出さなければ完成しない」
彼女の意図とは違うかもしれないが…思わぬ形で、納得させられた。
…1番は、いらないかもしれない。いや、今思えばいらない。完全に。
自分を落ち着かせるための嘘かもしれない。けれど、そう、この『完成させる場』で出なかった。消えた。理由は「緊張から出なかった」だけかもしれないが、この曲のストーリーは今、現在進行形で紡がれているのだ。これは『俺』の曲なのだから。
消えたのなら、消えたまま進むしかない。それが人生なのだから。
…口角が持ち上がる。『俺』の曲が、俺の思わぬ方向に進もうとしている。…今、かつてないものが完成しようとしている。
息を吸い込み…吐く。今度は、音も一緒に。