ド・フランスじゃねーよ!(1770年 その2)
本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。
結婚後、あたしの朝は前世的には相当遅いが、現世的には、まあ、ちょっと、遅いくらいのものだ。
ハプスブルグ家にいたときには、もうちょっと早く起きてたような気がするんだけどね。
そもそも9時とか10時ぐらいに起きて、着替えて朝のミサの後に簡単なものをつまむとか。ブランチっぽいこれが毎日なんだけど、怠惰の極みとしか言いようがない。
けれど今のうちに食べておかないと、後がたいへんなのだ。胃袋的に。
10時半になると、あたしはドレスを整え、叔母さまがたのお部屋訪問をしなければならない。
叔母さまがたってのは、国王陛下の娘のことだ。つまり、ルイくんのお父さんの妹たち。
マリー・アデライードさま。
マリー・ルイーズ・テレーズ・ヴィクトワールさま。
ソフィー・フィリップ・エリザベート・ジュスティーヌさま。
いずれもフランス王家生粋のお姫さまたちである。
いや、表現としては薹が立ちすぎてるとは思うよ。お姫さまとか。
だけど叔母さまがたの称号が王女もしくは内親王――宮廷内においては王太子妃であるあたしの次に、高位の女性王族であることを示すものだ――であることは、どうしようもなくほんとのことなんだよね。
ちなみに、当然と言うべきか、三人揃ってもれなく未婚な。
いや、すでにお亡くなりになられたり、他の国へ嫁がれたりした方をのぞけば、叔母さまはもうお一方いらっしゃる。
ルイーズ=マリーさまという方なのだけども、なぜかあたしの代理結婚式の直前に、突然朝早くにヴェルサイユを離れ、サン=ドニのカルメル会女子修道院へ入られたのだとか。
あんまり電撃的だったんで、駆け落ちと間違えられたりもしたらしい。
……まさか、あたし同様中身が逆行転生者だったんで、フランス革命に巻き込まれないよう、我身かわいさに自分だけ保身行動に出たとか言わないよね?!
話を戻すと、じつはこの叔母さま方、あたしのお兄さまとの縁談が持ち上がったこともあるという。
二国同盟の証である政略結婚は成立したものの、肝心のあたしが政治的要因をまったく知らないままでは危険だというので、メルシー伯があれこれ教えてくれるようになったんだけど。
ハプスブルグ家との同盟には、あたしとルイくんの結婚以外にも方法が考えられてたそうな。
義祖父陛下と、六番目のエリーザベト姉さまとの結婚とか。ただエリーザベト姉さまは天然痘にかかり、あたしたち姉妹の中で一番の美貌も損なわれてしまっていた。そこで叔母さまがたの一人と、ヨーゼフ兄さまとの結婚が持ち上がった。らしい。
だけど、それはハプスブルグ家側から拒否られたんだとか。
しかたのない部分はあるんだよね。
前世的には年上女房ってのはぜんぜんオッケーなんだけど、それでも一世代上の配偶者って、ちょっと考えると思う。
ましてアデライードさまは現在38歳。一番年下のソフィーさまだって36歳だ。初産で高齢出産とかきつすぎるでしょ。
現世的に考えるなら、正妃に迎える以上は子どもが、それもサリカ法典遵守してる以上は、男の子が産めないと困るのだ。
皇統が続かなくなったら、現世のお母さまが『女帝』と呼ばれるようになったのと、まったく同じ問題が持ち上がってしまう。
子どもがいなけりゃ作ればいーじゃん、相手を変えて試せばいーじゃんって?
