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マリーとよばれて  作者: 輪形月


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1790年(その1)

本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。


 テュイルリー宮殿で軟禁状態のあたしたちに、いつの間にかしれっと二婆さま――ルイくんのおばさま姉妹の生き残り、アデライードさまとヴィクトワールさまだ――が合流していたのには、苦笑しか出なかった。

 たしかに、長男のルイ=ジョセフ(王太子)が生まれてから、恩赦ってことなのか、ベルビュ城での謹慎は解かれていたけどさ。

 この猫も杓子も革命万歳なこの状態で、いったいどういう手を使ってこのテュイルリー宮殿にまでやってきたのやら。


 昨年末、矢継ぎ早に設立された政治結社は、パリを中心として地方と結びつき、影響力とネットワークをフランス全土に構築していったらしい。

 結果、さまざまな権威が国民議会の名の下に引きずり下ろされた。


 たとえば国王。

 これまで名目上は立法・行政・司法のすべてがルイくんの意向一つで左右されうる状況だったのだが、主権の暴走抑止のためという理由で、三権が分立されたのだ。しかも国民議会の同意なくしては、それらの権限を行使できなくなってしまったというね。


 権力の暴走に対し、ここまでがちがちのセーフティがかけられたのは、民衆の思う絶対王政における王権のイメージってのが、文字通り絶対的なものだったせいじゃないかと思う。

 それこそ領主の定めた法に反した時点で悪即斬がまかり通る的な、持たざる者への圧倒的暴力とでもいうべき力。


 もちろん、ルイくんがそんな暴力を振るうわけがない。

 というか、いくら絶対と名前がついている王政であっても、法治国家である以上、王が独断と偏見で恣意的に権利を振り回せるわけなどない。

 むしろ、しがらみでがんじがらめになってたルイくんが、貴族連中にいいように振り回されてた方ですよ。


 だのに、わりとあっさりと、ルイくんはその権限のおおかたを国民議会へ譲り渡してしまった。

 もともと第三身分へのシンパシーを抱いてたっぽいルイくんにしてみれば、たぶん主権を市民に手渡し、立憲君主政に移行するということに、あまり抵抗感がなかったせいなのかもしれない。

 だけどそれはルイくん自身の、生殺与奪の権限を渡してしまうのと同じじゃないかとあたしは思った。

 だって渡された方にしてみれば、その主権は絶対王政の王が持っていたもの、振るっていたものと同一のものであるわけだ。

 つまり、悪即斬に正当性を与える最上級権限。

 ……そんなもん、三権に分立しようがしまいが、その権利の重さと振るう覚悟を知らぬ連中に渡しちゃって、ほんっとーにいいのかなあ。


 そんなあたしの心配を歯牙にも掛けず――つーか、存在すらしてるとも思ってなかったかもね?――それまで国王権限の一つだった立法権は、国民議会が行使するということになった。

 その議員に選出される資格は、相当の直接税が支払える25才以上の男性市民という、いわゆる制限選挙スタイルである。

 あたしたち国王一家をヴェルサイユからパリにぶっこ抜いてくるのに、女性の存在をさんざん利用しておいて、じつに勝手なもんだよね。

 まー確かにいきなり普通選挙いたします、成人国民すべてに同等の選挙権を与えますとか言っても、まともな行使ができるかってゆーと無理だろうけどさ。下手すると何日か分、いや一食分のパンとかでも買収されかねんもんなあ。


 おまけに、いくら政治結社が強固なネットワークを構築したといっても、市民の間に醸成された不満はそうそうなくなるもんでもない。食糧事情だって、せめて冬小麦が穫れる春にならねば上向きになるわけもない。この年も農民一揆が散発的に発生していた。

 それでも国民議会はなんだかんだと法令を連発していた。一度権威を強奪した以上はとことん行使しましょう、ってことなんだろうか。

 だけど、前世だって立法府はわりと簡単に世論によろめくものだった。まして現世じゃ自分と自分のお仲間の利益に真っ先に左右される。

 

 3月には、封建的権利の買い戻し法令ってのが出た。

 どのみち富裕層のみがその恩恵にあずかれるわけで、逆に貧困層に憤懣がたまるんじゃないかと思うんだが、そのあたりがブルジョア中心の元第三身分が自分たちの利益を最優先して動いている結果だと思う。


