ド・フランスじゃねーよ!(1770年 その4)
本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。
デュ・バリー夫人の晩餐会以降、というか、あたしが彼女に思うところがあるという噂が王宮内をぶんぶん飛び交うようになってから、あたしはデュ・バリー夫人本人どころか、デュ・バリー夫人派閥の人にキツイ目で見られるようになった。
ただでさえ遠巻きにされてた感があったのに、今や鏡の間の両端に離れるぐらいのどん引きですよ。
その一方で、満面の笑みを浮かべてあたしに近づいてきた人たちもいる。
その筆頭が三婆さまこと、フランス王室のお姫さまたちだ。
仮にもルイくんの叔母さまがたを三婆さまと呼ぶのはどうかと思われそうだが、面と向かって呼ぶつもりどころか、口に出す気も絶対ないからセーフってことにしておきたい。
てか、そうとしか言いようがないんだもん。
笑顔でいつものお茶会に引き込まれたと思ったら、三婆さまってば早速直接婉曲取り混ぜて、デュ・バリー夫人の悪口を吹き込みに来たのだ。露骨すぎて失笑も出てきやしない。
どういうつもりなのかと、様子見で否定も肯定もしないでにっこりしてたら、まー、テンション爆上げ。
さんざん罵倒を聞かされ、へろへろになって自室に帰ったところに、メルシー伯がやってきた。
何があったのか、何を言われたか訊かれたんで、素直に全部教えたら絶句よ絶句。
どれくらい伯がショックを受けたかというと、あの百戦錬磨の外交官が真顔になったくらいというね。真顔というか表情筋がストライキ起こした無の顔というか。
そんでもんって、こめかみを押さえつつ、「これは、陛下にお知らせしなければ」ときたもんだ。
あたしに害悪になることしか言ってないからだって。
そのとおりだとあたしも思うけどね?
毒を薄めるべくメルシー伯から、三婆さまがなぜデュ・バリー夫人をああもあしざまに言うのかを教えてもらった。
そもそも彼女たちにとって、公式寵姫ってのは、国王陛下、つまり自分の父親の愛人なわけだ。
そりゃまあそんなのと家の中で顔をつきあわせて暮らさないといけないってのは、いくらこのヴェルサイユ宮殿がだだっ広くてもいい気分はしないよね。父親の愛人いびりに熱が入るわけだ。
特に筆頭のアデライードさまは、デュ・バリー夫人の前にいた、ポンパドゥール夫人にもずいぶん当たりが激しかったらしい。とは、メルシー伯の語ってくれたフランス宮廷の昔話である。
ただ、ポンパドゥール夫人は、ルイくんのお祖母さまであるマリー・レクザンスカ王妃の庇護下にするっと入ってたらしく、さすがに当時は十代の潔癖さで父親の愛人を拒絶してたっぽい三婆さまも、その愛人を母親に庇われては、追及の手をこまねく状況が多かったようだ。
だからって、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い式に、ポンパドゥール夫人憎けりゃその後釜に座ったデュ・バリー夫人にも憎悪を向けるのは、やめていただきたいと、ちょっと思う。
だけど、三婆さまには感情的な問題以上に、デュ・バリー夫人を目の敵にする理由があった。いや、理由にできる要素があったというべきか。
第一に、宗教的悪として。
あたしの現世の実家もフランス王家も、同じ宗教の同じ宗派を信仰している。
それによれば、神の祝福を受けた正しい婚姻で結ばれた配偶者以外に……あー、そのぉー、夜のお相手をさせるってのは、その戒律を破る神学上の重罪になるらしいんですよこれ。
ぶっちゃけ宮廷内で本気にする人間いないけどな!
なにせ、仲睦まじく貞淑な夫婦なんてもんは存在しない。てか既婚者で愛人のいない人間なんてのは、よほどの無粋者か不細工という価値観だもんな、フランス宮廷。
その上公式寵姫になるには、必ず誰かしら貴族と結婚してなきゃいけないの。
デュ・バリー夫人も、その前任者であるポンパドゥール夫人も、当人はたしか貴族階級の出身ではなかったはずなので、身分保障的な意味合いもあるのだろうけど、名ばかりの婚姻関係をそれぞれの寝取られ夫と結んで、宮廷内を泳ぎ回ってる。
そもそも色欲が罪というなら、ヴェルサイユ宮殿の礼拝堂づきの聖職者たちも、のきなみヤバいでしょ。
いつものミサどころか、婚姻の儀式の最中にも、粘っこい目で見てくるのがいたんですけどねえ?!
