夜明けは遠く
本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
あたしたちはソース家の二階に連行された。
狭っ苦しい階段を上がれば、そこはさらに狭い廊下だった。
馬車の中の方がましかと思うほど小さな小さな部屋に詰められたのには閉口したけれど、寝台があったのにはほっとした。
子どもたちも疲労困憊していたのだろう。寝かせてあげたとたん、あっと言う間に眠りに落ちた。
ふと顔を上げると、ソース夫人と紹介された女性が目をそらしたところだった。
そんなに意外だったのだろうか。あたしが――というか、やつしているとはいえ、貴族のみなりをした人間が、子どもたちの用足しやその始末までしているというのは。
けれど、彼女も困惑の色こそ強いが、あたしたちに対する負の感情は感じられない。
狭苦しいところへ全員ぎゅうぎゅうに押し込められたのだ、息が詰まりそうとわずかに窓やドアも開けてもらえたおかげで、かすかながらも階下や戸外の喧噪が聞こえてくる。
一番大きいのはあのドルエとかいう男の声だ。興奮した口調に耳を澄ませていると、多少状況が見えてきた。
どうやらやはりというべきか、シャロンあたりから田舎に場違いな目立つ豪華な馬車の噂は届いていたらしい。しかし、一度はあたしたちをスルーしたドルエたちが、わざわざ殺気だって追いかけて来たのは、とうとうパリからの報せがサント・ムヌーにも届いたせいであるらしい。彼の元へ「国王逃亡」の知らせを持ってきたのは、ラファイエットの使者だとか。
なにしてくさりやがりなさいますか。あたしたちの邪魔をするのもいいかげんにしろやラファイエット!
ドルエはサント・ムヌーの郵便駅長――郵便物の管理だけでなく、その運搬手段である馬の管理も行う役職のことだ。つまり遅かれ早かれドルエには馬の調達ってところでもバレてた可能性は大だ――だけでなく、山岳派――革命をやらかした国民議会党派の中でも、わりと過激系の派閥にも所属していた。おまけに職務がら地方より中央の、つまりは国民会議との結びつきも強い。
そんなわけで、パリの走狗と化したドルエは、さてこそはとばかりギヨームという男とともに夜通し走ってヴァレンヌへ先回りし、橋の封鎖と通報を行ったというわけだ。
まったくもって、余計な事を!
が、馬車から降ろされ――つまりは完全に逃走の足から切り離されたこの状態でも、あたしは望みを捨ててはいなかった。
まだ手はあったのだ。たとえ疑われ続けても、他人の空似としらばっくれ、ごまかすことも不可能じゃなかった。
なにせ旅券の身元証明といっても、前世の運転免許証やパスポートみたく写真がついているわけでもない。持ち主の名前と身分、だれがそれを保証するか――まあフランス国王であるルイくん自身があたしたちの身元を保証してるという奇妙なことになっているんだけど――ということしか書いてない以上、人物同定に使うには、似顔絵よりも弱いのだ。
確かにドルエのようにルイくんを直接見た、声を聴いたという人間が一人でもいれば、ごまかす難易度は跳ね上がる。だけど人間には思い込みや誤解もありうる、記憶の中の人物同定に必要な情報を共有することもできやしない。
ならば個人の見間違い、あるいは他人の空似だと言い張り、バリケードを撤去するよう求め、逃げ出すことはできなくもなかったのだ。
だのに、ルイくんてばあっさり口を割った。自分がフランス国王だとばらしてしまったのだ。
何考えてるんだ、たとえブイエ将軍たち護衛部隊が遅ればせながらもやってきて救出してくれることを期待していたというのなら、そこまで時間を稼ぐ必要だってあったというのに。
とはいえ。場を読まないルイくんの身露わしのせいで空気は大きくひび割れた。
ただの面倒事と思っていた疑惑が事実に化けたんだもの。困惑の一部は王という超レアVIPが同じ空間にいることへの興奮と感激、萎縮に化けた。人によっては生き神降臨にも等しいインパクトがあったらしい。
なにせルイくんには、聖ルイから脈々と受け継ぐ血というありがたみがある。ロイヤルタッチという病を癒やす奇跡には、きっと裏と仕掛けがあったんだろうとあたしなんざ思ってしまうわけだが、迷信深い年寄りにとってはそれは真実だ。