 聖域なき改革というわけか、国民議会の法令は聖職者にも及んだ。

 5月には聖職者財産売却令が、7月には聖職者市民法群が出た。

 財産売却令は、わからなくもない。手っ取り早い権威付けとばかりに、教会は聖なるものを貴金属と宝石で飾り立てているからだ。教会領も長年の蓄積というやつでしこたまひろがってる。その偏重した富を再分配しろって主張は残当(デスヨネー)ってやつかもしんない。

 だからこそ、ルイくんもあっさりと同意したのだろう。

 だけど、聖職者市民憲法、聖職者民事化法には、ルイくんはなかなかうんと言おうとしなかった。


 これら聖職者に関連する法律は簡単に言うと、アンシャン・レジームの一端たるローマ・カトリックからの決別と、フランスの聖職者を公選の国家公務員とするものだ。

 聖職者の忠誠というやつは神に、地上の代理人たる教皇を始めとする教会組織に、そして王権神授説的に見て、とうとぶべき国王に捧げられてる、というのが従来の解釈だろう。

 だがこれらの法律は 聖職者を市民化する――国民と国王、および聖職者市民法を含め、フランスの憲法に対する忠誠の宣誓を聖職者全員に義務づけるものだった。

 しかも、拒否の場合は解職とする法律にも同意させられるというね。


 司教や司祭の任命権といった教会の権限を一方的に剥奪し、聖職者を公務員化するというのは、完全に国家の……というか、国民議会の支配下にそれらの聖職者を奪い去るということでもあるわけで。

 おまけにローマ教皇からのフランス・カトリック教会の独立とくれば、どう穏便に解釈してもローマ教皇に喧嘩売ってます、ありがとうございました、としかいいようがない。


 前世の記憶があるあたしよりも、ルイくんははるかに真面目で敬虔なカトリック教徒だ。

 その彼にしてみれば、これはある意味背教的行為だったのかもしれない。

 さんざん悩んだ挙げ句、国民議会にせっつかれてようやく承認はしたものの、その結果聖職者は大きく二分されることになった。

 宣誓僧――長いものには巻かれろスタンス公務員と、宣誓拒否僧――国民議会への反発を盛大に表明した方々に分かれただけではすまず、当然のようにその間でも諍いが発生するというね。なんなんだもう。


 夏になると、さすがにずっとテュイルリー宮殿に詰めきりというわけにもいかないというのか、あたしたちはパリの西部にあるサン・クルー離宮に移った。

 そこで『革命のライオン』なる二つ名を持つミラボー伯爵と初めて対面したりもした。

 彼のあだ名の半分は長い髪の鬘のせいだと思う。風貌そのものは巨大なまだら模様のブルドッグといったところか。権威に対する反骨精神を人型にすると彼になるような気がする。寄らば噛むぞと言わんばかりだし。

 確かに学識と演説はすごかったが、放蕩三昧でたびたび牢獄にぶちこまれたという経歴の持ち主である。親が泣くぞ。てか父親が真っ先に彼を投獄したとかいう噂もあるんですがほんとかね。


 そのころには、あたしたちがパリに強制連行されたときのような、ぎすぎすした空気はだいぶ和らぎ、メルシー伯もさらっと随従の人員に加わったりしていた。

 なんせ国民議会じゃ外交面は回せない。いきおい、ルイくんがそのへんを引き受けることになっていたので、いきおい外国の大使やら使節やらがあたしたちの周囲にいても当然、みたいな状態になっていたこともある。


 7月になると、パリの人口は膨れ上がった。バスティーユ陥落一周年を記念して、第一回全国連盟祭なるものをシャン=ド=マルスで開催するというのだ。

 もともと1989年の夏ごろから、多くの地方都市で発生していた国民衛兵組織は、互いの結びつきが強かった。らしい。都市間地方間で連盟を形成するくらいには。

 だけど全国規模で連盟祭をするのは初めてだという。

 あたしにとってはなんで祝わねばならんのだ、というもんなんですけどね。


 前世の記憶ゆえか、あたしにとって国民議会のやり口は、武力で犠牲も顧みず自分たちの主義主張を押し通そうという、いわばテロ行為に近いものに感じられてならない。

 けれどそれが革命として成立しているのは、単純にブルジョア層を中心とした国内の大勢力を味方に付けており、それを国民の総意として粉飾できているからなのだろう。


 あたしの個人的感想とは無関係に、全国連盟祭の準備は盛大に行われた。

 6月に世襲貴族制が廃止されたとはいえ、鬘をかぶり、貴族の服装をした男性たちが、庶民に交じって手押し車を押しているのは、ちょっと面白い光景だった。

 せっせと働く人々のあいだから、いつしか歌が聞こえていた。( ああ!)サイラ(うまくいく)サイラ(うまくいく)サイラ(うまくいく)という繰り返しの多さが、遠耳にもひどく調子よく聞こえたものだ。