第二に、政敵として。
たしかに三婆さまは王女もしくは内親王。女性王族としては王太子妃であるあたしに次いで高い身分だ。
だけど、政治的には王太子妃より公式寵姫の方が権力があるのは前にもぼやいた通りだ。
とはいえ以前は三婆トップもとい、最年長かつリーダー格のアデライードさまが、ヴェルサイユの政治を取りしきったこともあった。らしい。
ただし、ポンパドゥール夫人が亡くなって、デュ・バリー夫人が宮廷に参上するまでの間だけというね。
彼女たちは団結してデュ・バリー夫人に対抗しようとしたが、国王陛下に泣きついて効果があったのは、どっちかといえば、実の娘よりも愛妾だったらしい。
今じゃ、三婆さまに権限はほとんどない。
権勢に人は集まる物であり、地位と血筋しかない三婆さまをちやほやしても、取り巻きになるうまみがないと思われてるんじゃなかろうか。
だから、それ以外のなにかを求める、腹に一物ある人間しか彼女たちには寄らない。
対して、公式寵姫の権勢たるや、ものすごいものがある。
ポンパドゥール夫人が宰相並みの権力持ってたって話は前にも聞いたが、デュ・バリー夫人の権威も相当なもので、だからいっそう三婆さまは、人の集まるデュ・バリー夫人を、自分たちの権力を脅かすものとして憎んでいるのだろう。
構図としては綺麗に納得がいく。だけどこれは明らかにおかしい。
てゆーか、基本的に王女なんてもんは、国内外を問わず嫁いでなんぼなんですよ。もしくは、修道院に入るか。
そのあたりのことは三婆さまもよく理解しているらしく、だからこそ権威づけにあたしをなんとか引っ張り出したいのだろう、というのがメルシー伯の分析だった。
そんなにあたしは軽くて担ぎやすい御神輿に見えるのかねえ?
筋違いだってえの。
メルシー伯にいろいろ聞いたが、故ポンパドゥール夫人はあたしの輿入れにも関わっていたんだとか。
ずいぶんとハプスブルグ皇帝家は、その権勢の恩恵を受けたようだ。あの七年戦争の際、現世のお母さまがフランスと同盟を結べたのには、彼女がずいぶんと関わってたようだし。
……感謝なんてしませんけどね。そっちにだって利益があったからこそ国一つを動かすような真似をしたんだろうし。
故ポンパドゥール夫人の派閥は、夫人の懐刀と言われた筆頭大臣のショワズール公爵が率いることになり、別の派閥を立てたデュ・バリー夫人もポンパドゥール夫人路線を継承したらしく、オーストリアとの同盟には積極的だったらしい。
それに対して三婆さまは反対の立場をとった。あたしとルイ君の政略結婚にも、強硬に反対してたという。
いや、過去はどうあれ、嫁いで来ちゃったあたしと友好関係を結び、彼女の悪口を吹き込んでくるのはまあわかる。そのやり口のひどさは別にして。
代理戦争の手駒に使おうとする熱意とめげなさにも、ある意味感心はするよ。当事者じゃなきゃね。
メルシー伯からいろいろ訊いてからは、あたしは三婆さまにデュ・バリー夫人の悪口をやめてくれるようにとやんわり言うことにした。
前世由来の日本人特有、否定はしない微笑みってのが、この宮廷じゃいいようにしか解釈されないってのは、最初で懲りたし。
何度も言うようですが、最初からデュ・バリー夫人との関係悪化とか望んでないんですよ。あたしは。
だけど、三婆さまも三婆さまで、あたしをなんとかして焚きつけようと必死である。
前に流した国王陛下の寵愛闘争の失言な。あれもいいように解釈したらしい。
この宮廷、自分たちのいいように解釈したがる人間しかいないのかよ?
てゆーかさ。
あたしを対抗馬に立てようというのなら、こう、もっと立ち位置をはっきりさせてからにしろやと言いたい。
ポンパドゥール夫人やデュ・バリー夫人が親オーストリア的態度を取ってるからかはわからないが、ともかく三婆さまはあたしのことが大嫌いだ。
それでもがんばっておべんちゃらを使い、手の上でコロコロ転がそうとするから、ますます言動が妙な物になる。
陰口ぐらいならあれだが、現在進行形であたしの悪評をばらまきながら、オーストリアから来たあたしの威を借りて、親オーストリア的なデュ・バリー夫人に対抗しようとしてるってところが、実に頭がお悪い。クロワッサン囓りながら、あたしが文化侵略を起こしてるとほざくようなもんでしょうが。実際言ってたみたいだけど!
悪評をばらまいたのが三婆さまだって証拠がどこにあるのかって?
だって三婆さまのお茶会でぺろっと喋ったことなのよ。この席には実家のお菓子の方が合いますねってことは。
実家のお菓子ってバタークリーム多めだったりと、わりとどっしりしたものメインなので、コーヒーにあうのよ。
それに対してこっちのお菓子って、そこまでずっしりしてない。バターを多く使っているものもあるのはわかるけどさ。
サクサクな焼き菓子って、むしろ紅茶の方があうんじゃないかって、ちらっと言っただけなのにさあ。
それが次の日には「フランスのお菓子は口に合わないとわがままを言った」ってことに出回ってるとか。
ひょっとして、紅茶=王族でもめったに飲めない高級品をよく飲んでたアピールマウンティングにとられたのかな?!