そうはいっても階下には年寄りばっかりいたわけじゃない。冷静さを残している人々も多かった。ソースたち有力者や役人たちもいる。というかそっちの方が多かったろう。
が、彼らとて全員が国民議会だけに従っているわけじゃないのだ。おまけに直接の支配者である貴族たちには不満はあっても、国王や教会への畏敬の念は染みついている。
だから、彼らの反応は、なぜそんな国王がこんなところにいるのかという、あらたな困惑はあってもあたしたちに対する怒りではない。
むしろ国王にどう対応していいのかわからないというものになることは当然のことだったのだろう。
そこにルイくんは堂々と言い放ったものだ。パリが過激で危険なものになっていたので、あらためて議会を立てるために退却を選んだと。
そして新しい議会ができた暁には、このヴァレンヌからもぜひ代表を出してほしいと。
王の言葉の価値は黄金。真実と飲み込んだ村人たちが浮き立つ様子が伝わってきた。
……これなら、いけるかもしれない。
あたしはあたしで、どこかおどおどしたままのソース夫人を籠絡することにした。いくら嫌われ者の王妃でも人心収攬のテクは王侯貴族の必須技術ですとも。ここが先途とあたしは声を声を掛け、笑顔を見せた。
もちろん直接話を聞こうとしても、うまくいかないことはわかっていた。身分差は人の口を重くさせる。それでも子どもを持つ母親という面を見せれば反応が変わる。
実際、疲れ果てた子どもたちの世話にいそしむ母親という姿を見せてからこっち、彼女はぐっと気を許したようだった。
実に、都合がいい。
その一方で聞き耳も立て続けた。
ルイくんよりになりつつあった気配に噛みついたのはドルエたちだった。
まーそりゃそうだよなー……。彼らに取って正義は革命であり、それと同体である国民議会だ。パリが危険だというなら正義のために戦うべきであり、そこから逃げ出してきたルイくんは――というかあたしたち一行は、国家の裏切り者というわけだ。
ザ・事なかれ主義者と、国王への原始的とも言えるほどに古く、だけどそれだけ根強い畏敬の念。それに対する革命に対する新しい情熱――というか、アンシャン・レジームへの殺意。
根強い言い争いと空気はどんどん加熱していった。喧々囂々とはこのことか。
革命か、王か。
正しいものはヴァレンヌにとってこれまで一体のものだった。
しかしそれが分離した今、困惑はさらに加速して当然だろう。
だけど、その当然の成り行きがあたしたちを不利にした。パリの報せが周辺の村々にも飛んだのか、はたまたドルエの鳴らさせた鐘の音が近隣の村からも人を呼んだのか。大きくなりまさる喧噪は次第にドルエたちの熱い殺気を強くはらんだものになりつつあったからだ。
タイミングはもうここしかない。
あたしは荷物を取りに行くという彼女の手伝いをする振りをして部屋の外に出た。
そして、彼女の前に頭を低くして囁いた。
「お願い、あたしたちを見逃してくださらない」
息を呑む気配に、さらに声を潜める。
「子どもたちを守りたいだけなの」
それは本音で、紛れもない真実。
おまけに疲労からくるとはいえ、ぐったりした子どもたちを夫人は見ている。生気の失せた子どもの姿ほど、母親を取り乱させるものはない。
人目を盗んでの命乞いだから、それだけしか言えなかったが、ダメ押しとばかりに涙を流してみせもした。
それからあたしたちを見る夫人の目ははっきりと同情の色に染まっていた。
これならいけるか、そう思ったが何もかも上手くいくわけじゃない。
時間がたつほど大きくなっていった喧噪には、銃や剣のぶつかる重い金属音が増えていたのだ。
武装した国民衛兵が集結しているに違いない。
何かきっかけがあれば爆発的に状況は悪化するだろう。
ほぼまんじりともできないままに、夜が明けた。
助けは、……どこからも来なかった。
あたしたちは見捨てられたのか。
気の毒そうにあたしたちを見やるソース夫人も、結局何もしてはくれなかった。
……夫人ではなくソース氏を抱き込むことに成功していたら、ひょっとしたら話は違っていたのかもしれない。彼女は典型的な夫の意思に従順な女性のようだったから。
だけどそれは、ソース氏があたしたちの脱出に手を貸してくれないのならしない、そういう厳然たる線引きのあらわれでもあったのだから。




