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マリーとよばれて  作者: 輪形月


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36/39

6月20日21時~6月21日2時

本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。

 フェルセン侯子が辞した後も、あたしとルイくんはサロンでプロヴァンス伯(ルイくんの弟一号)やエリザベートちゃんといっしょに、しばらくバックギャモンなどに興じた。

 ゲームをするのも王族の家庭的な団欒というやつだったりするのだが、これも見張りを油断させるための演技ですよ。

 だから、衛兵たちの軽蔑するような目というのは、感情を隠す訓練もしてない彼らの未熟さと、あたしたちの意図通りにことが進んでいるという証明ですらある。

 これが『赤字夫人』の実態か……、とでも言いたげな様子にはちょっと反論もしたくなってしまうけれども。


 だって今使っているチップなんて、正直何の効力もないものなんですよ。何でもかんでもゲームを賭け事に発展させるのは貴族の悪癖だけど、今の王室は国民議会に財産をアッシニア紙幣の原資に取られている。

 つまり、賭けてるものに金銭的価値なんてまったくないのだ。


 そりゃあたしだって、以前は社交場での賭け事にはちゃんと参加したけど。王妃用の予算にはそういう枠もあったし。負けたふりしてへそくったりもしましたが。

 それでも、勝敗の度合いを示す程度の意味しかないチップのやりとりで、大金をかけているようにでも言われるのは違うと思うのよ。


 愚痴はさておき。


 さてそろそろ寝るか、というそぶりで逃避行の準備のために引き揚げようとした時のことだ。

 ラファイエットがやってきた。

 いや、彼が来るのは定例報告のためなんで、来るのも計算の裡、ではあったんだけど。

 ルイくんとの話がまた長いこと!

 じりじりしながらみんなは談笑を続けるそぶりをしていた。


 あたしの侍女が二人、手筈通りそっとテュイルリー宮殿を滑り出したのは、あたしの携帯時計が10時半を指したころだった。

 彼女たちは一頭立て二輪馬車で先行することになっている。

 ……本当を言えば、あたしたちだっててんでばらばらに抜け出せば、彼女たちのようにかなり身軽に、そして目立たずに抜け出せるのかもしれない。

 実際そういう案が出たこともある。パリから遠いところを合流地点に設定しておきましょうって。

 だけどそれは合流に失敗した時の事故が怖い。ぶっちゃけ地図だって精巧なものなどこの状態で手には入りづらいのだ。情報もない、土地勘もない、ないないづくしのあたしたちが、追っ手が迫る前に合流に成功し、さらに逃亡を続けられるかというと……限りなく不安がつきまとう。

 だから、巨大な馬車でまとまって脱出というのは、多少目立ってはしまうのだがしかたのないことなのかもしれない。


 携帯時計の長針がさらに半周した。

 平静を装うあたしの手を、そっとルイくんが包み込んだ。

 何事もなければ、一度それぞれの寝室でいつも通りに寝かされていたルイ=ジョセフ(次男)マリー・テレーズ(長女)も、今頃は家庭教師のトゥルゼ夫人とフェルセン侯子によって、宮殿の裏口からこっそり外へと連れ出されているころだ。


「妃殿下」

「ええ、わたくしも下がりますわ。おやすみなさい」


 あたしは何気なく言える範囲の言葉を慎重に選んでランバル公妃に伝えた。


「そうね、疲れて身体が参ってしまわないうちに、あなたも何日か田舎で休養してきなさいな」

「殿下のお気遣い、ありがたく存じます」


 ランバル公妃は丁重に礼を返してくれた。

 

 ……正直なところ、疑われないぎりぎりのところを攻めて声をかけたことは自覚している。けれども彼女とは、それこそあたしが初めてルイくんたちと出会ったコンピエーニュの森でも、歓迎の挨拶をしてくれたくらいの長い付き合いなのだ。おまけに宮中女官長という役職とそこそこいいお給金で釣ったとはいえ、非常ボタン役まで押しつけている。無用な危険にさらしていい相手じゃない。

 あたしたちが脱出した後、テュイルリー宮に近寄らせないための口実はどうしても必要だろう。


 幸いというか、彼女は蒲柳の質というのか、結構病弱な人でもある。

 療養のためにしばらく伺候を遠慮します、という理由付けに無理はない。


 自分の寝室に下がると、あたしは侍女に手伝ってもらって素早くドレスを脱ぎ捨てた。目立たぬよう灰色の服に着替えるのだが、気が焦るとろくなものではない。

 ようやく歩哨に立っている国民兵から見とがめられずに宮殿から抜けだし、こっそりと止めてあった辻馬車へ乗り込んだ時には、日付が変わっていた。

 とうにルイくんもエリザベートちゃんも乗っている。馭者席に飛び乗ったのはフェルセン侯子だ。

 ピシッと鞭の音が鳴り、馬車が動き出した時には詰めていた息をどう吐いていいかもわからないような気分だった。


 最初の合流地点である街道近くまで来たのは、それから一時間以上たっていただろうか。

 待機させてあった特注大型四輪箱馬車に、ここでで乗り換えるのだ。

 

 もちろん、偽の旅券もとうに手配はしてある。

 それによればトゥルゼ夫人がこの一行の主人であるコルフ男爵夫人ということになっている。ルイくんはその従僕で、ルイ=ジョセフもマリー・テレーズもコルフ男爵夫人の娘、という扱い。

 あたしはといえばその家庭教師のロシュ夫人で、エリザベートちゃんは養育係というわけ。一同うち揃ってドイツへ旅行に参りますのという触れ込みである。


 ……こんな状況でなければ、お芝居の役割を振り割ったように感じたかもしれない。

 じっさい、試しにと変装用の衣装を着こんでみたときには、お互いのその格好に笑いがこらえきれなかったものである。


 なお、一番ウケたのはルイくんだった。

 ちょっと髪をもさもさした感じに乱し、垢抜けない従僕の服に着替えたら、あまりにも王らしく見えない、板につきすぎとね。

 ちなみにルイくんはテュイルリーを抜け出す時、一人で中庭を横切ってきたのだという。危ないことをすると冷や汗をかいたが、それで国民衛兵が誰一人怪しまなかったとか。

 国王のカモフラージュ能力が高すぎる。いやいいことなんだけど。

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