そりゃあ、ルイ15世陛下も王妃以外に産ませた御子がもりもりといるらしいけど!でもねー、綺麗なおねーさんたちに産ませた庶子がどんだけいっぱいいたって、王位継承権なんてないんですよ。当然だけど。
それに、そもそもハプスブルグ家の男性って、そんなに目移り激しい人っていないんだよね。
たぶんそれは、お父さまとお母さまのラブラブ熱愛っぷりを間近で見てたってせいもあるんだろう。
そんな裏事情はさておいて。
縁談がなくなった、てかヨーゼフ兄さまに振られたかたちになってしまった以上、叔母さまがたのプライドが傷ついていないわけがない。
だから、ひょっとしたらとばっちりがあたしに来るんじゃないかと警戒してたんだけどね。叔母さまがたはえらく柔らかなものごしで、にこにこと愛想良く微笑みかけてくれるんですよ。
ま、貴族や王族の微笑みなんて信じちゃならんものの筆頭だろうけど。
とはいえ、お部屋訪問の時間には、陛下もおいでなんですよ。
あたしたちが朝のご挨拶を申し上げているというのに、この国の最高権力者の前で、その娘とはいえ、小姑のいびりもどきみたいなことをするほど、叔母さま方の頭はざんねんじゃないってことなんだろう。
小姑というにもかなり年とってるけど。
朝のご挨拶ののち、本格的に化粧や身支度を済ませ――これがまためちゃくちゃ時間かかるんだ――、ルイくんと正午すぎに『朝食』を摂る。
そう、そこまで食事らしい食事ってできないの。だからいくら起き抜けであろうとも、軽く食べておかないわけにはいかないのだ。
ずっしりした絹織物でできたドレス――壁紙、というか壁に貼る布も、布張りの椅子なんかに使う家具用の布も、ドレスと共布って知ってた?めちゃめちゃ分厚いのよ――に鉄製のパニエって、もんのすごく重い。
そんなもんつけて、起きてからずっと空きっ腹で動き回ったら、低血糖で倒れてしまうわ。
午後にも3時くらいから、また叔母さまがたの部屋に伺わなければならない。
時には料理を嗜まれる国王陛下が手づから!コーヒーを淹れてくださることもあるので、飲まないわけにはいかないし。
そりゃ陛下が『ワシの淹れたコーヒーが飲めんというのかい、ワレ』とおっしゃることはさすがにないだろうけどさあ。空気読みますとも。前世日本人として。
ちなみに、なぜ紅茶ではなくコーヒーなのかというと、単純に茶葉がなかなか手に入らないから。
海の上ではフランス弱いんですよ。圧倒的に仲の悪いイギリスに負けてる。
なにせインド周辺までがっつり自分のものにして、じわじわ東南アジアにも手を広げよう、北アメリカもぜーんぶ自分のところだって勢いだしなあ、むこうは。
おかげでフランスでは、アラブから入ってきてるんだそうなコーヒーはともかく、よほど特別な日の女性、それこそ挙式の日の王太子妃ぐらいでもないと紅茶が飲めないというね。
だけど、お茶もろくに飲めないとか。王太子妃ぞ。我、王太子妃ぞ?
いや、フランス王太子妃だからこそ、逆に飲めないんですよね。そこはわかってます。
でもコーヒーかショコラかの二択って、だんだん飽きてくるのですよ。
さっぱりしたものが飲みたくなってしょうがないから、こういったお茶会以外の場所では、あたしはたいてい水を飲んでる。
食生活の一部だけは、めちゃめちゃ清貧だと思うの。
このお茶会、フランス王家的家族団欒の時間とあって、ルイくんも叔母さまがたには笑顔を向ける。あたしに向ける薄っぺらい笑顔とはまるで別物だ。
あのさルイくん。そんな顔ができるんならさあ、あたしにもそういう顔で接しようよ。腹芸ができないという、君主にあるまじき欠陥でもあるんですかアンタ。
もしくは気配りができないのか、あたしに配慮する必要を認める気はないのか。
あのとんでもなくひどい初夜の後でだって、なんにもフォローなかったもんなあ。
……いいですとも。そっちがそういうつもりなら、こっちもそれなりにお返しはしますとも。十倍返しは基本ですね!
