16『キレた小菊』
泣いてもω(オメガ) 笑ってもΣ(シグマ)
16『キレた小菊』オメガ
バン!!
食卓の上のあらゆるものが跳び上がった。
祖父ちゃんも親父もお袋も松ネエも俺も、その衝撃に固まってしまった。
「ごちそうさま」
蚊の鳴くような震え声で言うと、小菊は二階の自分の部屋に駆けあがっていく。
タタタタタ
「あいつ!」
俺は、小菊の無礼にブチギレて階段を駆け上がる。
ダダダダダ
バタン!
あと一段のところで、小菊の部屋のドアが乱暴に閉まる。
静かに三つ数えてから残り一段を上って小菊の部屋のドアの前に立つ。
ノックしかけた右手のグーが停まってしまう。
泣き声と共に呪いに似た絞り出すような声が聞こえてきたからだ。
―― どーせ、どーせ、小菊はなんにもできないよ、なんにもできないダメな子だよおおお! ――
俺は右手のグーをパーに戻して、そのまま一階にもどった。
「しばらくそっとしておくんだな」
お袋といっしょに食卓を拭いていた祖父ちゃんが穏やかに言う。
「ごめんなさい、あたしが要らない話ばっかりするから……」
こぼれたお惣菜をまとめながら松ネエ。
親父は飲みかけのグラスを持ったまま目だけでオロオロしている。
「由紀夫、グラスは飲むか置くかのどっちかにしろ」
「あ、ああ……ゲホゲホ」
祖父ちゃんに言われて、グラスのビールを飲み干すが、むせ返る親父。
「もう、あんたは……」
お袋がティッシュを箱ごと親父に渡す。
「で、マッチャン、@ホームのコスはどんなだい?」
ヒラメの煮つけをほぐしながら、祖父ちゃんは松ネエに振る。
「あ、えと……」
「普通にやってよ、小菊も、その方が楽になる」
「う、うん」
夕飯の食卓は松ネエが主役だったんだ。
東京の大学に通うため静岡の実家からうちに越してきた松ネエは大したもんだ。
俺が勢いだけで引き受けてしまったシグマの勉強も見てくれたし、お袋を手助けして家事一般もこなしてくれるし、アキバでメイド喫茶のバイトを始めるし、なんとも頼もしい限りなんだ。
そのことが話題の中心になった。
それが小菊には自分のこととして響いてしまう。
まだ中三なんだから、松ネエと背比べなんかしなくてもいいんだ。
でも、松ネエが褒められると、自分が女の子として何にもできないと思い込んで落ち込んで、そしてキレてしまったんだ。
明日、小菊は入学試験だ。
どこの高校を受けるかは俺には言ってくれないけど、これに落ちたら後が無い『分割後期募集』だ。
もう少し考えてやればと、小菊の部屋をノックしかけて思った。
でも、祖父ちゃんは一枚上手だ。
こちらが狼狽えたり落ち込んでは、かえって小菊の負担になると考えたんだ。
「ほーー、メイド喫茶のコスってのは案外しっかりしてるもんなんだ!」
景気づけに着替えた松ネエにファッションショーをやらせている。
「もっとペラペラのコスプレ衣装みたいなもんだと思ってたわ」
お袋はスカートの裾をひっくり返したりして点検して、松ネエは慌ててスカートを押える。
「えと、スパッツとか穿いてないんでー(n*´▽`*n)」
「あ、ごめんなさい」
「でも、ちょっとおとなしめだなあ」
「今は見習いなんで、正規になったら、もっとホワっとゴージャスに……」
「なるほど、今は半玉ってとこなんだなあ」
祖父ちゃんは昔の芸者になぞらえて理解をしている。
そのあと、半玉の松ネエは祖父ちゃんとお袋のオモチャになって盛り上がった。
風呂を上がって二階に上がると、小菊の部屋から二人分の声がした。
祖父ちゃんが話をしてくれているんだ。
静かに部屋の前を通ると「やだ祖父ちゃん(⌒▽⌒)」「アハハハ(´◠◇◠`)」と笑い声。
俺が風呂に入っているうちに二階に上がり、頑なになった小菊を解きほぐしている。
とうの昔に廃業したとはいえ、さすがは花街の置屋の爺さんだ、女の子の扱いには慣れている。
やり方を聞いてみたいが、多分、俺がやってもうまくはいかないだろう。
せめて、ωらしい、のんびりした足どりで小菊の部屋の前を通る風呂上りだった。
☆彡 主な登場人物
妻鹿雄一 (オメガ) 高校二年
百地美子 (シグマ) 高校一年
妻鹿小菊 中三 オメガの妹
妻鹿由紀夫 父
ノリスケ 高校二年 雄一の数少ない友だち
柊木小松 大学生 オメガの一歳上の従姉
ヨッチャン(田島芳子) 雄一の担任