喫茶店は眠くなる
今日も今日とて、客は来ない。
店の中に流れるのは、喫茶店に合わせて自分で作った、穏やかな曲。
何曲か入っているジャークボックスは、それらをランダムにループさせる。
年中聞いているが、不思議と飽きたり嫌になったりはしない。
そういう風に作ったのだから、当然と言えば当然だ。
……そういう風に作ったってなんだ。
カラン、と小さく鈴の音がなり、来店客の存在を知らせる。
背は低く、癖のついたショートヘアの茶髪。
黒い帽子を深く被り、目元は見えない。
着ている服は何処と無くパンクっぽく仕上がっており、少年とも少女ともつかない感じだが…身体付きから少女だろう。
マスター「いらっしゃいませ」
あまり見過ぎないように気をつけつつ、端のカウンター席に座った少女の前に、お冷を置く。
小月「エスプレッソ」
マスター「かしこまりました」
ぶっきらぼうに告げられた注文を手早くこなし、エスプレッソを差し出した。
マスター「お待たせしました」
音を立てないように差し出したソレに、小月は一口付けて味を見る。
小月「…」
大きなリアクションは見せず、少女は鞄から小説を取り出すと、こちらを一切見ずに、物語の世界へと没入し始めた。
…喫茶店としては、理想的な客だな。
行き倒れ、扉をぶち壊そうとする子供、やたら態度のでかい金持ち…色々な客が来たが、ここまでちゃんとした客は何故か少ない。
つかず離れず、カウンターの真ん中、話を聞く用に置いた椅子に腰を下ろすと、彼は目を瞑る。
…たまには、のんびりと過ごそう。
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小月「…?」
1時間ほど集中して読み続け、ひと段落したので顔を上げて一息入れる。
エスプレッソは既に空になっており、追加で注文しようと思ったが…ふと、マスターの方を見ると、腕を組み、目を閉じ…無警戒にも眠っているではないか。
小月「……」
ふと、誘われるように…彼女も本を閉じ、カウンターに突っ伏す形で目を閉じてみた。
そう、試しに閉じてみるだけ…。
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マスター「…っ…ぅ、ん…」
いつの間にか眠っていたらしい。
気配の先へ目をやると、件のパンク風少女も眠っていた。
…客がいるのに寝てしまうとは……。
少女の方はといえば、かなり深く眠っているようで、すぐには起きる気配もない。
ブランケットを用意し、そっと掛ける。
時間は、閉店時間30分前。どうせこれ以上は来ないだろう、と一足早くCLOSEにし、鍋に火をつけることにした。
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小月「ん、ぅう…っ!」
それから1時間ほど経ち、悪夢でも見ていたのか、少女はブランケットを吹き飛ばすように飛び起きると、辺りを見回した。
マスター「…おはようございます」
小月「……ああ、眠ってたのか」
初めて真っ直ぐ目を合わせると、少女はキリッとした…言い方を変えると、狩人のような鋭い目付きをしており、しかも隈が相当に酷く、寝不足なのは誰が見ても明らかだった。
マスター「19:30過ぎって所です。…暖かいうどんならご用意できますけど、いかがいたしましょう?」
いいながらお冷を出すと、彼女はそれを受け取り、一気に飲み干した。
小月「…いくら?」
マスター「200円です。天ぷらも何もないですけど」
小月「……海苔はある?」
マスター「ありますね」
小月「…じゃあ、貰う」
マスター「かしこまりました」
鍋へと向かう彼の背を、少女はジッと見つめている。
小月「…閉店時間になってたなら、起こせばいいのに」
マスター「数少ないお客様ですから」
麺を掬い上げるとつゆを注ぎ入れ、刻み海苔をたっぷりと入れたどんぶりを彼女の前に差し出した。
箸を手に取り、躊躇いもなく啜る。
小月「……」
感情を表に出さないタイプでも、滲み出るものはどうしてもある。
そんな彼女の表情は……虚無。
そりゃそうだ。メニューにない、本当に普通のうどんなのだから。
小月「…あんたは食わないの?」
マスター「閉店した後にいただきますよ」
小月「もう閉店してるじゃん」
マスター「……なら、いただこうかな」
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特に会話もなく、2人してうどんを啜った。
彼女の方が早めに食べ始めていたのだが、完食のタイミングは殆ど同じになり…もしかしたら、猫舌なのかもしれないというどうでもいい推理が浮かんだ。
マスター「…ご馳走様でした」
小月「…」
マスター「…タクシーを呼びましょうか?」
小月「いい。家、すぐそこだし」
マスター「かしこまりました」
レジ前へと移動し、会計を済ませると…
マスター「…?ありがとうございました」
ジイっとこちらを、半分睨むように見つめ、
小月「…敬語、似合ってないよ」
と、捨て台詞を残し、店を後にするのだった。
「………いや、良い方向に考えろ。『距離を感じて悲しいからタメ口にして下さいなんでもしますから』ってことだな」
なんだこいつ…という気持ちを誤魔化すため、そう思うことにしたのだった。
…久しぶりに、ぐっすり眠ることができた。
小月「…あの喫茶店の効果?…偶然だと思うけど…また行こうかな」
目の下のクマが取れるのはまだまだ先だが…多少は頭がスッキリして、軽い足取りで帰路についた。