 7月14日。一万五千の国民衛兵が集結する中、全国連盟祭が始まった。

 各地方から集められた国民衛兵の姿を見て、あたしは少し考えを改めた。


 ぶっちゃけこの式典、あたしは国民議会の余裕を見せつけるのが主目的のパフォーマンスにすぎないと思ってたのよ。

 余裕や正当性というのは実体がどこにもなかろうが、見せるためにハリボテでもいいからガワを作らねばならぬものであり、そしてガワでも存在を認識するものが多ければ多いほど、実在するものとして受け止められるってことぐらい、あたしもわかってますから。

 だけど、フランス全土に張り巡らされた政治結社のネットワークと、それらが複雑に政争を繰り広げる国民議会という場、その国民議会の軍事力である国民衛兵の存在がこのパリに集結したこの状態を目の当たりにした者は、こう思うだろう。


 これが、フランスだと。これがフランス市民であると。


 これまでもアメリカ独立戦争を始めとした他国との戦争はあった。けれどもそれは絶対王政下、言い換えれば王権のもとに、各領主の領民や軍隊という単位ごとの小集団がまとめられて戦っていたのに過ぎない。

 国という概念は大きすぎて、彼らがその身に背負えるのは村や都市、それぞれの領地がせいぜいだった。

 だけど、地方や身分の差を表向きであれ乗り越え手を結び合う機会として連盟祭が使われることで、フランス国民、フランス市民というナショナルアイデンティティとでもいうべきものが確立してしまったのだ。


 それは一つの驚きであったけれども、あたしの中に警戒を呼び覚ますものであった。

 あたしだって宮廷で、舞踏会で、数多の敵意や害意を浴びてきた身だ。多少のそれらでは下手に傷つくことはない。

 けれども、それは、あくまでいくつもの派閥に分かれた政敵、あるいは不揃いなまにあわせの武器をそれぞれ構えた少人数のゲリラ兵が姿を隠しながら攻撃してくるのを相手にするようなものだった。


 ラファイエットが「祖国の祭壇」に上り、国民と法と国王に対して忠誠を誓う言葉を述べると、参加者全員が同じ誓いの言葉を唱和する。その地鳴りのような響きを聞きながら、あたしは血の気が引くのを感じていた。


 もし、この場に集まった人間だけでも、彼らがフランス国民として統一された意思と敵意をあたしに向けてきたならば?

 それは、訓練の行き届いた大人数の軍隊に、一斉に攻めかかられるようなものになるだろう。

 そのことが、皮膚に刻まれたように痛みさえ伴って感じられた。


 今はいい。まだいい。「祖国の祭壇」には上らなかったものの、特別席で憲法への忠誠を誓うルイくんに、その場を埋め尽くす人々が一斉に拍手喝采するさまを見ればわかるように、今のところルイくんへの国民感情は良好で、あたしに対するものも――まあ、悪くはない。

 ダメ押しであたしがルイ・シャルル(王太子)を抱き上げると、王妃万歳、国王万歳の大歓声が嵐のように巻き起こったくらいだ。


 おのれが正しいと思う者は、たやすく正しいと思うものに突き動かされる。それがその場の興奮という、熱しやすく冷めやすいものでもだ。

 ならば、今が好機。フランス王室への、あたしへの好感度をうまく上げていけば――


 あたしの内心のたくらみに水を差すように、連盟祭の盛り上がりは夕方のにわか雨に冷まされるように消えていった。

 が、テュイルリー宮殿の中まで、あのア・サイラ、ア・サイラという繰り返しはさらに響いてきた。まだ好機は消えてはいない。


 歌声に望みをつないでいたあたしは聞き取ることはできなかった。

 その歌詞がねじ曲げられ「貴族は街灯に吊るせ」というリフレインに、民衆がさらに熱狂していたことまでは。

「アサイラ」、2024年のパリオリンピック開会式の演出で初めて存在を知りました。

歌詞についてはWikipedia準拠です。

すでにこの年の時点で、相当不穏。貴族への憤懣が爆発したような内容だったので思わず使いました。ええ。

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