6月21日 16時~23時
本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
シャロンはフランスの宗教的重心ともいえる、ランスに近い町だ。
といっても御幸に使うような街道にはない宿駅なので、よく言えば牧歌的、悪く言えば洗練されていない町である。
あたしたちの乗った豪奢な大型馬車は、さぞかし目立つことだろう。
だから、街中にまで乗り入れることを避け、あたしたちは馬車を任せていた従僕たちを町中に遣わした。
転倒して馬車を牽かせることができなくなった馬を替えるには、まずその代替を調達するところから始めなければならない。
それにだって時間がかかるのはわかっている。
そこであたしたちは食事を摂ることにした。
予定より四時間ほど遅れているというのにのんきなようだが、時間があるなら食事をするというのは、まあ、悪くはない。
さらにアクシデントでも発生しようものなら、もっと状況は悪くなる。だったら今のうち、食べられるうちに食べておこうというわけだ。腹が減っては逃避行もできないのだし、
食糧の調達にまで人手を割くわけにもいかず、あたしたちは手持ちの食糧を食べることにした。それでも十分高級食材ですとも。
だけどルイくんや子どもたちは、微妙に不満げだった。
いや、そりゃあ、保存が利くようなものしか積んでないから、いつもに比べてランクが落ちてるっちゃそうですよ。けれどこれでも相当贅沢な食事だと思うのだ。
しかもルイくん。お腹がいっぱいになったからって、散歩をしたがるってどういう神経だ。
あたしたちは逃亡中だっての!
いや、長時間馬車に乗ってて身体が固まる、って理由はわかるのよ。いっくら内装を長距離用のクッション多めにしといてもらっても、あたしだっておしりがかなりキている。
でも考えてみてほしい。
あたしたちは、テュイルリー宮殿から脱出するとき、従僕やら下級貴族やらのかっこうに扮して逃げ出した。
だけど、乗ってる馬車ってば八頭立てという超豪華高級仕様。
そして、家庭教師とかの下級貴族ならともかく、貴人の側にも寄れない低位の従僕がそんな馬車から緊張もなく降りてきて、仕事もせずのんびり散歩している様子が見られちゃうとか。
疑ってくれって言ってるようなもんじゃないか。
しかもルイくんてば、ルイ=ジョセフまで馬車から降ろして一緒に散歩させたのだ。
ますます怪しいわ!
いらいらじりじりしながらあたしは準備が終わるのを待った、出発をせき立てたのも当然だと思うの。馭者を任せていた従僕なんぞはわがまま王妃のヒスかよ、みたいな目で見やがったが。
ああ、フェルセン侯子を随従させ続けていたらよかった。彼ならあたしの焦燥を共有してくれていたかもしれない。
それがどういう魂胆ありきの従順さであっても。
シャロンを出発した後も、あたしの恐慌はひそかに強まるばかりだった。
本来ならば、シャロンの東にあるソンム=ヴェルという宿駅で、ショワズール公爵と騎兵隊が待機しているはずだったのだ。
子飼いの手勢とまではいかなくても、信頼のできる味方の武力は心強い。
けれども、その影も形もなかったのだ。
これにはさすがにルイくんも困惑した様子だったが、さらなる前進を命じた。
実際、次の宿駅のサント・ヌーまで行けば、そこにも別の隊が待っているはずだったからだ。
6月も下旬のこの時期は、夜の10時近くになるまで日は沈まない。これが前世でいう高緯度のサマータイムというやつなんだろうけれど、そのせいで8時ごろに着いたサント・ヌーは、まだ明るかった。
エイブが率いているはずの一隊がいないことがすぐわかるくらいには。
「いない?そんなはずはないだろう」
従僕の報告を信じられなかったのか、ルイくんは馬車の窓を開けて外を見た。それでは飽き足らず、顔を突き出したルイくんのお尻を、あたしは慌てて引っ張った。
「なにをする」
「危ない真似はおやめくださいな」
けれど気になるのは確かだ。あたしは窓から身を隠しながら目だけを外に走らせ――血の気が引くのが自分でもわかった。
「出して。急いで!」
「どうしたのだ、いきなり」
「見つかったかもしれません」
「まさか」
