with dark circles
小月「ねぇ、これってなんの曲?」
再び訪れた、目つきの悪い少女は、エスプレッソを頼むなりそっぽを向きながらもそう尋ねてきた。
マスター「名前?名前は…ええっと………この曲、気に入ったのか?」
小月「別に。気になっただけ」
と、素っ気なく答える。
マスター「…そうだな。『with dark circles』って曲だ」
小月「そう」
ウィズダークサークル、ね…と覚えるように口ずさむと、それきり少女は無言で、小説を読み始めた。
ポケットから手帳を取り出すと、思い浮かんだ歌詞を書き始める。
マスター業の空き時間にやる事の大半を占めているのが、作詞作曲時間だ。
以前はドリンクの研究の方がウェイトが高かったが、技術レベルの一区切りを迎え、今現在はこちらを重視している。
というのも、何かの作業の片手間としてやる方が、彼にとっては捗るから、というのが理由としては大きい。
曲を聴きながら、別の曲を思い浮かべる…そんな芸当も、手慣れたものだった。
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小月「…with dark circlesなんて曲、無いけど」
マスター「まぁ、古い曲だしな…ネットにも転がってないかも」
思った結果が出ず、スマホを置くと…大きな溜息を吐いた。
小月「ちっ……はぁ………それ、何作ってるの?」
マスター「ガトーショコラ。1/8で400円」
小月「……うどんの倍するんだ」
マスター「手間も材料も違うからな。買うか?今だけおまけでミルクもつけよう」
小月「……買う」
マスター「かしこまりました」
掌で踊らされているようで癪だったが、チョコレートのビターな香りに折れることにした。
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そうしてお腹が膨れると、ホットミルクも効いたのか、少女は意識を手放し…既に1時間が経過していた。
そして、しばらくはぐっすりと眠っていたが、やがて
小月「ぅ…っ…」
小さく、呻き声が漏れ始める。
悪夢を見ているのだろう。
起こすべきか、放置すべきか、少し迷ったが…挽きたてのエスプレッソを鼻先に置くと、一瞬表情が緩み…しかしそのまますぐに目を覚まし、元の機嫌が悪そうな表情へと戻るのだった。
辺りを見回し、目の前に置かれた湯気の出ているエスプレッソを見る。
小月「……どれぐらい寝てた?」
マスター「1時間ぐらい」
小月「…そう。次も、うなされてたら起こして。エスプレッソ代は払うから」
マスター「…眠れないのか?それとも、寝ても悪夢を見るのか?」
小月「どっちも。3時間も寝れたらいい方だけど…この店だとなぜか、いつも気を失う」
マスター「リラックスできる環境を提供できてるなら何よりだ」
小月「…」
小月は目を逸らす。しかし…やがて、何度目かの大きなため息をついたあと、
小月「…さっきの曲のデータ、売ってくれない?」
マスター「個人利用以外の目的での複製は法律違反だ」
小月「ああ……ちっ……そのデータは、どこで手に入れたの」
マスター「実家の倉庫」
小月「……ちっ」
徐々に鋭くなっていく目付き。とはいえ、彼女は理性的だ。だが同時に、彼女にとって死活問題であるということも事実である。
マスター「….ついてきてくれ」
カウンターから出ると、店の二階へと続く階段へと歩き始めるマスター。訝しみながらも、彼女は大人しくついてきた。
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ロッカーとソファがあるだけの休憩室。扉を開けてそこから更に進むと、六畳もない、ベットと小さな棚のみ置かれた小部屋があった。
仮眠室代わりの、彼の非常用スペースだ。家に帰れない時や、忍関係で最悪こっちに移り住む場合を考えて、作るだけ作っていた。
そして、こちらの部屋にも天井から『with dark circles』が流れている。
マスター「一回の利用につき2000円で、営業時間内の利用に限り、ここの部屋で好きなだけ寝てていい…ってのはどうだ?」
小月「…あんた、本気で言ってる?」
マスター「高いか?」
漫画喫茶とかホテルに較べたら、良い塩梅だと思うが…。
小月「そうじゃない。………まぁ、いい」
契約に不満があるのだろう、ぶつぶつと考えを纏めるように呟きながら部屋を軽く見回し…
小月「…………よろしく」
と、ぶっきらぼうにも応じるのだった。