だからって人を、オートリシェンヌ呼ばわりしてる人間に、おとなしく旗頭に担ぎ上げられるような、特殊すぎる趣味はないわー。
やいのやいの三婆さまが言い立てるのをあたしはかわした。かわし続けたつもりだった。
だけどそれは、ルイくんとの距離がどんどん遠くなるということでもあった。
三婆さまのいないところで、ルイくんや国王陛下と話をする機会はほとんどない。
そして三人寄ればかしましいというが、ぶっちゃけ口は向こうがたつ。年の功と母国語ってこともあるし、加えてルイくんにとっては肉親への無条件の信頼というものがあるのだろう。
誤解というほどでもない誤解、ガラスについたわずかな曇りが何枚も重ね合わされ向こうが見えなくなるように、どんどんとルイくんが朧に遠くなっていく。
ベッドを共にしていても、未だに実質雑魚寝でしかないし。
今もってルイくんは礼儀という線から一歩も踏み出してこようとしない。よくはしてくれるのだろうけれども、それが義務だってのが伝わってくる。
人間味という意味では国王陛下の方がましかもしんない。少なくともルイくんより親切というか配慮をするのが、相手に配慮してるよーって伝えるのが上手だよね。
エロ爺だけど。エロ爺だけど。大事なことなので何度も繰り返したくなるほどエロ爺だけど。
そんな国王陛下もうんざりしたのか、あたしにじんわり手を握ってきて、三婆さまをなんとかしてくれって愚痴られたこともある。
いやあんたの娘でしょうが、知らんがなと思ったけどね。言わないけど。
てか、姉妹がいるでしょ。修道女になったルイーズ・マリーさま。彼女から言ってもらえば……聞くわけないか。うん。特にアデライードさまなんて未婚王女の最年長なせいか、お山の大将気取りだもんね。年下ってだけで妹の言うことに耳なぞ貸そうともしない姿はくっきり想像できますわ。
前門のデュ・バリー夫人、後門の三婆。どうしろと。
たぶん、デュ・バリー夫人側の陣営にも、彼女をあたしへけしかけてる人がいるんだろう。
そしてどっちにも属さない人にも。
それは、権力闘争というより、王宮というコップの中の嵐を楽しんでいるようにすら思えてならない。
雌鶏の蹴り合いでもあるかのように、あたしとデュ・バリー夫人、そして三婆さまを舞台上に押し上げ、すったもんだを見世物にされているような感覚さえある。
あたしらあんたらの操り人形じゃないんですがね?
だからあたしは、デュ・バリー夫人を無視させようとひっちゃきになる三婆さまの思惑に乗る気なんて欠片もなかった。
宮廷の作法として、身分の高い者から低い者に話しかけなければならない。
で、王太子妃と国王の公式寵姫って、実質的にはどうであれ、表向きには王太子妃の方が上なのよ。
あたしが話しかけなければ、彼女は黙ってるしかない。
三婆さまも同じ事やってたんだろうが、ま、ぶっちゃけ彼女らの権勢ってのは夫人とは比べようもないほどちっぽけなのだ。政治的権限ゼロな相手に話しかけられなくても、あんまり問題にはならないわけです。
王族から声を掛けられなかったって体面上の傷はつくかもしれないが、近づかなければかけちがって会えませんでしたって言い訳もできるし。
もちろん、あたしは話しかける努力もしましたとも。
マルリー城で会った時も、あたしはつとめて表情を柔らかく、人の見ている前でデュ・バリー夫人に言葉をかけた。
だけど彼女も噂に振り回されてるんだろうかね。ほとんど喋らなかったのは、先入観で怯えていたせいだろうか。
そしてまた、周囲の人にも見てないふりをされては、ほんとにどうしようもない。
どうしたものか。
愚痴は言いたい。けど、言える相手がいないんですよ。
針小棒大にあることをないこと九倍増で触れて回る女官とか、信用なんないし。
実家に手紙で相談するというのもまずいでしょ。通信の秘密なんてなにそれうまいの世界ですから。現世のおかあさまに届くまで、いったいどれだけの人の目にその中身がさらされることやら。
なので書けることって案外少ない。現世のおかあさまも、こっちの状況を知りたいんだろうと思うけど。
しょうがないから、どうしても生活習慣の報告みたいな手紙になるんだよね。現世のおかあさまの手紙も「歯ぁ磨けよ!(意訳)」だったりするので、そこはどっこいかもしれないが。ドリフかよ。