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マリーとよばれて  作者: 輪形月


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ヴァレンヌ前夜(1791年)

本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。

 二婆様たちが逃げ出した2月には、いろいろなことがあった。

 ラファイエットがヴィンセンヌでの紛争を処理するため、国民衛兵の一部とともにテュイルリー宮殿を出発した後のことだ。

 テュイルリー宮殿の守りが手薄になったというので、武装した数百名の貴族が集まってきた。ルイくんを守ろうということらしい。

 が、これが大きな火種になった。


 もともと国民議会は、呉越同舟と同床異夢がアクロバットにかけ算されているような状態で、平民は王侯貴族に対する反感を、革命急進派はアンシャンレジーム(旧体制)への懐疑をずっとくすぶらせている。

 武装した貴族が国王を連れ去り、反革命のトップに立てようとしているんじゃないか、という推測とも呼べない思いつきは、あっというまに人々の頭の中で真実へと変貌した。

 実際、過激王党派の中で国王誘拐計画なるものが持ち上がっていたと発覚したのは去年のことだし、まあわからなくもない。


 幸いにも、デマが殺傷性を持つ前に、ラファイエットは迅速にテュイルリーへと戻ってきた。

 彼が貴族たちを武装解除に導いたのはいいことですよ。ええ。血は流れずに済み、険悪な一触即発の状況も不発に押さえ込めたんだし。


 この日のことは短剣の日と呼ばれるようになったらしい。素早く国王を守ったってことで、ラファイエット人気は、市民の中に――まだ膨れ上がる余地があったのかとあたしはこっそりも思ったものだが――高まった。

 が、そのせいで貧乏くじをひきまくった存在がある。

 あたしたち王室の人間ですよ。


 貴族連中からの接触も許していては、いつ大事な国王陛下が反革命派に誘拐されてしまわないとも限らない。だったら大事にしまっちゃおうねというわけか、あたしたちはテュイルリーから出ることもできない状態が続いてたりもした。

 だけど4月になったし、もういいんじゃないかな。


 復活祭が始まるというので、あたしたちはサン・クルー城に移動しようとした。

 なんせテュイルリーじゃ国民議会の回し者扱いされてる宣誓派司祭――国民議会と国民議会の掲げる正義に服従する誓いを立てて、ローマ教皇の支配を受けない立場を受け入れた司祭たちだ――しかいないのだ。

 ぶっちゃけ敬虔なカトリック教徒であるルイくんにとっては、彼らが宣誓という選択肢を選んだ理由は理解できても、ミサを挙行してもらったり、聖体を授けてもらったりする相手としては認めがたいものがある、というのも理解できてしまう。

 もともとテュイルリーに押し込められてからも、あたしたちがサン・クルー城には何度か行き来してたこともある。

 だっておんなじパリの西部にあるんだもん。そんなに遠くないのだから、ちょっと行って、すぐ戻ってくればいい。

 そのはずだったのだが。


 馬車の前に立ち塞がったのは、大群衆だった。


 怯える子どもたちや女官を抑え、外の様子に耳を傾けたところ、どうやらこれもデマというか、大誤解による騒ぎだったらしい。

 あたしたちが国外へ――それもなぜか方向違いも甚だしい、北はブリュッセルまで逃げ出すと彼らは思い込んでいたようだ。

 し・か・も、騒動を制圧すべき国民衛兵が群衆と一緒になって大騒ぎしてるってどーゆーわけよ?!

 なにしてんのよラファイエット!!!


 ……結局、あたしたちはテュイルリーを出ることすらかなわなかった。

 王が群衆に追い返されるとかどんな醜聞だ。しかもそれがパリじゅうがひっくり返るような大騒動にされてしまったのだ。

 今や、フランス王家は無力な虜囚にすぎないということが、ヨーロッパ全域に知れ渡ってしまった。


 正直これは外交面でのマイナス……なんてもんじゃない。

 相手の弱みを握ったと確信したなら、問答無用でハゲタカの群れのように寄ってたかって利権を食いちぎりにかかるのも外交の一面ではあるのだが、もはやたかられもしないというね。ほんのり哀れまれているレベル。

 現世の実家、というかレオポルト兄さまに助けを求めてたとはいえ、いくらなんでもそこまで無差別にこっちの窮状をぶちまけるつもりはなかったのになあ。

 もうこれ、援助の対価とか条件を詰めましょうって段階の話じゃない。何でもしますからとは言ってなくても、出された条件はすべてまるっと鵜呑みにしなければ助けてなどもらえやしない、いや鵜呑みにしたって助けてもらえるかすらわからない状況ですよ。


 だが、悪いことばかりでもなかった……と言ってもいいのかな。

 オーストリア、スペイン、スウェーデンなどが亡命を後押ししてくれるというメッセージが密かに届けられたときには、こっそりルイくんと手を取り合って喜んだものだった。現世の実家と、その縁続きであるオーストリアとスペインはともかく、スウェーデンとの関係を結んでくれたフェルセン侯子にも思わず感謝したくらいですよ。いくらいろんな思惑が絡んでいることはわかっていても、これでようやく希望は見えた。