叔母さまがたは、あたしに対する態度はそこそこ柔らかいんだけど、人間的にはあんまり好きになれそうにもない人たちだった。
初夜に寝室へとぞろぞろ入ってきた、あの貴族たち以上の物見高さと噂好きなの。
国王陛下やルイくんたちが退室された後もあたしを引き留め、目を光らせながら根掘り葉掘りしてくるの。最初に伺った時から。
あ、そういう人たちなんだと思ったからこそ、あたしは初手に爆弾をしかけたのだけれど。
やれルイくんはやさしいかだの何を話したかのと聞かれ、じわじわと初夜の感想を聞き出そうとしてくれやがりなさいました時のことだ。
「叔母さまがたに伺いたいと思っておりましたの」
あたしは目を伏せながらちょっと頬を赤らめてみせた。コルセットがあるので、一瞬息を止めれば顔なんてすぐに赤くなるのだ。
ついでにもじもじとためらったそぶりをしてみせれば、三人ともすごい勢いで身を乗り出してくれる。
そこで、いとも無邪気に軽やかに言ってやったのだ。
「閨で手をおつなぎするのを忘れたのですけど、わたくしと殿下のお子はいつ生まれるのかしら?遅くならなければよろしいのですけど」
……うん、われながら全身さぶいぼまみれになりそうな、物知らずな箱入り小娘の演技だね。
初夜直後、メルシー伯に脅迫的に責め寄られ、あたしはハプスブルグ家乱倫の噂を消すため、自分の醜聞を撒くことを同意せざるをえなかった。
だけど、愛妾と陛下の寵愛の取り合いを王太子妃が宣言するような噂ってなにさ。
そもそも狩猟が趣味ってのを下ネタにねじ曲げて解釈する連中だ、キャットファイトの宣戦布告的な意味合いで広めないと判断できる材料がない。
そんな解釈で広まったら、あたしへのダメージは倍増ドンでしょうが。ありえないにもほどがある。
だから、あたしは、メルシー伯に一つだけ条件をつけた。
噂を流すタイミングを、あたしが叔母さまがたに爆弾をしかけた後にするようにと。
あたしが『性的なことをなーんにも知らないおぼこい女の子』であるという情報を与えてやれば、あたしがデュ・バリー夫人をライバル視するという発言をしたという噂が流れても、裏の読みようがなくなる。
愛妾と寵愛を奪い合おうという宣言ではなく、無邪気な子どもの、考えなしの言葉になるわけだ。
真に怒り狂えばかえって思考が冴えるというけど、それは本当なんだと身を持ってあたしは理解した。
いいだろう、全部ひっくるめてお返ししてやろうじゃん。泥をかぶらなければならないのだったら、周囲だって道連れだ。
初夜に一っ言もしゃべりもせず、同じベッドに入ったと思ったら、すぴょーっと寝てたルイくんにだってお返しだ。
あのぶりぶりにぶった発言で、フランス王家に伝わったのは、『あたしがおぼこい子』であるという情報だけじゃない。
初夜に、ルイくんとあたしの間には『なにもなかった』ということも伝わったわけだ。
もちろん、それで何かが目に見えて変わるわけじゃない。叔母さまがたから話を聞いた陛下あたりが、下世話にルイくんをからかうことはあるかもしれない。
だけど、ルイくんの失礼な振る舞いを咎めるような人は、たぶんいないだろう。
あたしの恥ずかしさ、無視されて傷ついたプライド、そんなものに共感してくれる人もだ。
だけど、『なにもなかった』のは『なにもできなかった』からじゃないか、ぐらいは、わりと簡単に結びつくのだ。
そのままかるーく『ひょっとして、ルイくんてば不能なんじゃ?!』疑惑ぐらい抱けばいいと思う。あたしに恥をかかせてくれたくらいには、ルイくんだってたっぷり恥をかくがいいさ。
伝統と身分にがっちがちにプライドを固めた叔母さまがただって、王妃のいないこの宮廷で、王太子が不能ってことは、王統が断絶する可能性だってあるんじゃという方向に考えが及べば、盛大に慌てふためいてくれるだろう。
不躾なくらい明け透けに初夜の感想を聞いてくるんだもの、そのくらいのカウンターは礼儀知らずにくれてやる。
まあ、ルイくんの弟たちがいるから、血のつながりが途絶えるってことは、たぶんないとは思うけど。
言ってやったぜ、ざまーみろ!ってな気分になったのは、けれど一日も保たなかった。
ルイくんとあたしとの間には『なにもなかった』のは、あたしが『初夜になにもされないような、ルイくんにとって女性としての価値がない相手だった』と解釈されかねない、肉を切らせて骨を断つような真似だ。
そこをわかっていて、あえてやらかしたのにさ。
次の日のお部屋訪問の時、さーて反響やいかにとあたしはひそかに観察していたのだけれど、陛下や叔母さまがたの表情は、その前日とまったくかわらないものだったのだ。彼らの微笑みは鉄壁にすぎた。
どうやら、フランス王室は、ルイくん不能疑惑を聞かなかったことにしたようだった。
さすがの鉄面皮、いや鉄仮面の国ってか。
アレクサンドル・デュマなんて、子ども向けの抄訳しか読んだ覚えないけどな!