信じる
迫るのは二本の矢。
1発までなら誤射、なんて話を聞いたことがあるかもしれないが、曲の有用性と、誤射の言い訳…どちらも取れるギリギリのラインとして、矢は2本放たれた。
走ったのでは間に合わない。何かを投げようとも間に合わない。
どうあっても、もう守れない。
けれど、ならば、私という存在は何のために存在するのか。
最上の忍になる。では、その最上とは?
主人の信頼に応え、役目を果たすこと。
それだけでは足りない。私が仕える主人、その人さえも最上にしてみせる。そして、最上の信頼を得る。
けれど…まだ、信頼すらされていない。
『私がここにいる理由。彼がここにいる理由。そして…彼が離した言葉の理由を…考えないと』
…私は、既に信頼されていた?
『…自分の命を、大事にすること』
…彼は、自ら望んで死ぬ人じゃない。
私の中ではそうなのだ。命を賭けられる人かもしれない。けれど、その賭けが勝ちであることをこそ、望んでくれているはずだ。
なら…彼は、賭けたのだ。
自分の命を…"私"に。
自分の中で、彼の言葉が"輝き"に、"原動力"になっていくのが解る。
最上の主人の下で最上の忍として輝けないのなら…生きている意味なんて、ない。
その信頼に…応えないと。
"彼の"最上の忍として。
既に、準備は整っているはずだ。
理想へと至る準備は…既に。
"彼"が信じた私を信じて…私を世界に託し、微睡むように、溶けるように…瞳を閉じた。
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彼女の存在が陽炎のように揺らぐ。
と…彼女は文字通り"消えた"。
瞬き一つしなかった。けれど、確かに…消えたのだ。
そして彼女は再び現れる。
後ろから迫る矢を、彼を横に引き寄せて回避させる。
僅かに遅れて飛んできたもう一つの矢も、手元に集う水の塊を掴み、扇型に形成…それで以てピシャリ!と弾いてみせた。
鏡花「…旦那様。お怪我は、ありませんか?」
長い白髪は毛先が水色に変わり、全体的に輝きを増している。扇から手を離すとただの水塊に変わり、蒸発するように消えた。身に付けている装束もいつの間にやら、肩から胸元まで開けた、水の糸で織ったような水白銀の和装になっていた。
「…ああ、大丈夫だ」
鏡花は彼を振り返る…と同時に、周りの目も憚らず、彼を両腕で包み込んだ。
「き、きょうか…?」
鏡花「…自分を大切にして下さい。…貴方が言ってくださった言葉です」
「……すまない」
表情は見えずとも、彼女の震えた声が、強い締め付けが、彼女の想いを伝わせる。
鏡花「……許しません」
「……どうすれば、許してくれる?」
鏡花「……ーー」
小さな、本当に小さな声で伝えられた願い。顔が見えずとも、赤くなっている耳が、彼女の表情を教えてくれる。
恐る恐る、彼女の背に腕を回す。
されるがままだった抱擁を、彼も返す。
最後かもしれないから…そんな諦めから来るものではない、心からの、「したいから」した抱擁。彼女の匂いが、感触が、鼓動が…最上の安心をくれた。
「…助けてくれてありがとう。鏡花」
鏡花「ーーーはいっ。…貴方様の信頼に応えられたこと、嬉しく思います」