 そう、ルイくんも復活祭のミサを受けることができなかったせいで、いよいよパリには見切りをつけたらしい。


 ぶっちゃけ国王が自国から逃げ出すというのは、本来ならば絶対やっちゃいけない禁じ手だ。王自らがその地位を放棄したとみなされてもしかたがない。


 が、ここまできたら、国王の地位にしがみついているメリットはない。故ミラボー伯らが懸命に舵取りをしていた立憲君主政への移行すら、もはやありえない。

 たとえお情けのように国王の地位が存続させられていても、それはたぶん国民議会のお飾りにしかならないだろう。


 前世の記憶があるあたしにとって、象徴制も悪くないじゃないの、という考えがなかったわけじゃない。むしろ最初は象徴君主制を目指してましたとも。生活の保障をしてくれて、平和な国になるのなら、民主政でも共和政でもお飾りばっちこーい飼い殺しかもーんとね。


 だけど問題は、お飾りの扱いなんて、飾っている側の気持ち一つで変わってしまうということだ。

 あたしたちがヴェルサイユから、廃宮も同然だったテュイルリーまで罵声を浴びせられながら拉致されてきたように。

 革命記念祭で国王万歳を叫んだ同じパリ市民が、ミサへ行こうとしたあたしたちの馬車をテュイルリーから一歩も出すまいとしたように。

 それこそ、失政のスケープゴートとしていつでもギロチンにかけられるよう、あたしたちの首をストックするためのお飾り扱いなら、激しく(ノン)ですとも。


 そしてお飾りの国王として、ルイくんをいいように愚王扱いしていた貴族たちも、今、じわじわと国民議会から排斥されつつある。

 かろうじてラファイエットは、その人気のおかげで国民衛兵司令官の座を維持してはいるけれども、それもいつまでもつことやら。

 今や、主権を握っているのはブルジョワ層であるといってもいい。


 ブルジョワが国民議会を動かしたい、思うような政治をやりたいというのならやればいい。ご勝手に。

 そういう気持ちもないわけじゃない。

 たとえ国王をぞんざいに扱ってるせいで他国から総スカンを食らおうが、ローマ教皇のピウス6世が静かにぶち切れあそばしたことに配慮した国々からうっすら国交も断絶されようが、それは彼らが選んだことですよ。


 幸いにもというべきか、ごたごたとパリへ移ってきていた女官たちの中には、プチ・トリアノンの荷物を一部引き揚げてきていた者がいた。

 ただでさえ無駄の塊、負の遺産だったプチ・トリアノンだ。あたしは義祖父陛下(ルイ15世)の寵姫たちの住まいだった時のまんま、ほとんど居抜き状態でほっておいた。無駄なお金はかけたくなかったので、改修といえば庭園にジャガイモ植えまくらせたのと、あと畜舎の増築をしたくらいだったのだが、小劇場があったので、あたしはそこに本格的な町娘だの羊飼いだのの扮装を作って置いておいた。


 演劇を上演したりするという名目ではあったのだが、本音は変装用の衣装をキープするため。

 家畜を多めに飼ってたから、あたしも村娘めいたかっこうで農作業の手伝いとかさせてもらたりもした。

 足手まといなのはわかってたけど、農作業の手順がある程度理解できていれば、逃げ出して平民に紛れても生活できるかも、なんて夢を見ていたせいもある。

 さすがにパリの街中で羊飼いの娘の格好というのは浮くだろうが、うまく使えば脱出行にも有効なはずだ。


 真面目くさった顔で、あるいは作り上げた笑みの裏で、策謀をやりとりするのは王侯貴族の十八番である。

 敵意というより殺意に取り囲まれている中、プロヴァンス伯(ルイくんの弟一号)たちとカードで遊んでいるふりをしたりしながらも、見張りの国民衛兵たちに気づかれないよう、情報をやりとりするのはなんともいえないスリルがあった。


 計画を立てる中であたしは一つ、悩んでいた。

 プロヴァンス伯の脱出を国民議会に密告するか、否か。


 彼とあたしたちは、別ルートで脱出する手筈になっていた。もしプロヴァンス伯が囮になってくれたら、だいぶあたしたちの逃避行は楽になるだろう。

 が、タイミングがシビアすぎるのだ。


 王弟が逃げ出したとなれば、国王一家の安否確認がされないわけがない。つまり、あまり早くプロヴァンス伯脱出が伝わってしまうと、芋づる式にあたしたちが逃げたという情報も伝わってしまうというね。

 国民議会だって馬鹿じゃない。国王一家と王弟一人――そう、プロヴァンス伯ったら、奥さん置いて逃げ出すつもり満々なんです――、重要度を考えれば、国王一家を追う方に人手を割くだろう。

 だけど、あんまり遅すぎると、今度は囮としての意味そのものがなくなってしまう。


「生気に満ちたあなたは美しいな」

「あら。でも、子どもたちのためですわ」


 うんうん唸っていたら変な方向でルイ君に褒められた。

 そう、あたしは脱走計画を練るのを、ある意味楽しんでさえいたかもしれない。

 だけどあたしの言葉も嘘ではない。

 もう、あたしの子は、二人しかいないのだから。

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