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マリーとよばれて  作者: 輪形月


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追っ手と困惑

本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。

 馬車は自動車のように簡単に方向転換はできない。車輪の向きが固定されているせいだ。

 なので、鉾の引き回しよろしくむりやりに回転させなければ、来た道を逆戻りしてヴァレンヌの街から脱出することもできない。

 が、教会近くとはいえ封鎖されたこの狭い空間では、それすらままならない。


 できることは直進のみだろう。

 たとえ馬車が走行不能になるほど傷つくことを覚悟してもバリケードを薙ぎ倒し、耳を聾せんばかりにけたたましく鳴り響く警鐘に今も続々と飛び出てきている住民たちを跳ね飛ばし、轢き殺すこともがえんじなければ、この窮地はそれでもまだ、突破できたかもしれない。

 この提案が従僕や侍女たちから飛び出たときは、あまりのひどさにあたしも一瞬引いた。が、あたしたちよりもむしろ追い詰められた者の目をしている彼女たちの顔を見れば、即座に否定する言葉が出てこなかったのも本当のことだ。

 あたしはギロチンから逃げ出したい。ただそれだけの一心でここまで来たが、それでもいざとなれば身柄を外交の手札として命乞いをする手立てがないわけじゃないと思っている。

 だけど王族(あたしたち)と違って、彼女たちの身分は盾にならない。むしろ貴族であるというだけで、市民の敵意が集まるおそれすらある。過激な献策もゆえないことではない。


 目覚めた子どもたちをなだめていると、男たちが近づいてきた。馭者や、従僕のふりをしたルイくんが応対をしている様子を見ていると、その中の一人が財布を取り出した。

 引っ張り出したのはアッシニア紙幣――例の、国民議会の意思一つで紙くずになりうる債券だ。

 だが問題なのは、それがフランス国王の――ルイくんの名によって発行されたことになっており、そこにはルイくんの肖像画が描かれているということだ。

 なんということはない。指名手配書をフランス全土にばらまくにはこれほど手際のいいやり口はないだろう。


 おまけに。

 見比べている男の顔を見て、あたしは密かにくちびるを噛んだ。

 男は、サント・ヌーで、ルイくんの顔を見て驚いた顔をした者だったのだ。


 まったく、あのときルイくんが散歩なんかしなければよかったのだ。

 ちなみにこれ、陰口じゃありません。車中でもルイくんに直接言った苦言です。

 固まった身体で何ができようと言い返されたけどね。

 固まってようが固まってまいが、何ができるのかとさらにつっこみたかったよ、あたしとしては。


 剣を振るって血路を開くことも、馬車を御してさらに逃げることもできないルイくん。狩りが好きだから犬の扱いや馬に乗るのは巧みだけれども、それだって一日のうちのごくごく数時間だけ、つまり持久力がないルイくん。

 それよりなにより、この多勢に無勢という状況に危機感を覚えていないルイくん。


 だからだろう、小声で具申された過激な献策に首を振ったのは。強行突破で民の血を流すことに、おやさしい国王陛下はどうしても肯定(ウィ)とは言わなかった。

 あたしは全身の血管に氷水が詰められているような気分に捕らわれているというのに!

 だけどルイくんがてこでも動きそうにない以上、あたしにできることといったらこれ以上みぐるしく騒いで事態を悪化させないことぐらいだろう。

 だから、あたしはそうすることにした。子どもたちにも喋らないように、離れないようにと伝えたが、もうその時には二人ともすっかり怯えきっていたから、そんなことは言わなくても離れようとはしなかっただろう。


 あたしたちは馬車から降ろされ、橋のすぐ近くにある宿屋へと案内された――というか、移動させられた。

 宿屋といっても、店の二階に宿泊施設があるようなところで、建物の中に入るとスパイスのつんとした匂いがした。香辛料はそこそこ値が張る。この鄙びたヴァレンヌにあってはたぶん一二を争うほどには大きな店だろう。

 ということは、それだけの金と力を持っているということだ。


 密かに警戒をしながら、あたしは村の助役であるという店の主人を密かに観察していた。が、名乗られた瞬間、この状況にもかかわらず、馬鹿笑いしそうになった。

 いやだって名前が、というが姓がソースって。香辛料で、ソースってできすぎでしょ。


 なんとかヒステリックな笑いの発作を押し込め、気配を殺したまま様子をうかがっていると……あたしはあることに気づいた。

 主に殺気だっているのは、ジャン=バティスト・ドルエと名乗った、ルイくんに気づいた男――サント・ヌーの郵便宿駅長なんだそうな――とその連れらしき男の二人だけで、ソースや、警鐘で集まってきたヴァレンヌの村人たちは、むしろ戸惑った様子だということにだ。


 ……なるほど、そういうことか。

 たしかにパリでは革命、しかも急先鋒の山岳派などは王室を――というか、あたしを、か――アンシャン・レジームの、国外勢力の手先として敵視している。だけど、田舎においてはまだまだフランス王室は、絶対王政期の権威――『聖ルイにつらなる神聖で高貴な血筋の、ありがたい方々』ぐらいの認識が強い。

 厄介事には関わりたくないという事なかれ主義もあるのだろうが、はっきり言って二人は面倒事を持ち込んでくれた迷惑という気配だ。


 ならば、ここはまだ絶望の底じゃない。

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