あまりにもルイくんはのんびりしすぎていると思っていたが、どうやらそれも自分の変装に万全の自信があったから、らしい。
だけどルイくん一人でも、この豪奢な大型馬車がなくても、不審に思われずにはいられなかっただろう。
あたしは低く囁いた。
「全国連盟祭に集まった者たちの数をお忘れですか?」
ヴェルサイユにいたころならば、王の顔を直接見ることができる者というのは、ある程度限られていた。
それこそ拝謁の栄に浴せるような身分の貴族や、宮廷に仕える官僚たち。
平民ならば貴人の前には出ることを許されなかった使用人がのぞき見をしていた可能性も否定できないし、ヴェルサイユ見物にやってきた者たちもいたけれど。
いや、見物人がいるなら該当しそうな連中がどっさりいてもおかしかないように思えるかもしれないが、そもそも日中仕事もしないでヴェルサイユくんだりにまでやってこれる人間というのは、平民のなかでもよほど限られているのだ。
おまけに交通手段があまり発達していない現状では、移動コストというやつはバカ高い。それも、都市の外へ出ると一気に跳ね上がるのだ。
……まあ、季節に応じて移動した宮殿があるような地点でも、見物人はいたかもしれないから、ヴェルサイユだけとは言わないさ。
だけどそれはすべてあくまで点や線の問題だった。
けれども、パリは――というか、革命は、それをすべて覆した。
全国連盟祭。
革命――というか、バスティーユ襲撃一年目を祝ったあの祝祭は、王室が国民議会の革命を讃えるお飾りとして、晒し者にされた歯でもあった。
あの場にはフランス全土から人が集まっていた。
その者たちは、あれからどこに行ったのか。パリにしばらく滞在していた者はいるかもしれないが、長期にわたって留まっていた者は、ほとんどいないだろう。
彼らは帰っていったのだ。自分の暮らす土地へ。
ということはだ。
あたしたちの、というか、ルイくんの顔を素で見たことのある人間がフランスじゅう、どこにいてもおかしくはないということでもある。
……えらそうなことを言うが、あたしもそれに気がついたのは、ルイくんのお尻を引っ張った時だ。
彼の身体越しに外の様子が見えたのだ。
不審げに歩みを緩め、こちらの馬車を見るものの中に、はっきりと驚愕の色をうかべた人間がいたのにルイくんが気づかぬのが不思議なほどだった。
人の注視に慣れきった王の鈍感とは、こういうものかもしれないが。
ぶっちゃけ、あたしもルイくんも、例の王室ネガキャン不審文書に似顔絵が乗らない日はないといってもいいくらいだった。
だけどあれってかなり戯画的に醜悪なほど歪められていたものがほとんどだった。あたしたち当人に似てるかっていうと……そこまで似てはいないと思う。
ちんちくりんのハンプティダンプティ体型に描かれることの多かったルイくんだって、確かにだいぶ太ましくはなったけれど、高身長は若い頃から変わっていないし。
あたしだって、記号的表現として必ず描き込まれる、ごてごてにリボンとフリルの塊になったようなドレスはまとってないわけだし。髪型だってあの複雑怪奇な毛玉とは、似ても似つかないシニヨンにきっちり小さくまとめてある。
そりゃまあ脂肪量の多い食事でしたから!あたしだって相当お肉はついちゃってますけど!それでも豚っぽく描かれていた絵とは他人だと断言しますよ。
……けれど、素の顔を知っていたら、その変形を突き抜けた上で、プロパガンダとして振り撒かれた醜聞で判断されかねん。
ついでにいうなら、事前に練っていたプロヴァンス伯の逃亡を密告しよう計画も、結局あたしは実行に移すことはなかった。というか、できなかった。
まず第一に、いつ密告するか、そのタイミングがやっぱりシビアすぎたことがある。
早すぎればあたしたちも警戒網にひっかかる。遅すぎれば多分意味がない。
それに、いくら自分たちの安全を買うためとはいえ、他人に危険を押しつけるってのは――たとえそれが気に食わない相手であっても!――やっぱり良心が咎めてならなかったから。
情報的なチャフも撒けず、悪意の臭気を元から絶つこともできない。
そんなあたしたちができるのは――ただひたすら馬車を走らせ、追っ手との距離を空けることだった。
味方が待っていてくれるはずのヴァレンヌまで。




